2 星が集う
第76話
星がきらめき、わずかな光も集まれば大きくなる。
「本当は、以前サイラス様にお話した風をくるくると回して涼を得るような魔道具……<扇風機>を作りたかったんですが、簡易で試したところ風が巻き上がってもその場にあるものが渦巻いているだけで実際に温度が下がるわけではないと気づきました。大気に魔力がこもっている現状、下手をすると温度が上昇しかねないようでして……」
王宮のように魔法使いが精密に魔力をコントロールし使用するならともかく、魔力石には単純な魔術しか込めることができない。氷山からの影響に対して臨機応変に対応することができないのだ。
「そもそもこれくらいなら誰でも思いつくでしょうから、すでにサイラス様や、他の王族の方が実現しているはずでした」
「いやあ、正直きみがいう扇風機の仕組みを思いついたのも、製作して欠点とその理由に気づいたのは一月なんかじゃ足りない話だったけどね? よくこの短時間でそこまで考えつくもんだな」
しょんぼりと頭を下げるレイシーに、いやいやとサイラスは片手を振っている。
「それで、さっきまでどんな話を?」
テーブルの上に敷かれた真っ白い紙はすでに様々な案が書き連ねられている。レイシー以外にも、ウェインやユキが思いつく限りに書いたものだから、字体も、書く方向も入り乱れていた。その中で特にぐるぐると何度も丸をされている言葉があった。「これは……」 考え込むサイラスの後ろから、ガルダがにょっきりと顔を出す。
「……祭り、っすか」
そして書かれていた言葉をぽつりと呟く。途端に、レイシーは意気消沈してしまった。首都、ガルーダラの人々はレイシー達が新たに作り出した魔道具、蓄音機を十分に楽しんでくれているように思う。その中で、この短時間でさらに新しい何かを供給するということは熱中する気持ちに逆に水をさしてしまうのではと思ったのだ。
さらにレイシーが思い出したのはサイラスとともに街を見て回ったときに足を運んだ、誰もいない夜の広場だった。以前ならばきっと大勢で賑わっていただろうに、エハラジャ国を建国した騎士の像が、一人さみしくぽつんと立っている姿がどうにも切なかった。
人々が夜に出かけることが難しいのは、ランプの光量が足りないからだ。サイラスが太陽光でより強い光を生み出す方法を見つけはしたものの、長時間となるとさすがに無茶だ。けれど、一日限りだというのならレイシーの力でどうにでもなる。だから昼間ではなく、涼しくなる夜の時間に祭りをしてはどうだろうと考えた。
(……以前、プリューム村でお祭りをしたとき、とても楽しかった)
ポップコーンの試食会としてや、セドリックの娘の結婚を祝うために、どんちゃん騒ぎで祝った記憶だ。
そのときの胸がふわりとするような不思議な優しさを忘れることができない。ガルーダラの街の住民がもとの生活を取り戻すまで、ほんのあと二週間程度。その間の、あと少しの苦しさをどうにかしたくて、それなら苦しいことが終わるまでの時間ではなく、楽しみまでの時間に変えたらいいと思ったのだ。
最後の日に祭りを開くことで、あと少しをわくわくとして待ち遠しいと思う気持ちに変えてもらうことができたら。それはとても嬉しいことだ。でも。
――発想というにはあまりにも、単純すぎた。
とってもおいしいご飯を食べたから、他の人にも食べてもらいたい。そしたらきっと幸せになるはずだと考える幼い子供のような思考だとレイシー自身も気づいていた。ウェイン達に提案すると、意外なことにも好評だったから印をつけてしまったが、改めて説明するとやはり気恥ずかしさが増してきた。唇をきゅっとひっこめて、額をこしこしと手の甲でいじって、多分帽子があれば思いっきりかぶってレイシーは顔を隠していた。
「いいね、それ」
それなのに、サイラスはウェイン達と同じようにあっさりと肯定した。
「で、でも! 外に行こうと提案して、はいわかりましたとなるものかというと違うようにも思いますし」
「たしかに住民は長らく太陽の光を避けているから、いきなりは抵抗があるかもしれない。でも、もとはこの国の住民は外が大好きな人間達なんだ。外に出たくてうずうずしているに違いないし、最後の日だろう? 羽目を外したくもなるはずだ」
