第57話
話すことなんて何もないとつっぱねるアリシアに、レイシーは何度も彼女の部屋を訪れた。そしていつも丁度いい温かさになっている紅茶を飲んで、お腹いっぱいになるくらい毎日クッキーを食べた。皿の上には、いつもやまもりのクッキーが載せられていたからだ。
部屋の中はしんとして、アリシアからは何も話さない。だからレイシーから話すしかない。でも同じ年頃の女性に、何を話したらいいかなんてわからない。どうしよう、と迷って、迷って、レイシーは――。
「あの、それでですね、エリーという元気な女の子がいるんですけど、彼女はセドリックさんに恋をしているらしく、けれども驚くべきことにセドリックさんは過去にご結婚をされていたようで、お嬢さんがいらっしゃいまして」
ただただ、プリューム村での出来事をアリシアに語り続けたのだった。
レイシーが王都にやってきて、アリシアの部屋に出向くようになり三日が経った。あいも変わらずレイシーはアリシアにプリューム村でのことを話していた。「屋敷の裏手には畑があるんです。今はティーとノーイが守ってくれているんですが!」 段々ノリに乗ってきた。初めはおずおずとしていたはずが、今では饒舌に言葉が舌の上で踊って、どんどん湧き出てくる。
アリシアはレイシーの目の前で椅子に腰掛け、静かに紅茶を飲んでいた。
窓からの風も気持ちよく、もしかしたら自分は話し上手なんじゃないだろうか、と新たな自身の才能にちょっとだけ嬉しくなっていたとき、「いい加減にしなさいよぉおおおお!!!」 ブチギレたのはアリシアである。
「えっ……あの、何が……あっ、耐熱樹の説明があまりよくなかったでしょうか? そ、それともプリューム村の人々のことをもっと詳しくお伝えすべきでしたか!?」
「いらないわよ! もう十分理解しましたわ! カーゴとトリシャの双子の息子がリーヴとヨーマ! エリーが好きなのはヨーマでとなんで一国の王女である私がエリーをめぐる恋物語をはっきりしっかりと理解しなければならなくて!? あなた、話下手にもほどがあると思うわ!」
「は、話下手……」
そんな馬鹿なとレイシーはショックを隠しきれない。自分では素晴らしく立派にアリシアとの(一方的な)会話を行っていたと思っていたのに。
「口から出てくるものは魔道具かプリューム村の人々の話、そしてなぜか幼子の恋! もっと別にピックアップすべきことがあったのではなくて!?」
「こ、恋バナは女性が好きなものだと以前にエリーが……」
「せめてするなら自分の話になさい、自分の恋の話に!」
「じっ、じぶっ、じひゅんの……?」
思わず混乱して声が裏返ってしまうと、ハッと何かを察したアリシアが、片眉をピクリと上げた。
「まさか、あなた、そんな話がないの? 一切? えっ、そんな」
これはそこまで驚かれる話なのだろうか。いやそんなことは。
「あなたはもしかして、幼子以下なの……?」
あまりにも勢いよくえぐられて、レイシーとしては机の上につっぷすしかない。いやちょっと待て、と顔を上げた。「そんな、い、一切ない、わけ……では!」 これでも婚約者はいたのだ。と、いうことを言おうとして、いくら話下手と言われようとも、それをアリシアに主張するほど何をわかっていないわけではない。そもそも元婚約者のラモンドに対して、恋というような淡い感情はなかった。
何かを言い返そうとして、でも言葉がでなくてひっこみもつかないような状態で、ふとレイシーの頭に思い浮かんだ姿がある。(……ひっ) 自分自身びっくりして、瞬間、勢いよく体を沸騰したようにレイシーは全身を赤くさせた。頭を抱えて周囲にはクエスチョンマークを浮かんでいる。
明らかに様子のおかしいレイシーだったが、アリシアは片眉をひそめる程度で特に何を言うわけではなかった。
「いえ、私が言いたいことは、そうではなくて……」
アリシアは長く重いため息をついた。レイシーはすぐに考えていたことを吹き飛ばすように顔を上げる。どうにもこの二日見てきた中で、アリシアの様子がおかしい。
