第78話

 

 人の流れに逆らうように、ウェインはゆっくりと歩を進めた。夜だというのに、どこもかしこも明るい。吊り下げられたランプからはレイシーの魔力を感じる。


(……あいかわらずだな)


 一人で街中のランプを照らすと言われたときは、何を言っているだと呆れてしまったが、レイシーならできるのだろうとも感じていた。人が少ない方にと進んでいけば、自然と暗く、静かな場所に向かってしまう。


「……このあたりか?」


 軽く壁を蹴り上げて屋根に飛び乗る。ひょうひょうと強い風が吹いていた。ぬとりと重い空気がウェインの肌にまとわりつき、鼻白んだ。とん、とん、と不思議な楽器の音が小さく遠くで聞こえている。ぼんやりと白く明るい町並みはすでに遠く、ウェインの頭の上には月明かりばかりが降ってくる。すらり、と腰に携えた剣を引き抜く。そしてぴくりと片眉を動かす。


「た、隊長、何をしてるんですかぁー!!?」


 メイスである。ウェインが上った壁をえっちらおっちら上って、ぎゃあと悲鳴を上げていた。仕方なしに腕をひっぱってやると「なはは」と相変わらずのお人好しのような顔で笑っている。


「足元くらい確認しろ。だいたいお前、アリシア様はどうした」

「アリシア様は残念ながらキーファ殿下とお忍びデートです。追い出されてしまいました……」

「バカ! そういうときこそだろうが!」

「もちろんわかってますよ! でも隊長がなんだか妙だから! あと言っときますけど殿下はめちゃくちゃお強いんですよ!? 正直自分の力不足に俺は泣いてしまいそうです!」


 もちろん、こちらに来る許可はもらいましたとも! とじたばたしつつ屋根を登り切ったメイスにウェインはため息をついた。


「それで? 隊長はお一人でなんでこんなところに?」

「…………」


 からっと笑って両脇に手を置いて、屋根の上でぐらぐらしている。


 帰れというべきか、どうするべきかと考えてすぐさまウェインはメイスに向けて剣を袈裟斬りに叩き落とす。ひゅっとメイスがこめかみから汗をこぼし息を飲み込む。切り裂いたのは一匹の魔物だ。


「……う、うさぎ」

「よく見ろ。角がある。お前、今こいつにつかれて死ぬとこだったぞ。額から伸びているのはただの角じゃない。小さい体で生き残るために常時毒を分泌している」

「……す、スノーラビットですか!」


 この国の気温を異常に引き上げた原因である。ガルーダラ近辺にそびえ立つ氷山はもともとエハラジャ国からの温度を吸い取り、常夏の国と万年の冬の両方を作り上げていた。しかし近年の魔物の増殖――冷気をくらうスノーラビットが氷山に住み着いたことにより、さらに氷山はガルーダラの温度を吸い上げた。


「氷山とガルーダラでは結構な距離があるんですよ! それなのに、なんでこいつがここに!?」

「今日で術式が完成する。そうすれば氷山の気温がこれ以上下がることはない、となればこいつらが食う餌がなくなるってことだろ。一匹じゃ終わらんだろうな」

「……もしかして隊長、これがわかっていました?」


 返答はしない。けれどもサイラスと警備の配置を話し合う際、ウェインはあえて穴を作った。まるで人を相手にするように、入念な準備をした。魔物は集まることでより知性を高める。万一厄介なうさぎがガルーダラにたどり着くことがあるとすれば、対策は行っておくにこしたことはない。と、いいつつほぼほぼ確信のようなものはあった。


 サイラスからのスノーラビットが冷気を食らうという特性を聞いたとき、過去のウェインが旅をした中で知ったものは、そのさらに上。よりやっかいなことに、彼らは人の心の熱まで食らう。冷気が彼らの主食ならば、心の熱はデザートだ。人は誰しもが微弱な魔力を持っており、魔力と熱が合わさったそれは立派なごちそうに見えるのだろう。


(……ついこの間までのガルーダラなら食指も動かなかったんだろうが、今や恰好の食い場だろうな)


 祭りの明かりはこうこうと輝き、ここまで楽しげな声が響いてくるようだ。“彼女”達が作った。静かに消えていくはずの住人達の心の熱を引き止めた。

 氷山から追い出され、さらには美味しそうなデザートまで目の前にあるのだ。飛び出さずにはいられないだろう。一匹、二匹と向かい来る魔物をウェインは風のように斬り伏せていく。


