第64話
「な? 上手いやつと踊ると違うだろ?」
「そう……そう、ね」
にこにこと笑いながら声をかけられるが、何しろレイシーはそれどころではない。仲間だと思っていた青年に恋をしていた。それも、いつからかもわからない。(こ……) ウェインはさすが俺だな、とレイシーの背後で笑っている。(こ、い……!!) 頭の中がぐちゃぐちゃである。レイシー、聞いているか? と問いかけるウェインの言葉はもちろん聞いていない。
(そんな……でもウェインだなんて……たしかに彼は勇者だし世話焼きだし貴族で立場があって優しくてご飯がおいしくて……う、嘘でしょ欠点がない……!?)
「なぜそんな顔で俺を見ている?」
雷に撃たれたような衝撃でレイシーはウェインを見上げた。
こちらはもうそれどころではない。たとえばいたずら好きだとか、世話好きを通り越して母になっているときがあるとか、意外と綺麗好きすぎるところがあるとか、悪いところなんていくらでもあるはずなのに、そんなところすらも考えたら胸が痛くなってくる。
「…………薬草をすりつぶして今すぐ飲みたい」
「そんなもん飲まなくてもそこいらにうまいものがあるが?」
せめて薬草を飲んだら体の内側を回復させてくれるだろうか。今ならティーとノーイといい薬草ジュースが酌み交わせる気がする。レイシーはぐったりと頭をたれた。
「……疲れた、もうだめかもしれない」
「あんまり踊りは得意じゃなかったか?」
たしかにこんなの初めてだったなら仕方ないな、とウェインは納得している様子だが、なんだかちょっと違う。
「でも、そうね。そろそろお暇しようかしら……」
もともとこういった場は得意ではないし、幸せそうなアリシアを見ることができた。だからもう十分だ。「そりゃ、残念だ」とウェインが呟いた気がしたから顔を上げると、今度は別の人物に声をかけられた。
「なんだ、もう帰ってしまうのか」
「クロイズ王……!」
驚き慌てるしかない。居住まいを正そうとするレイシーとウェインに、「よい、無礼講だ」と言いつつ片手のグラスを軽く掲げる。王が来た途端に周囲のざわつきはそっと遠くなってしまう。勇者の隣にいる少女は一体誰だ、とでもいうような周囲の貴族達からの視線を感じる。
けれどもふと奇妙に感じるものがあった。グラスに入ったワインを揺らしながら、口元にゆるりと笑みを湛えるクロイズ王は、王座に座りレイシーを見下ろしていたときよりも、ずっと人らしく感じた。
クロイズ王に息子はいるが、娘はアリシアの一人きりだ。目に入れても痛くないと噂される一人娘を他国に送るのだから、王としてはともかく、父としての胸中は寂しいもので、色々と思うところはあるのかもしれない。
「どうだ、もう少しばかり見て回らんのか。お前が作ったという魔道具や料理を驚く客を見るのも乙だろう」
「そ、それは……」
王が楽しめと言った言葉の裏側に気がついた。これも彼なりの思いやりで、報酬の一つなのかもしれない。けれどもレイシーとしてはどうにも歯切れの悪い返答しかすることができない。
「私は、誰かに驚いてほしいのではなくて、喜んで……ほしい、だけなので」
言った後で、あまりにも考えなしな発言であることに気がついた。王を相手にして、というよりも彼の思いを無下にするような言い草だ。
「す、すみません!」
慌てて顔を上げたレイシーに、王はきょとりと瞬いたが、呵呵と笑った。レイシーはぎょっとして王の笑い声を聞くしかない。
「暁の魔女。お前は変わっているな。金もたいして受け取らなかったそうではないか。あれはお前の働きに対する正当な報酬であるというのに」
「そ、それは……」
「恐れながら発言をお許しいただければ」
するりとウェインがレイシーをかばうように前に出た。
「許す」
「褒美は喜ぶべき形で与えられるものです。彼女はすでにアリシア様の幸せを願い、それを得ていますので」
「なるほどな」
にやりと面白げな顔をしている。
ウェインも笑顔を顔にはりつけているが間に挟まれているレイシーはだらだらと冷や汗が止まらない。
「しかし、な。こちらとしては与えるべき対価を渡しきっていないということになってしまう。どうしたものかな。なぁ、公爵」
「そうですなぁ……」
