第66話

 


 エハラジャ国の人間がなぜレイシーに対して依頼があるのというのか不思議ではあったが、ウェインも詳しくは知らないらしく、まずは旅立ちということになった。レイシーだけでもエハラジャ国に向かうことは十分できたが、クロイズ王を通しての依頼だったということもあり、万一がないようにするためだと言われるとそれ以上は何も言えなかった。


 荷物をまとめて、プリューム村の人達にしばらく留守にすることを伝えてと目まぐるしく一日が過ぎていく中、一人の訪問者がやってきた。ダナの従者のユキだ。どうやらウェインとダナは定期的にレイシーのことを報告し合っているらしく、エハラジャ国にレイシーが行くことを知ったダナが彼女を寄越したのだった。


 わざわざフリーピュレイの街からやってきたユキを追い返すわけにはいかず受け入れたものの、プリューム村を旅立ってからしばらくしてからレイシーははた、と気がついた。レイシーがエハラジャ国に向かうと決めたときにウェインがすぐにダナに伝えたのだとしても、ユキがやってくるまで、どう考えても時間が足りない。つまりウェインは初めからレイシーが了承することを前提としてダナに事前に伝えておいて、ダナも了承の上、ユキをプリューム村に向かわせた。


 たしかに、ウェインとはいくつもの国を旅したことはあるが、エハラジャ国に足を踏み入れたことはない。ユキはエハラジャ国の出身らしく、身のこなしも軽い。ガイド役としては適任で、頼りがいがある少女だったが、お節介がすぎるような気もした。そしてレイシーはユキには何度空間魔法を使用させてほしいと伝えても、彼女は返事の一つもしないでつんとそっぽを向いていた。最近は物怖じなく人と話すことができるようになってきたレイシーだが、あくまでもそれはこちらに好意的な人間のみだ。会話をする気もないという顔をする少女と、どう接すればいいかなんてわからないからとても気まずい。


 そしてウェインを見て、妙な緊張をしなくなったと思っていたのもつかの間、やはり長時間一緒にいるとなるとレイシーの喉の辺りがつっかえて、なんだか妙な気分になってくる。

 一人はむっつりと押し黙って、もう一人はどうすればいいかわからずおろおろして、残る一人は苦笑しつつも先を目指した。なんせ、ウェインは個性を通り越して実力はあっても旅をするにはポンコツすぎる仲間達をまとめたリーダーだ。もちろん何事もなく、平和にたどり着いた先はエハラジャ国の首都、ガルーダラだ。


 頭の上のかんかん照りの太陽が、まるでブルックスが住む海の街、タラッタディーニを思い出すが、ガルーダラはそれよりもずっと暑くて、空気も乾燥している。そして不思議なことに雲ひとつ無い上空ではひゅうひゅうと風が吹き荒れていた。


 レイシーはすん、と鼻をひくつかせながら剣呑な瞳で空を見上げた。激しい風にばたばたと吹き飛ばされそうになる帽子を押さえて、じっと考える。


「レイシー?」

「ううん、なんでもない、ごめんなさい」


 ウェインに返事をしつつもやはりと空を見上げてしまった。それは奇妙なほどに青い空だった。



 ***



 ガルーダラに行き着き、レイシー達は門番に自身の名前を告げた。すると兵士はひどく恐縮したように背筋を伸ばし、一人は慌ててぴゅっと走って去っていく。どこぞに伝令に向かったのだろう。彼らはレイシー達の到着を今や今やと待っていたらしく、すぐさまレイシーを街の中へと案内した。建物の中には人がいる気配があるのに、奇妙なほどにしんとした大通りを暑さに汗をぬぐって歩きつつ、ぐんぐんと近づく立派な建物を見て、レイシーはやはりと心の中で頷いた。正直想像通りだった。こうしてレイシー達がたどり着いた場所は王宮だった。


 依頼主が誰か、ということすらも知らずにここまで来たレイシーだったが、『行けばわかるそうだ』とクロイズ王からの伝言を伝えてきたウェインも口ではそういいつつも、そっと今の彼の顔を覗き見ると彼も特に驚きもないようだった。眉間のシワは、少し深くなっているようだったが。レイシー達の背後をいつも静かに着いてきていたユキは、背負った荷物の紐をぎゅっと握りながら相変わらず無表情で、やっぱり彼女が何を考えているかレイシーにはよくわからなかった。


