第4章

1 太陽の国

第65話

※最終章です



 一体、どうしてこんなことになってしまったのか。

 レイシー自身も、少しばかり不思議な気分ではある。


 なんでも屋『星さがし』として、依頼があればできる限りの力になる。それはプリューム村の住民でも、一国の王でも同じことだ。あくまでも対等に、同じ視線と距離で、関わり、変わっていく。そのはずだ。


 ヘーゼル色の瞳を静かに細めつつ、レイシーは小さく息を吐き出した。さすがのレイシーも、とっくに卒業したはずの黒い帽子を頭にかぶり、ざくり、ざくりと歩を進めている。ぎらぎらとした太陽の色がクロイズ国とはまるで違っているような気にさえなる。


「レイシー、大丈夫か? 疲れたんじゃないか」


 そうウェインに問いかけられた。瞬いて彼を見上げて、弾かれるように首を振った。この程度で音を上げることはない。なんせ、勇者であるウェインとレイシー、そして仲間達は、およそ一年もの間、魔王を倒すために世界中を旅したのだから。ただ少し、現状に心が追いついてなかっただけだ。こうしてまたウェインと旅をすることになるとは思わなかった。……と、いうことを、まさか本人に伝えるわけにはいかない。


 喉の奥の言葉をレイシーはごくんと飲み込んだ。レイシーはこのところ、ウェインに対しておかしな態度をとってしまう。理由はもちろんわかっているけど、それを表に出すなんて恥ずかしくて、なんでもないふりをするしかない。

 ぴたりと止まって考えてウェインを見上げて、それから再度首を左右に振った。こんなことをしていては不思議に思われているとすぐに気づいて、「疲れてなんかいない。それに、目的地までもう少しだし」 やっとのことで声を出した。


「そんなら、まあ、いいけどな」

「私よりもユキさんはどうですか? 少し休憩しましょうか」

「私も問題ありません」


 レイシーの背後には、レイシーよりも少しだけ背が高く、どうにも印象の薄い少女がいた。おかっぱ頭の幼い顔つきで淡々と話す仕草はなんだか少しどきりとする。こんなにも暑いというのに、ユキは汗一つかかずにレイシー達について来てくれている。荷物はレイシーの空間魔法ですべて収納することが可能なのだが、彼女は頑なに重たい鞄を背負って、しゃんと背筋を伸ばしている。ユキは仲間の一人であるダナの従者だ。異国に行くのならば、と心配をしたダナが、彼女をよこした。


 暁の魔女であるレイシーと、元勇者であるウェイン。そしてレイシーよりもおそらく年は下なのだろう、おかっぱ頭の新しい仲間を加えて、レイシー達の新たな旅が始まり――そして、終わろうとしていた。なんせ目的地はお隣の国である。可能な場所は馬車で乗り継ぎ、レイシーもウェインも、そして意外なことにユキも旅慣れしていた。


「そろそろ見えてきたな」


 ウェインが岩に足をかけながら、見下ろす。

 丸い不思議な形をした屋根が、遠くにぽつぽつと並んでいた。ちりちりとした空気が頬に触れ、動くだけでも汗が噴き出す。ときおり吹く強い風が、ひゅるりとウェインのマントを巻き上げた。


「あそこが、エハラジャ国の首都、ガルーダラか――」



 ***



 十四の年のとき、レイシーはウェインとともに魔王を倒す旅に出た。そして見事目的を成し遂げ、十五歳になり、王都に戻った彼女はすべてを捨てて、貴族の形ばかりの妻になるはずだった。けれども相手の不義の行為でなし崩しに自由の身となってしまった彼女が知ったことは、あまりにも自分自身がからっぽだったということ。


 孤児で、誕生日も知らないレイシーは、本当は正確な自分の年だってわからない。魔力の適性があった彼女は人生のすべてを魔術の腕を磨くことばかりに費やし生きた。いや、衣食住も適当にしていたから、本当は一人で生きることすらもままならなかった。


 ウェイン達との旅の中で、少しずつ胸の中で温かいものが流れ込み、気づけばレイシーはきちんと一人で、そして自由に生きたいと願っていた。魔術は好きだ。それはもうレイシーの中の、大切なものとして染み込んでいる。けれども、彼女は人のために生きることを願った。そのため“道具”を作り、プリューム村という、小さな村で『星さがし』を始めた。


