第60話

 


 ウェインとレイシー、二人では到底終わりそうにないし、そもそもまず手元にある材料も足りない。――というわけで、援軍を召喚することにした。


「また面白そうなことをしようとしてますねぇ!」

「俺は姉ちゃんを手伝えて嬉しいよ」


 ランツがへらりと笑って、アレンは殊勝な様子で布を広げた床の上に、試していく荷物を一つひとつ広げている。「二人とも忙しいのに、ごめんなさい……」「なはは、レイシーさんの品があっという間に売れちまいましたからね、時間を持て余してたところです」 それにあたしも一回、“ものづくり仲間”になりたかったんですよねえ、と普段は細い目をにゅっと開きつつのランツの言葉がどこまで本当かわからずレイシーは苦笑した。


「……ところでレイシーさん? アレン君から聞きましたけど、また素敵なものをお作りになったとか? このカメラもそうですし、クッキングペーパー……なんとも応用が利きそうで……! ……とりあえず、まずは王宮にお高く売りつけてもかまいません?」


 最後はこそっと耳打ちされた。


「ええっと、カメラはまだ、量販の体勢が整っていないのでのちのちかな、と。クッキングペーパーについてまだ数がそろっていないんですが……」


 カメラは一部魔物をベースにした材料を使っているし、作成には技術が必要だ。レイシーだけで作るには難しいから、どうしてもテオバルドに頼らざるを得ないだろう。その点、クッキングペーパーや同じものを原料とする料理用手袋は作成の際に魔術や特殊な技能は必要ないので、耐熱樹さえ確保できればプリューム村の住人だけでも作ることができる。


 けれどもそれも今すぐとなるともちろん難しい。


「数がない。それがいいんですよ! 最初に数がないと言っておいて、お高く売りつけてやるんでさぁ……」


 ひひひ、とランツは悪魔みたいな笑い方をして、また糸のような目にいつの間にか変わっている。なんとも反応に困っていると、アレンが助け舟を出してくれた。「ランツさんの言い方はちょっとどうかと思うけど、そんなに悪くはないと思うよ。王族御用達ってことで箔がつくだろうし、今回の依頼を完了できたならパイプも作れそうだ」と真面目な顔をしている。


「……それなら、ええっと、アレンの意見を聞きながらということでしたら」


 無茶はやめてくださいね、という言葉に、ぴかっとランツは笑顔を光らせた。アレンは任せろとばかりむん、と手のひらで二の腕を叩いている。そしてランツとレイシーの間に、にゅっとウェインが入り込んだ。二人は顔を合わせからしばらくの間の後で、ランツは無言でウェインに手を伸ばして、ウェインはそれを弾き飛ばす。それを何度も繰り返す。


「まっ、まじめに……」


 彼らはレイシーを善意で手伝ってくれている。そうわかっているのに、ぴくりと口元が震えてしまう。時間がないのだ。「ちゃ、ちゃんと真面目に、してーー!!!」 両の拳を震わせながらレイシーの怒声を上げると、男二人は体をびくりとさせた。


 なんていったって、レイシーの家は、それはもう大変なことになってしまっている。


 カメラがあって、転写ができる仕組みはある。でも肝心の何に転写をしていいかまったく見当がつかない。ヒントもなく手探りの状態だから、手に入るものを片っ端から街中で集めた。大きなテーブルの上からはみ出し、床の上にも所狭しと色々なものが並べられている。木の枝、葉っぱ、花や石などの自然物から始まり、食器、衣類と日常に使うものから花瓶、本や子供のおもちゃなどのありとあらゆるものまで。

