第70話

 

「いやおい、いや、ん? おいおい」


 結婚しないか。レイシーの手のひらを握りしめながらのサイラスの唐突な誘いに、まず反応したのは本人ではなくウェインだった。まて、と言いたげに口を大きく開けて、サイラスとレイシー、二人を見て状況を確認し、瞳をつむる。そして眉間をぐりぐりと親指で押さえた。


「……結婚?」

「ああ、そうだ」


 サイラスはにっかり笑っている。そしてはじめとは随分口調も変わっているように思うので、彼なりに猫をかぶっていたのかもしれない。

 聞き間違いではなかった。握りしめられた手のひらはそのままに、レイシーはまるでおもちゃのように再度ゆっくりと呟く。「けっこん」 なんだか現実味がない。なんせこれは普段レイシーの頭の中にはない言葉だ。もちろんそれがどういうことなのかは知ってるし、花嫁を祝ったことはある。でもあくまでもそれは他の人で、自分に対してではないし、考えたこともない。うむ、とサイラスは自信たっぷりに頷いている。


「そうだ、僕と結婚しよう」


 ――お断りします。


 間髪入れずに答えようとして、まず、事情を聞いてみようと思った。あまりにも唐突すぎて、何か事情があるのかもしれないと思ったからだ。「どうしてですか?」 がたがた、と背後ではウェインがずっこける音がしたが、振り向かずにサイラスを見上げると、彼はうむうむ、と口元をわくわくさせるようにしてレイシーの手を握りつつ激しく上下に揺らしている。ぶんぶんしている。


「君が大変優秀な魔法使い、ということはすでに理解していた。けれどもそれ以上に、優秀な魔道具師であり、信頼できる人物であると先程の会話で感じた。これは、なんというか、とても稀有な才能だ! ぜひとも我が国に来ていただきたい!」

「それは、人材確保のためのプロポーズという認識で大丈夫でしょうか……?」

「その通りだ!」

「お気持ちだけ頂戴できればと」


 ご遠慮します、という言葉をぺこりと頭を下げつつ遠回しに伝える。レイシーのことをそれほど買ってくださっていることはありがたいが、返事は一択しかない。「いや待ってくれ」 サイラスは顔をきりっとさせて、さすがは異国の王族らしく、自身との結婚に対してのメリットをつらつらと語り始めた。


「まず、僕には地位がある。そして金もある。見たところ、レイシー、君はものづくりが大好きなんだろう? 僕は君を全面的にバックアップしよう。手に入りづらい道具でも材料でも、様々なつてを持っているからな。安心してほしい。そしてもしかすると僕が王族ということに気兼ねしているのかもしれないが、そこは問題ないぞ! なんせ僕の継承権は次の、さらに次だ。重たい責任は甥っ子が担ってくれている。なのでレイシー、君は僕のもとに嫁入りしてくれれば、ものづくりだけに専念できるんだ! さて、以上のことを踏まえて、考えた結果は――」

「お断りさせていただければと思います」

「そうなったかー!」


 あちゃー! とサイラスは自身の額をぺしんと叩いている。なんだか楽しそうだ。とりあえずレイシーもサイラスに握りしめられていた自分の両手が自由になったのでぷるぷると揺らしつつ一歩引いた。やっぱり本気じゃなかったか、とほっとしつつも時間差で心臓がびっくりしてきた。なんとか冷静に断ることができてよかったと思う。


「とりあえず僕との婚姻は前向きに検討してもらうことにしておいて」


 想像よりまったく断ったことになっていなかった。「えっ!? あの」 待ったとレイシーが声を上げる前に、「それなら、正式な雇用契約をさせてほしい。君は信用できると判断した。この国は現在窮地に立たされている」 いきなり神妙な声をされるから、何も言えなくなってしまった。


「……窮地、ですか?」

「ああ。街の現状を見ただろう。たしかにエハラジャ国は、クロイズ国風に言えば、ほとんどが夏の国だ。年がら年中暑いことは当たり前なんだが、暑すぎるんだよ。昼間は熱気が激しくて外に出るものもほとんどいない」


 人っ子一人いない、がらんとした通りを思い出した。街が動き出すのは、日差しが強い時間帯である昼をやっと過ぎたくらいだ。もちろんこれが単純な暑さでないことに、レイシーも気づいてはいた。首都のガルーダラに入ってすぐにあまりの風のおかしさにすんと匂いをかいでしまったほどだ。どこぞから風が流れ、街中に熱の魔力が渦巻いている。攻撃を受けている、というほどではないが、これが長時間続けば、体調や情緒が不安定になり支障をきたすものもいるだろう。