 彼女が自分の体や心に耳を澄まし、鈍感であった自身の願いにやっと正直になったときに最後に気づいたことは、レイシーは、ウェインが好きだということ。彼に特別な想いを抱いてしまっていた。


 知って、理解して、まず始めに考えたことは、この感情を『隠さなければいけない』ということだ。なんせ恥ずかしくてたまらない。知られてしまったらどうしよう、と緊張して普段の動きもカチコチになってしまう。そうこうしているうちに、プリューム村は大変なことになっていた。レイシーが作る魔道具は商人であるランツやその弟子となったアレンに『アステール印』として売り出してもらっていたのだが、王が出したお触れにより、魔王を倒した国一番の魔法使い、暁の魔女がアステール印の品を作っているのだと国中に知れ渡ってしまったのだ。


 そのことに気づいたときは、なんとまあ、思いやりがあるのかないのかわからないとクロイズ王に対して頭が痛くなってしまうばかりだったが、以前心無い貴族に、レイシーが作る魔道具を金儲けのために悪用されそうになったことがあった。だからこそ、王が先にアステールの名を出すことで、レイシーの立場を傷つけずに誰もがレイシーに手出しをできない状態にしたのだと理解したとき、すっかり舌を巻いたような気分だった。


 それからというものレイシーが発明した道具――匂い袋や保冷温バッグにクッキングペーパーなどなど、もともと人気であった品はさらに品薄となり、ほしいと願う人がいるのならばとレイシーは必死に働いた。なんせ、道具の中には魔道具という、魔石に魔術を込めるというレイシーにしかできない作業があるものもあるのだ。材料が必要なものはランツが駆け回り、村人の助けが必要だとなるとアレンが。


 とにかく、がむしゃらになってレイシーが魔石に魔術を溜め込んでいる二ヶ月の間に――気づいたら、山のような魔道具の、なりかけのものができあがっていた。魔術はきちんと練り込んだあとのものだから、あとはレイシー以外の人間でも手入れすることができる。そして、この二ヶ月の間、一度としてウェインはレイシーのもとを訪れることはなかった。当たり前だ。彼は本来は王都に住んでいて、プリューム村とは距離があるし、今も忙しく国中を駆け回って、魔王が残した余波を食い止めている。彼曰く、自分がプリューム村に頻繁に来るのは、暇なのではなく余暇のすべてをレイシーのもとに来ることに費やしているだけだ。


 レイシーがウェインのことを好きだと気づいてしまってそこそこに理解した。ウェインは普段そうそうプリューム村に来ることはない。ウェインのことが好きと知られてしまったらどうしようとか考える前に知られるきっかけがそもそもない。思わず真っ青な空を見上げてぼんやりしてしまったので、ティーやノーイに心配された。


 こうして『アステール印』の流通も安定した頃に相変わらず手土産をいっぱいに持ったウェインは、「よう」と片手を上げて普段通りにやって来たのだけれど、二ヶ月の間にすっかり心は平穏になったレイシーが同じくなんてこともなく返事をしようとして、「…………」「どうした、風邪か?」 すかすかの自分の声に驚いた。すかさず心配したウェインの声なんて、もちろん聞こえない。



 ぽかぽかの日差しの中で、見渡す限りに広がる薬草と花畑でウェインに会うのはいつものことだ。視界の端ではティーはノーイの上にまたがり、二匹は楽しそうに駆けている。いつものことである。なのに、こっちを見るウェインの顔が。とにかく、なんというか。


 かっこよく感じる。


「いやほんとにどうした。風邪か。温かくするか」


 ウェインがぱくぱくと口を開けている、と思ったあとで、やっと彼が言っていることが頭に入ってきた。

 風邪なわけがないし、すでに季節は夏に近くなっている。さすがに御免被りたいと必死で首を振った。そしてまた、かっこいいと。いや違う。きらきらとウェインの金髪が太陽の光の中で輝いているように見える。なんだか自分の目がおかしい。


(ウェインの容姿が整っていることなんて、もともとわかっているはずなのに……!?)