むしろこれは、僕たち王族が主体として行うべきだろうな、とサイラスは頷いている。
「キーファや国王にも提言してみよう。おそらく否定はされないだろうが、ネックは準備時間までの短さだな」
「時間もうそうだが、羽目を外しすぎるものもいるのでは? 危険も大きいように感じる」
「ウェインがいうことも一理あるね。騎士団に要請も必要だな。急ごう」
それなら広さと規模を考えてこの程度の人数は、とウェインとサイラスが顔を突き合わせつつ話し合い始めてしまった。
「祭りといえば食事っす! あと絶対酒! これめっちゃ重要!」
「ただ集まって、飲み食いするだけですか? 子供達も楽しめるように簡易的なゲームができる場所もほしいです」
今度はガルダとユキである。ユキはダナとともに孤児院での子供達の面倒を見ることも多いから、どうしても気になってしまうのだろう。大人なのに子供のような口調のガルダと意外と話も合うようだ。
(ど、どんどん、話が大きく……そして、具体的に……)
ならばととりかかえるべきなのに、レイシーはただ一人、尻込みをしてしまっていた。なんせものを作るのではないのだ。形にないものを考えるということはひどく不安でたまらない。完成形が見えないから本当にこれでいいのかと後ろばかりを振り返ってしまう気持ちになる。
ぽんぽんと飛び交う会話の間で萎縮するしかないレイシーに、一番に気づいたのはもちろんウェインだ。「なんだ、いつも以上に、小さくなってるなあ」と笑って、ちょっとだけ面白そうな声色だ。「いつもと同じだろ? 形はなくても、目的に向かっていけばいい。イメージなんて、いくらでもあるし、できるだろ」 ばしん、と背中を叩かれた。「うぐ」 想像よりも揺れた。でも、まるで瞬くような何かが心の中を通り抜けてもいた。
――本当は、祭りをしたいと思ったとき、ふとレイシーのまぶたの裏できらめくものがあった。真っ暗な空の下でたくさんのぴかぴか光ったランプが吊り下がって、大勢の人々は涼やかな服に袖を通し、楽しげに笑い合っている。それから、今は寂しく誰もいない広場を埋め尽くすように露店が並ぶ。
ざわつきが、耳を駆け抜けた。“暑すぎる夏”の最後の日を見送り、少しずつ、ランプの光がオレンジにとろけていく。
「……夏を、見送る祭りがあればいいなって」
エハラジャ国は常夏の国だから、その言葉はどこか不適切だ。逆に、夏を楽しむ祭りであってもいいかもしれない。
そう言って、やっはり恥ずかしくなってうつむいた。けれども彼らの中ではたしかに伝わるものもあった。一様に静かに頷き、言葉の代わりに返答をくれたから、レイシーはほっとして机の下に隠した拳を握った。
――こうしてレイシーの提案は、<夏祭り>と名をつけられ、無事国王の承認を得ることができた。
しかし、新しく物事を始めるときは、そう単純にはいかないものだ。
レイシー達は下見のために時間も惜しいと真っ昼間に帽子をかぶって、さんさんと降り注ぐ太陽の下で広場を見て回った。レイシーとウェイン、そしてサイラスの三人である。王宮一つがすっぽり、なんてことはもちろん言えないが、有事の際には国民の避難所としても使用される場所であるため、目の細かいさらさらとした土が敷き詰められた広場は、それなりの広さがある。
「こうして昼間に見ると、さらに大きく感じますね……」
そうだな、とサイラスは頷いて肯定している。彼も夜ならともかく昼間に見ることは久しぶりなのかもしれない。別に広さに対しては問題ない。飲み食いしつつ簡易なゲームも提供できる店を並べることが理想だからむしろ広ければ広い方がありがたい。出す店の種類については今頃はガルダとユキが宿代わりにすっかりたむろっている一軒家の中で二人で頭を悩ませているだろう。
「日差しを遮るものは何もないんだな。当日は棒を立てて紐を吊してそこにランプを吊り下げた方がいいかもしれない。強度のあるものにする必要があるな」
「ちょっとやそっとでは倒れないように土魔法が得意なものを集めるよ」
「そうするべきだな」
「そうだね」
