第56話

 

 アリシアと顔を合わせた途端に大声で叫ばれてしまった。レイシーは自然と眉間のシワが深くなってしまう。不快というよりも、不安で。むぎゅっと潰れたような顔をして、すでにへこたれそうである。


「ンキャーーーー!? キャフアーー!! ンキャアーーーア!!!??」


 レイシーが黙れば黙るほど、どんどん悲鳴がヴァリエーションに富んでくる。王からの依頼ではなく、ただの父と娘の話。そして困っていることがあるのなら力になりたい。そう考えてやってきたものの、すでに自分の選択を間違えた気がしてならない。やっぱりお呼びでなかっただろうか。


(……どうしよう、というか、以前にお会いしたときと随分印象が……違う、ような)


 すっかり困りかねてしまったが、アリシアはとうとう肩で息をしながら、ふるふると指先を震わせながらレイシーに向ける。


「わ、私は、アステールの魔道具師様をお待ちしているのです! それが、なぜあなたが、どうして!?」

「すみません……」

「すみませんってなんなの!? 死んだような顔をして目をそらさないではっきり言って! 私はあなたのそんなところが以前から……!」


 きっと綺麗に整えていただろう髪を振り回し、アリシアは怒り狂った。そして、ハッと何かに気づいてしまったらしく、雷に打たれた表情で、体中をびりびりさせた。


「まさか、あなたが、アステールの、魔道具師、様……?」

「…………」


 レイシーは再度むぎゅっと顔を引き締めた。「ヒイイッ!?」 扉を閉められた。「本当に!? 嘘ではございませんの!?」 そして開けられた。扉の隙間からアリシアの顔がにゅっと覗いている。警備の兵士はすでに我関せずと言った様子で顔をそらしているし、レイシーには何を返答することもできない。


 困って無言のまま立ち尽くすレイシーを見て、アリシアはぷるぷると唇を噛み締めて震えた。「お入りになって!」 そして勢いよくレイシーの腕を掴んで、部屋の中に引きずり込んだ。



 レイシーは足をもつれさせながら、ばたり、と閉じられた扉を振り向いた。周囲を見回し、妙な薄暗さに驚く。窓は一つを除いてすべてカーテンが閉じられていて、まるでアリシアの心情を表しているようだ。そして部屋の匂いをすん、とかいだ。ほんの少しだけレイシーはヘーゼル色の瞳を大きくさせた。それから口元を緩ませる。あまりじろじろ見ては失礼だと考えてアリシアを見たが、彼女はすっかりレイシーに背中を向けている。


「あの……」

「私、待っていたのよ! それなのに……」

「少し迷ってしまったんです、おまたせしてすみません」

「そういう話をしているんじゃないのっ!」


 ぎゅっと拳を握りしめてアリシアは勢いよく振り向いた。泣き出しそうなほどに顔を真っ赤にしているというのに、ピンクブロンドの髪は美しくて、ともに旅をした仲間であるダナほどではないものの豊満な体つきだ。レイシーの記憶に間違いがなければ十九歳。それより見かけはずっと大人びていて、少しだけ羨ましく感じた。


「私は、アステールの魔道具師様が来てくださるとお父様から聞いていたの。あなただって、知っていたのなら部屋に入れる許可なんて出さなかったわ」

「……すみません」

「謝ってほしいわけではないわ! あなたにまた会うことになるなんて思わなかった。だって、私は、あなたの婚約者と……!」

「え、ええっと」


 ラモンドとの経緯を言っているのだろう。アリシアはばつが悪そうな顔をしているが、が、何分レイシーはまったく気にしていない。


「……なんなのよっ!!」


 アリシアを責める様子のないレイシーを見て、アリシアはヒステリックに叫んでそっぽを向いた。それからすねたように部屋の椅子にどすんと座る。


 レイシーは片手に数えるほどであるけれどアリシアと顔を合わせたことがある。ラモンドとアリシアの“浮気”現場を見てしまったときはもちろん、魔王討伐に旅立つ際の激励や、パレードの際にも王族としてのアリシアを幾度か相対した。