 今回は耐熱樹のときとは異なり、魔術との相性を探る必要がある。純粋に材質のみで確認はできない。組み合わせや形によってさらに細かく変化する可能性があるためだ。


 アレンは黙々と材質ごとに場所を整理してくれている。こんこんと扉が叩かれる音がした。「失礼するぞ」 やって来たのはマテオである。相変わらず立派なヒゲをしていて、持っているのは重たそうな木箱なのに軽々と持ったまま、物でひしめき合っているレイシーの家の中を大股ですたすたと歩く。そしてアレンの誘導のもと木箱を床に置き、さらに室内を圧迫する。


 マテオはランツの顔の広さを使って、街中のありとあらゆるものを集めてきてくれているのだ。


「いやあ、悪いねぇ! さすがはマテオ、いい筋肉してますよぉ!」

「給金はもちろんもらうからな。いつものところに入金しとけよ」

「い、イヤァーーーーッ!!!」

「わ、私が払います! 私が払いますからランツさん!」


 絹を裂くような悲鳴で震え上がるランツに慌てて叫んだ。


 去っていくマテオに頭を下げた後に、さて、とレイシーは改めて家の中を見回した。足の踏み場もない現状だ。ふう、とため息をついてしまう。


「……ものは集まるに集まったが、どうする?」

「試していくしかないよね、一つひとつ」

「ま、そうなるな」


 尋ねはしたが、わかっていたとばかりにウェインは首の後ろをぽりぽりとかいている。


「でも試すにも何を写すのかだけど……」


 レイシーはテーブルの上に置かれていた本にちらりと目をやった。ページを開いて文字の羅列を確認する。


「とりあえず、この中にある文字にしてみようかな。撮影魔法を使って、この本の文字をこの場所にある道具達に写す。魔石が使用する魔力は最小限にしたいから、私自身も使用する魔力の量を最大までしぼる。それでもはっきりと文字が写っていたら相性がいいということ。何も写らなければもちろんだめ」


 こんな風に、とレイシーはぱちりと指を鳴らす。床の上に転がっていたくまの人形に光が落ちた。わずかに跳ね上がったと思うと、くまの腹には薄っすらと本に書かれていた文字が浮かび上がっている。おお、とランツとアレンが興味深げにレイシーの背中から顔を覗かせた。


 くるりとレイシーは振り返って説明する。


「何に試したかわからなくなりそうだから、アレンは紙にメモをしていってもらっていい? ウェインとランツさんは申し訳ないんですけど、ものを整理していく係で。材質ごとに置く場所を変えてますがざっくりですし、ものによって反応が違うと思うので、確認する役も兼任してもらえればと思います」

「それは全然構わないんですよ? でも、その……マテオに集めてもらったのはあたしですけど、本当に、これを全部確かめるんですか? つまり全部に魔術をかけていくってことでしょ? 大丈夫なんです?」


 ランツは珍しく困惑したように、周囲の物達をふらふらと指差しつつ答える。もちろんレイシーは、「大丈夫です」とあっさりと答えた。だってそれ以外言い方がないからだ。


「いや大丈夫ってそんな……」

「ランツ、つまりお前は、レイシーの魔力の枯渇を心配してるんだろ? それなら本当に何の問題もないんだよ」

「ウェインさん……でも、この数ですよ? あたしは魔術のことは詳しくわかってるわけじゃないですが、それでもぶっ倒れて意識がなくなってもおかしくない量ってことだけはわかります」

「それはあくまでも普通の魔法使いの場合だろ?」


 レイシーは鞄から杖を取り出した。

 小さな杖のサイズを変化させ引き伸ばしつつ部屋の中心に立ち、手のひらを滑らせるようにくるりと杖を回す。そして杖の先をひたりと面前に突き出した。窓を閉じているにもかかわらず不思議と風が生まれまたたく間に大きくなり、レイシーの黒髪をうねるようになびかせる。アレンとランツは悲鳴を上げて腕で自身をかばいつつ顔を伏せた。けれどウェインは平然として、むしろどこか誇らしいような顔をしてレイシーを見ている。


