第77話
むふん、と胸をはってばたばたとスカートを揺らす女がいた。光の聖女ダナ――レイシーとウェインとともに旅をして、魔王を倒した仲間の一人だ。
(ま、まかせなさいなって……?)
なぜ他国であるこの国にダナがいるのか。自信満々なそぶりは一体どうしてなのか。さんさんと降り注ぐ太陽の下で、レイシーはぽかんと口を開けて、呆然とするしかない。
そしていきなり飛び出したレイシーに驚いて次々に追いかけてきたらしく、後ろからはばたばたと音が聞こえている。「ダナ様……!」 ユキの声だ。振り返ってみると、驚きなのか喜びなのか捉えかねるような表情で、彼女はダナを見つめている。そして意外なことに次に口を開いたのはウェインだった。けれどダナに対してではなく、後ろに立つ猫っ毛の青年に向けて。「メイスお前……なにやってんだ」「え? あは、えへへへ……」 メイスと呼ばれた青年は居心地悪く頭を引っ掻いてごまかしているように見える。
「彼に王宮までの道のりを教えてもらったのよ。姿絵で私の顔は知ってくれていたみたいだからアリシア様にとりついでくれたの。おかげで色々スムーズで助かったわ」
「いやあ、隊長の邪魔はしないようにと思ったんですが、さすがに気になりすぎましたし、ここまできたらやっちまったもん勝ちかなぁ、と……」
今はとりあえず聖女様の荷物持ちをさせてもらっております! とびしりと敬礼している青年に、ウェインは呆れたようなため息を出している。隊長というからにはクロイズ国での知人なのかもしれない。
ふと、レイシーはウェインのことを何も知らないという事実に気がついた。どんな人間で、どんな言葉を話して、どんな考え方を持っているのかは十分すぎるほどに知っている。けれど、ウェイン個人のことはシェルアニク家の次男ということしか知らない。ウェインの交友関係など、もちろん知りはしない。
ぐっと胸をつかまれたみたいな、今まで普通にあると思っていた地面にぽっかりと足元に穴が開いてしまったような、不思議な感覚がやってきた。唐突に不安になってしまう。(……でも、違う。今はそうじゃなくて) レイシーはダナを見上げる形で声を必死に声を張り上げる。なんせいるはずのない女性がこの場にいるのだから、問わずにはいられない。
「ダナ、まかせなさいってどういうこと? それに、なんでこの国にいるの? 医療院は? あなたがいなくて、だ、大丈夫なの!?」
「心配させてしまってごめんなさいね、レイシー。でもまずは質問に答える前に屋根がある場所に避難させてもらっても大丈夫かしら?」
ぱちりとウィンクをするダナに流されるようにレイシー達は改めてダイニングテーブルをぐるりと囲み話し合う。唐突にやってきたクロイズ国の聖女、ダナに多くのものは空気を固くさせて口を出すことをはばかられたが、当の聖女はというとそんなものはなんのその。「うーん、話には聞いていたけれど、やっぱりこの国は暑いわねぇ!」と、ぐいっと伸びを一つする。
「ダナ様。お飲みものです、どうぞ」
「ありがとうユキ」
ユキのただでさえ機敏な動きがさらに鋭さと素早さを増しているような気がする。レイシーはじっと目を皿にして現状を理解しようとしていた。ダナが来た途端に不思議と一度に風向きが変わったような気がする。それは彼女が聖女としての特別な力を持っているからなのかどうかはわからない。
「……あの、隊長隊長、もしかしてなんですが、あちらの方が暁の魔女様……なん、です?」
「そういうことだ。隠してるわけじゃないが姿絵については……まあ、積極的に訂正しているわけじゃないらしいが」
「は、は、はあ~……」
そしてレイシーはメイスという男性からはきらきらとした瞳を向けられている。「想像とはちょっと違いましたが可愛らしくて素敵ですね! 隊長、魔女様に挨拶に行かせていただいても!?」「とりあえずもうちょっと待て」「いやー、聖女様って美人なんすねぇ!」 いつの間にか和気あいあいとし始めてしまっている。
