第69話
ラベールの実の種をみんなでちまちまと楊枝でほじくり出す。なんとも地道な作業だったが、ダイニングのテーブルに敷いてきた紙を横にどかせて、レイシー達は備え付けの椅子に座りつつ、テーブルの上のお椀の中にラベールの実と種を分けてどんどん積み上げていく。
「……これは、どれくらいやっていくんだ?」
「まだまだ、足りないからもっともっと」
「最初は冗談だろと思ったけど、段々癖になってくるな」
「でしょう」
ウェインが苦笑しつつも素早い手の動きで作業を終えていく。コツをつかんだらしく、最初よりもずっとスピーディーだ。もしかすると、レイシーよりも量をさばいているかもしれない。ユキも黙々と手伝ってくれている。彼女の仕事はレイシー達をエハラジャ国に連れて行くこと、あとは文化の違いでわからないことがあればサポートすることだ。エハラジャ国出身の彼女が近くにいてくれるだけでも心強いのに、こんなことまでさせて申し訳ないばかりだ。
本当にいいのだろうかとレイシーはそっとユキを覗き見たが、案外ユキもウェインと同じく、まんざらでもなさそうにちょこちょこと楊枝を動かしている。とりあえず、手が増えることはありがたい。
ラズベリーと同じ色をしたラベールの実をそのまま潰して使ったら、べたついたジャムを頬に塗るようなものだ。頬や塗った手のひらが真っ赤な色になって大変なことになってしまうし、つけ心地も悪い。それなら、ラベールの種を使ったらどうだろう、と考えたのだ。実と種に違う効能がある可能性ももちろんあるが、とりあえず試してみないことには始まらない。
これでいいのだろうか、ともやもやとする気持ちはある。けれども今はとにかく手を動かしていたかった。
「わける量はこれくらいかしら。あとは、えっと……」
借りたすり鉢をどんと置く。「本当は、石臼の方がいいと思うんだけど」 レイシー達を監視していた魔法使いに確認したところ、そこまではさすがにすぐに準備ができない、と困っていたので諦めた。さて、と山盛りになったラベールの実にレイシーが手を伸ばすと、「すりつぶすのか」とウェインがこちらに確認したので、うんと頷く。そして実ではなく、とった種の方をざらざらと鉢に入れた。
「種!? いやそっちの方なのか!?」
「うん。うん? そりゃ、実を使ったら色がついちゃうもの」
そういえば、ウェイン達にはきちんとまだ説明していなかった。一応ユキに、「種を使う日焼け止めはありますか?」と確認してみたところ、「そういったものは、聞いたことはないです。ただ私がこの国を出たのは幼い頃なので、知らないだけかもしれませんが」と自信がなさそうに答えてくれた。とりあえずはそれで十分だ。
「最近はあまり作ってないけど、前はよく薬草から回復薬を作ってたでしょ? そのとき色々試したのよ。回復薬としては使用できなかったけど、今回、魔術はちょっと使いたくないからやってみたいことがあって」
「……よくわからんが、それを潰したらいいのか?」
「うん、ちょっとまってね」
「貸してくれ」
ウェインに横からひょいと取られてしまった。ぎくっとしてしまった。ウェインに近づくと、やっぱりまだ緊張してしまう。息をゆっくりレイシーが吸い込んで吐き出している間に、鉢の中はみるみるうちにごりごりと種は削れてペースト状に変わっていく。やっぱり器用だ。ありがとう、とレイシーが小さな声でお礼を言うと、おう、と短い返事が聞こえた。
(あとは空間魔法から、あれを取り出そう)
魔術は使いたくない、と言いつつもさすがにこれは仕方ない。空間魔法は、使用している際に常に意識を向けていなければいけないので通常の魔法使いには使用がとても困難だ。ただレイシーとすれば、いつもよりも若干の負担はあるけれど我慢できないほどではない。今回の旅は荷物が多く、なくしてしまっては困るものや、かさばるものは常時空間に収納するようにしていた。中に入っていたものは若干の魔力は帯びてはいるものの、空間のゆらぎを最低限にしているため、付着する魔力は通常の魔術よりも少ない。