「な、なんでレイシーさんに言わないんですかぁ!」


 まさかこんなことになるとは思わなかったと言って声は慌てているが、しっかりと対応できている分、メイスも成長したらしい。彼にもいい出会いがあったのかもしれない。


「俺一人で問題ないと判断したんだ。だいたい、あっちはあっちで手一杯だろ。それに万一他の場所に行かれても、十分に人員は配置しているはずだ」


 だからこそサイラスと顔を突き合わせて話し合った。ウェインが話し合ったものは祭りでの揉め事など人間以外への対応を含めてだ。入念に地図を広げて配置を確認するウェインに、サイラスはどこか奇妙なものを感じていたようだが、それほどおかしなことは言っていないから了承した。ガルーダラには騎士団の多くを配置した。その分、店を運営するものの人員が少なくなってしまったわけだが、ダナの機転と商人達の手助けでなんとかなかった。


 暗闇の中にぞろりと赤い瞳が輝く。まるであのときのようだと感じたのは、決してウェインだけではない、汗を飛び散らせながら必死に剣を振るうメイスの頭の中には薄暗い洞窟が浮かんでいた。蜘蛛であり、魔族もいた。それに比べれば今の方が圧倒的に有利だと気がついたとき、飛び散る鮮血に彼は必死の雄叫びを上げた。メイスの血ではない。震えるような声で、彼は魔物を付き刺したのだ。想像よりも速い。

 遠くでは、風に乗って静かに祭りの音が聞こえる。


(……違う!)


 蜘蛛よりも圧倒的に一体一体が素早く、かつ殺傷力も高い。そしてなにより、この場所は“洞窟の中ではない”。何を当たり前のことを、と今更ながらにぞっと背筋を寒くさせる。真っ直ぐに逃げる場所もなく向かってくるわけではない。どこから来るかもわからない。そして何より、守らねばならない場所がある。それは圧倒的なハンデだ。


「……王弟殿下は、すでにスノーラビットの討伐はすんでいると言っていたが、随分隠れ潜んでいたもんだな」


 呆れるように聞こえたウェインの言葉一つでも、魔物の知性の高さもうかがえる。身を隠し、虎視眈々と好機を狙うそのすべはまるで人を相手にしているようだ。倒しても、倒しても次がくる。その中で何よりメイスが恐ろしさを感じたのは、魔物ではない。ウェインだ。メイスも今夜ガルーダラで行われる祭りの位置と警備の割合については理解している。ウェインもそれを知っているはず。初めて聞いたときは地図の上で指をさして、随分厳重にするものだ、とメイスは首をかしげた――祭りが行われる、市街地以外は。


 当初は広場のみ店を出す予定だったが大幅に規模が広がり、王宮までの通路すべてをひしめかせるように店は詰め込まれた。それは長い長い道だが、ガルーダラの面積を考えると半分程度。つまり、警備はその半分に集中していて、残りの半分をウェインが一人であがなおうとしていたのだ。


 まるで羽でも生えているのかと疑うほど、彼は不安定な屋根の上を駆けた。上体を低くさせ右に、左に剣を振るう度に魔物の死骸が増えていく。踏みしめ、弾け飛んだ瓦が地面にこぼれ落ちるまでたった数秒の間なのに。(今、何度振ったんだよ……!) がちゃん、と割れた瓦の音はとっくに遠い。


(隊長の力は、十分に知っているよ……!)


 洞窟の中で、迫りくる死に、彼は何もできなかった。そのことを何度だって思い出す。

 目にも留まらぬ速度で、ただの月明かりの下、どこまでもウェインは駆け抜ける。メイスは歯を食いしばった。必死に食らいついて、腕を振り上げ、走り続ける。なのに。


(もう、あんなにも、遠い……)


 とぼとぼと、振り上げていた腕が落ちる。進めない。進んでも、意味なんてない。

 消えていくウェインの背中を見失って、悔しくて涙がこぼれた。

 どれだけ走っても、追いつくことなんてできない。




 ***



(メイスは、いないな。別にいい。……問題ない)