「……ん? なんだか楽しそうだね。知らない顔がいるけど、レイシーの知り合いかな?」
「あらこんにちは」
丁度商人達のもとから帰ってきたサイラスに、ダナはにっこり営業用の笑顔を作ってひらひらと手のひらを振っている。とりあえず互いの自己紹介を済ませて、レイシーは現状の把握に努めようとして、「だ、ダナ!」とぐっと拳を握って問いかけようとした。けれどもダナはすらりと長い手のひらを出してレイシーの動きを止める。
「わかってるわ。さっき言っていた質問の答えよね? まず、私がここにいる理由はもちろんユキから聞いたのよ。現状、そしてあなたが何に困っているのかということもある程度把握しているつもり」
「ええ、一日四通、レイシー様の様子をダナ様への手紙にしたためておりましたので」
「なんか増えてる……」
以前レイシーが聞いたときは三通だった気がしたのだが、若干の恐怖を越えて、よくぞそこまでと讃えたくなるような気持ちになる一歩手前である。どれだけ細かく伝えているのか。
「そしてフリーピュレイの医療院について。私がいないとしても、もちろん問題ないわ。レイシーに泣きついて体を回復させてからというもの、私もただ遊んでいたわけじゃないのよ? 業務改善をしていたの。以前は低単価で回転数を増やしていたけど、今はその反対。しぼれるところからはがんがん絞ることにしたわ。だいたい、私のもとに治療してくれなんていう貴族なんて指の先をちょこっと本の紙で切ったとかそのくらいだもの」
ダナはどすんと椅子に座り込みながら足をくんで、指先を見せつつ片手を振る。
「そういう“お客様”にはね、聖女特製のとか適当なことを言って私以外の誰でもちょちょいと薬草を巻きつけてやればいいの。もちろん本当に特製よ? 詐欺なんてしたくないものね。薬草一枚に一ぺし叩くことで祝福を与えたということにしているわ」
「一ぺしなんて単語はないぞ」
「というか十分詐欺……」
ハッと鼻で笑うダナに、さすがに旅をともにしたウェインとレイシー以外つっこむことができずに無言で口を引きつらせている。ユキだけはうんうん無表情で頷いていた。
「本当なら以前から同じ対応ができていたらよかったけど、聖女が金儲けなんて見下すやつも多かったもの。中々難しかったのよ。でもね、今や私はアステールの魔道具の広報塔よ? 私の機嫌を損ねないように貴族のみなさまは大変必死よ。おかげで先日、ランクも一つあがったわ。以前は光の聖女だったけど、今では光の“大”聖女様よ、よろしくね」
ぱちん、とウィンクをするダナに、必死にぱちぱちと拍手をしているのはこの場ではユキ一人だが、言葉ではレイシーを利用したように聞こえるが、実際はダナとレイシーは持ちつ持たれつの関係だった。今では暁の魔女がアステールの魔道具を作っているということは周知の事実だが、まだまだ芽が小さかったとき、ダナを貴族の窓口とすることで王都のみを中心として流通していたレイシーの魔道具が、いつしか国全体を巻き込むほどとなった。
それに金にがめつい彼女だが、実際は自分のためではなく孤児の子供を一人でも多く助けるための行為である。ダナの利益は全て孤児院の運営費に使用されている。
「わかりました光の大聖女ダナ様ですね!!!」
「ランクが上がったのは事実だけど、その呼び方は長いからやめましょうね。ちょっとした冗談よ」
でもいきなりくいつくそのノリは気に入ったわ、とダナとガルダがきゃっきゃと楽しそうにしていると、ユキがぎりぎりと歯ぎしりをしていた。見てはいけないものを見たような気もする。
「だ、ダナ。あなたがここにいる理由はわかったし、医療院についても安心した。……わざわざ手伝いに来てくれたということよね、ありがとう」