レイシーが取り出したものは、コップのような形をしているけれど、底に穴が開いて細長い管が伸びている不思議なガラスだった。ろうとのようにも見える。
「テオバルトさんに作ってもらったんだけど」
テオバルトとはプリューム村で唯一の鍛冶屋の主兼、雑貨屋の主であり、ものづくりが大好きな無口で大柄な男性だ。こんなものがほしい、という話をすると、あっという間に作ってくれた。レイシーはその不思議なガラスを持ちながら少し考えて、空っぽのお椀をひっくり返し台にして、平坦になった上にガラスを載せる。丁度、へりには細長い管が落ちるようになって、さらにその先に小瓶を置く。ガラスの管を通って滑り落ちた先に瓶がある、という寸法だ。
レイシーはこぼれないように気をつけながら、ウェインがペースト状にした種をゆっくりとガラスに注ぎ込んだ。潰したといっても細い管を滑り落ちるほどではないから急ぐ必要はない。次に、種の上には布を載せる。この布も特別性で、羊の毛を細かく混ぜ合わせたものだ。布というにはとにかく分厚く、目も粗い。それを何枚も、何枚も載せる。いや、詰めていく。ぎゅうぎゅうになるほどに押してしばらくすると、つるり、と透明な液体が一滴、ガラスの管からこぼれ落ちた。あとは時間があればできる作業だ。
「想像より透明だな。これがオイルか」
「うん。シードオイル……と言った方がいいのかな」
こうして残ったしぼりかすは布にたまるという寸法だ。「でもその前に、確認しないと」 実は問題なく食べることができても、種には蓄積された毒があることもある。すちゃりとレイシーは自分の手のひらと同じサイズのぎざぎざの葉っぱを取り出した。
「人体に影響がないかどうか、魔毒草で確認するね」
「よく今持ってるな。また庭から生えてたのか」
「うん、ティーが嬉しそうに食べてた……」
「マドクソウ?」
ユキは首を傾げている。これは逆にクロイズ国の、それも温かい地域でよく見る草だから、普段はフリーピュレイに住むユキには覚えがないものかもしれない。どう言ったらいいかな、と考えつつレイシーはひらひらと葉っぱを遊ばせる。
「冒険には必需品の薬草の一つで、この葉っぱにかけると毒なら真っ黒に崩れ落ちるんです。あとは、起こる反応によってある程度薬の効能を予測できることができて……。とりあえず、ラベールの実の方を潰して、つけてみましょうか」
口にするよりも見る方がずっと早い。
真っ赤な実を魔毒草につけると、不思議なことにするり、と葉っぱの色が白く変わっていく。これはもちろん毒ではない。ちなみにエリーにココナッツオイルを渡したときにも、もちろん確認したが、同じように葉の色は白く変わった。つまりこの二つは同じ効能ということになる。そこで新しく出した魔毒草に今度は出来上がったラベールのオイルを一滴たらした。これも、オイルがかかった箇所だけ先程とまったく同じように白くなった。つまり日焼け止めの目的として使用できるということだ。
おお、とウェインとレイシー、そしてひょこりと顔を出していたユキが声を出す。けどな、とウェインはすぐに眉をひそめた。
「毒か、そうじゃないかというのはあくまでも一般的な話だろ? あとは個人の体質にもよるよな」
「そう……なんだよね。だからサイラス様の肌に合うオイルかどうかは、試してみなきゃわからない……」
「体質に合っているかどうかなんて、すぐに分かるものでもないだろ。いっそのこと、いろんな実で試してみるか? 複数種類の日焼け止めのオイルを作って納品したらどうだ」
「うん、いいかもしれない」
