第74話

 





『――お前は、レイシーの保護者か何かか? さぞ、甘やかしたいんだろうな』


 サイラスからのその問いかけに対するウェインの表情は、レイシーにはぼんやりとした明かりの中で、よくわからなかった。ただ、違う、と小さな声を吐き出した。そのままレイシーの手を握って、ひっぱるようにして一緒に帰った。ただそれだけの話である。


 なのにどうしてだろう。一日経った今でも妙に空気が重いような気がするし、当たり前のようにいつもと変わらずやってきたサイラスと顔を突き合わせているウェインを見ると、レイシーの心臓がなんだかどこどこしてくる。どくどくではない。暴れて不安でたまらない感じなので、どこどこである。そしてユキの視線は相変わらず鋭くて、きちんと行き先を告げずに消えてしまったレイシーへの非難を表しているような気がした。自業自得だとはいえ、逃げ帰ってもいいのだろうか。


 今日も今日とてレイシーの目の前にどどんと置かれたラベールの実を潰したジュースは彼女からの何らかの主張かもしれない。コップの中はどろどろの真っ赤である。


「それで? あのとき何か思いついたように見えたけど?」

「え、ええと、その……」


 重たい空気を作ったことなどなんのそのとでもいうようにサイラスは通常運転だ。からっと笑っていつもどおりダイニングのテーブルに並んで座っているが、今までと違うところは彼の隣にちょこんと連れを座らせていた。そう、魔法使いでサイラスの部下でありレイシー達を監視していて、かつ店番まで変わってくれたお人好しの青年である。


 一応今までは隠れていたのだが、開き直ったのか『手は多い方がいいと思ってね!』とサイラスは親指を立てていて、その隣では、『あっ、はい、増やせます』なんて言いながら背中から腕をにょいんとはやして自在に動かしている様はギャグか何かのようだった。レイシーとは違う方面で肉体操作の魔術が得意らしい。どうりで隠蔽魔法は下手くそだった。


 魔法使いの青年の名前はガルダというらしく、着こなした黒いローブが以前のレイシーを思い起こさせる。八重歯が目立つ、茶目っ気のある顔だった。こうして新たな面々を加えて再始動となったのだが、とりあえず昨日のことはなかったことになったらしい。「昨日はいきなり店番とか言われちゃって、どうしようかとほんとビビったんすけど、お客の一人も来なくて逆にマジよかったですんぶぐ」 空気の読めないガルダの発言はサイラスの豪腕でテーブルに沈み込んだ。


「それで、その、思いついたこと、なんですけど」


 座ったままもなんなので椅子から立ち上がってレイシーは顔ぶれを見回す。立ったところでそれほど主張できる背丈はないのだが、気分的な問題だ。


「音を、伝えるのは……どうでしょうか」

「……音?」


 レイシーの発言は少し突拍子のないものに思うかもしれない。ウェインが不思議そうに言葉を繰り返した。けれどもサイラスはなるほどと納得しているようで親指で顎をいじっている。初めてサイラスに納品したものは日焼け止めと風鈴だった。


「音を使って、実際には涼しくないのに、そうだと錯覚させるということかな? 体で感じる温度、いうなれば、体感温度を調節するといえばいいのかな」

「……それも一つの手だとは思いますが、この間短い間でしたが店を開いてお客様の様子を見ていると、風鈴を楽器として捉える人が多いように感じました。サイラス様はわかりやすいものでなければ短期間に広まらない、とおっしゃっていましたので、こちらから使用の目的を指定しなければいけないものは難しいと思うんです」


 なるほど、とサイラスは出した言葉をすぐにひっこめ、ついでに口を尖らせて考え込んでいる。


「じゃあ、もっと涼しい感じの音を作ってみるってことっすか! きんきんする感じの!」

「……きんきんするものは、嫌です」

「なら風鈴自体を改良するか? 見栄えを重視すれば飾るものという認識を持ちやすくなるかもしれない」


 ガルダ、ユキ、ウェインである。みんなそれぞれ自分の意見を持っていてありがたく、頼りがいがある。レイシーは嬉しくて勝手に口元が緩んでしまった。すると不思議とウェインに視線をそらされた。なんだかショックだ。ではなく。