「どういたしまして。まっすぐに友人にお礼を伝えられると、なんだか照れちゃうわね」
立ち上がり、そっと互いに手をとって握り合う。二人で照れ隠しのように笑った。
「僕からも礼を言わせてくれ。まさか隣国から聖女様がきてくれるとは考えもしなかった」
「他国に恩を売ることができる機会なんてそうそうありませんもの。恐縮ですわ、王弟殿下。ところでレイシー、あなた<夏祭り>というのものを開催しようとしてるんですって? それで、人員がいなくて困っているんでしょう?」
「う、うん。一人でも多くの力がほしいから、ダナが来てくれてとっても嬉しい」
「それはよかったわ。でも私、連れてきたのは一人じゃないわよ?」
え? と首を傾げるレイシーににまりと笑う。
「事後承諾になってしまったことは申し訳ないわ。<夏祭り>の日までもう間もないわ。手紙のやりとりだと、どうしても時間がかかってしまうから今は時間との勝負だと思ったの。タラッタディーニの街で力と筋肉を持て余したムキムキ達が、今から大勢やってくるわよ。いきなりやってきたら間違いなく門前払いになると思ったから、まずは私一人で王宮に向かったの。アリシア様やキーファ様には先程、入国の許可をいただいたわ」
サイラスは驚いて瞳を大きくさせたが、それ以上にレイシーはぽかんと口を開いて、ゆっくりと瞬きをする。
「タラッタディーニ……?」
海と塩の街。新鮮な海の幸の恵みがあり、からっとした笑い声がどこからも響くような、ガルーダラのように暑く、そして彼らのもう一人の仲間がいる街だ。
「それと、プリューム村の人たちにも。もちろん全員ではないけれどね。できる限り、旅に強い子達が来てくれるはず」
プリューム村! その名前を聞いて、レイシーは今度こそ言葉を失った。ぎょっとして瞳を見開いて、驚きのあまりぱくぱくとあえぐように口だけを動かして、それからやっとこさ声を出す。
「ど、どうして? それに、待って。クロイズ国からガルーダラまで距離があるもの! いきなりなんて無理よ!」
「あらレイシー。私が一人、どうやってここに来たと思ったの? 言ったでしょ、ランクが上がったって。通常なら使えない転移の祠も、私が許可すればばっちりよ」
だてに足踏みを繰り返してあがいてたわけじゃないわ、とダナはにまりと人の悪い顔をする。それならとほっとして、レイシーの中にすぐにやってきたのはぶわりと震えるような重たい感情だ。転移の祠が使うことができたとしても、それでも旅は大変だし、一朝一夕なものではない。
「こ、これは、私が受けた依頼で……。みんな自分の生活だってあって、大変なのに、そんな」
言葉にならない。なのに体が震える。なんでそんなことをしたの、と叫びたくなる。助けてほしいなんて言っていない。責任だってとれない。怖くて、怖くて仕方がない。ダナの服を思いっきり掴んで喉の奥から溢れ出る感情を叩き出してやりたかった。もちろん、できなかった。いつだってレイシーは言葉を飲み込んでいる。ぶるぶると震えて、まるで怒っているような、泣き出してしまいそうな顔でできたことは、ゆっくりと、ぽすりと。静かにダナの胸に拳を叩きつけただけだ。どうして。
どうしてなの、と小さくこぼれた言葉をすくいとるように、ダナはレイシーに視線を合わせた。きらきらと、不思議と何かが瞬いているような。綺麗な瞳だった。
「どうしてって、そんなの」
レイシーの手をダナはゆっくりと包み込んだ。「あなたを手伝いたいからに、決まってるじゃない!」 大きな風が、まるで緑の色をともしてごうごうと窓と、扉を通り抜けて去っていく。あまりの突然の突風に、幾人かが驚いて声を上げ、顔をかばった。けれどもダナだけは、はっきりとレイシーから視線をそらすことなく、腹の底からの声を出す。