「……なんといいますか、熱の魔力を受けている、というよりは、風で温度を吸い取られて運ばれている。そんな印象を受けました」

「さすがだな。この街の、隣の、さらにその隣の山にはどでかい氷山があるんだよ。エハラジャ国が常夏の国と言われているのは、その氷山が国の温度を吸い取っているんだ。……そして年々吸い取る量が増えている。そこのきみ。見たところ、多分きみはこの国の出身だろう」


 静かにレイシー達の会話に耳を傾けていたユキに、サイラスは片方の手でさらりと肩の髪を払いつつ、反対の指をぴんと向けた。「え、ああ、はい」 いきなり言葉を向けられたことに驚きつつもユキは頷く。「そうです、この国で生まれました」「どうだ。君の記憶よりも、この国は暑いだろう」 ユキはしばらく考えたあとに、こくりと頷いた。


 つまり、とサイラスの依頼も見えてきた。上がり続ける気温に、風が薄くなっていることで強すぎる日差しが直接肌を焼く。常夏の国で生まれ、もとは暑さに強い住民達も、魔力がこもった空気の中にいるとなると話は別だ。疲弊する民を前にして王族である彼が考えることは一つ。


「氷山を原因とする気温の低下を止めること……」

「と、いうのは僕が旅の途中、原因を突き止めたのでなんとかなっているんだが」


 ずやり、と決め顔を作って神妙に声を出した後だったから、レイシーは恥ずかしさに身悶えするかと思った。とりあえず唇を噛み締めてなんとか平静を保つしかない。ウェインからぽんと肩を叩かれることで逆に羞恥が増したような気もする。


「氷山がエハラジャ国の冬を奪っているのは昔からのことだ。それは問題ないし、暑さに打ち勝つことでこの国は大きくなった。けれど近年の気温上昇については別だ。原因もすぐに解明することはできなかったんだが、やっと紐解けたのは半年ほど前のことだ。魔王が生まれたとき、各国に魔物が急激に増えただろう。エハラジャ国でも例にもれずだったんだが、増えた魔物の内、スノーラビットの増殖が気温の上昇と無関係でないということに気づいたんだ」


 スノーラビットとは真っ白な体に赤い瞳、そして長い耳がウサギに似ているがまったくの別物で、額から伸びた鋭利な角はユニコーンよりも鋭く、小さな体をしているくせにすばしっこく凶暴だ。


「僕がある国を旅していたときに知ったことだが、スノーラビットは肉以外にも冷気を食うそうだ。あいつらは氷山に住み着くことで、氷山がエハラジャ国から吸い取った冷気をさらに食べていたらしい。そのことに気づいた僕はすぐさまスノーラビットの討伐に挑み、現在は腕利きの魔法使い達を氷山に派遣して、以前と同じような温度上昇に留めるために魔方陣の形成を行っている。いやあ! 伊達に旅はしていないだろう!」


 サイラスはびしりと二本の指を立てて勝利を主張しているかのようなポーズだが、めでたしめでたし、である。レイシーが登場する出番はまったくないようなので、帰ってもいいだろうか。そろそろティーをふわふわしてノーイともふもふしたい。


「いや待て! ちょっと待ってくれ! 魔法使いを派遣したはいいんだが、通常の状態にまで戻るにはまだ時間がかかりそうなんだ。だいたい一ヶ月ってところだろうが、そうするとこの国でもさらなる夏の真っ盛りだ。市民達にも残り一ヶ月の我慢だと伝えているけれど、あと一歩というものが人間一番苦しい。そうだろう?」

「そう、ですかね……」


 レイシーは集中するといつも最初から最後まで突っ走ってしまうのでよくわからなかったが、自分が何もできずに、ただ待つだけという行為が苦しいということはなんとなくわかる。今まで堪えてきたからこそ、限界が来てしまうということはあり得る話だ。


「魔方陣を構築するまでの、あと一ヶ月を耐えるだけ、と言いつつ正直もう手詰まりなんだ。僕達王族も色々と手を尽くしてきたつもりだ。祝い事として人々が楽しめるように、キーファとアリシアとの婚姻をわざわざ時期を早めて行ったりね。空間にこもった魔力は気温を上昇させる以外にも、人間の心の熱を奪う。喜び、楽しむような気持ちはすぐに冷え切ってしまうのさ。――だから、僕は君を呼んだ」


