第68話

 



 ***




「それで、サイラス様がお困りだという暑さに対する不快を押さえる、という方法なのだけれど……」


 どん、とテーブルに手のひらを置きつつ、恒例の作戦会議である。本来なら食卓用なのだろうが、荷物の中に詰め込んでいた大きな紙を勢いよく一面に開いて、目的を書き記す。互いに現状を把握し、理解するためにはこれが一番だ。ウェイン達とともに旅をしていたときも行っていた行為なのだが、レイシーはちらりと視線を向ける。なんだかちょっとやりづらい。


 レイシーの視線の先には、ユキが冷え冷えとした瞳でこちらを見ている。とてもやりづらい。「ええっと……その……」 仕切り直した。持ったペンを握りしめて、紙には大きく『暑さによる睡眠被害 → お肌の調子が悪い!』と大きく書き込んだ。こうして一つ一つ書いていくことで、着地点を探っていくのだ。ウェインも腕を組みながら様子を見守っている。


「あの、もしなんだけど、何か思うことがあるのなら、教えてくれるととってもありがたい……です!」


 どこまで言っていいものかと考えつつ伝えた。主には、ユキに対して。彼女はレイシーのことをあまりよく思っていないのではないかと感じている。そもそも、これはレイシーに、そして『星さがし』に対する依頼だから、ユキにも、ウェインにも協力する義務はない。けれどもウェインはいつものことという顔をしているし、ユキにも今からサイラスの“お肌事情”に関して考えるけれど、どうするかと問いかけたところ、彼女は返事こそないもののベッドに戻ることなくレイシーの言動をじっと確認している。


 それならせっかくだ。意見があるというのなら、遠慮なく教えてほしい。

 初めからわからないから助けてほしいと手を求めることは間違っていると思うけれど、アステールの名を得てから、レイシーは自分一人では何もできないのだと、ふとしたときに感じるようになった。決してこれはいつもの自信がなくて、震えながらの後ろ向きな言葉でも考えでもなく、人には様々な視点があることを知ったからだ。


 魔術を作るときならば、過去の偉人達の本を読んで、考えて、術式を組み合わせることで何でもできたような気になっていたのに、本当は自分はずっと狭い箱の中で生きていたような気もした。

 誰かの足りないところを補うように手を取り合い、進んでいく。こうして誰かが一緒にいてくれるということは、本当にありがたいことだ。


 いつの間にか思考がそれてしまったことに気づいて、ぶるぶると首を振る。王宮の中は涼しかったが、外に出るとすぐに汗が噴き出した。レイシー達が今いる貸家の部屋も蒸し暑く、家に入ってから、すぐに彼らは部屋中のドアと窓を開けた。もともとそういった構造でできているらしく、風が通りやすい構造になっている。それでもこの暑さだ。耐えきれないほどではないから魔術を使用するほどではないが、野外では辛いだろう。街を歩く人の少なさも理解できる。


 ふと、レイシーは静かに窓の外を見つめた。レイシーの視線をはじめは不思議そうに見ていたウェインだが、すぐに彼も気づいたらしい。「ユキさん、すみません」 杖を取り出すほどの動作は必要なかったため、ぱちりとレイシーは指を鳴らす。瞬間、何かが割れるような音が響いた。


 まるで食器の一つを手のひらから滑らせて、ぱりんと真っ二つに割れてしまったかのような、そんな音だ。何があったのかとさすがのユキも驚いたのか、眉間のシワを深くしながら周囲を見回す。問題ない、とレイシーは更に強固にすべく、再度指を鳴らした。


 これでしっかりと音を遮断することができたので、安心して話し合うことができる。さすがに家中の窓と扉を開けっ放しの中で、王族からの依頼を話し合う勇気はない。


「……サイラス様がおっしゃるお肌の調子が悪い、というのは眠れないことが原因とおっしゃっていたわよね? じゃあ、しっかり眠ることができるように足湯をするなんてどうなのかしら」


 これは以前すでに試したことだ。ユキも気がついたのだろう。ぱちりと瞬きながら大きな紙に足湯、と文字を書くレイシーに目を向ける。ユキの主であるダナは聖女だ。とにかくお金が大好きで、お金のためなら睡眠時間すらも犠牲にして目まぐるしく治癒の仕事を行いまくった結果、体を壊してレイシーに依頼をくれた。ダナ本人は体に負担をかけているということに無意識であったものの、レイシーは彼女のために足湯を提案し、丁度いい温度でお湯を沸かすことができる魔道具を作成した。眠る直前に体の幹部を温めることで、より質のいい睡眠を手に入れることができるのだ。


 そして今回もサイラスに対して同じことができないか、と考えたのだが。


「……エハラジャ国には、浴場の文化があります。市民でも日常的に利用していますので、おそらく、ですが王族なら特に個人用の浴室があってもおかしくはないと思います」


 意外なことにも声を上げたのはユキだ。レイシーが驚いてユキを見ると、困ったような顔をしてすぐに口をすぼめてしまった。


「何か思うことがあるのなら、と先程おっしゃっていらっしゃいましたので」

「もちろんありがたいです! 知りませんでした。そうか、文化の違い……」


 またすぐに口をつぐんでしまったユキに慌てて声を上げる。

 ダナがユキを連れていくようにと言った理由が、さらにはっきりとした。レイシーはエハラジャ国の文化には疎い。それはきっとウェインも同じだ。「エハラジャ国にも、浴場があるのか」と驚いたように呟いている。温泉が湧き出す国を訪れたことはあるが、日常的に利用するということはなかった。彼らが当たり前のように利用している日課なら、提案しても今更と思われるだけだ。


