第55話

 

「――ただのレイシーとして、アリシア様のお力になることを、願っております」


 ただ真っ直ぐに、少女は自身を見つめた。


 ――こんな顔をする娘だったか……?


 クロイズ王はわずかに身じろぎをした。レイシーがプリューム村に住まいを構えていることは、彼とて把握していた。アステールの名を与え、自由に生きることを許したとしても、暁の魔女の存在はクロイズ国にとって大きな脅威だ。知らぬふりをすることはできない。けれども、王は“レイシーの願いを必ず叶える”という、ウェインの願いを承諾した。魔女と勇者、二人からの願いとあっては、反故にするわけにもいかなかった。


 だからこそレイシーの居場所を知らぬふりをして、勇者に暁の魔女を見つけるようにと願った。一ヶ月という期限を与えたが、勇者が暁の魔女をかばうことは想像もできたので、ウェインがレイシーを連れてくる可能性は内心かなり低いと見積もっていた。それが蓋を開けてみるとどうだ。


 娘のアリシアをどうにか快く隣国に送ることができないかと頭を悩ませる日々の中で、わらにもすがる思いだった。そもそも、レイシーはアリシアが隣国に嫁ぐ決意をしたきっかけとも言えるのだが、もう打つ手がない。王はアリシアを目に入れても痛くないほどかわいがっていたが、それと国の政治は別だ。今回ばかりはあまりにもわがままが過ぎると頭が痛いばかりだった。


 だから、レイシーが暁の魔女としてこの場に立っているのではないと否定したとき、背中の冷や汗が止まらなかった。まさか引き受けてくれないのでは、とごくりと唾を飲み込んだ。そして、くだんの台詞である。レイシーとして、アリシアの力になることを願っていると言われるのであれば、こちらの返答も一つしかない。


「もちろん、期待しておる。よろしく頼む」


 王の返答に、ゆるく、レイシーは微笑んだ。ヘーゼル色の瞳が自身を見つめている。

 ぎくりと彼は頬をこわばらせた。


 ――本当に、これは私が知るレイシー・アステールなのか……?


 記憶の中にいる少女よりも、少し背は伸びたかもしれない。顔を隠すようにかぶっていた重苦しいローブではなく、年頃の少女らしい服を着ていた。本来謁見となればそれ相応の状況に見合う服に着替えるべきだろうが、自身が許した。一刻も早く会うことを願ったのだ。


 たしかに外見は変化している。しかしぞわりと背筋をはしるような感覚のもとは、決してそれだけではない。気づくと手の筋が浮き出るほどにクロイズ王は椅子の肘掛けを握りしめていた。


 ――立つことでさえも精一杯だったような、あの少女は、一体どこに行ってしまったのだ……!?


 自分の力で生き抜きたいと契約紋の解除願い出たとき、レイシーはがくがくと足を震わせ杖を握りしめて立つこともままならず、振り絞った勇気はあっけなく潰れてしまいそうな、ただの十五の小娘だった。国一番の魔法使いで恐ろしいほどの魔力を秘めているはずなのに、内面はひどく幼いというのがクロイズ王がレイシーに抱いていた印象だ。


 それが、今やどうだ。


「……早速、アリシアの部屋に向かってくれ。すでにあの子には伝えてある」

「わかりました。失礼いたします」


 頭を下げ去っていくレイシーとウェインの二人が扉の外に消えたとき、王は長い溜息をついた。


「レイシー・アステール……。今はたしか、十六の少女か……」


 孤児であるが魔術の才は人一倍抜きん出ていた。内面とのアンバランスはあれど、むしろそれが彼女の魔術をより強くしていた。魔王を倒すための人選として若すぎるという点を除き、彼女以外の適任はいなかった。しかし人としてはあまりに未熟であったはずなのに。


 娘の年を思い出す。レイシーよりも年は三つは上だが、今回の件も含めて一国の王女とは思えぬほどに奔放さだ。あれが他国に嫁ぐと考えるとさらなる悩みの種が募るばかりだ。


「あれでは、どちらが上かもわからんな……」


 十六歳と思えぬほどに、レイシーの見かけは幼い。逆にアリシアは年齢以上に大人びて見えるのだが、あくまでも外見だけの話だ。これがせめて反対であったのなら、とありもしないことを考えて、王の口元から出てきたのは、長い長い、ため息だった。




 ***




「ん、ぐぐ、ぐぐぐ」


 のしのしとレイシーが闊歩する。その隣をウェインが。すっかり閉ざされた扉から必死で距離を開けるように早歩きで歩く。勝手知ったる王宮である。アリシアの自室への道案内はレイシーの様子を確認してウェインがさっくりと断っていた。歩く、歩く、歩く。めちゃくちゃ歩く、ちょっと走る。


「……ぷっぱあ! 怒られるかと思った、絶対に怒られるかと思った、うわああああ」

「いいや。別にレイシーは何も間違ったことは言っちゃいないぜ。なんせ、王はお前に命令する権利なんてないんだからな」

「それでもよ! ああ、死ぬかと思った……! 見てウェイン、足がすごくがくがくしてる!」

「ははは、すげえ、生まれたての子鹿よりも小刻みに震えてるな」


 最終的に震えが全身に回って、逆に落ち着いてしまった。壁にもたれるようにして力いっぱい息を吸い込んで、吐き出した。やっぱりまだ少し、指先が震えている。

 その震えを、レイシーはじっと見つめた。


(私、まだ、ちゃんと立ってる)