「…………」
「…………」
サイラスとウェインの二人は、互いに必要なことしか話さない。
広場を下見に行こうとして再度の案内人としてサイラスがレイシーについていくとなったとき、ウェインも無言で立ち上がって存在を主張したからこうなったのだが、会話があるのかないのかよくわからない三人組はなんだか気まずい。しかし今は目の前に集中しなければならない。
「以前は露店がひしめいていた場所だから、店は商人達からなんとか借り受けできそうだ。露店に使われていたのは布でできた組み立て式だから、人さえいればあっという間に設営できる」
「それは、いい話ではあるんですが……」
レイシーとサイラスが無言で行き詰まった。みんみんと虫が鳴いている声が聞こえる。
「そもそも、その労働力となる人がいないんだけどな……」
腕を組んでぽつりとウェインが呟いた声が、どしんと重たく沈んでいく。
必要なものは当日までに準備をする人員と、そして当日に店を切り盛りする人員だ。レイシー達だけでは圧倒的に足りない。
レイシー達が目指しているのはガルーダラの街においては数年ぶりであり規模の大きな、いや大きすぎる祭りだ。肉体的な労働としてすでに騎士団に願い出ている。けれど夜の祭りは初めての取り組みも多く、何があるかわからない。住人達同士の衝突を避けるために警備に導入する人員は自然と多く必要になる。すると、この多くの出店を運営する人間がいなくなってしまうのだ。
「店を借り受けするんなら、ついでに店自体も商人に管理してもらったらいいんじゃないか?」
「ウェイン、きみがいうことはもっともだが……僕達が目指しているのは<夏祭り>であって、普段商人達が扱っている品とは異なるからねぇ。うまくいくかな」
「人がいないんなら金で雇うしかないだろう。だったら初めから金勘定が得意なものに協力を願った方がこちらにとってもありがたいぞ」
「最悪、そうした方がいいと私も思うけど、でも……」
レイシーは少しだけ言葉を言いよどんだ。今から自分が告げることは、ただの自己満足にすぎないことは理解している。けれど、言わずにはいられなかった。
「これは街の人達に心から楽しみにしてもらうための、そして長い我慢の時間への慰労として行うお祭りだもの。商人達だって、ガルーダラの……街の住人よ」
彼らもまた労りたいと願うべき相手なのだ。
けれど現実味もなく理想を語ることは愚か者がすることだ。突っぱねたところで、答えが降って湧いてくるものではない。
サイラスとウェインだってレイシーが呟いた言葉を理解していないわけではない。が、物理的な解決策がない以上、仕方ないと思わざるをえない。
「ごめんなさい、さっきのことはやっぱり気にしないで。サイラス様、申し訳ありません」
「いや、そうきみがそう思ってくれる気持ちは十分にありがたい。けれども現状、商人に頼るというところが今の所、一番の良策になるのかな」
沈黙を切り裂くように否定したのはレイシー自身だ。首を振って謝罪する。サイラスの言葉に、今度はウェインが話を続けた。
「それならさっさと話を進めた方がいいんじゃないか。金が絡んでくるならこちらが勝手に任せる店の種類と場所を決めれば遺恨が残る。場所によって売り上げも変わるだろうからな。手を借りたい人選を行ったのちに、くじでも何でも平等に決める機会を設けるべきだ」
「おっしゃる通りなんだけど、きみたしか勇者の前にただの貴族だよね? よくさらっと思いついて口から出るね」
「……金に汚い聖女がいたんだ」
もちろんダナのことである。
「そりゃあいいお友達じゃないか。紹介してほしいところだ」
サイラスはにまりと笑ってウェインと肩を組んでいる。もちろんウェインは若干距離をあけたいようで体を斜めにさせているが嫌がる姿はその程度だ。
「……機会があればな。それで、商人の人選はそちらに一任してもいいのか」「もちろん。それじゃあ僕はとりあえず王宮に戻って考えてみるかな」 距離感を測りかねて会話を重ねる青年二人は気まずいようにも見えるが、なんだかんだと互いに大人なんだろう。レイシーはほっとしつつ、苦笑した。