(エハラジャ国とクロイズ国は、言語は似ているけれど、他国には違いないわ……)


 ダナが住むフリーピュレイの街は極寒の地で、常に雪が降り積もっている。お湯を沸かすことだって魔道具や魔術を使用しなければとろ火がせいぜいだからお湯に浸かるという考えには行き着き難いから驚かれたが、ここは違う。風呂という文化が根付いているのだ。

 それに、と思う。多分、エハラジャ国に風呂の文化がなかったのだとしても、レイシーはこの提案を推し進めることはなかっただろう。今はただ、一つひとつ可能性を埋めていっているだけだ。


「じゃあこれはやっぱり、なし、ということになるわね。次は……」


 風呂、と書いた文字を大きくバツをした。そして、思い出した。お肌に乾燥大敵、と言っていたエリーの言葉だ。ダナに足湯を提案した際、丁度あったココナッツの実をくり抜きお湯を入れたところ、肌がすべすべになったと言っていたから合間合間の時間でレイシーも色々と考えてみたのだ。実の中身を火にかけてみたり、出てきた液体を布でこしてみたり。できたオイルはお肌が乾燥しがちだというエリーには好評だった。彼女は寒さに弱いらしく、冬になると冷たい空気があたるといつもほっぺが真っ赤になって痛くなるらしい。


 けれども今は夏の日差しに困って、お肌の調子が悪いという話だ。違うような気がしつつも『乾燥→ ココナッツオイルで調節?』と書いてみる。迷っているから文字が少し曲がってしまった。


「……あの、寝苦しいというのなら、単純にサイラス様の部屋を冷やしたらいいのでは」


 会話に参加してくれるのならばありがたい。ぽそりと呟くユキの言葉に、レイシーはぱっと瞳を輝かせた。けれども、「いえ、多分それは」と首を振ろうとしたときだ。「あっ」 さらに思い出した。ココナッツで作ったオイルをすっかり気に入って常用していたエリーが、今年はお肌の色がいつもよりも白い気がする、と喜んでいた。「日焼けを止める……?」 そもそも、サイラスがいう肌の調子が悪い、というのは日中の日差しで肌にダメージを受けている可能性があるかもしれない。


「日焼けを止める薬を作るのか?」

「どうなのかしら。椅子に座っているよりも外に出る方が好きとおっしゃっていたから、大きな帽子や傘はきっと邪魔よね。ユキさん、この近辺にココナッツはあるんでしょうか」


 空間魔法にも詰め込むことができる限度がある。必要かもしれないと思うものは詰め込んだが、ココナッツは想定外だ。口を閉ざしてテーブルをじっと見つめるユキを見て答えてくれるだろうかと不安に思ったのだが、どうやら彼女はじっくりと考え込んでいただけらしい。


「……ココナッツはありませんが、日焼けを防ぐのでしたら、ラベールという実があります。通常なら露店にも売っていているくらい、この国ではどこでも見かけます。すりつぶして肌につけますが、見栄えが悪いです。そもそもあまり日焼けを気にする人も少ないので、している人はあまり見ません。幼い子供のような、肌が弱いものがすることがあります」

「……見栄えが悪い……?」


 レイシーの問いにユキはこくりと頷いたが、それ以上は説明する気はないらしい。一体どういうことなのか。

 どちらにせよ、レイシーからすると日焼け止めという薬はいいアイデアのように思ったのだけれど、やっぱりこの国にはすでに存在しているらしい。露店でも売っているというのならととりあえずレイシー達は買い出しに向かうことにした。その間もレイシーとウェインは後ろの視線を確認してうなずき合う。ユキも少しずつ気づいてきたらしい。


 頭のてっぺんにあった太陽が少しずつ落ちてくる頃には、やっと街中にも人の姿が見えてきた。屋根がある場所にこもっていたらしいが、みんなどこか疲れているように見えるのはオレンジの光の影になっているからだろうか。日が陰って少しは暑さがマシになるかと思いきや、ぬるりとした空気が肌にまとわりついてくるからまるで熱い湯の中にいるようだった。ブルックスが住む海の街、タラッタディーニは空気がからっとしていたし、海も近くて潮風がよく吹いていたから、そこまで暑さは気にならなかった。


 レイシーは店で山盛りのラベールを買って、ユキが言っていたことはすぐに理解した。ラベールはクロイズ国でいうラズベリーに見かけも味も似ているが、それより種が大きくとりやすい。真っ赤な果実は潰すとジャムのようになるので顔につけると大変なことになってしまう。これは効能を知っていたとしても、利用するには二の足を踏む。


 家に戻ってラベールを一粒つまみながらレイシーは考えた。それから、うん、と独り言のように頷いて、外に足を向けた。「おいレイシー」 ウェインが引き止める声が聞こえるが、思いついたらいつもどんどん進んでしまう。試したくてたまらなくなってしまう。そしてずっと気になっていた視線の主のもとへやってきた。


「あの、すみません」


 ウェインがよく使用する隠蔽魔法と近いものを使っているようだが、レイシーが声をかけるとあっという間に丸見えになってしまう。ばたばたと慌てたように自分の体を確認しているが、その服の胸元にはエハラジャ国の紋章がしっかりと刺繍されている。


 レイシーはほんの少し苦笑してしまった。サイラスが自身の使いの人間にレイシー達を見張らせていたということはとっくの昔に気づいている。とりあえず、目的を告げることにした。


「すみません、もし、お願いできたら、なのですが。どこかから、すり鉢を貸していただくことはできませんか? そこまではさすがに持ってきてはいないので……」


 す、すり鉢? とひっくり返ったような声がするが、お願いします、とレイシーはちょこんと小さな頭を下げた。

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