***
と、いうことで、レイシー達はオイルの製作に明け暮れた。レイシーがプリューム村から持ってきた別の種類の木の実の他、この街で手に入ったフルーツでも反応に強弱はあれど、三日の間で四つのオイルを作ることができた。まずまずのペースだ。
なのになぜだろう。レイシーは不思議と気が晴れなかった。作った日焼け止めはサイラスに喜ばれるような気はする。でも、何かが違うようにも思う。ううん、とうなりながら気分転換もかねて新たなフルーツの買い出しに向かった。サイラスは納品の日を具体的に指定しなかったが、いつまでも待ってもらえるわけではないだろう。相変わらず街を歩くレイシーの背後には姿消しの魔術を使用した魔法使いがこそこそとくっついて来ている。
連日フルーツを買いに行っていたから、店主にすっかり顔を覚えられてしまったらしい。褐色の肌をした年配の女性が顔に刻まれた深いシワをさらに深くさせて、「いらっしゃい、暑かったろ」とレイシーに笑いかけてくれたから、なんだか恥ずかしくなってしまった。
「毎日難しい顔をしてやってくるねぇ。何か困りごとかい?」
「……そうですね、少し」
店主と話していると背後の魔法使いの気配がさらに濃くなっていく。(レイシーにとっては、だが)まだまだ魔術の精度が甘い、と苦笑してしまった。
「ふうん。そんなときは甘いものだ。ラベールの実を絞ったジュースなんでどうだい。毎日たくさん買って行ってくれているからね、サービスだよ」
店ではフルーツの他にもしぼりたてのジュースも販売しているようだ。レイシーも初日にラベールの実と種を分けたときに、残った実を絞って飲んでみるととても美味しかった。店主にサービスと言われつつも思わずお金を渡そうとすると、軽く手のひらを弾かれてしまった。今度はゆっくりひっこめてちょっとだけ笑って、ありがとうございますと伝えると店主は「待っておくれよ」といいながら奥からガラスのコップをとりだして、しぼりたての実をとぷとぷと音をたてるようについだ。
「こうしてよくかきまぜないと、下の方ばかりがどろっとしちまうんだよ」
そう言って、ガラスの棒をくるくると混ぜる。かちかち、かちかち、かちん……。
その音を聞いたとき、レイシーの中でぱちりと何かが弾けた。もやもやとしていた感情がすっきりと晴れていく。
そうだ、これだ。
***
結局、最初から一週間がたってできたオイルは合計五つ。それぞれ小瓶の中につめて、レイシーはサイラスに献上した。相変わらず彼は長い髪をたらしていて、粗末な小屋の中で簡易の椅子の上に座りつつ、レイシーが作った日焼け止めを面白そうにいじっていた。瓶を振って、中身を確認し、窓からの光にかざす。
「日焼け止めね。まあ、たしかにこれがあれば、僕はとても助かるよ。ラベールの実の効能は知っていてもさすがに真っ赤な顔で表に出るわけにはいかないからね」
子供じゃあるまいし、とサイラスは笑っている。
「じゃあ、これはもらうよ。他国から来てくれたわけだし、手間賃は多めに払おうか」
「あの、すみませんサイラス様! その前に説明をさせてください。使う方の体質でも変わってくると思うのでご使用の前には肌の目立たないところで必ず少量を使用して確認を」
「はいはい」
レイシーの顔すらも見ずにサイラスは手のひらを振った。面白がっていたのも一瞬で、すでに興味の範疇外、といったような様子だ。「で、いくら? そっちが言う金額にプラスしてこれくらいは払うけど」 右手を開きつつひょいと上げる。その五本の指の桁が一体いくらになるのかレイシーには不明である。
「サイラス様、その前にもう一つお渡ししたいものが」
「はいはい」
「こちらなんですけど」
「はいはい。……いやなにそれ」
相変わらずこっちを見ていないので、ウェインに持ってもらっていた箱の蓋を開けて、中身を取り出す。サイラスはきゅっと目を見開いて、彼が首を傾げると同時に、長い髪がさらりと肩から落ちた。