 怖くて、崩れ落ちてしまいそうだった。けれど、持ちこたえた。指だって震えているけれど、それだけだ。無理やり拳を作るように握りしめて、じっと見つめる。


「ウェイン、私、進んでる」

「おう」

「ちゃんと、成長してる」

「そうだな」

「大きく、なってる!」

「それはちょっとだけな」


 最後はちゃんと肯定してくれなかったけれど、見上げるとにっと口元を伸ばすように笑っている。


「よし、行くぞぉ!」


 えいっと腕を掲げて、力いっぱい踏み出す。ウェインは少しだけ苦笑していた。そしてレイシーはくるりと反転した。案内を断ってしまったから、アリシア様の部屋がわからない。ウェインと見つめ合い気持ちを共有する。静かな瞳だ。なるほど、おそらくウェインもわかっていない。当たり前である。いくら勝手知ったる城と言っても、ウェインがアリシアの部屋に行く用事などあるわけない。だいたいここらへんだろうか、という認識がある程度である。


「…………」

「わるい。レイシーの様子が、ほら、ちょっとおかしかったからな?」


 人目がない方がよかったろ? と道案内を断った彼の判断は、間違いなく正しい。がくがく震えて、おかしな醜態をさらすところだった。さすが勇者、と茶化している場合ではない。レイシーとウェインは、うんと互いに頷いて、潔く反転した。



 ***



 断った道案内を再度頼むという気まずさを乗り越えて、「あちらがアリシア様の自室になります」と告げた案内の兵士にぺこりとレイシーは頭を下げた。すでにアリシアに伝えている、と王は言っていたから、とりあえず入り口の警備の兵に声をかければいいのだろうかとレイシーは首を傾げた。目的地は目と鼻の先だが、まだドアを挟んで二つ分の距離がある。


「レイシー、悪いが俺はここまでにしておく。俺がいたら話すものも話せなくなる気がするしな」

「えっ、そんなことは……」

「一応、王女の恋人をはめたのは俺だろ。あっちからすると俺は大罪人みたいなもんじゃないか?」


 ラモンドの浮気の証拠をクロイズ王に突きつけたのはウェインである。その場にはアリシアもいた。レイシーが否定も肯定もできずに困りかねていると、「気遣わせて悪いな、城の外で待っておく。こっちのことはあんまり気にすんな」とくしゃりとレイシーの頭をなでてウェインはさっさと消えてしまった。


 案内人の兵士もいないものだから、ぽつん、と回廊で一人きりになってしまう。けれどもいつまでもこうしているわけにはいかない。見えたアリシアの部屋の前では警備の兵がまっすぐに前を向いて後ろに手を回し、直立不動で立っている。とてとてと近づき、声をかける。


「あの、すみません。王から、アリシア様の自室を訪ねるようにと言われたのですが……」


 おずおずとレイシーが伝えると、「アステールの魔道具師様でございますね。すでに伝令の者より伺っております。アリシア様はすでに部屋の中でお待ちでいらっしゃいます」と丁寧にお辞儀をされた。


「中で……」


 入っていい、ということだろうかと顔を上げると、がたがた! と中で何かが暴れている音がする。警備の兵士とちらりと視線を合わせ、今はやめた方が、とレイシーは眉をハの字にした。がたがた、ばたばたばた……。レイシーはさらに胡乱に扉の向こうを見つめた。一体どうしたらいいのかと困惑している。


「いえ、魔道具師様がいらっしゃいましたら、いつでも通してもよいとアリシア様はおっしゃっていらっしゃいました」

「でも、これは……」


 兵士は静かに咳払いをし、扉のノックを三回する。『もういらっしゃったの!? 来ないように言って!』 ほらやっぱり、と何の自信かわからずにまるで胸を張るような気分になって兵士を見上げた。『だめ、やっぱり今すぐ入ってもらって!』 どっちなんだ。


 二つ言われると、とりあえずノーの方を優先してしまうレイシーである。とりあえず無難な方ということで入らないことを選択した。部屋の中のどたどたした音はいつの間にか消えたが、入室の許可が出るまでじっと待った。待つことはそれほど嫌いではない。一分、二分。

 煮えきらずに扉を開けたのはアリシアである。


「ああ、もう! なんでいつまでも入っていらっしゃらないの!!」


 そう言って、勢いよく扉を開けた。レイシーはただ瞳を大きくさせてアリシアと顔を合わせた。ぱちぱちと瞬いて口元をきゅっと閉じる。「あらごめんなさい、想像よりお近くにいらっしゃったのですね、驚かせてしまい申し訳ございませんわ、そして、あなたがアステールの魔道具師……」 ほほ、と清楚に微笑みつつ、アリシアはレイシーの顔を再度見て、「……あら?」 そして口をぱくぱくとさせている。


「あっ、あっ、あ、あなた、暁の、魔女……!?」


 以前に会った際は忘れられていたが、今度はちゃんと覚えていてくれたらしい。問われれば肯定するしかない。こくりとうなずく。


「はい。お久しぶりです、アリシ」

「ヒギャーーーー!!!!!!??」

「…………」


 レイシーの言葉にかぶさるように、アリシアは両手をわなわなさせて、あらん限りの悲鳴を上げた。面と向かって絶叫されるのは初めての経験である。


 とりあえず、今度の依頼も一筋縄ではいかないようだ。

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