第75話

 


 レイシーは死んだ。ユキと一体どう接すればいいのかわからず、口から泡をふいて静かに息を引き取った。いやそんなわけない生きている。もちろん今日も前に後ろに行ったり来たりしつつだが肉体的にはもちろんとても元気だった。でも目の前にどんと置かれた、すでにユキの十八番となっている甘いラベールのジュースを見るだけで、なんだか苦くなってくるような気がする。レイシーはとりあえずゆっくりと瞳をつむって、意識と心をどこかにさようならと飛ばそうとしたのだが。


(いや、だめ!!!!)


 のけぞった体を反転させ、そのまま勢いよく拳で机を叩こうとして、周囲には繊細な材料も散らばっていることを考えて、直前で止まった。そもそも激しく音を立てて主張する勇気なんてもちろんない。でも、自分のこういうところがだめなのだ。なあなあにしてなんとかなるかも、と逃げてしまっているからユキの視線が怖くなる。


「ユキさん、ご不安なことがあれば、どうぞお伝えくださいっ!!」


 見ないふりをするのはいけないことだ。いや、それが必要なときもあるだろうが、わかるほどレイシーは器用じゃない。椅子から転げ落ちるように立ち上がり、だしだしと足音を立てるようにして必死にユキの元に向かった。ユキはレイシーを見下ろしながらどうにも不審な表情をしているように見える。当たり前だ、間違えた。いや、あえて間違おうとした。より詳細な言葉を伝えるための勇気が、レイシーにはなかったのだ。ぐっと息を飲み込み耳の後ろを真っ赤にさせてぶるぶる震えた。振り絞るようにレイシーは声を張り上げる。


「本当に、ごめんなさい! お力ばかりをお借りしています! ユキさんのご好意に甘んじて、すみません!」


 自分の中で一番気になっていることは、本当は一番言いたくない。どうしても無意識に避けてしまうから、はっきりと口に出すことが怖かった。嫌われたり、拒絶されたりしたくはない。一人きりで生きていたときはなんとも思わなかったはずなのに、今はふとしたときに色んなことが怖くなる。いや、昔は怖がる必要も、相手もいなかったのだろう。


 レイシーは勢いよく頭を下げた。だからユキがどんな表情をしているのかはわからない。そして口にまで出した後だというのにやっぱり知りたくないと見当違いなことまで考えている。でもこれは、レイシーがたしかに小さな勇気を振り絞った結果だった。


「あの」

「は、はい」

「何を謝られているのか、よくわかりません」


 鋭い嫌味か何かかとびくつきながら恐るおそる顔を上げたが、特にそういったわけではないようでユキは片方の眉をついと上げて心底不可解だとでもいいたそうな顔をしている。


「えっと、あの、その、ユキさんは……ダナに、エハラジャ国までの道案内と、手助け? を請われたんだと思うんですけど、こういった……その、ものを作る行為までは労働の条件には入っていないのではないかと考えていまして、その、ユキさんからご好意を頂いている現状が、ずっと、も、申し訳なく感じていて」

「はい。私はダナ様からレイシー様を手伝うようにと命を受けておりますし、こういった作業も任務の一つと捉えております。私にできることでしたら何でも行いますので、ご入り用がございましたらどんどんお伝えください」

「お、お……?」


 レイシーはわけも分からず両手をふらつかせてしまったが、ユキはおかっぱの髪を揺らしつつ、ユキはどん、と力強く自分の胸を叩いた。頼りがいがとてもあるけれど、レイシーの想像とは多大に異なる。


「あの、ユキさんからして、今回の私を手伝うようにというお話は、不本意なものではないのですか……?」

「なぜですか? レイシー様はダナ様の大切なお方。私にとって、ダナ様は同じく大切な方。大切な方の大切な方をお守りしてお手伝いすることはとても大切なことと考えています」

「ゲシュタルト……」


 同じ言葉を繰り返しすぎて、もはや何を言っているのかわからない。「いやでも!」 エハラジャ国に来てはや数週間、レイシーだって色々と思うところはあった。勘違いでしたの一言で済ますにはあまりにも重たすぎる。必死に記憶を遡らせて確認する。