「……いつまでもこんな話をされるんじゃたまらないと思ったのよ。もういいわ、あなたが知りたいことを伝えるから、さっさと話して、それで終わりするわ。それでいいかしら?」
「お、教えてくださるんですか!?」
「多分あなた、聞いたらがっかりするわよ。だって大したことない話だから」
つん、とアリシアは顔をそらしたが、瞳だけはちらりとレイシーに向ける。もちろんです、とばかりにレイシーはこくこくと頷いた。
アリシアがレイシーを相手に話をしてくれている。何よりそのことが嬉しいのだ。アリシアはもう一度、静かにため息をついた。レイシーも、アリシアも口を閉ざすと、部屋の中は妙にしんとしてしまう。どきどきする心臓を押さえてごくりとレイシーは唾を飲む。アリシアが、そっと唇を開けて、「理由なんて、“何もない”の」
「……え?」
理由なんて何もない、とアリシアは言ったが、それは一体どういう意味なのか。瞬くレイシーを見て、苛立つようにアリシアは畳み掛ける。
「だから、言葉の通りよ。何もないの! あなたに話すことなんて何もないって最初に言ったでしょ。ラモンド……口先だけのあんなやつに夢中になっていたことは、私にとって忘れたい過去だし、もう過ぎ去ったことだわ。だから新しい嫁ぎ先を探してほしいと私からお父様にお願いしたの。そしてきちんとした経緯で、キーファ様とお会いすることになった。あの方はとっても素敵な方よ」
そのキーファというのが、アリシアの夫となる予定のエハラジャ国の王子だろう。
素敵な方、と言うわりには、アリシアはイライラとした様子で、自分自身を抱きしめるようにぎゅっと腕を組んでいる。
「かっこいいし、優しいし、お金もあるし! 文句なんて何もないわ。私としては婚姻の日取りを待つばかりなの!」
そして、ばしっと胸に手のひらを置き、レイシーを睨んだ。レイシーは借りてきた猫のように大人しく膝に手のひらをちょんと載せて聞いていたが、アリシアの勢いにびくんと飛び上がった。……けれども、それではおかしい。
王が言っていた話と食い違うし、なによりアリシアの周囲にメイドの姿が見えない理由にもならない。アリシアが自分には近づかないようにと周囲の者達に命令しているのは事実のはずだ。言葉のおかしさにはアリシア自身も気づいているのだろう。歯の奥に何かものがつまったような気まずい顔を作ってふんっ、と今度は勢いよく顔をそらす。
「……ただ、以前に、お父様に、そのキーファ様との婚姻が決まってしばらくしてから……あまり気が乗らない、ということをちょっとだけ言ってしまっただけよ。……だってそうでしょ!? 私はこのクロイズ国で生まれ育ったのに、他国に嫁ぐのよ、寂しくならないわけないじゃない! もしかしたら、もうこの国を見ることすらできなくなるかもしれないのよ!? でも私だって王族だし、こんなこともあるかもと覚悟も、理解もしているわ。それなのに、お父様が……どんどん、大げさにするから!」
いつの間にかアリシアは立ち上がって、両手の拳を握りしながら大声を出していた。はあはあと肩で息を繰り返して、顔を伏せる。彼女のきれいなピンクブロンドの髪でさえも、しょんぼりしているように見える。
つまり、だ。アリシアはクロイズ王にちょっとした不安を吐き出した。クロイズ王は驚いて、どうしてかと娘に尋ねた。けれどもアリシアは口を割らない。なぜなら、ただ『寂しくて』言ってしまっただなんて、彼女の中のプライドが許さなかった。突っぱねると、どんどん話が大きくなってしまった。どうしたんだと優しく聞かれる度にさらに何も言えなくなってしまって、逃げるしかなくなって、彼女自身にも、収拾がつかない状態になってしまったのだ。
「…………」
「……だから言ったでしょ、大したことじゃないって。好きに呆れたらいいわよ」
「いえ、そんな、呆れてません」