 サイラスはさきほどまでと打って変わって、真摯な瞳をレイシーに向けた。


「レイシー・アステール。暁の魔女。君の魔道具はクロイズ国にて熱狂的な支持を受けていると聞いた。どうか、この国の人々の心を温かく、また楽しい気持ちを与えるために、君の道具をエハラジャ国に広めてほしい。礼はもちろん弾む。まずは、先程の風鈴と日焼け止めを買い取る話から始めたい」

「……賃金については、お話が終わった後で結構です。エハラジャ国の人々を楽しませる魔道具の作成と流通。お話、お引き受けさせていただきます」


 今度こそ、と握った手のひらは一方的なものではなく互いに力強く握りしめた。サイラスは、ほっとしたように笑った。肌がきめ細やかだからか、見かけよりも若く感じるような、そんな笑い方だ。けれども次に口を開いた言葉は、レイシーにとって決して喜ばしいものではなく、「何? 金は後でも構わない? それは商売として成り立つのか? 材料費は? 言っておくが自身の労働もタダじゃないんだぞ? 人件費というものも発生する。それを計算に入れていないのか? あん? 考えたこともなかった? きみはふざけているのか?」「ひ、ひ、ひー!!」


 お金のことは苦手である。プリューム村でもアレンに助けてもらってばかりだった。

 まずは日焼け止めの材料費、制作時間からの人件費の計算と行ったこともないような式をサイラスはつらつらと書き連ね、全てが終わった頃には日も暮れる頃になっていた。レイシーは真っ白になっていた。



 ***



「……なんで、あんなに私は怒られたんだろう……」

「エハラジャ国は、他国との流通も盛んで、王族といえど根っからの商売人の国ともいえますから……」


 宿という名の借りた家にとぼとぼ戻りつつ、レイシーが呟いた言葉にユキが解説をしてくれた。「先祖が騎士でも遠い昔のことだろうし、その間には金がなくちゃやっていくこともできなかったのかもしれないな」 長い歴史の中で変わらないこともあれば、変化しなければ前に進むことができないものもあるのだろう。


 レイシーとウェイン、そしてユキの後ろには、長い三人分の影が伸びている。街の人々も昼間よりもちらちらと家から顔を覗かせていた。日が落ちた今からが彼らの時間ということになるのだろうが、先程のサイラスの話を聞いた後では、どこか重たげな表情のようにも感じる。


「私の道具を、この国で流通させる……」


 氷山は国から冷気を吸い取り、気温を上昇させる。そして残った魔力は、相反するように心を冷え込ませる。街の人々の冷えた気持ちを温かくさせるために、楽しく思うものを作る。

 自分に、できるのだろうか。


「……あと一ヶ月。依頼は受けていないけど、できることならそもそもこの期限を短くできたらいいけど、半年前から魔方陣の準備をして、発動の時期を逆算すると……下手に私が手を出せば全部が台無しになっちゃう。それならやっぱり」


 覚悟を決めたように、すい、と息を吸い込んで、ぐっと息を止めて、「とりあえず、考えるのは明日からにしろよ。お前、ここ数日寝てないぞ」 ウェインに思いっきり釘を刺されたので、レイシーは慌てて息を吐き出した。やることが決まったとなるととにかく今すぐにでも飛び出したくなるのは彼女の悪い癖だ。


「わかったな?」

「ん、ん、ううんぐ」

「まずは飯を食え。ほら、あそこの店の分を買ってきてやる。待っとけ」


 さっさと店に入ったと思うと、あっという間に戻ってきてユキとレイシーに食事を手渡す。相変わらずお節介が強い。それはいつものことなのだけれど、大きな葉っぱに包まれてほかほかと温かい串焼きを見つめつつレイシーは首を傾げた。「ウェインの分は?」 三人分というにはどうにも数がおかしい。


「俺は少し行くところがある。こっちに来てから、中々きりのいいところまでとなると難しかったからな。少しくらいいいだろ?」

「少しじゃなくても、もちろん大丈夫だけど。行くところ……?」


 ウェインは今までつきっきりでレイシーの作業を手伝ってくれていたのだ。だから止める理由はないが、てっきりウェインもこの国は初めてなものだと思っていた。一体どこに行くのだろうかと少し不思議だ。


「……なあ」


 手に持たされた葉っぱから視線を上げてウェインを見ようとすると、彼はすでにレイシーをじっと見下ろしていたらしく、どきりと心臓が跳ねた。ウェインが何かを言いかけて、それをレイシーが待った。そうしているうちに、段々我慢ができなくなってきた。レイシーが手に持っている串焼きと葉っぱがぶるぶる震えだしてしまっている。ウェインと見つめ合うと、とにかく緊張してたまらないのだ。