クロイズ王は彼の背後に佇む初老の男に声をかけた。刻まれたしわに反して背はしゃっきりと伸び、まだまだ現役と言いたげな貴族の男性だ。「フィラフト公爵……!」 ウェインとレイシーは声を合わせた。久しいな、と言いたげに公爵は瞳を細める。
「あの、その節は……本当に」
レイシーが住むプリューム村は公爵の領地である。以前、レイシーの魔道具を狙う貴族がプリューム村を襲ったとき、ウェインがフィラフト公爵に助力を願い、プリューム村を彼の保護下とすることで難を逃れたことがある。公爵は貴族としても軍人としても優秀であり、魔族討伐の際には剣を握りしめ前線で王都を守った。だからウェインとレイシーとは、もともとある程度の面識はある。
「結構。みなまで言わなくてよろしい」
「あ……」
言葉では冷たく切り捨てたように聞こえるが、レイシーはすぐに彼の意図を理解した。あくまでも公爵が保護したのはプリューム村であって、レイシーではない。レイシーが作った魔道具が貴族に好き勝手されることなく無事であったのは、ただの結果であり、公爵が求めたものではない。そういう建前で動いてくれている。だからレイシーがこの場でお礼を言うわけにはいかない。
駆けずり回ってくれたウェインにも、そして公爵にも感謝の気持ちしかない。なのに伝えることも許されない。それなら、と静かにレイシーは頭を下げた。これならただの挨拶と捉えることもできるだろう。すぐに顔を上げて、公爵と目を合わせて微笑む。
「どうしたお前達、何かあったのか?」
「いいえ。ただの世間話ですとも。少しばかり悪事を働こうとした太った豚を丸焼きにした。ただそれだけでございますな」
「……なるほど。たしかにこれほどの腕前ならば、料理人の腕に飛び込みたくなる食材もいてしかるべきか」
「ええ、その通りで」
クロイズ王が公爵に問いかけ、笑顔で公爵は返答する。そしてすぐにピンときたのだろう。料理にたとえつつ、遠回しに会話を重ねている。とりあえず、レイシーは口を挟まぬようにと静かになるばかりで、ウェインも同じく空気を読んでいるようだ。
「そういえば、先程対価とおっしゃいましたが、いかかですか?」
「なるほどな」
主語がない。けれども会話が成立している。老獪、とはまさにこのことだろうか。きしゃしゃと笑いながら王と公爵は楽しんでいる。なんだか怖い。
「何、そう不安がるな。お前はこの国を救った英雄というだけではなく、返しきれん恩がある。悪いようにはしない。金銭で受け取らぬというのならば、別の対価とするだけだ」
悪いようにはせん、と言いながら去っていく王と公爵の背中を不安げに見つめるしかない。レイシーとウェインは顔を合わせた。
「ど、どういう意味かしら……」
「さあな。しかし、悪いようにしないというのなら、その通りだろう。ああ見えて約束は守る方だ」
「……そうね」
「それより、だ。レイシー、せっかくだ。もう一回踊らないか?」
「えっ、ううん、う、ううん……」
二曲目はとっくに終わり、周囲は三曲目に移っている。もう十分、と思っていたはずなのに、こうしてウェインに手を向けられるとやっぱり断りきれない自分がいる。
「こんな機会、めったにないだろ? お前を一番近くで見たくもなる」
そうレイシーにささやいた後で、「なんだか俺、今、妙なことを言っているな?」と彼自身も遅れて少しだけ顔を赤くしたから、ちょっとだけ吹き出した。
「……それなら、あと一曲だけ。リードはよろしくお願いします」
「もちろん。言われなくともだ」
***
さて、クロイズ王から一体どんなお礼が来るのかと、びくびくそわそわしていたはずのレイシーだったが、それから数日、特になんの変化もないままアリシアはクロイズ国から旅立った。エハラジャ国でもたくさんの写真を撮るとアリシアはレイシーに告げて、レイシーも笑顔で見送った。
プリューム村に戻り、屋敷を守り抜いてくれていたティーやノーイにお礼を言ってお疲れ様と抱きしめ合い、日常を取り戻した。アステールの魔道具を作りつつ、サザンカ亭に行ったり、子供達と遊んだり、そして。
「もう少し、寄ってくださーい! そのままだと端が写らないです!」
「ヨーマ、お前小さいんだから前に行けよ」
「ふざけんなよ! お前の方がチビだろ前に行けよ!」