それから二人は何事かを言い合いながらも、さくさくと足を動かし歩を進めた。これで実際に祭りを運営する人間ついてはなんとかなりそうだ。
(でも……)
二人についていこうとして、レイシーはぴたりと立ち止まった。丸い、ぽつんとした自分の影が足元に落ちている。これで本当にいいんだろうか、とやっぱり考えてしまう。商人だってガルーダラの住民だ。自分で口に出した言葉が妙に頭の中に残っている。
ないものをねだったところで仕方がないとわかっている。けれど、とレイシーは帽子のふちをわずかに持ち上げ、ぎらぎらとした光を瞳をすがめながらそっと見上げた。
(何か、きっかけがあれば)
……そんなもの、あるわけがないのだけれど。
ふと、名前を呼ばれたことに気がついた。すっかり立ち止まっていたレイシーを振り返って、ウェインが片手を振っている。慌ててレイシーは彼らの後を追った。彼女の後ろにはただぽつんと立派な像が立っているだけだった。
***
「たいちょー……。まだこの国にいるのかなあ……」
ぽそりと小さく勝手に口から漏れ出てしまった言葉に、しまったとメイスが慌てたのはすぐのことだ。
へにゃへにゃとした体をぴしっとさせつつ、口から出た言葉はさらに考えるきっかけに変わってしまう。
クロイズ国に戻るときは、必ず声をかけてくださいねと願ったものの、メイスだって普段はあまり家に帰らないし、入れ違う可能性なんていくらでもある。そしたらいつの間にか勝手に口からため息が漏れ出ていた。「隊長って、どちらさまのことかしら?」 そしたら思いっきり聞かれていた。
「んえっ! アリシア様、失礼しました!」
「別に? 妙に重たいため息だと思っただけよ」
メイスの現在の主であるアリシアは、優雅に椅子に座りつつもくすりと静かな笑みを落とした。あまりのメイスの慌てっぷりに、アリシアの側仕えであるメイドまでもが笑いを噛み殺すようにそっと口元を指で隠している。
アリシアはもとはクロイズ国の王女であり、エハラジャ国王子、キーファのもとへつい最近嫁入りした。そのとき、幾人かのメイドと兵士を連れてきたわけだが、メイスもその一人である。ウェインとともに魔族を倒した功績からの異例の抜擢だったのだが、メイスとしては気後れするばかりだ。でも仕事なので、普段はもっとかっちりとして個人の感情は消すように努めている。それをわかっているからこそ、アリシアも声をかけてしまったというわけなのだが。
「それで? 隊長ってどちらさまのこと?」
「は、はい! 自分は以前、王国兵として魔族の残党、また増殖した魔物の駆除を目的として遠征を行っておりました! その際の隊長でいらっしゃった、ウェイン・シェルアニク様のことであります!」
「ああ……勇者の。エハラジャ国にいらっしゃっているみたいね。私も会ったわ」
アリシアは納得してすぐに手元のカメラの清掃に戻った。アリシアは熟練の手付きでカメラをみるみるうちにぴかぴかにさせる。そして満足そうに、うっとりと微笑んだ。アリシアにとって、レイシーからもらったこのカメラはとても大切なものになっている。
「えっ、お会いした……ですか……」
「あの人、どうせレイシーが来るからってついてきたんでしょう」
まったく、と呆れたようにアリシアは鼻から息を吹き出している。あまり見ない姿だ。「……レイシーが来るから……?」 そしてそんなアリシアの様子を見て、メイスは首を傾げた。メイスにとってウェインといえば頼りがいのある隊長で、自分よりも年が下であることは頭ではわかっていても、すぐに忘れてしまう。そしてレイシーという名前はどう考えても女性名だ。ウェインと女性、というのはなんだか不思議な組み合わせだ。
いや、ウェインがきらびやかな容姿をしていて、勇者としても、貴族としても多くの女性達の心を鷲掴みにしていたことはメイスだって知っているが、ウェイン本人が何分相手をしていなかったのだ。隊長として隊を率いることになった際、勇者としての名を知っていても、ウェインのことを快く思わないものはたしかにいた。けれどその見かけに似合わず朴訥と任務をこなす姿に少しずつ好感を勝ち取っていったわけなのだが。
(……隊長に、女性の影?)
