第73話

 

「さて、難題だな! エハラジャ国、そしてこの街のよさを暁の魔女殿にとくと突きつけねばなるまいね! 以前よりも活気はないが、それでも十分にすばらしい街なんだよ。せっかくだ、夜を通して遊び狂おうじゃないか!」

「あ、遊び狂うって!」


 ――こんなことをしていて、いいんだろうか。


 腕を引っ張られて、ぐんぐんと街の中を進んでいく。「ま、待ってください!」 大股で進むサイラスの後ろを必死で小走りに追いかけた。


(ウェイン……ユキさんも、今頃驚いているかも)


 常日頃からサイラスの周囲をひっそりと守っているらしい魔法使いの青年が店番を買って出てくれたが、レイシーの胸の中はもやもやと感情が渦巻いていた。こんなことをしている場合ではない、と思う。でも、ウェイン達のことは正直ただのきっかけの一つだったのかもしれない。何をするにも焦るような感情がレイシーの中でぐんと根を伸ばしていて、どんどん重たく縛り上げていくようだった。まるで地面が見当たらない。


 足音にほたほたと落ちる、小さな星のようなもの。いつだってレイシーはほのかな明かりを探すようにほんの少しずつ歩いてきた。でも、前ばかり見ていたから、ふとしたとき振り返ってしまいたくなった。たくさん、たくさん前に進んだ。そう思っていたのに、実はずっと同じ場所で足踏みをしていたのではないかと後ろに引っ張られていく。


 デート、と言われたときは驚いたが、まさかそのままの意味ではなかった。あのまま店にいたとしても、きっとレイシーはうじうじ悩むばかりでそれこそ時間を無駄に過ごしていただろう。だからサイラスが気を遣ったのだということはわかっているけれど、外に出たとしても“もったいない”ように感じてしまう。過ぎていく時間はどちらも同じはずなのに外に出ていると不安になる。


「サイラス様、すみません!」


 非力ではあったが、レイシーは引っ張られた腕と一緒にざりざりと土の上でふんばるようにサイラスを止めたようとした。魔術ではなく剣を得意とするサイラスの腕はみかけよりもずっと重たくてぴくりとも動かない。それでもレイシーの意思を無視して無理やり連れて行く気もなかったようでやっと振り返ってくれた。すでに日は沈みかけて、オレンジの光が振り返ったサイラスの顔半分を染めている。長い影が伸びていた。不思議と、寂しいような気持ちになった。そこもかしこも夕焼けに染まっているから、そう感じたのかもしれない。


「……サイラス様、申し訳ないです。やっぱり帰らせてください。すみません」

「気分転換として、というのはどうだろう。たまには外の空気をしっかり吸った方がいい」


 僕が外の方が好きだという理由もあるんだがね! とぱっぱと明るく両手を横に開いてごまかしてはいるが、やっぱりそうだ。飽きてきたから遊びたい。そんなことを言う人ではないことは、この一週間と少しで嫌でも思い知った。「お気持ちだけで十分です」 レイシーはゆっくりと口元を緩ませて、サイラスに手のひらを放してもらった。ありがとうございます、と丁寧に礼の言葉を付け足し、自身が思うことをそっと確認していくようにサイラスに伝えていく。


「行き詰まって、何も進まないのはたしかによくないと思います。でも、今は店に戻って、まずは現状を整理させてほしいんです」


 いきあたりばったりではなく、きちんと考えて少しずつ進みたい。前に歩いているかもわからないような下手くそな一歩だろうけれど、考えて、考えて、考え抜いて、自分で納得して進んでいきたい。自分でどうしようもないくらいにうまくいかないときは、息ができないような苦しさがある。真っ直ぐに魔術のことだけを考えて生きていたときは苦しいなんて思わなかった。考えたら考えるほど大きな水の中にもぐっていくようでどこまでだって手を伸ばすことができたのに。


 じゃあ、今の苦しさが嫌かといわれればそうではない。この先に何もないんじゃないかという不安だって重たくて、ずっしりとして今すぐにしゃがみこんでしまいそうだけど。


 でも、先に行かなきゃはじめから何もわからない。


「考えさせてください。知るために、考えたいだけなんです」


 逃げるのではなく、前に進むために。


 なるほど、とサイラスは頷いた。

 こうしてレイシーとサイラスが向き合っている間にゆっくりと日が沈んでいく。昼間よりも少しずつ街に人の姿が見えてきたとはいえ、クロイズ国の王都とは比べ物にならないくらいの寂しさだ。なぜこんなにも寂しいのだろうと思ったら、人の声がなかった。いらっしゃい、と客をひく声。こんにちはと挨拶をする声。楽しそうに子供達が遊び回る声。その全てまるで記憶の中のようで、一つの静寂は二つ、三つをひっぱってくる。