もめる双子に、どっちも同じだ! とすかさずアレンの怒声が響き、カーゴは笑って見ている。トリシャはレインを抱っこして、うるさいわねぇとエリーは呆れ顔で、その父と母のテオバルドとポーラ。あとはババ様、ランツと名前を上げれば数え切れない。
プリューム村から戻ったレイシーのもとにやって来たのは、珍しいことにテオバルドだった。
カメラを作りたい、と彼は静かにレイシーに告げた。もちろんレイシーだって願ってもないことだったからこちらこそと願って、レイシーも魔術を使用したフォトフレームの作り方も互いに共有し、今度は撮影魔術に特化したカメラを制作した。
もちろん、今後は通常のカメラの量産も行う予定だ。アリシアに誓ったのだから、時間がかかったとしても写真という方法を国中に広げていきたい。
けれどもその前に、できたカメラのお披露目会を行っていないということに気づいて集まることができる住人達に集まってもらったのだ。これだけ大勢でとなるとなんだか圧巻である。
「ウェインさんもいればよかったのにね?」
整列してもらって、ああでもないこうでもないと移動を繰り返していると、ぽつりとレイシーの隣でエリーが呟いていた。「…………うん」 ゆっくりと、頷いた。ウェインは溜まった仕事が忙しいと消えてしまったから、ここしばらくは姿を見せていない。ほんの少しの寂しさを感じて頷いてしまう。
「……えっ! ねえ、あなた、なにかちょっと変じゃない!? えっ、あら、もしかして……!?」
「お、おかしくなんて……おかしくなんて……あるけど……!」
「あるのね!? あるのね!? いいわよ素敵! ちょっとお話ししようじゃないの!」
「お話って一体なんのぉおおお」
「レイシー姉ちゃん、盛り上がってるとこ悪いけど、どうする? こんな感じ?」
「あ、そうねいいかも、アレンありがとう。うん、前の人が座って高さを変えたらみんな入るわね! あとは……」
三脚をセットしていると、すっと大人達が手を上げる。
「ボタンを押す係だな。ここはじじぃの僕が押そう」
「セドリック、お前まだじじぃじゃないだろ。そこにいるババ様に失礼だぞ。とりあえずここは俺が」
「カーゴさんはご家族と写るべきでしょ? それなら村人じゃないあたしが失礼しますよう!」
「あの、自動でボタンが押せるように調節もできるので……」
写真の外で写らないのは誰かという優しい思いやりで大人達がわいわい争っている。
「というか、今更ですけどランツさん。あなたクッキングペーパーはいいとして、飴細工のレシピまで王宮に売りましたよね……!?」
「うっひひひひ。飴細工のお話は村に来たときに聞きましたから! レシピのお披露目が王女様の婚約パーティーだなんて最高じゃないですか」
「どう考えてもやりすぎですよ! ねぇ、セドリックさん!」
「僕は花嫁が幸せとなるならどんな形でもオッケーだ。ぜひとも美しく花の飴を飾ってほしい」
「心が広い……」
もめつつ、ひっぱり合って、場所に座った。こんなものが、昔からあったらよかったのに、と誰かがいった。けれどもまた誰かが答える。
かわりに、これから使うことができるんじゃないか。
思い出を大切にしていけるんじゃないか、と。
「レイシー姉ちゃん、ほら、笑ってよ!」
「こ、こうかな」
にっと笑う。下手くそな顔だったらどうしよう。不安に思うと、双子に両方から口を引っ張られた。「ふふぉえ!?」
ぱしゃり、と音が聞こえた。
クロイズ王はふと顔を上げた。「今、何か……」 音が、聞こえたような気がする。けれどもおそらく、ただの空耳だ。隣国に去ってしまった娘のことを思い出した。カメラという不思議な魔道具を使って、自分や、国の写真を持って嫁いでしまった。
これで隣国との絆はさらに強くなるだろう。見かけに反して幼い心を持つ娘を送ることは不安でたまらなかったのだが、少しばかり強くなって笑いながら去っていった娘の姿を思い出した。きっと、あるべき運命だった。しかし感謝すべき少女に渡すものを、王は未だに悩んではいた。形があるものを彼女は求めていない。けれども、下手なものはレイシーをまた王家に繋ぎ留める結果になってしまう。
「……惜しいことをしたものだ」
暁の魔女、レイシー。クロイズ国に多大なる貢献をした国一番の魔法使いだ。しかし約束は約束。彼女に手を出すとなると、本人や仲間達、そして何より、と金の髪の男の姿を脳裏にかすめる。
(――ウェイン、シェルアニク)