レイシーが布で包んだ手で持っていたのは、ひっくり返ったガラスのコップだ。設備がなかったので、少し不格好だが、穴をあけて真ん中に紐を通し、さらに細いガラスをくっつけている。
「これは窓辺などに紐で垂らすことができるので、風が吹けばガラス同士がこすり合ってちりちりと音がなります。とっても涼しい音がしますよ」
果物屋の店主がコップの中でくるくるとガラスの棒を回し、それがちりちりと音を鳴らしているのを聞いたときに、まるで楽器のように思えた。そして、その一瞬、うだるような暑さが吹き飛んでしまった。
もちろんそれはただの気のせいだ。気の持ちよう、と言ってもいい。レイシーが出したものは、風で涼し気な音がなるただの楽器である。
想定外のものを見て、まるできらりと目を光らせる猫のようにサイラスは飛び跳ねるような素早い動きでレイシーに近づく。「わっ」「ちょっとこれ!」 奪い取られた。「貸してもらってもいいかい!?」 確認する前に、サイラスは目の前にもちあげて、わあわあと嬉しそうに声を出している。レイシー達はぽかんとするしかない。
「風で、自動で音が鳴るって? なんだそれは面白いな。試しに窓辺に吊るしてみよう。……うん、本当に鳴るな! これはもらってもいいんだな? 僕が名前をつけるぞ、名付けて<風鈴>! さあどうだ!」
「サイラス様、あなた、私のことを試していらっしゃいましたね?」
ぴたり、とサイラスは動きを止めた。はしゃいでいた姿はもうどこにもない。そして、「……ばれた?」 わからないはずがない。
彼はレイシー達の行動を逐一監視していたし、さらに、行った依頼に対して、レイシーの思考を誘導しようとしていた。
――この国って暑いだろ? そのせいでお肌の調子が悪くてね。どうにかしてほしいんだよな
そう言って肌の調子を主張して、レイシー達に『肌』というものを印象づけようとしていた。けれど実際、サイラスの本当の依頼内容は『暑いことに対する苛立ちを、どうにかしてほしいこと』だとはっきりと自分で伝えていたのだ。その依頼の内容だと、日焼けどめだけだとサイラスの願いとは異なってしまうと、作っている最中ずっともやもやと考えていたことだ。
だから他に何かないか、ということはずっと考えていた。そして<風鈴>を思いついて、ウェインやユキ達と相談してなんとか形を作り上げたのだ。今は二人とも現状をレイシーにまかせてくれて、じっと口を閉ざしてくれている。
「……君が、力を持っている魔法使いで、かつ魔道具師であることは重々承知しているんだけど、それときちんと顧客の願いを叶えてくれるかということは無関係だろ?」
サイラスは窓辺に吊るした風鈴をつんと指で弾いて、ちりん、ちりんと音を鳴らしている。
「力を持つと、人は相手がほしいものじゃなくて、自分が作りたいものを作ってしまうものだから、有能な人間と信頼できる人間というものは別だよ。それに、僕からの依頼の内容をぺらぺらと話すような口の軽い人間は論外だし」
果物屋の店主と話しているとき、レイシーをつけていた魔法使いの気配が鋭くなったことをふと思い出した。そういった意味合いでの監視だったのか、と今更納得する。「とりあえず合格だよね、なんか面白いものを持って来てくれたし。この音が聞こえているときは暑さを忘れそうだ。さっそく今夜から使おう」と、けらけらと笑うサイラスが言いたいことはわかる。けれども、とレイシーは口を開こうとした。でも怖くなった。すぐに拳をぎゅっと握って、うつむく。そんなときだ。とん、と静かに誰かに背中を叩かれた。ウェインの手のひらだった。
叩かれた背中は一瞬だったはずなのに、どこか温かい。
息を吸い込んで、しっかりと前を向いて、はっきりと口を開いた。
「サイラス様。こういったことは、とても困ります」