 ウェインは決して自尊心が高いわけではない。自分が何をできるか、もとめられているのかを理解しているだけだ。できるものは、できる。できないものは、できない。ただそれだけだ。ある日、勇者に選ばれたと知り、魔王を倒せと命じられた。誰もが辛い旅になると口々に告げ、言葉ではウェインの無事を祈りつつも不安を抱いている様子だった。ただその中でただ一人、ウェインだけはそれは“できる”ことだと考えていた。


 顔を合わせて集まった仲間達が、誰しもがどこかとんちんかんだと知ったとき、少しの不安はよぎったがそれでもできることは変わらない。


 だから、今もそうだ。街の半分程度など、自分になら守り通せる。問題ない。レイシーに伝える必要もない。……本当に、そうだろうか?


 これはウェインの“できること”だが、それでも万一を考え、伝えておくべきだった。とん、とん、と屋根を渡り、動きと思考は分離する。祭りを成功させたいときらきらと瞳を輝かせるレイシーを見て、何かがこぼれていくように感じた。合わせた手のひらからちらちらとした、削れた小さな星だ。それを、光らせてみたかった。


(俺は、器用で、貧乏なんだ)


 幼い頃は魔力の低さにひねくれたことはあったが、それも工夫をこらせばなんとかなる。特技は多い。けれどもすべて平坦で、本当は特技でもなんでもない。なんでもできる。その分からっぽで、見かけの姿に中身が合わない。


 そんなつまらない自分が、レイシーの邪魔をしたくなかった。

 真っ直ぐに走る彼女は振り返ってほしくなかった。真っ直ぐに進んでほしかった。



 だから彼女の手助けならいくらでもする。けれど気づかれたいわけでもない。祭りの日に魔物を相手するとなれば、不器用な彼女は目の前のことに混乱して、きっとにっちもさっちもいかなくなる。自分ができることだから、伝える必要はどこにもないと言い訳をつけて、ウェインはただ一人で剣を振るう。


(なんでこんなに、手を貸したいと考えちまうのかね)


 初めて出会ったときは、ぼろぼろの、頼りない姿だったから。空っぽなところが自分と似ていたから。そんなものはただの言い訳だ。今の彼女は両手いっぱいに星の輝きを抱きしめて、暗い道を進んで、振り返って、それでもどんどん進んでいく。ぽた、ぽたと彼女が通った道が、どこまでも蛍のように淡く光ってウェインはいつもその後ろ姿を見つめている。


(知っている)


 認めることが怖かったのだ。


 ――この感情が、ただの自分の“おせっかい”ならよかった。そうじゃなければ、自分の汚さを認めることになってしまう。これは、ただのウェインの中の欲である。


 真っ赤に剣に滴る血を風の魔術で吹き飛ばした。動くほどに汗が噴き出す。手のひらの汗をすぐさま服で拭い、体勢を整える。息を吐き出すほどに理解して、形作る。ウェインは祭りの光に背を向けた。一人きりだ。ふと、そう思った。望んでこの場に立っている。なのに音も遠く、風の気配すらもなく。


 一人きりだ。


「たたたたた、たいちょーーーう!!! うらーーー!!!」

「お、おおお?」


 どっせーい! と飛び出したのはふわふわの髪の毛だ。大きなモーションでウサギの角を両手で叩き落として、海かどこかに飛び込んだのかと思うほど、全身がびしゃびしゃだった。たれでているのが涙なのか、鼻水なのかもわからないくらいメイスの顔はぐしゃぐしゃで、よく見れば髪の毛だっていつもよりもボリュームがない。


「ああああ、暑くて、死にそうです! でも、でも、がんばって走ってきましたァアアア!!!」

「お、おう……」


 おそろしいほどの疲労困憊である。あまりの異常な様子に魔物すらも若干の距離を置いて見守っている。


「もう、ついてけないことに悔しくて悔しくて、やっぱりやめようかと思いつつ、それでも死ぬ気を出してしまったんですけども」


 あとはもう子供が生まれたとき用にとっときたいですとしゃくりあげて泣いているので、ウェインよりも年上の男としていかがなものかと思うのだが。


「どうしたんですか隊長。俺、汗だくでくさすぎますか?」

「いやそうじゃなく。なんというか、一人なものだと思っていたから」


 一人きりで、夜の街に立っていると思っていたから。


 そう伝えると、メイスはぶわっと膨れ上がるように怒った。「そんなわけないでしょう! 俺は隊長が頑張ってるとこなら、どこだって行きますよ! 嫁さんの方が優先ですけど!」 そして正直者である。