「で、でもですね! クロイズ国からエハラジャ国に来るとき、空間魔法を使用するのでお荷物を渡してくださいと伝えたとき、とても頑ななご様子だったと思うんですが!」

「空間魔法は使用している間、容量に応じて使用者の魔力を食らうことは存じております。私はこれでも人並み以上に鍛えておりますので、レイシー様のご負担をかんがみまして自身で運搬が可能なものはお手を煩わせるべきではないと判断しました」


 先程までは無表情に感じていたユキの表情が、実はどこか誇らしげなもののように見えてきた。「いや、あの……」 困った。一歩下がりそうになって、いやまて、絶対に他にも何かあったとさらに記憶を探っていく。


「食事をするとき! いつもものすごく私を凝視なさっていますよね! 体ごと! こう、時には首ごと曲げて思いっきり!」


 無言のままに見つめられる恐怖である。心持ちか瞬きの回数すらも少なく、もしゃり、もしゃりとユキが一口、二口とするごとに、ひええとレイシーは多々震えていた。さすがにあれは何でもないではすまされないぞ、とさらに振り絞る勇気である。なので「ああ」とユキが頷いてくれたことにはほっとした。一応、認識はしてくれていたらしい。「あれは一緒に食事をする方に失礼がないように留意しての結果です」 なんだと。


 ちょっとよくわからなかったので、もう一回考えてみた。失礼がないように、留意して。気をつけて、相手を凝視している。「えっ、あ、あの……意味がわからないです……」 わからなさすぎてバカ正直な言葉が飛び出た。さすがのレイシーも思考が停止するかと思ったのだが、ユキは丁寧に語ってくれた。


「私は“少し”表情が乏しいので勘違いをされることが多いようでして。過去、同じ年頃の少女と食事をしていたとき、不本意にも互いの関係が悪化したことがあるんです。どうやら私が彼女を無視したようなのですが、まったく覚えがなく、原因を探っていくと食事をしていたとき私がそっぽを向いてぼんやりしていたことが無視をしたと誤解を受けたようでした。ならばきっかけがあるのなら排除すべきです。だからそれからは注意して相手を見て食事をするようにしています」

「なるほ、ど……?」


 本人は気をつけているつもりなのに、さらなる誤解を生むきっかけになっている。それってどうなの、とレイシーの目はぐるぐる泳いだ。


「人と人は簡単に誤解を生みます。 “言葉にしなければ“伝わらないのです。口に出さずとも感じるものがあるということなどただの幻想ですし、私は認めません。そして何を言葉にすべきなのかわからないなんてことはいくらでもありますから、誤解を生む前に、私は全力で誤解の根を引き抜きます」

「うん……」


 眼光鋭くはっきりと伝えてくる言葉はユキの人生においての信条なのだろう。けれど彼女はその行動のせいで、さらなる誤解を生み出しているような気がするので、レイシーとしては素直に頷きづらい。でもたしかに、レイシーはユキに嫌いとも、文句があるとも言われたことは一度もなく、彼女の行動は常に協力的で、いつも喉が渇けばすかさず飲み物を出してくれた。

 ギンギンときらめくような瞳にレイシーは勝手におびえていたが、むしろ彼女は自分にできることを必死に探そうとしてくれていたのかもしれない。


「そうですよね、言葉にしなくちゃ、伝わりませんよね……」


 苦笑するように呟いた言葉だったのに、レイシーの中でひどくほっとしている気持ちがあった。勇気を振り絞って、伝えてよかった。ぶつかり合うことが怖くて逃げてしまっていたら、はユキの真面目で、誠意のある態度のすべてを勘違いしたままレイシーはクロイズ国に戻り、ユキとも別れてしまっていただろう。


「ええ、そうです。そうでしょう」


 ユキの言葉がその通りだとすると、表情が変わらない彼女だが、なんだか自慢げのように見えてくる。むふん、と鼻の穴から息を吹き出し腰に手を当てて嬉しそうだ。


「なので私は一日に三通ダナ様に手紙を書いています。ダナ様はレイシー様のご様子をとても気になっていらっしゃるご様子でしたので、レイシー様の朝ごはんからお昼ごはんに晩ごはん、日々の睡眠時間と今日は何をお話されたか、何をしているのか。全てダナ様には筒抜けてございます」