口を閉ざしつつも、誰だそれ、と心の中でめちゃくちゃに驚いている自分がいる。
(いや待て、レイシー? レイシーっていえば……)
「暁の、魔女様のことですか!?」
「あらどうしたの。そうよ? レイシーも今、この国に来てくれているの。あの子、また新しいことしようとしているみたいだから、できる限り私も協力しなきゃね」
「えええええ」
そんな、と思わず声がひっくり返ってしまった。暁の魔女といえば、メイスが会わせてくれと隊長にすがりつきつつ願っていた彼にとっての恩人である。アリシアはレイシーの名を口に出してどこか表情をやわらかくさせつつ、すぐに鼻歌を歌うようにカメラのレンズを拭く作業に集中した。でもメイスの心の中はまったくそれどころではない。
(そ、そんなのって)
そんなのって、とぶるぶると拳を握る。
「た、隊長のばっきゃろーーーーー!!!」
メイスはガルーダラの街をだかだかと疾走した。アリシアの警護は三日行い、一日がまるまる休みの交代制だ。とりあえず本日の任務は終了、それじゃあ次は二日後に、とバトンタッチしてから、彼はその場で足踏みを繰り返した。そして勢いよく走った。走らなければやってられなかった。火の魔術に適正がある分、今のガルーダラの状況でも比較的ぴんぴんしているので、お前は今日も元気だなとよく言われる。なのでその元気を見せつけることしかできなかった。
「あれだけ、会わせてくださいって伝えたじゃないですかーーーー!!!」
おえええん、と叫びながら王宮から街の外門まで恐るべき速度で駆け抜けているメイスだが、別にウェインに文句を叩きつけてやろうと走っているわけではない。そもそもウェインの場所も知らない。レイシーについてやってきた、とアリシアは言っていたが、きっとそれも任務だからなのだろう。口外できない理由は理解している。
だから今、メイスは走りたいから走っているだけだ。つまりただの元気である。
「まあ、でも、仕方ないよなあ……」
さすがのメイスでも、ぶるぶるに汗をかけば、ちょっとは頭も冷えてくる。ほとほとと、走る速度も起きてきた。ウェインと暁の魔女の任務がどういったものかはわからないが、自分の個人的な願いに対して融通をきかせてくれと願うほど、メイスは馬鹿ではないし幼くもない。「でも、ちょっと、悔しくはあるだけでぇ!」 ハンカチをきいっと噛み締めたい気分だった。だって今、この街の中に彼が望む人間がいるのだから。サインがほしい、と考える程度にはすっかり心の中ではファンである。
「あー、どうかな、このままぐるぐる走って暁の魔女様とか隊長にばったり出会えたりとかしないかなー? お顔は存じ上げないけど姿絵なら知ってるし、魔女様は赤髪で背が高くて……」
ちなみにレイシーの姿絵は暁という二つ名が先行し、実際の彼女とは似ても似つかないものになっているが、メイスが知るわけがない。「……そんな迷惑できないよなあ」 がっくりと落ち込んだ。自分で考えたことに、しょんぼり頭を垂らす程度には彼は常識を持った人間である。
こうしてぽてぽてとどこに向かう宛もなく街を歩いているとやっと慣れてきたとはいえクロイズ国に比べての人の少なさに驚くばかりだ。
「……嫁に会いたい」
定期的に手紙を交わしているとはいえ、人恋しさが溢れてきたのかもしれない。ウェインと顔を合わせたときコップの底に残った酒をちろりとなめて正体を失ってしまうという失態を犯したメイスだが、そのときのことはまだはっきりと記憶に残っている。『隊長、寂しいから帰らないでぇ!』とすがりついた自身を思い出してちょっと泣きたい。せっかく酔うならいっそのこと全部忘れ去ってしまいたかったが、少量の酒でも酔ってしまうかわりにすぐさま酔いも覚めてしまうという長所はときに短所になってしまう。