 勝手に吹き出してしまった。


「そうか、そうだな」


 自然と背中をあわせる。メイスは鈍いようで鋭い男だ。目端がきくから、人よりも怖がりだ。なのに震えながらでも進んでいく。いつだってそうだった。魔族と相対し、逃げろと叫んで、一人だけ残ったのが一番部隊で幼い彼だった。ぶるぶるに足を震わせて泣いていたくせに逃げなかった。彼がウェインの部下であったとき、奇妙に心に残ってしまったのはきっとそんな姿がレイシーに重なったのだ。なんでもできるウェインよりも、彼らの方がずっと尊く、羨ましい。そう、思う。


「……なあ、メイス。お前、さんざん俺とレイシーがどうとか言ってたな」

「言ってましたね!」

「認めるよ、俺はあの子が好きだよ」


 背中を合わせていたはずが、がばりとメイスがウェインを振り返った。「前に、集中!」 そしてすぐに叱責を受けて、眼前の魔物を貫く。「考えた」 ウェインは涼やかに魔物を屠りながら、まるでただの世間話のようだ。自分が、何をしたいのか。何を求めているのか。


「俺は、レイシーが好きだ」


 前に進んでいく彼女が好きだ。そして、ウェインはいつもそれを見送っている。


「だからな」

「はい、だから!」

「だから覚悟を持って――進まないことにする」


 メイスは拍子抜けのような声を出した。「えっ? それって、どういう?」 前を見ろ、とは今度は言わない。自分で対応できている。力不足と嘆いていたが、以前より、ずっと彼は進んでいる。自分の気持ちを整理しようと言葉にしただけだ。多くを語るつもりはない。


「もしかして伝えないってことですか!」

「そうだな」

「なんで!?」

「俺の場所はここだからだ」


 レイシーの後ろを見送る役だ。

 まっすぐに進んでいく彼女に、行って来いと声をかける。自由に行きたいと願うレイシーに、ウェインの存在はただの重荷で、いらないものだ。いつの間にか一人で駆け抜けることができる彼女に、自分はとっくにいらないものとなっていた。いつの日か、彼女はウェインを解放したいと言っていたが、実際は自分が彼女を手放すまいと必死に掴んでいただけだった。


 進みたい。けれども、立ち止まることも勇気だった。行かないでくれと願い、叫ぶ声が聞こえる。自分の耳朶を震わせて、足を動かせと心の中が叫んでいる。けれども固く縫い止めた。


 これも、一つの覚悟だ。


「それは……」

「おい、しゅんとした顔をするな。そろそろ向こうもじれてきたな。一晩中相手をするってのも面倒だ。メイス、お前火の魔術が得意だったな?」

「すみません、正確にいっちゃうと火の魔術しかできません」

「結構結構。火種を起こせ。言っておくが、俺はなんでもできる器用貧乏なんだ。他人の魔術を操ることも得意だぜ」

「悪い顔してるう……」


 していない、とにんまり笑ってメイスの魔術をさらに練り上げ、奪い取る。自身の魔力を足して、自在に操る。スノーラビットは冷気を食らう。そして魔力がこもった熱も大好物だ。このまま、一気におびき寄せる。


「たまには、空に花でも咲かせてみるか!」



 ***



 少しばかり時間はさかのぼり、レイシーは去っていくウェインの背中を見送ってしまったことに奇妙な後悔があった。


(待ってといって、もっとひっぱればよかった……)


 それとも、やることがあると言っていたからやっぱり迷惑だっただろうか。自分の親指と人差し指を静かにこすり合わせて眉間にシワを作る。


「…………」

「レイシー、僕も、ちょっときみと話があるんだけどいいかな?」

「えっ、はい。どうぞ」

「いやあ、ちょっとここでは」


 すっかりサイラスがいることを忘れていたから、あたふたとレイシーは顔を上げた。けれどもサイラスは困った顔をして周囲を見回している。どんちゃん騒ぎだ。寂しいと感じたはずの広場の真ん中にぽつんとあった像も、今はどこか笑っているようにも感じる。