「それは何かとても怖いです!」


 何でも言えばいいというものじゃないような気がするが、ダナとユキ、二人の関係がそれでうまくいっているのなら何を言うべきことではないかもしれないが。

 でもやっぱりちょっと怖い。しかしほんの少し温かくなってしまう感情もあった。


「……ユキさんは、ダナのことを一番に大切にしていて、ダナも、きっと同じ気持ちなんですね」

「一番という好意の順位づけは嫌いです。でもありがとうございます」


 よくも悪くも正直なのだろう。はっきりとものを言うユキのことを、レイシーはやっぱり苦手だ、でもけっして嫌いではない。


(それにしても、ダナがそれだけ手紙を受け取ることができるということは、ちょっとは余裕ができてきたのかしら……)


 お金が大好きすぎるダナは聖女として多くの人々の傷を癒やしお金を巻き上げまくっていたが、体調に支障をきたし回復策を練ったわけだが、根本としての業務改善を行うことを話してもいた。よかった、とほっとする。


「レイシー様のことをお伝えすると、ダナ様がお喜びくださっていることが文面でも伝わります。ダナ様はいつもレイシー様をご心配なさっています。ですからどうか、ご無理なされないよう」

「は、はい」

「ご無理なされないよう」


 まったく同じ表情で同じ言葉を繰り返された。ちょっと怖い。無理と言われてもレイシーはレイシーにできることをしているだけなのだが、せめて何か行動した方がいいだろうかとなんだか気持ちが焦ってくる。


(別に、本当に、何も問題ないんだけど……)


 今はものを作ることに集中していて、多分数日寝なくても、食事をしなくても大丈夫だろうが、ウェインからの監視が激しく何考えてんだコラ的に見下されるので無茶なことは何もできていないししていない。


「あ、そうだ」


 空間魔法は使用しているときに使用者の魔力を食らう、とユキが言っていた言葉で思い出した。一般的な魔法使いならば負担に思うだろうが、レイシーの魔力量は膨大であり、枯渇することなどありえない。だから本人もまったく気にしていなかったのだけれど、使用している間、ちょっとは負担になっているかもしれない。荷物はすでに整理したはずだが、空間魔法は頭の中で何を持ってきたのか細かく分類することで閉じ込めた亜空から具現化する魔術だ。つまり忘れていたら一生そのままになってしまう。


「えーっと、持ってきたもの。何か忘れているものあったかな。あったかも、あっ、そうだあれと、これと」


 これ。あれ。それ。どれ。

 レイシーが一つひとつ両手の人差し指を動かす度に、どすどすと床にものが落ち、転がっていく。最終的につもりつもった謎の材料と道具で山盛りの床を見て、ユキは心底つめたい瞳でレイシーを見ていた。悲しいことに、今度こそ気の所為ではないだろう。


「り、隣国ってことでしたから! 念には念をと不安に思う気持ちが旅立つときに溢れてしまいまして! ぎりぎりで詰めたので忘れているものも多くて……その……あっ! でもこれで試すことができる材料が増えましたよ!?」

「……そうですね」

「針ですよね、円盤に刻むためにはこう、尖っていて硬くて、でもスムーズに動くような……」


 ごそごそと整理ついでに右に左にと腕を動かしているとき、象牙色をしたレイシーの親指ほどの石を発見した。なんだこれ、と持ち上げてみると石ではない。「あっ、ノーイの歯だ」 あー、かゆいかゆい、と言いたげな様子でくるくると回っていたノーイの口から、あるときぽーんっと歯が飛び出した。そして抜けた歯の下には新たに小さな歯が生えていたので、魔物の歯も生え変わるのだなあ、と珍しく感じ、なんとなく手に取って持ち帰ってしまったのだ。