 サイラスに引っ張られながらやってきて、今は自由になった片手に知らずに力が入った。ぐっと拳を握りしめて息を飲み込む。


「……きみが、僕が願っていた以上にこの国のことを考えてくれているということは十分に理解しているよ」


 静かな声だった。

 レイシーよりもずっと背の高い青年が、眼前に立っている。いつの間にか暗くなってしまって、表情はよく読み取れない。彼の長い髪が風の中に揺れて、とっぷりとオレンジに染まって、そうしてゆっくりと沈んでいく。


「だからね、ただ知ってほしいだけなんだ。道具を作る、作らないではなく、僕が好きな常夏のこの国を、レイシー。きみに知ってもらいたい」


 そう願っているだけなんだよ、と囁かれてもう一度指先をすくわれた。あんまりにも近いから、慌てて息を止め、わずかにレイシーの頬は色づく。そのときだ。暗闇が一度に吹き飛んでしまったかのように、光がレイシー達を照らしていた。「え」 瞬く。周囲を見回す。サイラスの手のひらはすぐに弾いた。


「一体、どうなってるの……?」


 街の中は大勢の人の声があふれていた。もちろん、それでもクロイズ国の王都とは遠く及ぶことはないが、先程までが嘘のように、多くの店の軒先にはランプがたらされ煌々と輝いている。通常のランプでは考えられないような光量だ。ざわつき、わずかな活気すらも感じた。風通しをよくするために開けっぴろげられた食事処からは、かつんとグラスを合わさる音が聞こえる。


 右に、左に顔を動かしレイシーは瞬いた。まるで先程と同じ街とは思えない。

 見るとサイラスはしてやったりの顔をしている。


「僕も、色々したと言っただろう。その一環だ。通常の倍の光量になるランプを作ったのさ。日が陰れば少しは暑さもマシになるが、暗くては何もできない。それなら夜を明るくすればいい。夜の全てを覆うとなると難しいが、短時間なら少しの活気を取り戻すことができた。クロイズ国で、きみが作ったという保冷温バッグを見て思いついたんだ」


 ランプから感じるのは光の魔力だ。昼間の光を吸い込んで、夜に吐き出す。夏に暑さを吸い込み、冬には保温を、というように吸い込むものと吐き出すものが違うだけで原理は同じだ。「結局、昼間と同じようになるのは短い間だけどね」 サイラスが呟くと同時に、自然とランプの光が小さくなり、それとともに人々の声も聞こえなくなっていく。夜は家や店にこもっていたからまったく気づかなかった光景だ。


「自分が作ったものから別のものをとなると、不愉快になるかもしれないと思ってね。今まで伝えてはいなかったんだけど」


 無言のまま口を閉ざすレイシーを見たからか、やっぱり嫌な気分にさせたかな、と問いかけられてしまったから、慌てて首を振った。むしろ、その逆だ。レイシーが知らない場所で、自分が生み出したものが独り歩きをしていく。それは――とても、素晴らしいことのように思えた。


「う、嬉しいです!」

「それならよかったよ。きみが作った光の下で、僕達エハラジャ国の住民は生きている。気分転換、暇つぶし。さて、そんなものはただの言い訳だな。僕は純粋に、この国と街を、きみに知ってほしい」


 どうだろう、出された手のひらは何度目のことだろう。そのときどうやってサイラスの手を掴んだのか、正直なことをいうとレイシーはよく覚えていない。ただ引っ張られるような引力を感じた。


 レイシーはサイラスとともに夜の街を歩き、覗き見る程度では知らなかった人々の生活を知った。食事は冷たいものよりも汗が吹き出るような熱いものを。昔からそうだったから、今更生活を変えることはできないと苦笑する人々は、冷えたエールをあおって喉をならした。熱くて、冷たい。一番の組み合わせだ。


 昼間の光を取り込んだランプの明かりも少しずつ小さくなっていったが、家の中ならば明かりの量を調節することで長持ちするようだ。サイラスと忍び込んだ屋根つきの大きな劇場の中では人々は舞台や、音楽を楽しんでいた。これもサイラスが提案した余暇の一つだ。大きな樽の側面に乾燥させた牛の革をかけた楽器はとても不思議な響きだった。どん、どん、と棒で叩くごとに室内を揺らして音の波が襲って、レイシーの心臓をどきどきさせた。