「レイシー! あなたは人に頼ることを覚えなさい! 人を助けるのなら、助けられる権利もあるの! 私達は自分で選択しただけよ。タラッタディーニの人たちも、プリューム村の人たちも、レイシーが困っているとなったら、二つ返事だったわよ」
きっと、そうなのだろう。助けてと願えば、彼らは手を貸してくれただろう。でも、その言葉を聞くことがレイシーはとても怖かった。彼らの優しさを“使って”しまうことが恐ろしかった。
「……本当に怖がりな子ね。でもほんとうに、人の気持ちって、嬉しいのに……怖いのよねぇ」
なんでかしらね、と呟くような声が聞こえる。
――レイシーの知らない場所で、海を前にして、「よおおおし!」と男たちが声を上げた。
「俺たちの武術が廃れることなく続けられるのは、誰のおかげだー!?」
「ブルックス様っすーーー!!」
「いい返事だー!! けどなあ、俺たちのくせぇ匂いが今じゃ最高になったのはーー!!!?」
「レイシー様ですー!! 恩をお返ししますともー!」
「いよっしゃあ! まあ、恩なんて関係ねぇけどなァ! 友人が困ってんならそりゃあ行くってんだろ! なんだ……うおう、ダナがくれた保冷……冷たい……バッグに、いいもんつめて駆けつけるぞ!」
「保冷温バッグですブルックス様!」
「それだァーーーー!! お前ら海に飛び込むぞーー!!」
「サァーーーッ!!!!」
――がたがた、と揺られる馬車の中で、男達が笑っている。
「うむ、娘の結婚式では僕は最良の飴細工を披露したつもりだが、人はさらなる進歩を遂げるものだ。今では最高となった飴細工の腕を、<夏祭り>という新たな場で披露してみようじゃないか」
「セドリックはなんていうか、ほんと器用だよな」
「アレンくんの手先だって中々さ」
どうかなあ、と自分の手のひらを見つつ、アレンはため息をついた。進んでいるつもりで、進んでいない。そう思うけれど、いつの間にか手のひらには覚えのない豆がいくつもできていた。馬の手綱をひいて、重い荷物を持って、銭を数えて。そうしているうちに、自分の手がすっかり見覚えのないものになっていることに驚いて、ちょっとだけ口の端を緩めた。
「お、楽しそうだね。レイシーさんに会えるのがそんなに嬉しいかい」
「ぼちぼちかな。それより問題はダナ様の方だよ。俺、あの人の前だとなんでか固くなっちゃうんだ」
「緊張しているのかな」
「はいはい! あたしもしていますよ……ああもうだめです。クロイズ国の王家に続いてエハラジャ国までコネができちまうなんて商人としてあたしは……もう……もう、あたし、このままこの目をえぐられたって構わない!」
「いやいつも閉じてるようなもんじゃん」
「キュイキュイ」
「ぶも」
「気のせいかめちゃくちゃ肯定なさってませんかねぇ」
静かに風は収まって、ダナは白い手のひらで、ただ強くレイシーの手を握りしめていた。
「もちろん、善意が百、なんてことはできないわ。ブルックスはそうかもしれないけどね。あれは頭が筋肉だから、ちょっと例外。私だってわざわざこの国まで来たのはエハラジャ国の王家の人達とパイプを得て、次の足がかりにするためだもの。でもね、レイシー、百にはできなくても、ほんの少しを大きくすることはできるのよ」
柔らかい声だった。聞いていると、頑な気持ちが、温かく変わっていく。
「あなたがおまけじゃなくって、あなたのためにここまで来たの。王家に恩売りなんて、そっちがおまけよ。他の人たちも多かれ少なかれ、私と同じ気持ち。これはあなたが暗い場所をちょっとずつ歩いてきた結果なの。レイシー、あなた、とってもいい“道”を歩いてきたのね」
お節介で駆けつけちゃったわ、ごめんなさい、と謝るダナの言葉に、必死で首を横に振った。言葉を言おうとして、喉でひっかかってしまって、うまく伝えることができない。それでも、伝えた。
「ありがとう……」
「どういたしまして」