「時間があれば、いいですし、ぜひ試してみたいです。でも私が考えているのは、今ある音を使ってみたらどうかなと」

「……今ある音かい?」

「はい、そうです、サイラス様が連れて行ってくださった、劇場での音です! あの音楽を、市民のみなさんは楽しんでいました。演奏を聞くためには実際に演奏する人や楽器が必要ですからどこでも簡単に聞くことはできません。けれど、音を保存してそれこそ自分の家でも聞くことができるようになれば、すごいことだと思うんです!」


 これが昨日レイシーが思いついたことだ。拳を握りしめ、まるで演説するように胸をはって声を張り上げるレイシーを見て、四人はどうにも呆然としているようだった。「お、音を、保存か」 サイラスまでもが困惑して少し声を震わせているように思う。できるわけがないという空気が伝わってくる。


「で、できます! というか、すでにウェインがそういった魔術を持っているので、できるはずなんです!」

「俺か!?」


 一瞬で集まる視線にウェインが顔をひくつかせる。


「音を保存する魔術ならたしかにあるし作ったことはある。でも音楽となると無理だ。保存する音の量によって魔力の使用量が段違いに変わる。一人、二人の短い会話ならともかく、演奏となると幾種類もの音が重なり合っているものだろう。それにある程度の節も必要だろうしな」


 ウェインが作ったことがある魔術とは、アリシアとレイシーの元婚約者、ラモンドとの逢い引きの会話をこっそりと保存したときに使用したことがあるのだ。過去、幼い頃のウェインは今よりもずっと魔力の量が少なくちょっとしたコンプレックスを持っていたのだ。だからいたずらめいた魔術ばかりを作って周囲を困らせていたらしい。今では想像もつかない姿だ。


 レイシーはウェインが使う魔術を見て、魔術はずっと自由なものであることを知った。ウェインとレイシーは一年の時を旅していたから、彼が使う少し面白い魔術を目にしたのはあれが初めてではないはずだ。でも心にまで響いたのは初めてだった。魔王を倒すための旅はいつもレイシーの心をいっぱいにして目の前のことしか見えていなかった。


 ウェインはレイシーに、新たな可能性を教えたのだ。


「音を保存、ではなくて目的は音楽を保存、ということになるんだろ。そんなの俺にもできない。できたとしても一握りの、それこそレイシーのような上級の魔法使いだけだ。音楽を聞きたいと言われればわざわざお前が足を運ぶのか? それは楽師団を派遣するのと、そう変わらないように思うが」

「だからそれを、道具として作るのよ!」


 ウェインの沈んだような声を打ってかわって、どうしても楽しく思う気持ちを止められない。口元が勝手にむずむずしてしまう。この国の人達のために。サイラスの願いを叶えるため。間違いなくそう思っているのに、心の底ではものを作ることが楽しくて仕方がないのだ。


「道具として、作ると言われても……そんなこと、できるのか? 今までのものとは話が違うぞ……」

「できる! ような、気がしてるんだけど……ええっと、とりあえずは、ウェイン、音を保存する魔術を教えてくれる? ……サイラス様、申し訳ないです、これは風魔法の亜種なので、お体に悪いかもしれません。私達は席を外します」

「問題ないよ。直接当たらなければちょっと体が痒くなる程度だ。せっかくだし見せてほしい」


 それなら、とレイシーは頷き、ウェインも仕方ないとばかりに人差し指と中指の二本の指を立てて魔術を唱える。くるくるとウェインを起点にして巻き上がるような風が生まれたが、「これ、何か音がないと意味がないんじゃないかい?」というサイラスの言葉にレイシーはあっとして、どうしようと両手をわたわた動かしている間に、「あいうえおー!!」 ガルダが元気に右手を突き出し叫んでいた。


『あいうえおー!!』

「おおおお」

「すげえ! 俺の声だ!」


 すぐさままったく同じ声が部屋の中にこだました。ウェインはふうとため息をついて椅子の背にもたれこむ。「ああ、一応術式も伝えておくか」「大丈夫。うんうん、えっと、こうで、こうで、こうね!」 呪文すらも使うことなく、レイシーがぴんと人差し指をさす。