「――なんせ、あいつは魔王を倒した勇者パーティの一人、この国一番の魔法使い、暁の魔女だからな」


 レイシーの唇から、彼女以外は理解ができないほどの高速で呪文が紡がれ、杖を掲げた。


 幾千ものほとばしった光が、部屋中の道具を貫いていく。「うわ、うわ、わわわわ!?」 ランツが頭を抱えてテーブルの下に避難した。アレンも慌ててそれに続く。「ウェイン兄ちゃんも早く!」 雨のように降り注ぐ光は止まらない。撃ち抜かれた道具の一つは真っ黒に焦げ上がって跳ね上がり、アレンの鼻先をかすめた。


「んぎゃっ!」

「大丈夫だ。レイシーは空間の中にあるものはすべて認識している。じゃなきゃどこに魔術を向けて打てばいいのかわからないだろ。認識しているものの中には俺達も入ってるんだ。安心していい」

「そ、そそ、そんなこと言ったって!」

「それよか早く確認しなけりゃ原型もわからないものも出てきてるぞ。万一のときは俺が守ってやるから。ランツもそのまま引っ込んでるか?」

「出ますよ、出ますよぉ! これもここでレイシーさんに恩を売って、さらなる商売につなげるためぇ!」

「ランツさん、本音が出すぎですけど!」


 でも言っておくけどぼったくりは俺が許しませんからね! とアレンが紙の束を抱えて涙目で叫んでいる。




 ――それから先はまるで戦場のようだった。


 部屋中のすべての道具に光が撃ち抜かれたとき、レイシーは平然とした顔だが、内心はかなり参ってしまった。魔力の使用によるものではなく、部屋の現状を見て、拳を硬く握らざるを得なかったのだ。


「……まさか、これほどとはな」


 ウェインも眉間にシワを寄せた。レイシーの魔法に対してではない。アレンは紙束を抱えて倒れ込み、アレン一人では追いつかず彼の筆記を手伝っていたランツの手は真っ黒だ。この部屋の道具、すべてを確認した。だというのに。


「――鉄、ガラス、木、布。もう、材質も数え切れないが……一つも、相性がいいものがないだなんて」


 ウェインの言葉にレイシーは強く唇を噛み締めた。部屋の中に転がる道具達は、真っ黒に焼け落ちるか、もしくはその反対に何の反応もしめさないか。それ以外のものは文字がぼやけて読むこともできないようなものばかりだ。


 撮影魔法は光魔法の亜種だから、相性が良すぎればかけられたものは焼け落ちてしまう。


(魔石に込める魔術を調節したらどう?)


 自分自身に尋ねるように、さらなる方法を考える。だめだ。魔石に込める魔術は細かな調節は難しい。破損してしまう可能性が高い魔道具なんて、問題外だ。


 レイシーは自分の額を拳で力いっぱいに叩いて、テーブルから放り出された椅子に崩れ落ちるように座りこんだ。なんとかなると思った。突破口が開けたと思ったはずなのに、これ以上は進めない。


 暗い表情のまま口も開かないレイシーに、誰も、何も言えないような沈黙が流れたが、ランツはぱっと顔を明るくさせ、手のひらをぱしんと合わせる。


「よしっ! これがだめだったなら次です次! この場にあるものがだめだった、ということがわかっただけでも十分な収穫じゃないですか。それならさらに別のものを試せばいいだけです!」


 ランツの笑顔がわざと作られたものであることぐらい、レイシーにもわかった。慰めようとしてくれているのだ。「そう……ですね」 なのに自分の口から出る声は相変わらず暗くて、ただただ申し訳ない気持ちになる。なぜなら、レイシーは理解したのだ。レイシーが求めるような結果が出る相性がいい素材なんて、おそらく――存在しない。


 撮影魔法を使用してみてわかった。この魔術はあまりにも繊細だ。それこそレイシー以外に使用できる魔法使いなど存在しないほどに扱いが難しい。そんな魔術とぴたりと当てはまるような素材がある可能性はゼロに等しい。