慌てて首を振った。言葉を失っていたのは呆れていたからでも、驚いていたからでもなく、アリシアには見えないように、ぐっと拳を握っていた。ふつふつと湧き上がる感情を抑えていた。言ってもらわないことには、何も前に進めない。でも、アリシアは教えてくれた。
「はい、アリシア様のことを教えてくださって、とても嬉しく感じていただけです」
「何よ、教えてって……結局、理由なんて何もない。それ以上言えなかったわよ」
「いいえ。違います。アリシア様が何に困っていらっしゃるのか、きちんと理解することができました。……つまり、アリシア様は素直になるきっかけがなくて、困っていらっしゃるんですよね?」
彼女だって今のままではいけないとわかっているのだ。でも今更後には引けなくて、怖くて、どうしたらいいかわからなくて部屋の外に出ることができない。でもパーティーまでの時間は刻々と近づいてくる。
――なるほど。レイシーのするべきことが見えてきた。
「それなら、アリシア様がこの部屋から出るべき “きっかけ”を“作って”お渡しします。『星さがし』におまかせください!」
***
「といったはいいものの、まだ何も考えつかないというか……」
「今度作るものは“きっかけ”か。また抽象的なものを……」
王宮の外で待ち合わせていたウェインと顔を合わせて、レイシーはうなりつつも王都を歩く。街は元気に商売をする人と、それを求める人で溢れている。「自分で言ったことに引っ込みがつかなくなったって、ガキじゃねえんだから」とウェインは呆れている様子だが、それでもレイシーの言葉にしっかりと耳を傾けて彼女と同じく悩んでくれている。
「自分でも今のままじゃいけないと思ってるんだろう、じゃあ無理やりにでも外に連れ出したらいいんじゃないか?」
「そんなのだめよ。自分の意志じゃなきゃ意味がないもの」
外に出たいと思っているのは、アリシアだって同じだ。でもそれを無理やりさせるのと、自分から望んで出ていくとではまったく違う。
勇気を出して、一歩を踏みしめることができたのなら、また次の一歩を踏み出すことができる。だって、レイシーがそうだった。
これからアリシアは異国の地で一人きりになってしまうのだ。真っ暗で何も見えなくても、アリシアの足元をほんの少しでもいいから照らしてくれるような星があれば。そうすればどれだけ先の道が暗くて、恐ろしかったとしても、ゆっくりとでも、こつり、こつりとヒールの音を立てて進んでいけるはずだ。それなのに。
「うううう……」
「こらレイシー、道の端でいきなり落ち込み始めるんじゃない」
店の壁にもたれながら両手で顔を覆った。喉からは勝手に悲しい声が漏れてくる。なんで自分はいつもいきなりやる気に満ちあふれてしまって、のちのち後悔してしまうのか。
「パーティーまでの時間の制限があると思うと、心臓がものすごく嫌な音を立ててる……。カメラを作ったときは、それどころじゃなかったし、クッキングペーパーのときはみんながいて不安を感じるどころじゃなかったけど、でも、次は、他国の王族を開いてパーティーをするまでだなんて……! ヒイイ」
「気にしてないといいつつやっぱり気にしてるもんだなあ……」
どんどん丸まってしまうレイシーの背中をウェインが切ない声を出しつつなでている。一体何をしているんだと道行く人からの視線がちらほらと向けられているが、ウェインは気にすることなくレイシーを隠した。レイシーと言えば、目の前は何も見えていない状態である。
「ど、どうしよう、ウェイン。どど、どうしよう……!!」
「……お得意の道具作りで、何も思いつかないのか?」
「なんというか、ひっかかりはあるけど、まだもやもやしているというか、形にならないというか」
一体、私はどうしたら!? とレイシーが大声を上げた瞬間だ。
「おやや? その声は……やっぱりレイシーさんで?」
振り返ると、そこにいたのはもちろん覚えのある人物だった。
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