 そのときは見かけと同じく、もっと大人びた印象だったが、もしかすると今の彼女が本来のアリシアなのかもしれない。すねて頬を膨らませている様子なんか、鍛冶屋の娘、そして双子の弟ヨーマの想い人であるエリーとそっくりだ。子供と一緒と考えると失礼な話かもしれないが、そう思うと嘘のようにすとんとレイシーの胸が楽になった。


 アリシアは隣国、エハラジャ国の王子との婚姻を初めは嫌がってはいなかったとウェインは言っていた。彼も王からの聞きかじりだろうから、それが本当のこととは限らない。嫌がっている様に見えなくても、本心は反対だったということもあるだろうし、自分の気持ちなのに自分にだってわからないということもあるからだ。


 だからまずはアリシアが、一体どう思っているのか。それを尋ねたかった。


「……お菓子くらい、食べたら」

「えっ」

「用意していたんだもの。私一人じゃ食べきれない」


 相変わらずアリシアの声には不機嫌さがにじんではいるが、彼女の視線の先にあるテーブルの小皿には真っ赤ないちごがちょこんと載ったケーキが切り分けられていて、その他にもこんもりとクッキーが大きな皿の上には山盛りだ。そしてすでに準備されていたらしいティーカップからは温かな湯気が立ち上っていた。


 レイシーは少しだけ瞬いた。そしてそっと頭を下げ、「失礼します」と声をかけてアリシアの目の前の席についた。手を伸ばしてカップを傾けると、ほっと胸の中まで温かくなる。アリシアはぶつぶつと何か呟いている。


「……なによ、誰も正体を知らない魔道具師って聞いて憧れていたのに。魔術は国一番で? 魔王を倒した英雄の一人で? さらに流行りだって生み出してしまう魔道具師って、なんなのよ、詐欺じゃないのよ……!」


 なんだろう、と耳をすますと聞こえてしまった。胸の奥の変なところにケーキが詰まってしまいそうだ。少なくとも飲んでいた紅茶は若干吹き出してしまった。


「……ええっと、あの、アリシア様」

「何よ、私、あなたと話すことなんて何もないわよ。どうせお父様からの差し金でしょ。わかってるわよ」


 つんとしている。まったくとりつく島もないが、問わないことには始まらない。

 果たして、どう伝えたらいいだろうかとレイシーは少しだけ困った。これがウェインなら相手の心情も慮って上手に言葉を選ぶのかもしれない。けれどもここにウェインはいない。


「……おっしゃるとおり、私はクロイズ王からのご依頼を受け、この場に参りました」


 だから、そのままレイシーが感じることを伝えるしかなかった。


「王は、アリシア様をご心配なさっています。もしよければ、お力になることは……できないでしょうか?」


 アリシアは、レイシーとひたりと視線を合わせた。


「……私、あなたと話すことなんて、何もないわ」




 ***




「それで、そのまま帰ってきたってか?」

「まあ、そうなるわね……」

「相変わらずいけ好かない王女様だな。想像通りのご反応だ」

「ウェイン、そういう言い方はしないで」


 はいはい、とウェインは肩をすくめている。

 ウェインとレイシーはてくてくと王都を歩いた。ウェインはすでに幻影魔法を使用しており、自身の顔を隠している。彼が勇者であることが知れ渡っているプリューム村ならともかく、王都で勇者がいるとなると多くの人々が彼の元に駆けつけて街中パニックになってしまう。すでに魔王討伐から一年以上が過ぎているが、今でも勇者の人気は根強い。ちなみにレイシーは実際の彼女とは別の姿で伝わっているため、何の気兼ねなく人混みを歩くことができる。


「それならもういいんじゃないか? 向こうが望んでいないのなら無理をしても仕方ないだろ。そりゃあ、隣国との関係も気になるが」

「あのね、正直エハラジャ国とのことはあんまり気にしてないの」


 もちろんこれが戦争のきっかけとなってしまうのならば問題だが、クロイズ国は魔王を倒したことで周辺諸国に対しての大きな貸しがあるため、それほど大きな話にはならない可能性の方が高いだろうと踏んでいた。国家間の問題に発展するのならば、それはレイシーの出る幕ではなく王族自身、つまりクロイズ王が頭をひねらせるべき話だ。あくまでもレイシーは、アリシアがどう思っているのか、一体何を悩んでいるのかということ知りたかった。