 そもそもクロイズ王を通して伝言ができるという時点で、ある程度の立場を持っている相手であることは想像に難くなかった。レイシー達がさらに立派な門をくぐり抜けたとき、ひやりとした空気が頬をなでた。驚いて周囲を見回したとき、「レイシー、久しぶりね!」 聞こえてきたのは明るい声だ。二ヶ月前まではアリシア・キャスティールという名であった彼女はすでに家名を変え、クロイズ国からのエハラジャ国に輿入れし、次期国王の妻となってしまった。


 すでに人妻とは思えないような、軽やかな足取りでアリシアはこちらに駆けてくる。彼女はピンクブロンドの髪をなびかせつつ、見る人をうっとりとさせるような笑みで彼女はレイシーに目を向けた。


「ふふ、随分早い再会だったわね」

「お、お久しぶりです、アリシア様……」


 不思議だ。レイシーと初めて出会ったとき、また二ヶ月前に外に出たくないと嘆いていた彼女とは随分印象が違う。人が変わるときなんて、あっという間なのだと改めて感じた。アリシアがぐいぐいとやってくるものだから、逆にレイシーは一歩後ずさってしまう。ユキのように相手にされなくても困るが、近づかれすぎてもどうしたらいいかわからなくなる。以前はレイシーを目の敵のようにしていたアリシアだが、今は懐っこく嬉しげな様子である。


 レイシーの困惑が伝わったのか、ウェインがそっと立ち位置を変えるように止めに入った。するとアリシアはまるでつまらないものを見たかのように、ふんと顔をそむける。彼らにはちょっとした確執があるが、レイシーはまったく他人事ではない。なので慌てて声を上げたら、「や、やっふぁり!」と、ずいぶん素っ頓狂な声が出てしまった。 自分の声にびっくりして唾を飲み込み、すぐに咳をしつつ言い直す。


「ごほん。やっぱり、ご依頼の主はアリシア様だったんですか?」


 エハラジャ国にいる、身分のある人といえばアリシアしかレイシーは知らない。つまり、依頼主は彼女でしたありえない……はずなのだが。「あら」とアリシアは瞳を瞬いてすぐさま否定した。


「違うわよ? だって私の不安はあなたが解決してくれたもの。環境が変わって戸惑うことはもちろんあるけれど、きっとそれも一つの醍醐味でしょ?」

「でしたら……」

「そう焦らないでちょうだい。私ではないわ。けれども、誰からということは存じていてよ」


 もったいぶったような言い方だ。レイシーを見て一人で駆けつけてきたらしく、背後では困ったような声を出しながらアリシアの名を呼び小走りで駆けてくる侍従の姿が見える。相変わらずのお転婆だ。

 アリシアは面白がった様子で、兵士から案内を引き継ぎ、庭園の端にある小屋へと案内した。「多分、ここじゃないかしら」 王宮に入ったのだから、どこか立派な部屋に案内されるかと思ったらそんなこともなく、不思議に瞬くレイシーを楽しそうに見ながら、それじゃあねとアリシアは去っていく。ウェインと顔を合わせて、とりあえず扉を叩くと、返事が聞こえた。中に入ってみると、そこにはまったく見覚えのない青年が立っていた。



 ***



 見覚えのない青年だ。なのに、彼はレイシーと顔を合わせると、「ああ、暁の魔女とは君のことだったのか。お久しぶりだね」と開口一番に言われたものだから、レイシーはぎょっと目を見開いた。なんせ、いくら考えても知らない人間だし、もちろん名前も出てこない。きらびやかな雰囲気の長い髪の男だった。返事もできずに吸い込んだ息は吐き出すことしかできない。


 小屋に入っても相変わらず気配を殺し続けているユキはさておき、ウェインからの視線がちくちくする。何を言いたいのか、十分に伝わる。一体こいつは誰だ、と問いかけているのだ。そんなのレイシーの方が知りたい。


 ここはエハラジャ国だ。アリシア以外の知り合いなんていないし、いたとしても覚えはない。……はずだ。ただしレイシーは魔術に関してのことならともかく、決して自分の記憶力に万全の自信を持っているわけではない。うっかり抜け落ちているという可能性もあるだろう。


 念の為、ゆっくりと目の前の男性を確認してみることにした。本当に忘れているというのなら、思い出さなければいけない。男は色素の薄い茶色く長い髪を一つにくくっていて、年はウェインよりも上、二十代の前半か半ば程度。ある程度身分のある人だということはなんとなく見ればわかる。自信のあるなし、というものはにじみ出るものなのだ。ちなみにレイシーは自信なんていつもない。


 ただ王宮にいることも含めて、通常の貴族とは思えなかった。しっかりとした立ち振る舞いはまるでどこぞの冒険者のようで、ウェインに通じるものがある。長い髪はさらさらと指通りも良さそうできらびやかな容姿と涼やかな瞳は見るものを忘れさせないだろう――レイシー以外は。