 なんとも言えない間が流れて、「いやいい。じゃあな。食べておけよ。ユキもな」 じゃあ、とウェインは手を振って体を翻した。「えっ、いやいいって。何が? 気になる! なんだったの!?」 中途半端に言いかけることはやめてほしい。


 いやなんでもない、ともう一回否定しつつウェインはさくさくと長い足で歩いて消えてしまった。絶対なんでもある。

 人通りも増えたといっても真っ昼間と比べればという程度で、やはり活気がない街の通りの中、レイシーとユキは手の中に串焼きと葉っぱを握りしめつつ呆然と二人並んだ。


(えっ……二人きり……)


 今度は別のことにレイシーは焦り始めた。

 この一週間、ユキと二人きりなるなんて数えるほどだ。唐突に激しい緊張がどこどこと降ってくる。多分好かれてはいない、そう思う人と会話できるほどレイシーの中に人生経験は眠っていない。


「あの」

「ヒッ!!!」

「勝手ですよね」


 なのにいきなり話しかけられてしまったので飛び上がった。隣に立つユキを勢いよく首を横にして確認して、言われた言葉を反芻する。びっくりしすぎて音でしか頭に入っていなかったので、数秒経ったのちに、やっと理解できた。「かか、勝手って何がですかかかか」 悲しいことに声が震えていた。魔術、魔道具、ものづくり。そこら辺の話題をレイシーから引っこ抜くと、彼女は未だにただのびびりな人見知りである。自分の不審さは自分が一番わかっていたのだが、ユキは特に気にしてはいないらしい。それがレイシーへの興味のなさからくることなのか、もともとの性格なのかは不明が、ありがたかった。


「勝手って、ウェインのことですか……? でも、ずっと手伝ってくれていたし」


 すでにもう見えないが、去っていくウェインの背中を見てユキが呟いた言葉だったので、てっきりウェインに対してなのかと思ったら、「いえ、サイラス様のことです。レイシー様の力を得たいからと、婚姻を望まれるなど、女性に対してひどい話かと思います」 えっ、それのこと? とレイシーはぱちぱちと瞬いた。さらなる想定外である。


 ユキは相変わらずレイシーとは視線も合わせずにウェインが消えた先を見送るように見つめていた。


「あの……サイラス様はともかく、私に対してはレイシーと呼んでいただくだけで十分なんですけども……とても今更なんですが……」

「ウェイン様も気の毒です。ダナ様がおっしゃる通りでした」


 自分の中の信念があるのか、レイシーからの台詞はぴくりとも耳に入っていないらしい。とりあえずレイシーは即座に諦めることにした。こういったことにはレイシーは諦めが早い。逃げたとも言う。


 とにかくユキから話しかけてくれたのだ。会話を続ける努力をしたいと考える程度にはレイシーは成長している。微々たるものだが。


「あの、サイラス様が勝手とのことですが、さすがにアレは冗談だったと思いますよ」


 レイシーに結婚しないかとプロポーズしたことだ。

 すでにサイラスがレイシーにつけていた監視の気配はない。けれども王族に関する話だ。周囲には聞こえないように、と自然と声をひそめてしまう。たしかに冗談としては悪趣味だったが、笑い話のようなものである。へらりとしつつ返答すると、ユキは静かな瞳をそっとレイシーに向けた。思わず気圧されたように、レイシーはわずかに後ずさりする。


「冗談、ですか」


 言葉を確かめるように、ゆっくりとユキは繰り返した。こわごわとレイシーは頷く。「……でも結局、サイラス様は否定してらっしゃいませんけど」「いや、それは」 ……そうなんだろうか。たしかに前向きに検討を、と言う言葉で締めくくられていた。


「……そんなことは、ないのでは」


 ないというのは一体何が、とか。そんなこととは、どんなことだとか。互いにそれ以上何も言うこともできず、ただ長くなる自身の影を見つめた。頭の中では、『だはは』とサイラスが笑っているようだ。


 うだるような暑さは夜になったところで少しマシになるだけだ。とりあえず、手の中の串焼きが、ほかほかと温かかった。



 ***




 その頃ウェインは同時刻、「自分にも、暁の魔女様に会わせてください!」と土下座をする青年を前にしてため息をついていた。


「会わせてくれって、お前な……」

「お願いします、お願いしますよ隊長ォー!!!!」

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