自分の声が、まるで自分ではないみたいだ。しん、と部屋中に声が響いて自分の感情をきちんと形にすることができている。サイラスもへらへらと笑っていた顔を一瞬で引き締め、風鈴で遊んでいた指先をしゅんとひっこめてレイシーに向かい合った。
「……困るって?」
「私は、サイラス様のお力になりたくて参りました。望みがわからなくて、どうしたらいいのかわからない。もし、そうだったのなら、微力ではありますが、いくらでも力になります。でも、自分で何がほしいのかわかっているのに、言葉は悪いですが、騙すような……人の思考を誘導するようなことをするのはやめてください」
自分が一番、彼に伝えたいことはなんだろうと考えた。怒っているわけでも、落ち込んでいるわけでもない。ただ、一つ。はっきりとした気持ちがあった。
「――私は、あなたの望みを叶えにここまで来たんです」
願いを叶えようと一人でどうあがいたところで相手の内側までを探ることはできない。少なくとも、レイシーにはそれほどの力はない。まるで自分の力のなさを棚上げするような気持ちだ、と少しだけ恥ずかしくなった。でも、伝えた言葉に後悔はない。……ないのだろうか。一国の王族を相手に。いくら相手からの許しがあったとはいえ、失礼な言葉を叩きすぎではないだろうか。どうしよう。土下座した方がいいかもしれない。
もしレイシーが今杖を持っていたのならば両手で握りしめつつガクガク震え始めそうなほどの、たっぷりとした時間をかけて、サイラスは口を開いた。そしてゆっくりと頭を下げた。
「あなたを侮辱するつもりはなかったが、結果的にあなたの気持ちをないがしろにした。本当に申し訳なかった」
「い、いえ! 侮辱ですとか! まったく考えてはいないので!」
逆にここまで重たくとらわれてしまうと恐ろしくなってしまう。やめてください、頭を上げてくださいといっそのことサイラスの額をぐぐっと持ち上げたいほどの気持ちになったが、さすがにそれをするわけにはいかない。
ぎりぎりの場所でこらえて手のひらを空間に固定させて、サイラスがレイシーに再度顔を向けてくれたことにはほっとした。ころんと笑みが溢れてしまった。そんなレイシーを見て、サイラスはわずかに瞳を大きくさせたが、すぐにウェインがレイシーの腕を引っ張った。「どうしたの?」「……いや、もうちょっと、まっすぐ立った方がいいんじゃないか」 その通りだ、とレイシーはぴんと背筋を伸ばす。この間も、ユキは静かに口をつぐんで彼らの様を目にしていた。
不思議な間があいてしまったが、なんにせよ、とでも言うようにサイラスはこほんと咳をついた。
「この風鈴はいいね。……あ、勝手に風鈴と言っているけれど、問題はないかい」
「いえ、サイラス様にお渡しするものですし。もちろん大丈夫です。むしろ名付けてくださるのなら嬉しいです」
「ありがとう。うん、この涼しげな音を聞いたら寝苦しさも吹き飛びそうだ。……でも意外だな。君は僕の肌に対する何らかの薬を持ってくるか、もしくは願い通りの暑さをごまかすだったとしても、風を送ったり、作り出したり、そういったものじゃないかと思ってたんだけど」
「……ああ、羽根をくるくる回して風を送るような魔道具があったら楽しそうですよね。大きくて、家に固定で置けるものでもいいですし、小さくて持ち運びできるようにも――いえ、そうじゃなく」
思わず思考が渦巻いてしまった。ものを作ることを考えると、どうしても楽しくなってしまう。
「おそらくなのですが、サイラス様は本当は、暑さが苦手というわけではないのではありませんか? もしくは苦手だとしても我慢ができる程度なんじゃないかなと」
「……どうして?」
「髪が、とても長いなと思ったんです」