 昼間とは着るものも違うらしく、人々は薄い布地のものを選んで着流して、夜の闇の中でも目出つように色合いも鮮やかで美しかった。

 誰もが工夫をして日々を生きているのだ。


「――これが初代国王の像だ。どうだ、僕に似ているだろう」


 十分過ぎるほどに街を回り、レイシーとサイラスが最後にやってきたのは誰もいない広場だった。

 もしこれが昼間だったなら本来は店が所狭しと並んでいるのだろうが、今は閑散としていて、ぬるい空気が頬を撫でるだけだ。

 明かりも遠くでうっすらとしている程度だから目を凝らさなければ見えづらいのだが、像を見上げてみるとたしかに自信に溢れたような顔つきはサイラスとよく似ている。


「この国に厳密には王族はいない、ということは伝えたと思う。王は世襲制ではないんだよ。一番強いものが王になりえる。騎士であり、強きものであった初代国王が掲げたことだ。僕達は今もその言葉を守っている」


 多くの人々が守り、国を育て、大きくさせたのだろう。人々に愛された像を見に来るものは今や誰もいない。あと数週間ばかりの辛抱だと言えばそれまでのことだが、奇妙にぬるい風も寂しく感じる。


 からん、ちりん、からん、どん、どん、どん……。


 音が響いていた。実際に聞こえているわけではない。劇場で聞いたこともない楽器の音の波にぶつかって、いまだに指先がしびれていた。心臓の音のようにも思えた。レイシーがサイラスに渡した風鈴が、ちりん、ちりんと軒先で揺れて聞こえた涼やかな音が耳の奥に残っている。


(……ついこの間、この街に来たばかりの私に、できることなんて数少ない)


 もしかしたら、一つもないのかもしれない。そう思うのに、どくどくと心臓が脈打っていた。(ラベールの実、不思議な楽器、音の力……) 静かに、一つひとつがレイシーの中で絡み合っていく。何もできないのならば、何もしなくてもいいのではないだろうか。


「……そうか。無理に新しいことを、するんじゃなくて」

「なんだ。何か思いついたのかい」


 ウェインの前のように、勝手に独り言を口に出してしまっていた。慌てて手のひらで口を閉ざしたが、サイラスは特に気にしてはいないようでくすりと笑いながらレイシーの黒髪を一房すくう。何事かと思った。「きみは、とてもまっすぐなんだな」 触れられた箇所に熱さを感じるのは多分気の所為ではないだろう。返答を口にしようとして、困って、一歩逃れようとしたときだ。「レイシー!」 誰もいないはずの広場で、駆けてくる影があった。


「ウェイン」

「おっと」


 名前を呟くとサイラスがそっとレイシーから距離をあける。

 ウェインが来たことに対して驚きよりも、ほっとしていた。ウェインはこの暑さの中だ。汗だくになっていて手の甲で額をぬぐって、それからゆっくり息を吸い込んだ。大きな声を出そうとしたのか、息を吸って声を出そうとして、結局彼は静かにため息をつきながら、「さすがに、遅い。時間を考えた方がいい」 レイシーに言っているというよりも、サイラスにも小さな棘を向けているようにも見える。


「ウェイン、きちんと伝えていなくてごめんなさい、ユキさんにも謝らなきゃ。サイラス様に街を案内してもらっていたのよ」

「それは知っている。王弟殿下が見知らぬ子供を連れ回していたってそこの飲み屋で聞いた」

「……子供では、ないと思うけど」

「そうだな、子供じゃない。だから心配した」


 会話の脈がつながっていないように思うから、レイシーは瞬いた。そうこうしている間にがっちりと手首を掴まれた。痛くはないが、妙に熱く感じる。ウェインの温かさだと思うと、遅れて心臓が痛くなってくる。「サイラス様、それじゃあ失礼しますよ」 ウェインらしくもなく、冷淡な声だ。こちらにも向けられているのだろうかと一瞬で心も冷えて、レイシーの肩まで小さくなってしまう。


「うん。彼女を連れ回したことは悪かった。謝ろう」

「……店番はもう王宮に戻っています」

「そりゃよかった。時間外の労働分の賃金が増えるところだった。なあ、レイシー! また明日!」


 ウェインの双眸が鋭くサイラスを貫いていた。けれどもサイラスはへらりとかわして、「いいことを思いついたんだろう? ぜひ聞かせてくれよ」とにっかりしている。


「あ、えっと、はい……」

「うんうん、それじゃ!」


 と、いいつつ、サイラスは動かない。レイシーとウェインを見送っているつもりらしい。気持ちよくはたはたと片手を振っている。軽く会釈をした。そして背中を向けてウェインとともに去っていく。「なあ!」 また、声をかけられた。けれどもこれはレイシーではなかった。声をかけられたとき、名前を言われなくても誰に対してだったのか、案外わかるものだ。


 ウェインは、眉をひそめながらもゆっくりと振り返った。

 サイラスは表情を変えずにウェインに顔を向けている。


「――お前は、レイシーの保護者か何かか?」


 すぐに返答する言葉はなかった。「さぞ、甘やかしたいんだろうな」と笑うような声が夜の闇に吸い込まれていく。じんとするほどに重たい空気だ。





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