『すげえ! 俺の声だ!』

「うあー! 二回聞くのはちょっとはずかしいっす!」

「……相変わらず恐ろしいな」


 ウェインは思わずといったように口元をひくつかせていた。一度見ただけでレイシーはウェインの魔術を寸分の狂いもなく再現してみせたのだ。


「そしてこれを、人の声ではなく音楽を覚えさせるためには……こうして、ああして……よし! できそうです!」


 たとえばだが、マッチを燃やすような小さな火を生み出す魔術と大きな火の玉を生み出す魔術とではまったく術式が異なる。新しい魔術を生み出すためには膨大な術式が必要となり、それを覚えるためにはさらに大きな根気と時間が必要になる。レイシーが国一番の魔術師と言われる所以は人生の多くの時間を魔術に費やしてきたこと、そして誰よりも多くの術式を頭の中に叩き込んでいるからだ。


 そのあまりの量の術式は彼女の中で養分となり魔術の解読、習得は追随するものはいない。噂には聞いていたけれど、とサイラスはガルダに手伝ってもらいながらぽりぽりと体中をひっかいている。風魔術に対する痒みアレルギーが出たらしい。


「……何か、こう彼女の雰囲気が違うような」

「いつものことです」


 ぶっきらぼうにウェインは返事をしていた。心の距離をあけたのかすっかり敬語に戻っている。ぽりぽり、とサイラスは体をかきつつ口もとを尖らせている。男二人は絶妙な距離感のようだったがもちろんレイシーの目にも頭にも入っていない。今は魔術のことでいっぱいだからだ。


(方法は理解できた! だから、あとはこれを魔術を使わずに再現できる方法を模索したらいいだけよね)


 だけ、といいながら本来ならそれが一番むずかしい。けれども、実はすでにレイシーには一つの案があった。ウェインから知った風魔法はレイシーの考えを補強する結果になった。むん、と拳を握る。


「サイラス様、以前、ラベールの実はトロンボンという魔物からできている、とおっしゃっていらっしゃいましたよね?」

「うううう、いい感じだ!……ん? ああ、トロンボン? そうだね」


 サイラスの長い髪をガルダが持ち上げ、ここだここだと言いながらサイラスは首元をぽりぽりしている。大変である。

 トロンボンについてはユキも知っていることだから、エハラジャ国では常識なのだ。そしてレイシーは思い出したこともある。実をならすとは知らなかったが、トロンボンの姿は辞典で見たことがあった。見たら忘れないような大きな葉っぱを頭にのせているのだ。


「トロンボンは、とても耳がいいそうですよね。それってつまり、よく音が聞こえる、という意味になるのではないでしょうか」

「ああ、そうだよ。葉っぱが、こう……円筒状なんだけど、先に向かって開いていて、丁度花のようになっているんだ。そこから音が流れ込んでくるから遠くのものもよく聞こえる」


 サイラスは王族ではあるが風魔法に対するアレルギーからあまり王宮に留まることはない。冒険者としても一家言があることは彼の身のこなしが語っている。「……で? ん? だからどうなるんだ?」 説明しつつ、それが音の保存になんの関わりがあるのかわからないのだろう。


 どんっ、と響くような音が今もレイシーの耳に残っている。びりびりと、指先まで残っているような感覚があった。太鼓という名前の不思議な楽器は、レイシーに一つの確信を授けた。


 ――音は、波だ。


「大きな音を叩きつけられると、びりびりと体が震えます」


 ハウリング、という音の魔術がある。魔物が不快に感じる音を生み出し、増幅させ叩きつける。大きな音だとわかりやすい。けれど、小さな音ならどうだろう。


「だから小さな音でも、音の波や振動は、あるはず……」


 これはおそらく、という話だ。自信のなさは声に表れてしまう。けれど試さないことにはわからない。じゃあ次の問題は、どうやって試すのかということだ。「実験、したら、きっと」 か細くぽつりと呟くレイシーの声をウェインがすくい上げた。「実験?」 どうやって、という話だ。もちろん、なんの考えもなくこんな突拍子のないことを言っているわけではない。


「トロンボンの葉っぱを使うんです」


 きらんとレイシーの瞳がほんの僅かに輝いた。ガルダがにゅっと顔を出して首を傾げていた。



 ***



「す、すす、すげーーー!!? ええ、すげぇー!!!」

『すげぇー! すげぇー!』

「これで、なんとか……なんとか……!」


 びくびくしながらも行った実験は成功だった。音の質は悪いがガルダの声が繰り返されている。トロンボンの葉っぱで音を集めて、先に針をつける。取っ手をつけてくるくると回すことで手動で回る筒を作り、筒の周囲には蝋を塗った。音を聞かせながら取っ手を回していくと声の振動に合わせて針で溝が刻まれていく。さらに刻まれた溝を再度なぞると同じ音が聞こえる。音を記すという意味で、これをレイシー達は『録音』と名付けることにした。