流れた涙は必死で服の袖で拭った。そうしているうちに、いつの間にかウェインに視界を隠されて、ハンカチを渡された。
***
「よおしっ!!!!! 来たぞう、久しぶりだな、レイシー、ウェイン、ダナァーーーーッ!!!」
「ブルックス。まずはお前はボリュームを絞れ」
「うるさいわよ」
「スマンッ!!!!!!」
最初にやってきたのはブルックスである。たくさんの弟子を引き連れいて、レイシーの記憶よりも彼らは一様に育っていた。だいたい主に筋肉が。これもレイシーさんのおかげです、と手のひらを握られると、そのまま握り潰されてしまうじゃないだろうかと心の底で感じたことは口をつぐむことにして、ブルックス達が持ってきてくれたタコと呼ばれる海産物に慌てて凍結の保存魔術を使用した。保冷温バッグに入れていたといっても、当日までまだまだ日数があるから限度がある。
「屋台ならば任せろ、タラッタディーニ特産、たこ焼きのうまさを叩きつけてやるぜぇーーーーッ!!!」
「だからうるさい」
ブルックスはダナに掌底付きをくらいながらも筋肉をぴくぴく痙攣させだははと大声で笑っていた。
アレン、ランツ、セドリック達がやってきたのは、ブルックスから遅れること半日たった後だった。
「まずは彼らの料理の腕を確認して、ついでに僕も教えを請おう」とわくわくしながらセドリックは消えてしまったが、「金勘定ならあたしにお任せくださいな、単価と材料費の計算はあたしがこの世で二番目に好きなことです」とランツが笑うので、「一番目は他人からぼったくることだけどね」と白々とした瞳を向けるアレンは、いい師弟関係のようである。でもちょっと不安になる。
「キュウウウイ!!!」
「ぶんもォオオオオ!!!」
「うわあ、ティーとノーイも来てくれたの!? 想像よりもずっと長く家を空けちゃったものね……!」
ほんとほんと、と深く頷いて、すぐさまティーは飛び立った。安定のレイシーの頭の上に乗って、嬉しそうにぱたぱたと羽ばたいている。「ふぇ、フェニックス、か……?」 サイラスはすぐにティーのことがわかったらしく、さすがに目を見開いて驚いていた。
実物を見るのは初めてだな、とサイラスとティーが遊んでいる間に、そっとダナはレイシーに耳打ちする。
「今回は王家から無償の施しを行うんじゃなくて、お客からお金をもらうことで流通の活発化も目指しているんでしょう? それなら私も含めて多くの“目”があった方がいいわ。複数が見ることで不正をしづらくできるもの」
「ぼったくり、なんて言ってますが、ランツさんはなんだかんだ言って、信頼してる人なんですけどね」
「そうね。知ってるわ。だから声をかけたもの」
ダナとレイシーは別れた後も個人的に文通を交わしていた。ユキの手紙以外にもレイシーに一体何があったのかということはダナが知っていることも多い。
「と、いうわけでムキムキ達も金勘定は頼むわよ。私とランツさんとアレンくんの三人じゃ回らないもの」
「オカ……ネ……?」
「タコを焼く……以外のことを…スル……?」
「ちょっとブルックス! 大丈夫なのあなたの弟子! いきなり知能指数が下がったわよ! 赤ちゃんなの!?」
「がはは! うちの武術は特技を磨いて磨いて磨き上げろが信条だ! その代わり他は一切知らん!!」
「得意を伸ばすにもほどがあるわ!!?」
ブルックスと会話をしていると、常に血管が弾け飛びそうなダナである。すかさずユキがジュースを渡してサポートしていた。糖分を摂取しなければやってられないのかもしれない。
休憩するダナの代わりに、タラッタディーニの男達に金勘定を伝えているのは狐のような顔をしたプリューム村の商人、ランツである。
「ええっとですねぇ。こちらのジュースが、硬貨1枚」
「ふむふむ。一枚!」
「こっちのたこ焼き六個が硬貨三枚」
「さんまーーーい!!」
「的あては硬貨一枚で。ボールすくいも同じですね」