 と、いうことをウェインに説明すると、「なるほどな」と納得してくれた。途中、露店で簡易食を購入することを提案されたが、レイシーは口元に手を当ててけぷりと息をついて首を振る。一体アリシア様のところでどれだけ食べて来たんだと呆れられてしまった。なんせ山盛りのクッキーが皿の中にひしめき合っていたのだ。


 腹ごなしの小休憩として、ウェインとレイシーはベンチに座った。もともと少食のレイシーであるため、気を抜くと勝手に口から何か出て来てしまいそうだ。真っ青な顔色をするレイシーを見つつ、ウェインは問いかけた。


「で、また王宮に行くのか?」

「……うん。結婚まで、もう日がないんでしょう。おえっ」

「……本当に大丈夫なのか?」


 気にはしてないと言ったものの、アリシアが気持ちになんの陰りもなくエハラジャ国に行くことができるのならもちろんそれが一番だ。なるべく早くアリシアの不安を取り除きたい。

 ウェインはレイシーの背中をさすさすとさすっている。


「それなら、二週間後にエハラジャ国の王子を招いてパーティーを行う予定だと聞いているから、そこがリミットかもな……主役がいなけりゃ問題だろう。」

「たしかにそうね……。どうしたらいいのかしら」

「そもそもなんだが、アリシア様本人が、レイシーに相談する気がまったくないんじゃ俺はお手上げのように思うがね」

「それはそうなんだけど……。でも、出ていけとは言われなかったのよ」

「話す気はないと言われたんだろ?」


 ウェインに、アリシアと一体何を話したのか、ということはだいたい伝えている。レイシーはゆっくりと頷いた。「じゃあ同じだろ」「同じじゃないわ。出ていけだと打つ手はないけど、話さないなら行ってもいいってことだもの。全然違う……と、思う」


 ウェインと話しているうちに、お腹の中もこなれてきたかもしれない。ふう、と息をついてお腹をさすりつつ自信がなさそうに眉を八の字にしてしまう。


「……それは、単に言い方の問題じゃないのか?」

「そうかもしれないけど。でも、飲んだ紅茶が温かったのよ」


 それがどうした、というようにウェインは首を傾げている。だからね、とレイシーは説明した。


「私がいつ来るのか、具体的な時間はアリシア様はご存知でいらっしゃらなかったでしょう。私達が城の中を迷ってしまったから伝えた時間よりも遅くなっただろうし。それでも紅茶が温かいということは、直前に準備なさったんだと思う。誰も部屋の中に入れずに引きこもっているとのことだから、メイドの数も最低限にしていらっしゃるはずよ」

「それならまさかアリシア様が紅茶を淹れたって言いたいのか?」

「王族なら魔力をお持ちでいらっしゃるはず。お湯を温める程度の魔法なら知っていてもおかしくないわ」

「紅茶の淹れ方はどうやって知ったんだ」

「私だって、最初は見よう見まねだったし、入るときに部屋の中でばたばたと音がしてた」


 メイドがいたのなら、あんなに大きな音はたてないだろう。それに大皿にこんもりとお菓子を積むようなことはしない。たとえ来るのは顔も知らないアステールの魔道具師だと思っていて、レイシーが来るということは知らなくても、アリシアはやって来る誰かを歓迎しようとしてくれた。

 それならレイシーだって彼女に気持ちを返したい。でもクッキーはちょっと食べすぎだったかもしれない。


「それにね、アリシア様の部屋に行ったとき、私が作った匂い袋があったわ。いくつかの相性のいい匂いを慎重に選んでいてくれていた。保冷温バッグも立派に飾ってあったの。ちょっと笑っちゃったけど、嬉しかった」

「よっぽどレイシーのファンなのかね、まあ、お前だってことは知らなかったみたいだけど」


 恥ずかしくなって苦笑してしまった。アリシアがつらい気持ちを持っているのなら教えてほしい。レイシーの心の中は、ただそれだけだ。

 レイシーを見て、ウェインはため息をついていた。けれど結局、「気が済むまでしたらいいんじゃないか」と応援してくれる。


「ちょっと長丁場になりそうね。プリューム村にはまだ戻れそうにないかも」

「それなら俺の家に来るか? とりあえずパーティーが終わるまで、追加の休暇をもらえるそうなんだが」

「ウェインの家に?」


 きょとりとウェインを見上げると、「おう」と頷いたが、中々返事をしないレイシーを見て首を傾げ、ぼふんと勢いよく顔を赤くさせた。


「いや、待て、妙な意味じゃもちろんない。シェルアニク家の別宅だから俺以外にも使用人だっているし、プリューム村では逆にレイシーの屋敷に俺が泊まっているし、部屋なら余っているしとだな!」