「音には波があって、それは大きな声には大きく、小さな声には小さいから刻まれる溝の深さが変わるんです。こうして道標を作ってやれば、同じものを再現できます」

「……これは、なんというか、すごいな。音の保存の魔術を作ったのは俺だが、まさかこんなことに流用できるなんて考えつかなかったな」

「私は、説明されても正直よく理解していません」


 ウェインは驚きながら瞬いていて、ユキは逆に眉と眉の間のシワが深くなっている。ガルダは無邪気に喜んでいたが、サイラスは妙にそわそわしているようでその姿はどこか何かを思い起こさせる。


「なあレイシー、これは音質がよくないな。もっと改良できるんじゃないか?」


 そしてぱっと顔をあげて、サイラスは提案した。少し反応が遅れたが、レイシーも感じていたことだ。頷いて返答する。


「そう……ですね。トロンボンの葉っぱをもっと硬質化させた方がいいかもしれません。あとは、ええっと」

「この筒だが、そもそも筒の形にする必要はあるのかな。もっと平べったく円形のものにすれば表も裏も使えるようになって便利なような気がする」

「確かにそうですね。手動というところも難点です。録音するときは一定のペースで回さなければ意味がないですし、さらに再生するときもまったく同じ速度でないといけません。手先が器用で、かつ慣れた熟練の人でないと扱いが難しいのなら誰でも使えるという目的から異なります」

「そもそも手動ではなく、自動でする必要があると思うね、僕は。あとはこの針だ。音質を上げるためには刻むものにもこだわった方がいいんじゃないか? もっとなめらかに、スムーズに動くものがいいな」

「……はい! たしかに……!」


 サイラスが話せば今度はレイシーが。ぽんぽん重ね合わさっていく。なにかを思い起こさせると感じたが、その何かはどうやらレイシー自身だったらしい。サイラスもレイシーと同じようにものを作ることに喜びを感じるようだ。会話をすればするほど、そのことがよくわかる。


「つまり、するべきことはこの『録音』道具の形を考え直して、かつ自動式にすること。そして蝋をうまく掘り進めることができる針の形の模索か……!」


 サイラスは自身の顎をくすぐりつつ、緩む口元を押させているような声を出している。

 いつの間にか彼はレイシーから主導権をとっていってしまったようで、レイシーはきょとんとして拳を気合で掲げたまま瞬きを繰り返した。「あっ。悪かった、僕が口出しすべきことじゃないな」「いえそんな」 まったくなんてことはない。


「行き着く先が同じなら、だれが、どんな形でも問題ないと思います。がんばりましょう!」


 おう! と意欲のある返事が重なっていた。できるだけ早く、この『録音』を人々に届けたいと、そう願う。

 レイシー達は朝も昼もなくなるくらいに調節作業に熱中した。魔石を組み込み、ああでもない、こうでもないと話し合って、遠ざかったり、近づいたり。少しずつ変化させていく。


 頭の中にすでに形が思い描いていた。だからなんとかなる、と思っていたのだが、レイシーの背中から冷や汗が流れる瞬間はそれからすぐにやってきた。自動式への変更は磁石の動かす力を増幅するように魔石を練り込み、円筒は円盤に変更することでなんとか形になってきたが、問題は円盤の上を滑らせる針だった。スムーズに動くためには摩耗せず、けれども硬すぎずというイメージ通りのぴったりな素材が必要なのだが、中々これだというものが見つからない。


 サイラスとガルダは王宮を行ったり来たりであるため常にいるわけではない。そしてウェインは材料の調達に消えてしまった。つまりである。今現在この場にいるのはレイシーとユキのみで、ユキは無言で机の上に広げた素材達に目を向けているが、相変わらず視線が鋭い。ギン、とした眼光は力強く、いつもどこか怒っているようにも見える。きっと彼女には溢れかえんばかりな苛立つ気持ちがあるのだろう。だってこんなのユキの仕事に対して契約外だ。


 無言が怖いし、別に無理に手伝わなくていいんですよとうまく伝える技力もない。そしてユキの気持ちを受け入れられる自信もない。レイシーは岩やら宝石やらと針にするため試すための素材を握りしめつつ、椅子にもたれかかって死んだ。無言に耐えられずに死んでしまった。

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