第67話

 

「国王や王位継承者と言ってはいるが、そもそも、この国にはクロイズ国と異なり、王族というものは本来存在しない。だからこそエハラジャ国では王都のことを首都と呼ぶんだ。エハラジャ国のもととなる集落を作ったものはたしかに僕らの祖先だけれど、その祖先だって、もとはクロイズ国から飛び出してきたただの民だ。なのに王と言うなんて変な話だろう。しかし便宜上、というやつだ。理解してもらえるとありがたい」


 エハラジャ国の成り立ちはレイシーも一般的な常識程度には把握している。遠い過去の話にはなるが、クロイズ国も、エハラジャ国も、もとは一つの国であり、何百年も昔、クロイズ国の王から統治を許された一人の騎士が独立を許されたのだと聞く。だからこそ言語もほとんど同じであるため、わざわざ翻訳魔法を使用する必要もない。


 今でこそエハラジャ国は豊饒の土地とされているが、過去は恐ろしい吹雪が吹き荒れ、魔物が溢れ、人が住むには難しい土地だった。それが今やクロイズ国と並ぶほどの大国となり、隣国同士、長く友好を築き上げている。


(それは、いいんだけど。つまりこの方は、王弟殿下……お若いけれど、キーファ様の叔父……)


 と、いうことに。

 レイシーはぶるりと震えるように息を吸い込んだ。そして――うん、と部屋の周囲をちらりと見回す。途中でウェインとも瞳がかち合う。うん。うんうん、うん。

 嘘では、ないだろう。なんせアリシアが直々に案内をしてくれたのだ。門番に直接命令できる権利も彼は持っている、となるとやはり間違いない。けれども、なんだろう。王宮の端の、さらに庭園の端の端。忘れ去られたようにぽつりと立てられた小屋、いや小屋というには実は言葉が立派すぎた。こんな掘っ立て小屋の中で言われても、ミスマッチがいいところである。ふかふかのソファーに座って、どんと言ってくれるのならもう少し反応のしようもあった。


「だはは」


 一瞬、サイラスはその端正な顔から信じられないような笑い声を口にしたので、レイシーはぎょっとして彼を見た。慌ててサイラスは自分の口元を叩くように閉じるが、時すでに遅し。朗らかで、ゆったりとした貴族の坊っちゃん然としていた彼だったが、みるみるうちに崩れていく。


「いやあ、すまないすまない。他国からの賓客なんだ。ちょっとはそれっぽく見せるつもりだったんだが、僕は王族としてはあまりよろしくなくてね」


 肌に合わないから苦手なんだ、あそこ。とおそらく王宮があるであろう場所に指をさし示した。

 堅苦しいのは苦手ということなのだろう。サイラスはにっこり笑って続けた。


「僕は椅子に座っているよりも、剣を握っている方が性に合っているんだ。だから普段もほとんど国にいることはない。けれど甥っ子の婚姻となれば、いつまでも逃げているわけにはいかず戻ってきたというわけだ」

「……エハラジャ国にはほとんど姿を見せない王族がいると聞いたことがあります。けれども、剣の腕は国一番なのだと」

「君ほどじゃない。ウェイン・シェルアニク。あと、今回は公的なものではなく、あくまでも僕の願いのために君たちにここまで来てもらったんだ。君たちはこの国の人間でもないし、できればもっと崩してほしいね。敬語もいらないくらいだ」

「い、いや、それはさすがに」

「なら遠慮なく。わかった」

「え、ええ!?」


 あまりのウェインの適応の早さにレイシーは目をひんむいた。レイシーには到底真似できそうにない。けれどもサイラスは満足そうに笑っている。自分は王族ではない、便宜上そう呼んでいる、と言っていたくらいだ。とっつきやすい、と言えばいいのだろうか。けれどもやはりサイラスには溢れ出る自信があった。それは誰しもが持ち得るものではなく、まるでレイシーは圧倒されてしまった。


 さんさんと輝く太陽と同じ、太陽のような人なのだと思った。その場にいれば見るものを引きつけてやまない。ウェインも同じく華やかな印象の外見だが、実は実直な人柄で目立つことは本当はそれほど興味はない。きっと、勇者として選ばれなければ兄の補佐として名を表に上げることもなく、静かに領地を治めていたのだろう。