(どうしよう……)


 間違っている。なのに、何が間違っているのかわからない。瞳を強くつむった。耐熱樹の樹液を様々なものに組み合わせたときのことを思い出した。あのときは、なんとかなった。だから今回もと考えてしまったのは、あまりにも安易だった。


 杖を握った腕が震える。悔しさが膨れ上がる。ランツも笑っていたはずの自分の口元をぱちんと叩いて、そっと視線をそらした。アレンはレイシーに何を言うべきかと考えて、言えなくて、何か見逃しているものはないかと書き留めた紙を何度も見返した。だからひどく落ち込んでいるレイシーに声をかけることができるのはウェインだけだ。彼だけがレイシーの肩を掴んで、「休憩だ。少し休め、まだ時間はある」と硬い声を出した。


「……レイシー、悪かった。俺が妙なことを考えずに、クロイズ王からの依頼をレイシーにもっと早く伝えてりゃよかった。そうすれば、もっと時間はあったはずなのに――」

「……そうだ、ウェインだ」

「ん?」

「ウェイン、なんて言った?」

「”もっと早く伝えてりゃよかった?”」

「そうじゃなくて、クッキングペーパーを作ったとき。エリーやリーヴやヨーマ達がいて、今みたいに耐熱樹の樹液を色々なものに浸して、確認したとき。みんな、何を持って来てくれたんだった? それで、何で使えなかった? その理由は?」


 すでにウェインへの問いかけではない。レイシーは口元を抑えてぶつぶつと呟く。


 ――木の樹液を塗りつけるんだから、そもそもの耐熱樹の本体、木の皮じゃだめなのか?


 同時にカメラを作っていたときの、自分自身の言葉を思い出す。


 ――窓や鏡や、ガラスのコップ。きらきらしたもの。形に差はあるけれど、みんな私達を映している。


「耐熱樹の木の皮は、同じ材質だから中に吸い込まれて、まったく効力を出さなかった……。撮影魔法は光魔法の亜種だけど、他にもレンズを擬似的に魔力で作って反射させている性質もあるから、私達の姿を写すような、例えば水のような透明な物質にはそのまま吸い込まれてしまう……」


 机の上に置かれている花瓶を見た。殺風景なレイシーの部屋にもともとあったものではなく、これも他の道具と一緒にマテオが持ってきてくれたものだ。部屋の中にあるものは、真っ黒に焼け落ちるか、その反対に何の反応もしめさないか、もしくは写ったとしても文字がにじんでまったく形をなしていないものか。花瓶にいけられた花の数本のうちの一本は黒く焼け落ちていたが、瓶本体には何の反応もない。レンズと似た性質のものだから、魔術が吸い込まれてしまったのだ。


 カチリ、とレイシーの中でパズルのピースが合わさる音がする。


「……ウェイン」

「ん? ど、どうした」

「ウェインがいてよかった。いてくれないと、思いつかなかった」


 唐突に告げられた言葉に、ウェインは驚いたように瞳を大きくさせた。その顔を見て、レイシーはにっこり笑った。

 一ヶ月の時間は、決して無駄ではなかった。積み重なったものは、いくつもあった。


「魔力が調節できないのなら、しなければいい。丁度いい相性を持つ性質なんて探さなくていい。探すべきものは、とにかくいい相性を持つもの! それなら、間違いなく、これ――!」


 レイシーはくるりと杖を回し、詠唱する。またたく間に光が弾けた。レイシーが杖を向けた先を見て、ウェイン達はレイシーの意図を掴むことができず、眉を困惑したようにひそめたが、数秒ののちに、理解した。


「う、うわ」


 最初に声を出したのはアレンだ。信じられないものを見るように口元をあわあわさせて、後ずさった。ランツも同じだ。

 ウェインも自身の瞳をこすって、ただただ驚き、眼前を見つめた。


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