第54話

 

 ――アリシア・キャスティール


 ピンクブロンドが愛らしいクロイズ国の姫君だ。上に兄が二人いるものの、王女はただ一人きりであるため国王にはいたく可愛がられている。そして、隣国であるエハラジャ国の王子と近々婚姻の予定。王都はアリシアの婚姻を祝うためにすぐに色とりどりの春で包まれるはずだ。そして王都近辺の花の値段はみるみるうちに高騰する。だからこそセレネは結婚式を急ぐ必要があった。


(その、アリシア様についてのご依頼を、クロイズ王から……?)


 想像もしていなかったことばかりだから、一体どういう反応をすればいいのかわからない。静かだったはずの草原が、レイシーの心情を表すように途端にざわざわと風に揺れだす。


「レイシー、言っておくが、これは王としての命令ではないし、命令であったところでお前には断る権利がある。お前はもう国に繋がれているわけじゃないんだ」


 そこまで言い切ったあとに、ウェインは長く溜息をついてどっかりとあぐらをかいて座った。今口に出している内容を伝えることは彼にとってひどく不本意なことのようで眉間のシワを深くさせて不機嫌に顔をそむけている。

 先程は責めるような気持ちになってしまったが、なぜウェインがレイシーにすぐに依頼を伝えようとしなかったのかすぐに想像できた。レイシーの意志を尊重しようとしたのだ。ウェインはいつだってそうだった。


「……気遣ってくれてありがとう、ウェイン。でも聞かない理由はないから」


 星さがしとしてではなく、暁の魔女、レイシー・アステールに対する依頼なのだとしても同じことだ。レイシーもウェインの隣に座った。ウェインはゆっくりと鼻から息を吸い込んで、吐き出す。ウェインを見ていると、彼が貴族の子息であることを忘れそうになるときと、やっぱり貴族なのだと思い出すときとあるが、今回は忘れそうになるほうだった。長い溜息が終わった後で、ウェインはゆっくりと顔を上げた。


「ほら、その……アリシア様は、近々結婚の予定だろう」

「うん、春になったらだから、もう一月もないはずよね」


 アリシア様のおかげでクロイズ国はどこもかしこも結婚ブームなのだとウェインが言っていたことだ。ウェインは慎重にレイシーの様子を探っているようで、ちらりと視線を向ける。レイシーは首を傾げた。一体どうしたのだろうか。


「アリシア様は……なんていうか、色々あったろ? なんていうか、そのあれだよあれ」

「あれ」


 どうにも説明しづらく腕を組んで唸るウェインを見て、おそらく彼はラモンド・デジャファンとアリシアの経緯をさしているのだと理解した。込み入った内容だから言いづらいのだろう。

 ラモンドは、もとはレイシーの婚約者だ。そしてアリシアはラモンドの浮気相手だった。むしろラモンドから言わせれば、王女であるアリシアが大本命だったのかもしれないが、悲しいことにもラモンドの女癖の悪さは天下一品であり、アリシア以外にも幾人もの女達に手を出していたのだ。アリシアとの浮気を王の前で暴かれた際、アリシアとの真実の愛を問いていたラモンドだったが、結局、その手癖の悪さに応じた罰を受けてしまったと聞いている。


 レイシーがウェインに受けた説明をまとめるとこうだ。アリシアは、件の騒動で心の深い傷を負った。男なんてもうこりごり、となるかと思いきや、アリシアは積極的に“婚活”を行った。男を忘れるには新しい男、というわけでラモンドとのことを記憶の底に埋めるべく、他国に嫁ぐこととなった。隣国のエハラジャ国はクロイズ国の友好国であり関係を深めるためにも丁度よく、話はトントン拍子で進んだ。……はずだった。


「ここ最近、嫁入りが具体的になってくるとアリシア様がひどく落ち込むようになったらしい。部屋から一歩も見ないで、窓から王都を眺めてばかりなんだと。自分で望んだくせに勝手な話だと思うがね」

「ウェイン。自分で決めたことでも後になって不安に思うことはよくあることよ」

「わかった。これ以上は言わない。さっきのはただの本音が口を滑っただけだ」


 レイシーが知っているウェインと違うようで、少しだけ不思議になった。少なくとも、ウェインは怒っているように見える。けれど、するりとそれを飲み込んで話を続けた。


「部屋にこもりきりのアリシア様が、唯一興味を示したのが、レイシーの魔道具だった。匂い袋がいたくお気に入りで新作が出る度にメイドを使いに出しているらしい」

「それは……」


 くすぐったくなるような、なんとも言えない気持ちである。


「偉い教会の神父様や名だたる商会の組合長、旨い料理を作るシェフやきらびやかなドレスを作るデザイナー。王は色々な人間に依頼を出した。アリシア様がお好きなものや、地位や名誉のある人間に助けを求めたが、誰一人として部屋にすら入れてもらえないし、笑いもしない。……レイシー、お前が作った魔道具を受け取るとき以外はな」