 もともと、レイシーは自分の容姿にまったく興味もなかった。だから他人に対してだって、顔面の出来栄えよりも話し方や雰囲気の特徴で覚えてしまう節がある。以上のことを考えてこの眼の前の男性と会ったことはあっても、まともに話したことはないのではないだろうか、とレイシーは考えた。けれどもそのことを堂々と伝える勇気はないし、そもそもどう伝えたらいいのかもわからない。


「……あの、ご依頼があると聞いて、こちらにうかがいました。レイシーと、申します……」


 そしていつまでも、こんなじろじろと見ているわけにもいかない。なんとか時間を引き延ばそうとして名乗ってみたものの、これはこれで初対面の挨拶と同じと考えて、覚えがないと言っているようなものだと気がついた。でも出した言葉が今更引っ込められるわけがない。


 数秒の間の後、目の前の男はレイシーを見下ろしたまま、吹き出すように笑った。


「こんにちは、僕はサイラス・グランドル。あなたとは、アリシアとキーファの祝いの席でお会いしたよ。お会いした、というほどでもないかな。ぶつかって、非礼をわびたという程度さ」


 キーファとは、アリシアの夫となったエハラジャ国の王子の名だ。そして、祝いの席というのは二ヶ月前にクロイズ国で行われた婚姻パーティーであり、ぶつかった……と、言われたところで、「ああ!」 レイシーはやっとこさぱっと明るい表情をした。


 婚姻パーティーにはレイシーも参加していた。ウェインもいたが、彼に会う前に、レイシーは一人の男性とぶつかってしまった。レイシーと謝り合った相手の言葉に奇妙な訛りがあったのでクロイズ国の人間ではないのだろうと考えていた。


 すっきりした。そしてやっぱり知り合いではなかったのだとほっとして、正直なままに表情を出し息をつくレイシーを見て、サイラスは微笑ましそうに口元に笑いをたたえた。


「あのときは君のことを知らなかったけれど、クロイズ王はキーファのために立派なパーティーを開いてくださっただろう。不思議な食べ物や、美しい菓子もあったけれど、そのすべてがクロイズ国を代表する魔法使い――暁の魔女であり、随一の魔道具師のアイデアと聞いてね。ぜひ、僕にも力を貸してもらいたいと思ったんだ」

「それは……ありがとうございます」


 ポップコーンや飴細工の飾り付けのことだろう。それらはレイシーが一人で思いついたものでも、作ったものでもないからちょっと褒めすぎなような気がするが、ぱあっと楽しげに話すサイラスを見て嬉しさは感じた。純粋に喜ぶサイラスに水を差すこともできずに頭を下げる。


 なるほど、隣国の人間がどうしてわざわざレイシーに声をかけたのだろうという疑問もこれで解けた。今やクロイズ国の人々もアステール印の品を作る魔道具師が暁の魔女と呼ばれる魔法使いであることは誰しもが知っている。サイラスという名のこの青年が、ちょっと調べればわかることだ。もしくはアリシアが伝えたのかもしれない。


 すっきりとしない気持ちが納得するのはそう悪いことではなかった。


(それに、ここは他国だもの。下手なことをして問題になりたいわけでもないし)


 すでにレイシーはクロイズ国に縛られることなく生きている。けれども、自身の思惑とは別に国同士の関係を悪くさせることは本意ではない。慎重になるにこしたことはないだろう、とゆっくりと思考を飲み込むように考えていたとき、「……失礼致します、先程、グランドル、とおっしゃいましたか」 静かに口を挟んだ。


 多分耐えかねたのだろう。レイシーが気づくべきことを、ウェインが伝えている。言われてすぐに理解した。弾かれたようにウェインに顔を向けて、さらにサイラスを見上げた。彼はにまり、と面白げな顔を作っていて、その顔はどうにも覚えがあるものだ。まるでウェインがいたずらを成功させて満足そうな顔をしているような。


 粗末な小屋に騙されてしまいそうになったが、ここは仮にも王宮であり、彼はアリシアとキーファの名を呼び捨てにした。そして、アリシアも認識している人物で、クロイズ国の婚姻パーティーに出席するほどの要人。そして、グランドルの名。


 アリシア・キャスティール。すでに彼女は夫の家名と変わり、彼女は今、アリシア・グランドルと名乗っている。つまり――。


「改めまして、お伝えしよう。僕の名はサイラス・グランドル。現国王、カドック・グランドルの弟。一応、この国の第三王位継承者、ということになっているよ」


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