(……ん、そういえば俺が暁の魔女様に会いたいと伝えたとき、隊長ったら何かみょーな違和感があったんだようなぁ)
いつも以上に頑なだったというか。まるで本題から避けるような言葉だったというか。
(任務中だから、どう伝えたらいいか困ってらっしゃったという感じなのかな)
自分で納得できる理由を想像しつつも、やっぱり何か違和感がある。メイスは鈍いように見えて実は鋭い。暁の魔女という言葉を出すと不思議と彼が自分よりも年下の青年であったことを思い出すような仕草や、声色を感じていた。それに、アリシアのレイシーについてきたというその言葉。
「……なんでも、こういうことに関連付けさせたらだめだよな?」
もちろんわかってはいる。わかってはいるけれど。「う、う、う、うおおおお」 おそらくこういったことには人一倍の察しの良さを発揮してしまう自分が憎い。例えば思い浮かぶきっかけはいくらでもある。以前にメイスとウェインの命を救った匂い袋を渡したとき、ウェインは言葉に言い表すこともできないように、ぐっと息を飲み込んでいた。あのときには彼は暁の魔女がアステールの品を作っていると知っていたに違いない。そのときメイスの嗅覚は何か嗅ぎつけていたが、さすがに確信なんて持てなかった。
あてもない散歩はとりあえず終了して、腕を組みながらメイスは身悶えした。甘くて酸っぱい感じの何かを感じるような気がしないようなわからないような。
「よし、忘れよう!」
考えてもわからないことは考えないに限る。嫁に手紙を書いて、どうやらエハラジャ国に暁の魔女様がいらっしゃるみたいだぞ、なんてことを書いて伝えて……いやそれは言っちゃいけないことならやめておこう。当たり障りのない内容を……書けるかな、俺書けるかな? 不安だからやっぱり今日はやめとくか? と頭の中でぐるぐる考え込んでついでに同じ場所をぐるぐる回っていると、「もし、そちらのお方」と、誰かに声をかけられた。
「…………?」
「あなたですわ。付近に人はいらっしゃいませんもの。少しお時間はございます?」
涼やかな女性の声である。たしかにまだ日が昇っている時間だ。メイス以外の人間は見当たらない。振り返るとメイスに声を掛けてきた主の顔は深くかぶった麦わら帽子でよく見えなかったが、長く淡い金色の髪の持ち主である彼女の片手には大きな荷物が引きずられていた。もしかすると旅行者か何かだろうかと首を傾げる。背の高いすらりとした女性だが、肌の色は真っ白でこの国の住人とは思えなかったということもある。
「時間、というか、まあ、ちょっとなら。何か御用ですか?」
「すこし道をお尋ねしたいの。あなた、王宮の兵士でしょう?」
服もそのままに王宮からそのまま一直線に走ってきたから、見ようによればすぐわかる。メイスもこの街に来たばかりではあるが、地図はすでに頭の中に叩き込んだ後だ。もちろん問題ない。肯定して、再度女に目を向けた。ありがとうと礼を伝えられたとき、ふと覗いた顔を見た。そのときだ。「えっ」
大きな麦わら帽子に隠されていた女の顔がはっきりと見えた。口元にはぽつんと小さなほくろが一つ。「え、え、え、ええええええ!!!?」 メイスはのけぞって驚いた。そのままひっくり返って、尻を思いっきり地面に打ち付けた。
***
「今のところの出す店は食事や酒それからおもちゃの弓での的あてとくじ引きでの商品でしたよね、遊びの店についてはもう少し種類があってもいいのかも……」