 似ているようで、似ていない二人だなとレイシーが考えていたとき、「それで、だ」 ぱしり、とサイラスは手のひらを叩いた。


「わざわざ来てもらったんだ。願い事を伝えたいんだが、構わないかな?」


 一拍の間をおいて、もちろんとレイシーは頷いた。サイラスは弓なりのように瞳を細めて、すぐに大げさなほどに頭を抱えるような仕草をする。


「すごく、困っているんだ。そうすごく」

「い、一体それはどんな……?」


 異国の王族がわざわざ呼びつけてくるほどだ。よっぽどのお困りなのだろう、とレイシーはごくりと唾を呑んだ。そして神妙な顔つきのまま尋ねる。「実は」「じつは……?」 言葉を繰り返して、聞いて、そして。


「この国って暑いだろ? そのせいでお肌の調子が悪くてね。どうにかしてほしいんだよな」


 正直、何かの聞き間違いかと思った。



 ***



 レイシーが泊まる宿はすぐに手配された。兵士に案内されつつぽてぽてと王宮からの道のりを終え、宿というよりもきちんとした一軒家を与えてもらえたと知ったとき、待遇の手厚さに驚いた。食事も運んでもらえるらしい。旅の疲れを癒やすこともそこそこに王宮に向かったのだと思いだして荷物を置いて椅子に座る。レイシー以外の二人もそれに倣った。


 そして力強くレイシーは唇を噛み締め、額を合わせる。


 ――やっぱりあれって冗談だったんじゃない?


 声にも出せずにふんぐぬ、と呻く。そして、「多分、本気なんだろうな」と察して呟くウェインが憎い。

 サイラスの言い分としてはこうだった。


『この国はもともと年がら年中暑いんだが、最近はさらに気温が上がっている。街を見ただろう?日差しが強い日中は外に出ないものも多いから、閑散としている。僕は暑さが苦手でね。年がら年中他国を回っていて、あまりこの国に帰ってくることはない。けれど甥っ子の結婚式と駆けつけて、ついでに滞在してみればすぐにこれだ。おはだのノリが悪い。』


 そう言ってサイラスが主張する頬は、つるりとして美しいものだったが、本人が言うからにはそうなのだろうか、とレイシーは必死で目を皿のようにして探してみたが、やっぱりよくわからなかった。


『僕はそもそも日差しが得意じゃないくらいで、肌も強い方じゃない。原因はわかっている。夜、暑くて苛立って眠れないんだ。だからすぐに肌に直結する。僕の願いは、“暑いことに対する苛立ちを、どうにかしてほしいこと”だ。レイシー・アステール。どうか、僕の願いを聞き入れてもらえないだろうか?』

 とのことだった。



「たしかに、人の悩みなんてそれぞれだから、その程度? なんて思ってはいけないと思うんだけど……!!」


 レイシーはぐっと拳を握った。プリューム村でも、年が離れすぎたレイシーの友人、六歳の少女エリーは『いやだもう、今日はお肌のはりが悪いわ。こんなのだめだめ、お手入れしなきゃ! 日焼けなんてもちろん大敵! 今の苦労が将来のハッピーにつながるの!』とポーズをつけつつ叫んでいた。人にとって大事なことはそれぞれで、悩みを叶えたいと思っているレイシーが、その程度、なんて思っちゃいけない。わかっているのにわかっているのに。


「…………!!」

「わざわざここまで呼びつけて本気なのか? と問いただしたくはなるな」


 レイシーが言えない言葉を、ウェインが代理で主張してくれた。さすがに本人に言えないけど。無口なユキですらもこくりと頷き同意を示している。レイシーは握りしめて頭上に突き出した拳をぶるぶると震わせて――静かに、下ろした。


「困っていらっしゃることは、本当なんだと思う」


 サイラスは普段各国を飛び回っている、と言っていた。立ち振る舞いを見たところ、その言葉に嘘はないのだろう。剣の腕も、相当な腕前であることはピリリと感じる空気でわかる。レイシーでも伝わるほどだ。ウェインにはさらに鋭敏に伝わっただろう。けれども、サイラスの肌は冒険者と比べると白くきめ細やかで、日差しの強いエハラジャ国ではたしかに辛いようにも思う。


「――でも、それだけじゃないような気もする」


 まったく本音に踏み込んでいないような、ふわふわとした雲のような男だった。うっかりしていると足をすくわれてしまいそうだ。


「……どうする?」


 ウェインに問いかけられたが、それでも引き受けるしかない。もちろん、すでにサイラスにも伝えていることだ。


「サイラス様の目的がどうであれ、お困りであるというのなら、望みを届けるわ。そのために、ここまで来たんだもの」


 はっきりと言葉にした。

 なるほど、そうだなと静かにウェインも息を吐き出す。なんだか少しだけ、笑っているみたいな声色だった。

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