 ざわざわと風が通り過ぎる音が聞こえる。ひたりと音が止まってしまったみたいだ。


「……もちろん、レイシーが作ったものだということは知らないから、純粋にアステール印の魔道具のファンなんだそうだ。というわけで本人がいないところで式の準備は刻々と進んでいく。困りかねた王が、最後に頼ったのはレイシー、お前だと言うことだ」


 いくらエハラジャ国が友好国なのだとしても、式の直前で結婚の取りやめを行うことはできないし、友好国との亀裂になりうる。そしてアリシアが望んだということは、クロイズ国からの申し入れの可能性もある。いくら子供の中でただ一人の娘であるアリシアをかわいがっていたとしても、王が頭を抱えるのも無理はない。


「王都に行くわ。そして王の依頼を引き受ける」


 もちろん、自分が力になれるかどうかなんてわからない。けれど行かなければ何も始まらない。あまりのレイシーの返事の早さに、ウェインは面食らったように瞳を瞬いた。


「……本当にいいのか?」

「うん。でも別に、私はクロイズ国のために行くわけじゃないわ。そりゃ隣国とは仲良くしたほうがいいに決まっているけれど。でもこれって、つまりセドリックさんとセレネさんと同じ、ただの父親と娘の話でしょう」


 あちらはよくて、こちらはよくないというのはおかしな話だ。もちろんレイシーだって人間だからどうしても贔屓してしまうときはあるだろう。けれど、これは『星さがし』への依頼と同じ。王と王女、そしてただの魔法使い。レイシー達を指す言葉はそれこそいくらだってある。けれどそこにいるのはただの個人だから、王であるから話を受けないという選択肢はレイシーの中にはない。


「父親と娘の話といわれりゃ……そりゃあ、その通りだが。でもな、嫌な感情はないのか? なんせ“あの”アリシア様が関わる依頼だぞ」

「嫌な感情? どうして?」

「だからその……ラモンドと、色々あったろ」

「色々……? …………あっ、ああ」


 ぱちん、とレイシーは手のひらを合わせた。

 つまり色々とはアリシアがレイシーの婚約者であるラモンドと浮気をしていたことだ。国から繋がれて誰かに命令され生きていくのではなく、自由に生きたいと願うレイシーにウェインが王からの依頼を告げなかった理由は理解していたが、さらにもう一つ、ウェインを気遣わせるものがあったらしい。くすりと笑ってしまう。

 そういえば、アリシアの結婚話をサザンカ店でしたとき、あまり興味もなくあっけらかんとした反応をするレイシーにウェインは困惑しているような様子だった。


「ウェイン、気遣ってくれたのにごめんなさい。あの、正直に言うと私の中で全然気にしてないというか、むしろ今の状態になるきっかけを作ってくださったアリシア様には感謝しているくらい、というか……」


 むしろ王の前でラモンドとの仲を引き裂く真似をしたこちらに不審な感情を抱いているのではないかと不安に思うくらいだ。レイシーはラモンドのことを何も知らない。どんな男だとウェインに聞かれたとき、外見以外まともに答えることができなかったくらいだったのだから、婚約者に対して残念に思う気持ちも、悲しく思う気持ちも何もない。


「あの、ご、ごめんなさいね……?」

「……そうだよな。お前は、そんなやつだよな。結局ただのおせっかいだったか」


 がっくりとするウェインに大変申し訳ない気持ちになった。


「俺はてっきり、あのときお前が、泣いてたから……」

「あのとき……。あっ、えっ、そ、それはっ!」


 レイシーは思わず声をひっくり返してしまった。

 あのときとは、ラモンドとの婚約が白紙になったときのことだろう。

 プリューム村に来る少し前のことだから、もう一年以上前のことだ。ほっとして、子供のように泣いてしまった。人前で泣いたことは初めてで、もしかすると涙を流したのも初めての経験だったかもしれない。忘れてほしい事実を今更ほじくり返されて、レイシーの顔は一瞬にして真っ赤にそまった。そして今の今までウェインが勘違いをしていたと考えると、今すぐに死にたいような気持ちになる。


「あっ……あれは、ち、ちがっ、ちがうから! 別に、婚約のことで泣いてしまったんじゃなくって、その、ただ! あ、安心、しただけで……!」

「……安心?」


 きっとウェインがいてくれたから。

 一人で孤独を吐き出すことなく、生まれて初めての涙をこぼした。……でもそんなこと、言えるわけない。レイシーはただ恥ずかしさにあえいだ。


「とにかく、違うから! 婚約の破棄と、泣いてしまったことは、本当に関係ないから!」


 きちんと説明すればいいのに、とにかく気恥ずかしくてできない。でも知ってほしいと感じるような、わけのわからない感情が胸の中をぐるぐるしている。「この話は、これで終わりです!」「お、おう」 なので無理やり終わらせた。レイシーは真っ赤な顔で立ち上がって、胸いっぱいに息を吸い込む。すると先程までおろおろしていた少女はどこにもいない。