ああでもない、こうでもないとレイシー達は話し合っていた。レイシーの提案にガルダはぱっと瞳を輝かせている。
「賛成っす! でも子供も楽しめるようなものにしようとすると、あんまり複雑なルールは無理っすねぇ……。なぜなら初めて聞くものであんまり難しいものにされると大人の俺もわけがわからん自信があるからです! 全部俺を基準にして考えてくれれば、きっといい感じになると思うっすよ!」
「…………」
自信満々に自分に対して親指をむけて胸をはるガルダに、ユキがひょうひょうと冷たい瞳を投げかけている。多分これは本気の瞳である。最近ユキの表情の変化がちょっとわかるようになってきたので、レイシーは絶妙な切なさを感じながらも口を閉じた。
相変わらず風通しのために家の窓も扉も開けっ放しだ。サイラスはまずは力を貸してくれる可能性のある商人達に状況の説明に行ってくれているため、今はいない。
またたく間に時間は過ぎ、目的の日まであと一週間と数日だ。準備は進んではいるものの、どうにもボリューム不足が否めない。ガルーダラの街の人々の割合と比べて当初よりも小規模な祭りになりそうだ。
(それに、商人の人達よね……)
すでに彼らも戦力とした想定で話は進んでいる。それなのに、やっぱりもやもやとした気持ちが晴れない。ないものねだりをしても仕方がない、とすでに終わった話であるはずなのに。
(願えば、なんでもなんとかなるというものじゃないもの)
どれだけ大規模な魔術を使うことができたとしても、どれだけ名のしれた魔法使いでも、人間一人にできることなど、本当はたかがしれている。生きていけばいくほどに、手を伸ばせば伸ばすほどにその感情はじわりとレイシーの中に染み込んでいく。
今だってそうだ。レイシー一人では、想像もつかないことを誰かがぽんと思いつく。人がいるということはありがたい。でもその分、より大きなハードルが生まれるときがある。きっとそれが今なのだ。飛び越えることができない苦しさは諦めと同じような感情だった。しょぼくれて顔を下に向けて、それでも何かの方法を模索する。
「……?」
あいかわらずガルダとユキは互いに言葉を重ねていて、ウェインはときおり的確な意見を口にする。ふと、大きな風が吹いた。窓と扉を勢いよく通り抜けて、ひゅおおと渦巻くように力強い竜巻だった。椅子に座っていた体から、一瞬重力が消えてしまった。驚いてレイシーが瞬くとふわりと浮いたはずの体はいつもと変わらず木の椅子に座り込んだままで、なんの変化もない。ただの気のせいだ。違う、覚えのある魔力が体を叩きつけた。
立ち上がってレイシーは扉をくぐり抜けて太陽の下に飛び出した。レイシーが駆けつけた先にはぽつりと一人の女がそこに立っていた。麦わら帽子をかぶっていて、後ろには男が一人、彼女の荷物を持っている。「すっかり久しぶりになっちゃったわね」 くいっと女は帽子の縁を持ち上げた。一見穏やかに見える表情だが、実は金にがめつく、けれども思いやりあふれる女性であることは仲間の誰もが知っている。
「だ、ダナ!!?」
「こんにちは!」
どこからか力強い風がレイシーを叩きつけた。ダナの長いスカートを翻し、たっぷりとした彼女の淡い金の髪がひょうひょうと巻き上がる。そんな中で、ダナはにまりと笑った。勢いよく両手を広げて、宣言する。
「そろそろ、助けが必要になったんじゃない!? 光の聖女ダナ様に、どーんとおまかせなさいな!」
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