「そうですか。なら、どこでしたらいいでしょうか」

「いや……もうちょっと静かなところに……いやそうだな。まあ、うん、ここでいいよ」

「そうですか?」


 人が多すぎて、逆に誰もレイシー達など見ていない。さきほどはアリシアを目にしたが、まさかこんなところに王弟殿下がいるとは思ってもいないだろう。もしかしたら、会ったこともないエハラジャ国の国王だっているかもしれない。


 からん、からんと吊り下げられたランプが揺れると足元の影も躍る。けれども話したいことがあると伝えたはずがサイラスはひどく言いづらそうに口を閉ざして、じっとレイシーを見つめていた。


「……その、以前きみに伝えたことについて謝らせてもらおうと思ったんだ」

「以前伝えたこと、ですか……?」

「ああ。結婚しないかと伝えただろう」

「……ああ!」


 あれから特にサイラスからの言葉も、反応もなかったものだから、やっぱり冗談だったのかと思ってすっかり忘れてしまっていた。祭りの中でざわつく周囲の中で、お気になさらないでください、とレイシーは困り眉で言葉を伝える。


「きっと冗談でいらっしゃるんだと思っていましたし、謝られるほどのことじゃないと思います」

「そう、冗談……いや、冗談ではなかったんだよ。ほんとうに、君となら、この国をよりよくすることができるだろうとそのときは思ったんだ。けれど、あまりにも軽い気持ちだったと思う」


 これはどう答えていいかわからないから、困り顔で笑うしかなかった。いつでも自信が溢れていて怖いものなどなにもないというような顔をしているサイラスなのに、このときばかりはすっかり弱り果てていた。一つひとつ、伝えるべきものを考えて視線を揺らし、彼の目に入ったものは騎士の像だ。エハラジャ国を建国した始祖である。


「……この国は、一番強いものが王になる国だと、以前説明しただろう」

「え、あ、はい」


 王族という言葉は形式であり、強い者が次を引き継ぐ。サイラスはこの国においての第三王位継承者だ。


「次に王になるのは、キーファだ。僕の甥っ子だ。でも、おかしいと思わなかったかな。僕は現国王の弟だ。直系の男子であるのならば、僕の王位継承権が三番目ではなく、二番目のはずなんだ」

「それは……」


 おかしくおもわなかったわけではない。けれど、王の子が優先される可能性や、王族が形式的なものだとサイラスが言っていたから、特に深く気にはとどめていなかった。そのはずなのに、ふとした言葉を思い出す。ウェインが言っていた。サイラスは、この国一番の剣の腕なのだと。


 ――強いものが王となる国であるはずなのに。


 はっとしてレイシーはサイラスと瞳を見合わせた。


「僕は、甥に、キーファには劣る。なぜなら風の魔力に適正がないからだ。王族であるのに、魔力もほとんどない。努力ではどうしようもない、突然変異ってやつさ」


 剣の腕があったとしても、サイラスは魔法を使うことができない。そして風魔法への耐性がほとんどない。本人はちょっとかゆくなるだけと言っていたが、この暑い国において風はとても重要だ。王宮では常に風の魔術を使用して気温を操作しているくらいだ。ただの市民だったなら少し不便だと思う程度の体質が、彼にとっては王になりえる素質が欠如しているということにほかならない。


「いや、別にひがんでいるわけでも王になりたいと駄々をこねているわけではないよ。キーファの剣の腕も中々のものだ。いつか僕を追い越すかもしれない。それはいいんだよ。別に三番目でも、それどころか番号すらなくっても、僕は全然いいんだ」


 嘘はないのだろう。目的もない言葉のようにも見える。けれどもサイラスは、少しずつ、自身の内に降り積もった言葉をほたほたと雨や雪がこぼれるように小さく、静かに重ねていく。


「僕は、人よりも“劣っている”。だから、その分努力すればいいと思っていた。ありがたいことに剣の才能はあったみたいだ。でも……強くなって、一人きりになって気づいたことは、結局、僕だけじゃ何もできないってことなんだ」


 サイラスが必死に伝えようとしていることを、レイシーはなぜか少しだけわかるような気がした。多分、レイシーとサイラスは少し似ている。一人では何もできないということを嫌というほど知って辛くて、人の心が温かくて、ありがたい。