「あ、ううん。嫌なわけじゃないの。でも、さっきクロイズ王の使いの人に教えてもらったことがあるから大丈夫。私が前に使っていた家がまた空き家になってるみたいだから、しばらくはそこを使うわ」

「そ、そうか。そりゃ慣れた場所の方がいいな」


 たしかにちょっとだけ懐かしい。まずは当面の荷物を運び入れる必要がある。でも村から持ってきたものはそう多くはないから、さっさと終わるだろう。


「そしたら、つ、次は確認しに行かなきゃ」


 やるべきことを考えると、レイシーの心臓がどきどきと早鐘を打ってきた。ふう、と目をつむって緊張していた気持ちをなんとか落ち着かせる。でもやっぱり怖くなって、拳を握る。


「確認?」

「うん、さっきするのを忘れてたから、ちゃっ、ちゃんとしておかないと」

「……一体、誰に?」


 レイシーは、ぎゅっと口元を尖らせた。彼女なりの気合の表情である。そしてウェインに向かって、ぐっと親指を立てた。ウェインはきょとんと瞳をさせた。一体彼女が何をするのか。それから続いたレイシーの言葉を聞いて、ウェインはなんだかちょっと呆れたような、でも面白がっているみたいな、そんな顔だった。



 ***



「ンギャーーーッ!?」


 絹を裂くような悲鳴が響く。 アリシアは両の頬に手を当て、そのまま固まる。そしてレイシーの顔を確認した。「イヤーーーーッ!?」「ヒーーーーッ!!」「いや一緒に叫ばないでよ! 今は私が叫んでるのよ、っていうかあなた帰りましたわよね、帰りましたわよね、私の気の所為だったかしら!?」 ズビシッとレイシーに激しく人差し指を突きつけながら、アリシアは大盛りあがりである。


「かか、か帰りました! そ、それで、荷物を片付けましてっ」

「そうよね、やっぱり私の間違いじゃありませんわよね」

「お城に引き返しまして、クロイズ王にもう一度アリシア様のもとに伺ってもいいかの確認を行いまして、再度こちらに参りました……!」

「丁寧に順序を踏んでんじゃないわよォ……!」


 王女からのツッコミがとまらない。


「っていうか、さっきからガチガチに歯の根が合ってないけど!?」


 アリシアには帰れとは言われなかった、そうウェインには伝えたけれどそんなのただの言い訳だと自分でもわかっている。話すことはないと否定した人のもとに行こうとなると、心臓がどくどくして、足だってがくがくして息だってうまく吸い込めない。

 それでも。


「こ、怖いので!」


 さすがに耐えられなくて、大きくさせた杖を握りしめてしまった。レイシーの杖は、彼女の心情に比例して大きさを変える。集中すればするほど。不安に思えば思うほど。レイシーの言葉に、アリシアはぎょっとしたようにレイシーを見た。はくはくと口を動かし苦しげに眉を寄せて、胸に手のひらを当てる。


「……私が、怖い」

「はい! アリシア様が悩まれていることを知ることなく終わってしまうことが、とても……怖いです!」


 もちろん、聞いたところでレイシーには何もできないかもしれない。でも逆に、何かできるかもしれない。アリシアが本当にレイシーのことを嫌がっているのならそれはただのお節介だ。でも、確認しなければそれもわからない。レイシーに紅茶とケーキの温かいもてなしをしようとしてくれた彼女の力になりたい。


 全部、レイシーがアリシアにぶつからなければわからないことだ。


 てっきり自分が怖いと言われたのだと勘違いをしていたアリシアは、続いたレイシーの言葉に瞳をまんまるにさせた。そして指の先からどこまでも、体中を真っ赤にさせた。そして何やら言葉にもならない声を叫んでいたが、結局、何をいっているかわからなかったし、アリシアの部屋の前を警護していた兵は扉越しにもかかわらず、そっと耳を塞いでいた。

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