「……なんだかとてもいいですね。イメージ通りです」


 ユキの言葉にレイシーは頷いた。硬すぎず柔らかすぎず円盤の上をスムーズにひっかいて動きそうだ。できかけの魔道具にはめてみた。録音して、再生してみる。見事な音質である。


「…………! …………! …………!?」

「……素晴らしい、音だと思います。けれどこれがワイルドボアの歯なら、この国では手に入りづらいかもしれません。やっぱり最終的に合致するものを作成することも視野にいれるべきですね。永続的な形として作ることは難しいかもしれませんが、使い捨てを前提にしてみては」

「と、とても、いい考えだと思います……!」


 レイシーが声も出せず震えている間に告げられたユキの言葉はあまりにも的確だった。帰ってきたウェインに告げて、床に散らばった道具達に怒られ、さらにサイラスとガルダにも現状を伝えた。レイシー達は一気に目的に近づいていく。



 ***



 こうしてレイシーは音を録音する魔道具を完成させた。それは<蓄音機>と名付けられ、円盤<レコード>に音を録音することでどこでも、誰でも音を楽しむことができるようになった。需要に生産が追いつかず、エハラジャ国では日が沈むと蓄音機を持つ近所の家や親戚のもとに人々は集まり、音楽や、ときには録音した物語を楽しんだ。暗くつまらない夜は明るい声や音がどこからも響くようになり、いつしかぶりの彼らの声を聞いて、サイラスはふと自身の双眸がわずかばかりに滲んでしまっていることに気がついた。


 さて、どうレイシーにこの感情を伝えたらいいのだろうと考えて、サイラスは彼女のもとを訪れると、終わった仕事を前にしてさぞ楽しげに祝宴を上げているかと思いきや、驚くことにレイシー達は変わらず熱い議論を繰り返していた。


「物理的に涼しくできれば一番だけど、今はやっぱり魔力の流れ的に難しいみたいだから……」

「最初に想定できた<扇風機>を作ることができれば一番だったんだがな。無理なら次だ」

「夜の時間をメインに考えないといけませんね……」


「いや、何をやっているんだ、きみ達は……?」 呆然として問いかけてしまう。「サイラス様」とレイシーが瞬き頭を下げた。そして説明する。


「何といいますか、蓄音機は設計書ごとエハラジャ国の皆さんに売却しましたから、私達が製作する手間も不要ですし、新しいことができればと思いまして!」

「いや、新しいことって。もう十分だろ? 感謝してるよ、きみ達の仕事は終わったんだ」


 自分が何をいっているのかわからない。なぜ依頼主が必死に引き止めているのだろうか。ダイニングのテーブルをばしんと叩く勢いで、レイシーは犬歯を見せるようにサイラスに叫んだ。


「終わってません! 氷山にかけられた魔術が構築されるまで、あと二週間近くあるんですよ!」

「ん、お、おう……」


 だからなんで怒鳴られているのか。サイラスを守るはずのガルダは後ろではわわとして先にちょっと逃げている。おいこら逃げるな、とあとで説教をするとして、ユキという名の同郷の少女の顔は中々読み取けなかったが、ウェインは呆れているような、面白がっているような顔つきで、サイラスに小さく口が動かしていた。なんだろうと眉を寄せつつ確認すると、諦めろ、とこっちに伝えているようだ。


「まだ、時間はあります! エハラジャ国の皆さんの気持ちが少しでも楽になるように、できることはいくらでもしてみせます!」

「お、おお……」


 どうやらレイシーはまったく止まりそうにない。

 はたしてレイシーが信用できる人間なのか、どこまでエハラジャ国の問題に力を入れてくれるのかと試そうとしていた過去の自分がまるで馬鹿馬鹿しくなってくる。


 サイラスはくしゃりと長い自身の髪をひっかいた。「……で、何をしたいっていうのかな!?」 そして椅子をひいて、どしんと座った。勝手に笑ってしまう口元を片手で隠してランプで部屋を明るくさせて、ああでもない、こうでもない、と話し合う。


 空にはいくつもの星がきらめいていたが、どうやら夜が明けるには、まだまだ長い時間がかかりそうだった。



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