「……依頼は引き受けるわ。私は、暁の魔女でもなく、アステールの魔道具師としてでもなく、ただの『星さがし』のレイシーとして。“自由”に、自分自身が選択して、そう決めた」


 相手が王様だとして、レイシーにはなんの関係もないことだ。困っている人がいるのなら、とても小さな、ただのきっかけにしかならないだろうけれど、手のひらを貸す。それだけのことだ。レイシーの長い黒髪が、風の中を泳いでいた。ウェインは静かに彼女を見上げた。そして膝に手をかけながら、同じく立ち上がる。


「そうか、それがお前が出した結論なんだな」


 先程と同じ言葉だ。けれど、ずっと柔らかくて、ウェインの口元もほんの少しだけほころんでいた。


「それなら、俺はクロイズ王の面前にお前をつれていく。万が一だが、お前が望まない結果を強要されるってんなら、全力でお前を守ると誓うよ」

「ウェインの気持ちはすごく嬉しい。でも、もう大丈夫だから。これ以上、無理はしないでほしい」

「無理じゃない。これが俺の“願い”だ」


 魔王を討伐し、城に帰還した際、仲間達はそれぞれ王に願いを告げた。一人は自身の武を、流派として認めること。一人は多くの孤児が路頭に迷うことのないように、さらなる褒美の金を。レイシーは国に繋がれるのではなく、自由に生きることを。そしてウェインはレイシーの願いを必ず叶えるように願った。


 今までウェインに与えられたものを返す術をレイシーは知らない。口元をきゅっと引き締め、じっとウェインと顔を合わせた。今にも泣き出しそうな、けれどもやっぱり違うような。それ以上の言葉はなく、互いに出した拳を力強く合わせた。



 ***



 王都への荷造りは慣れているはずなのに、以前より時間がかかるようになってしまった。レイシーは自身の部屋を見回して少しずつものが増えていることに気づいた。何も入っていない空っぽのコップの中に、少しずつしみていくようにレイシーという人間ができていく。ティーとノーイに屋敷を任せ、ウェインの愛馬に乗って駆けた。プリューム村に来てからもアレンと王都の様子を探るべくやって来たことはあったが、久しぶりにくぐり抜けた王都は妙に活気にあふれているようで胸の中がそわついた。


 昔はもっと街は寂しくて街を歩いている人達はレイシーよりもずっと遠い場所にいたような気がするのに、自身の瞳の中の色彩が変化していることを改めて感じた。王都はレイシーの記憶よりもずっと鮮やかで、賑やかで人々は楽しげに笑っていた。


 ときおりアステールの印を刺繍したバッグを持っている女性を見かけて、レイシーの小さな心臓がはじけとんでしまいそうになった。嬉しくて、むずむずして、口元を喜びに震わせながら必死に胸をさするレイシーを見て、ウェインは少しだけ苦笑していた。


 そして王城に向かった。初めてではないにせよ、少しは緊張する。王に謁見を願い、意外なことにもスムーズに謁見室に案内をされた。通常ならいくら暁の魔女であるレイシーや、勇者であるウェインを相手にしているとは言え、ある程度の時間は待たされるはずだ。それほど、王の中では切羽詰まっている話なのだろう。


 立派で大きな扉をくぐり抜け、壇上の椅子にどっかりと座る王を見上げた。以前に見たその人よりも、少しだけ小さくなっているような気がする。王は白くふっさりとした眉毛をぴくりとさせた。


「暁の魔女、レイシー・アステール。よくぞ参った。そしてウェイン、アステールの魔道具師を見事探し当て、この場まで連れてきたことを褒めてつかわす」


 静かにウェインは頭をたれたが、実際はレイシーに依頼を聞かせることなくすっとぼけようとしていただなんて、この顔からは窺いしれない。


「さて、暁の魔女よ。勇者からすでに伝え聞いているであろうが、わしの娘、アリシアがこの度の婚姻において、ひどく……気落ちしておる。ぜひ、あの子を力づけてやってほしい。わかるな?」

「僭越ながら」


 肘掛けに手を載せながら、わずかに体を乗り出しながら声を出すクロイズ王に、レイシーは静かに、けれどもはっきりと返答した。


「私は暁の魔女としてこの場に参ったわけではございません」

「……つまり、手はかさぬ、ということか?」

「いいえ違います。お伝えしたいことは一つ。アリシア様のお気持ちを晴らしたいと願うことは、私自身の意志です。ただのレイシーとして、アリシア様のお力になることを、願っております」


 そう言って、真っ直ぐに王を見つめた。

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