 いやだから違う。

 もともと人の容姿なんて気にならないし、旅をしていたときの真っ黒ローブですっぽりフードをかぶっていた頃よりもずっとましになっているとは言え、おしゃれなんてレイシーにはほど遠いはずだ。ウェインからもらった髪留めをつけることが精一杯だった。むしろ頑張っていると思っていた。なのに、今はウェインの隣に立つことが心底恥ずかしくて、耳の後ろが真っ赤になってしまう。この恥ずかしさは何度か感じたことがあるはずだが、さらにいつもよりも激しい気がする。


「……おいレイシー」

(せ、せめてこの間お城で着飾ってもらったみたいな格好ができたら……! あれは、その、私でも、なんとかいいかなと!)

「聞いてるのか? うん、聞いてないな?」

(いやいや! アリシア様みたいなお姫様じゃないんだから、日常的にあんなドレスを着ていたらただの頭がおかしい人じゃない!)


 そんなのさすがに自分だって、「おかしいってわかる!」「うおっ!」 ウェインが後ずさった。うっかり声に出ていたことに気づいたが、もちろんなんのフォローもできない。


「……とりあえず、屋敷の中に入ったらどうだ? 庭の手入れは俺がしておくし」

「違うの! 体調が悪いわけではなくて、なんというか、その」


 レイシーは小さな拳を握った。それからどんどん小さくなる自分の声が嫌になる。「ウェインが、来たから、びっくりしただけで……」 一体どんな言い訳だ、と自分で呆れた。

 けれどもウェインは「久しぶりだったからな。ちょっと休暇を使いすぎて暇がなかったんだ」と返事をした。ウェインはクロイズ王からの命令で、『星さがし』としての願いを届けるために一ヶ月もの間、プリューム村で暮らしたのだ。


 屋敷に入ってお茶を飲んで、なんとか仕事は一区切り着いたと言うウェインを見ていると、なんだか自分と同じだなと笑ってしまった。レイシーも、つい最近まで必死に魔石に魔術を溜め込んでいたのだ。それからゆっくりと紅茶を飲んで、状況に慣れてきたらしいレイシーの心臓が、いつも通りの動きを始めたとき、ウェインは少しだけ考えるようなそぶりをした。


「なあレイシー、前回、俺は痛い目を見たんだ。お前に、さっさと王からの願いを伝えていたらもっと余裕を持ってフォトフレームを作ることができただろう? 本当に反省している」


 クロイズ王はすっかり部屋から出なくなってしまった娘を助けてほしいとレイシーに伝えた。レイシーはカメラと、カメラで撮った写真が浮き出るフレームを作った。自分で写真を撮ることで、外に出るきっかけを作ったのだ。ウェインはレイシーに王の言葉を伝えることに迷いがあった。王からの願いは、自由に生きるというレイシー自身の願いに背くのではないかと心配してくれていたのだ。


「それはもう謝ってもらったし、それだって私を思いやってくれてのことでしょう? 反省することなんて何もないと思うけど」

「そうじゃなくてだな、まだ迷いがあるんだ。でも俺がとやかく気を回すことはおかしい、と思う。いや、改めて肝に銘じた」


 困っている人がいれば、その願いを叶えたいと思うのはレイシー自身の願いだ。ウェインは苦い顔をしてぐっと眉の間にシワを作っている。

 つまり、状況から察するに、ウェインは彼自身では“彼自身がとやかく気を回したくなるような”ことを握りしめているらしい。もちろん――聞きたい。レイシーはすっと居住まいを正した。ウェインは、レイシーの表情を確認し、小さく息をついた。


「……クロイズ王から、『星さがし』に依頼があるという人間がいるという伝言を承ったんだ。ただ依頼内容は内密にしてほしいとのことらしくて、俺も知らない」

「うん。じゃあ直接聞きに行く。ちょうど、魔道具作りにもけりがついたし」

「まあ、お前ならそういうよな。でも続きを聞けよ。依頼主はなんとこの国じゃない。なんと、アリシア様が輿入れなさった、エハラジャ国からだ」


 さすがに、レイシーは瞳を大きくさせた。国を超えての頼みごと。それって、一体――なんなのだろう。まったく、想像もできない。


「さて、どうする。それでも行くってんなら、クロイズ王から護衛につけと言われているから、俺も一緒に行くが……」


 ここまで言って、ウェインはぴたりと言葉を止めた。レイシーの表情を確認し、呆れたみたいな、けれども面白がるような顔をする。「やっぱりそうなるよな」 言いたいことを理解してくれたのならなりよりだと、レイシーもにっこりと笑った。


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