「ふんむふんむ、一枚一枚一枚!!」
「うん。レイシーさんこの人達だめですね。枚数を言う度になぜか大胸筋がぴくぴくしてます。一周回って面白いですが、頭がすっかりそっちにいってるみたいですし、そもそもなんで服を着てないんですかね?」
「……涼しそうではありますかね?」
ブルックス達の上半身が裸な理由はレイシーも知らない。直接肌に日が当たって痛そうではある。修行だろうか。
「やっぱり三人じゃ会計役が足りませんよ。ダナ様は筋肉と相性が悪いみたいですし、実質あたしとアレンくんの二人じゃねぇ……」
「うーん、それは……」
当日レイシーには別の役割がある。どうやらウェインもらしく、ユキやガルダにお願いをするにしてもそれでも増えても数人だ。困った、と首をかしげているところに、「それなんだが」とサイラスがひょこりと片手を上げて主張した。しん、と辺りが静まり返る。
「もともとこの街の商人に露店を頼むという話をしていただろう? 助っ人が入ってくれたからとすでに断りはしたんだけど、今度は商人達の方からぜひ手伝わせてほしい、と要請を受けてしまってさ」
「え!?」
「そもそもこちらから初めは願った話であることだし、断りづらくもなる。それにいっそのことだ。どうだろう、ガルーダラの商人達とこの際、手を組んでしまうというのは」
いつだって人手は不足しているからありがたくはあるが、それでは当初の目的とずれてしまう。困ったレイシーが考えあぐねていると、「いやそれがな、どうやらこの<夏祭り>はあちらにとってもありがたい話だったみたいなんだ。なんせ今は店を出しても入ってくる客もいないから先細りだ。でもこの祭りが成功して定期的に開催することができれば、彼らにとっての収益の場が増えるということになる」 サイレスがちち、と人差し指を振って説明する。
「長くなったがつまりだね、これは慰労のための祭りだが、店を出すことが商人達への慰労になるのさ」
金儲けが好きな国だからね、とこぼすサイラスに、ダナがわかるわぁ、とでも言いたげにうんうん頷いている。
「というわけで、どうだろう?」
「……とても。とても、ありがたいお申し出だと思います!」
飛ぶように時間が過ぎていく。あれよ、あれよと準備に明け暮れ、想定外は日常茶飯事だ。
「……なあメイス、なんでお前もここにいてわざわざ手伝ってるんだ? アリシア様の護衛はどうした」
「仕事はきっちりしてますとも! なので休日くらい好きにさせてくださいよ! だって体を動かしてないと嬉しくて嫁に手紙で言っちゃいそうなんです、暁の魔女様が目の前にいるぞーーーって!」
「……いるってくらいなら、まあ、言ってもいいんじゃないか?」
「嫌ですよ! 俺一個言ったら全部口からげろっちゃうタイプなんです、隊長と違うんです!」
「おお、そうか……」
「もう見ててもどかしくてもどかしくて……この場にいて確信しました。察しが良すぎる自分が憎いです」
「何がだよ」
「口はなんにもなくせに、目が! 語ってるんですよ!」
「だから何がだよ」
「ウェイン、ちょっと手伝ってもらっていい?」
「ああ、レイシーちょっとまってろ」
「ほらねー!」
「うるせぇよ」
「もう甘酸っぱすぎて泣きそう、涙がこぼれちゃいそう……お願いだからさっさとお伝えくださいったら……」
当初は広場のみをたくさんのランプを垂らし明かりを確保し、準備済みの店を出す予定だったが、いつのまにか祭りはレイシー達の想像以上の規模となり、短い期間にもかかわらず、準備のための人員は増え続けるばかりだった。広場を飛び出て王宮の道までずらりとどこまでも店が並ぶ。