「僕は、キーファに劣る。もちろん、兄である国王にもだ。だからこの国の民がよりよく生活できるように努力したつもりではある」

「……なんで、サイラス様がずっとこの街のことを気にしていらっしゃるんだろうと、少し不思議には思っていました」

「なんせそれだけしかできなかったんだよ」


 僕の手はとても小さいから、と話す彼の手のひらは分厚く、大きく、豆だらけだ。そのことがレイシーは少しだけ悲しく感じたが、言葉には出さなかった。


「僕は、一人では何もできない。でも、きみとなら違う。もっともっと、大きなことをしていけるじゃないだろうかと、レイシー、きみと話したとき、そう思った。今もその考えは変わらない。むしろ増している。そして、その、純粋な好意もある。あのときはあまりにも簡単に伝えてしまったから、今度はしっかりと、改めて言いたい」


 さすがのレイシーだって、熱のような彼の言葉の意味に気がついた。腕を掴まれて、息を飲み込む。


「僕と、結婚してくれ!」

「…………!」


 直球過ぎた。頭が一瞬真っ白になって、あわわと震える。焦るあまりに掴まれた腕から逃げようとして自分で驚くほどのミスをおかした。バチンッ! と頭の上で、何かが弾ける音がする。そうすると次々に悲鳴が上がった。吊り下げていた全てのランプがレイシーからの魔力の供給が途絶えたことで辺り全体が闇の中に包み込まれたのだ。しまった、とすぐさま呪文を唱える。そのときだ。


 ひゅるひゅると、音が聞こえた。


「うわっ!」と声を上げたのはレイシーではなく、幼い子供だ。真っ暗な夜空に大きな花が咲き誇った。けれどもそれは一瞬で、ぱらぱらとどこか遠くに火の粉が落ちる。吊るしていたランプが点滅して、やっともとの明かりを取り戻したが、空に咲く奇妙な花は、ひゅるひゅると上って、弾けてを繰り返している。


 こわい、と頭を抱えるものもいたが、すぐに腕の隙間から顔をのぞかせそっと見上げる。ぼとりとたこ焼きを落としてしまった人がいた。素足の上だったから、「あちぃ!」と悲鳴を上げていた。けれども誰しもが共通して、綺麗だと伝える言葉がぽつり、ぽつりと聞こえる。炎でできた、空に咲く花。


「……ウェイン?」


 どうしてだろう。なんでか、彼だと思った。魔術は得意でも、レイシーほどではないといつも笑う彼は誰かを驚かせる魔術が本当は大好きだ。いたずらっこのようにケタケタと笑っていつだってひっそりとレイシーを見守ってくれていた。


 レイシーはサイラスを見ることなく、押しのけた。「サイラス様、ごめんなさい……!」 ウェインが去った方に駆けようとして、すぐにハッとなった。こんなのあまりにも失礼だ。腕は放してもらった。だから居住まいを正して、レイシーはぴたりと青年に向き合った。


「申し訳ありません。サイラス様のお気持ちに応えることはできません」

「うん、わかった。理由をわざわざきくのは野暮というものかな」

「ごめんなさい」


 必要以上に傷つけたいわけでもないし、傷つきたくもない。レイシーだってそうだ。「受け止めましたとも」とサイラスはどんと拳を胸に当てて笑った。それでもやっぱり暗い声も混じっているような気もした。けれど、これ以上はレイシーにできることはない。頭を下げた。それからまっすぐにたって、走った。振り返って、さらにぺこりとお辞儀してまた走る。


「……そんなに、何度も頭をさげなくっても大丈夫なのにな」

「元気出してくださいよ、たこ焼きたべまふ?」


 従者がもごもごと口を動かしつついつのまにかちょんと横に立っている。「ガルダ、お前……」 サイラスは眉間のシワを深くさせつつ、次に出すべき言葉を探したが、かわりにしたのは長い溜息だ。ひらひらと片手を振って渡された爪楊枝をつまんで、口にふくむ。アツアツだ。


「……うまいな」

「でしょー! サイラス様、失恋しても飯はうまいっす! 問題ないので一緒に色々まわりましょー!」

「……なんというか、驚くべきほど直球だな」


 こりゃもう、笑うしかないな、とからからと主従が笑う声が聞こえる。祭りはまだまだ、始まったばかりだ。





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