サイラスの髪は下手をするとレイシーよりも長く背中まで伸びている。暑さが苦手というなら短くするだろう、というのは単純すぎる発想だろうけれど、同じ王族であるキーファはサイラスよりもずっと髪が短い。王族だから髪を長くしなければいけないという決まりがあるわけではないだろう。
「あとはこの小屋の場所なんですけども」
王宮の庭にある、そのまた端の場所で、王弟殿下が使うとするには奇妙な場所だ。首都全体にするには難しいのだろうが、王宮は風魔法で温度の管理を行っている。門をくぐり抜けた瞬間、寒さを感じるほどだった。なのにこの小屋には魔術の気配がまったくない。
「あえて端に位置することで魔術の干渉を避けているんですよね」
魔術に関してならばレイシーの右に出るものはいない。これに関しては確信があったため、すらすらと説明するレイシーを見て、サイラスと、そしてユキも驚いたようにレイシーを見ていた。
「こんなに暑いというのに、サイラス様は風魔法の干渉を避けています。逆に寒さが苦手という人もいますからその可能性も考えましたが、それほどの温度の変化があるとは思えませんでした。なのでこれはおそらく、なのですが。サイラス様は魔法を受け付けない、もしくは風魔法に対しての耐性がないのではありませんか?」
ここまでくるとほとんど独り言のようなものだ。口元を親指と人差し指でさすりながらレイシーは考える。サイラスは暑さが苦手というほどではない。けれども一定の不愉快さは感じている。そして魔術を受け付けない体質。いや、魔法使いの部下をレイシーのもとに送ったということは、やはり一切受け付けないということはないだろうから、日常生活が困難なほどではなく、濃厚な魔力が相性が合わないのかもしれない。
「……魔術を、受け付けない……本当にそんな人が存在するんですか?」
「います。あまり例がないことですが、濃い魔力を持つもの同士から生まれる子供が、逆に一切の魔術を受け付けなくなるんです」
ユキに説明したはいいものの、あくまでもすべて可能性だ。けれど、魔術を受け付けないのなら、風を生み出す魔道具を作ったところで、サイラスの体にとっては毒になる。日焼け止めを作る際も、なるべくレイシーが魔術を使用しなかった理由もそれだ。
「…………」
サイラスはただ、瞳を大きくさせてレイシーを見下ろしていた。そしてゆっくりと瞬きを繰り返し、吐息を吐き出すように感嘆の声を出す。
「おみそれした」
暑さがそれほど苦手ではない、というところか、それとも魔術を受け付けない体質というところか。もしくはその両方か。肯定の言葉だ。
「王宮にいるよりも外の方が好きだというのは、城の設備が文字通り“肌に合わない”んだ。そうだ。君の言う通り、僕は風魔法を受け付けない。個人的に不愉快になる程度だから、知られても問題はないが、わざわざ口外もしていない」
「……だからこんな場所に住んでいるんだな」
「いや、これは単純に僕の趣味だ。こちらの方が気兼ねしないからな!」
王族というには質素な小屋だ。尋ねたウェインはずっこけていた。
「あの、ですから、日焼け止めにはなるべく魔術を使用していません。ただ、あくまでもなるべくですので、先程伝えたように使用の際にはきちんと確認してからにしてください」
「悪かった。さっき伝えてくれた言葉の中には、そういう意味もあったんだね」
サイラスはすっかり眉をしょぼんとさせてしまっている。先程の彼は話半分に、レイシーの話を右から左に受け流していたように見えたが、それでも、きちんと聞いてくれていたのかと逆に驚いたとき、サイラスは、「うん、うんうん」と何かを考えているように何度も頷いた。「ときにレイシー、きみ」 サイラスの長い腕がにゅっと伸びて、レイシーの手のひらを掴む。そして。
「僕と、結婚しないか?」
「…………え?」
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