店を一つひとつたてて、ものを移動させてと動く者達ガルーダラの住人達だ。彼らはうだる暑さの中で心の熱はぐったりと吸い取られていたはずなのに、タラッタディーニとプリューム村の人々からまるで火の粉が飛び移るように生き生きとしていた。初めてこの街に来たとき、寂しい街だとレイシーは感じた。人の声がしない、気配もないから、一人じゃないのに、街の中にぽつんと佇んでいるようにも思えた。なのに今は、レイシーの足を起点とするように、ぐんぐんとまっすぐ、力強く脈動し、たくさんの力が伸びて、続いていく。
――そして今。
聞こえていた大勢の声はぴたりと止まり、人々は暗闇に息をひそめた。しんとして、虫の声一つもない。レイシーはゆっくりと両の足を踏みしめた。右手に、杖を持つ。唇から高速で紡がれる呪文は幾重にも音が重なり合い、誰にも真似することなどできやしない。
強く、杖を地面に打ち付けた。瞬間、光が弾け飛んだ。ばちばちと音を立て、垂らしたランプ全てが一斉に光をともし、空の色を塗り替える。広場だけではない。王宮までの道のり全てに吊された何百、何千ものランプがこうこうと輝いて、夜を昼間に変えていく。
ガルーダラの住民達が歓喜に拳を振り上げた。誰もが笑って、ときには泣いて、夜の祭りを祝い合う。今日が終われば。今日が終われば、明日がくる。苦しんだ日々にやっと終わりがやってくると大人も、子供も叫んでいる。
「……話には聞いてたっすよ?」
そのとき、ぽつんと一人のローブの青年が呟いた。ローブの胸元にはエハラジャ国の紋章が縫い付けられている。ガルダだった。彼はサイラス直属の部下だ。あっさりと驚くべきことを終わらせて、それなのに、なんてこともないように自身の主と話をしているレイシーを、同じ魔法使いとして、言わずにはいわれない。
「街の全部の魔導ランプに一晩中燃やすほどの魔力を注ぎ込んだって? クロイズ国一番の魔法使いってのは嘘だろ」
小さなランプの一つひとつに魔力を飛ばす手腕。そして継続できるほどの膨大な魔力量。
信じられない、と息を吐き出す。
「――あのさあ。こういうのは、国一番じゃない。この世で一番の魔法使いって言うんだよ」
***
「……なんとか、始まった」
祭りはまだ始まったばかりだというのに、もう全部が終わってしまったような気持ちになってしまう。ランプを光ではなく魔力で燃やすために意識はそちらに分けつつもレイシーはほっと息をついた。見たところ滑り出しは上々だ。すでに想定外の客入りに悲鳴を上げている店もあったが、すぐさま他の店から救援が駆けつけている。
おそらく、レイシーにできることはこれが最後だ。明るすぎず、暗すぎずと明かりの調節をしていると、「レイシー、ありがとう」 サイラスに礼を伝えられた。すでに何度も言われている言葉だから、困って首を振ってしまった。
「私一人では、まったくです」
「そうだろうね。でもきみが始まりだ」
驚くことに祭りの中にはアリシアの姿もいる。お忍びなのだろうか。キーファを引き連れていて、レイシーに気づき片手を振ったから、レイシーも振り返した。「そんな、ことは……」 小さな声になってしまったとき、今度は慌ててウェインを見上げた。
「あの、ウェインも……ありがとう!」
もちろん伝えたい気持ちは全員にあったが、まずは一番にウェインに伝えたかった。けれどもウェインはどこか遠くを見上げたまま、返ってきたのは鈍い反応だ。何か様子がおかしい。
「そういえばウェイン、祭りの当日はすることがあるって言ってたけど……?」
「ああ、まあな。それじゃあ、俺はこの辺で。じゃあな」
「手伝おうか!?」
「いいよ。気にするな」
「本人がこう言ってるんだ」
いいんじゃないか、というサイラスの言葉に後押しされて、ひらひらと片手を振りながら消えていくウェインの背中を見送った。すぐに人の流れに消えて見えなくなってしまったが、なぜだろうか。彼の手をひっぱらなかったことに、レイシーは少しだけ後悔してしまった。
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