あの者が黙ってはいないだろう。
ならば、自身はどうすべきか。どうやって、彼女に恩を伝えるべきか。静かに王は嘆息し、使いを呼んだ。
「いいか、私が伝える言葉を、一言一句間違えず、国中に広めよ」
「はっ」
王は息を吸い込み、吐き出した。
そして、静かに宣言する。
***
「ねえ、これ王様からのお触れですって」
とある村で、急ぎ王からの使いがやってきた。ついこの間もアリシア様のご結婚のお知らせがあったというのに、珍しいわね、と女達は手を止めて、男も同じくひょいと帽子の角度を変えて確認した。なになに、と文字を読む。そして、書かれていた言葉は。
――暁の魔女に、その功績をたたえアステールと名を授ける。
はて、一体。と多くの者は首を傾げた。暁の魔女と言えば、赤髪の美しい女性であり、勇者とともに旅に出て魔王を倒した英雄の一人だ。そのことは子供だって知っている。けれど、それは一年以上も前のことで、世界は平和と取り戻しつつある。
「暁の魔女様は貴族ではいらっしゃらないと聞くから、家名を与えた、ということかねぇ?」
戦争で武勲を得たものに騎士の勲章を与えることは、そう珍しいことではないらしいから、と誰かが言って、物知りねと笑う声がした。初めはただそれだけだった。けれども少しずつ、ざわつきは大きく変わっていく。
「……アステール……?」
聞いたことがある、と記憶の底をすくうように思い出す。星の印、という言葉は様々な街で、同じように広がっていく。ある街では聖女が、ある街では戦士が。王からのお触れに眉をひそめる人もいれば、興奮に口を押さえる少女もいた。
バッグを買ったら、靴も揃えたくなる、と友人と話していた少女も、そのとき同じく驚いていた。アステール印の魔道具。一体、それは誰が作っているのか。すべてがヴェールに包まれ、姿形さえも見えない秘密の魔道具師。
その魔道具師が現れたのは魔王が消え去り、しばらく経ってのこと。一体、どこに埋もれていた才能なのだとささやく声もあった。
「まさか、この鞄、保冷温度バッグ……! アステール……暁の、魔女様が作ったものなの……!?」
人々は把握する。アステールの名を。
暁の魔女を。
***
「あくまで、私は名を与えただけに過ぎん」
玉座の上で、王は静かに、独り言のように告げる。
「アステールの名を与えた。私はただの事実を、国中に知らせただけだ。それ以上でも、それ以下でもない。決して、レイシー・アステールの自由を奪うものではない」
アステールの魔道具を大々的に宣伝することもできたが、そうしてしまえばレイシーはまた国に繋がれると同じことになってしまう。それは彼女が望むことではない。しかし、アステールの名を出したことで、気づくものもいるだろう。下手なものは彼女に手出しできなくなる。
レイシーが、アステールの魔道具師であることは隠したところで、いつかは知られてしまう未来だ。ならば先手を打つしかない。
これはあまりにも曖昧な守りだ。だからこそ、彼女が望むものでもある。
自由に生きることができる。
「レイシー・アステール。お前の進む先が、一体どのようなものになるのか。そしてこれからどのようなものを生み出すのか。見守らせてもらうぞ」
***
「なんで! 今! 思いっきり口をひっぱったの!?」
怒り狂うレイシーに双子達はきゃっきゃと笑っている。全員で写真撮影、そして今だ、となったときにやられてしまった。レイシーのおかしな顔がフォトフレームの中に映ってしまう。ケタケタと暴れ狂う双子は兄と父に確保されて散々に怒られた。「だって、緊張がほぐれるかなって!」「だってだって、悪気はなかったんだァ!」 しかしなんだか罪悪感に襲われてきたので救出した。
今度こそ、と全員で並んで、それぞれにポーズをつける。レイシーも自分から笑おう、となると無理にひきつった笑顔になってしまうような気がする。こんなので大丈夫かな? と不安になった。でも、みんながいることを思い出した。だから力いっぱいに笑った。
空の色は、真っ青だ。
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こちらで三章は終了となります。
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