第50話

 

 プリューム村では、レイシーが悩みつつ首を傾げていた。

 思い出を切り取って大切にできるものを作りたい。

 口で言うのは簡単だけれど、まだ何もピンとこない。魔術で似たようなものがあっただろうか。屋敷に戻る道すがらふらふらと歩くから、「おいレイシー、まっすぐ歩け」と食料を入れた紙袋を抱えたウェインが眉を寄せている。


「そうだ、ウェインよね!」

「そうだよ、俺はウェインだが? 考えるのはとりあえず屋敷についてからにした方がいいんじゃないか?」

「ウェインなら何か面白い魔術を知ってそう、というか、風魔法で音を覚えさせていたことがあったわよね!」

「聞けよ。もしお前が川に足を滑らせても笑うことしかできないぞ。それにしても随分前のことを引っ張り出してきたな」


 それは一年以上前のことだ。ウェインはレイシーの婚約者の失言をクロイズ王に向かって叩きつけたのだ。そのときふっきれたことで今のレイシーがあるのだから、もちろん忘れるわけがない。


「風に音を覚えさせるって、私がしたいことと少し似ている気がする。でも音もいいけど、そうじゃなくて、綺麗な花嫁さんの姿を覚えておきたい、ということだから……そう、姿! 姿絵みたいな、こう、その場を切り取って、覚えさせておくみたいな」


 言っているうちに、なんとなくイメージが湧いてくる。ぼやぼやしていたものが少しずつ形になっていく。ぐっと拳を握った。


「そんな、魔術! ない?」

「ない」

「んんん……っ」


 一瞬の間すらもなかった。レイシー、まだまだ序盤だぜ、いけいけゴウゴウだキュイ、とでもいいたいのかノーイとティーがぶもぶもきゅいきゅい片足前足をぽすぽすして慰めてくる。優しい。


「いや、ないって言い切っちゃ嘘になるのかもな。似たようなのなら考えたことはあるぜ」

「えっ」

「なんせ悪ガキだったからな」


 ウェインは貴族の次男坊で、昔は魔術をうまく使うことができなかった。だからこそ、大した魔術が使えないのなら大したいたずらをしてやろう、とひねくれていた時期もあったのだという。


「他人が見られちゃいやなシーンを映し出す。考えたとき、自分は天才だと思ったね。こんな風に」


 食料をノーイに渡して、ウェインは短く詠唱を口にした。川に向かって指先を向け、くるりと回す。するとウェインの足元を基点にしてくるりと風の陣が浮かぶ。流れていた川が一瞬、しんと静まった。そして描き出されたのはティーの姿だ。「んっきゅォオオ!!?」 けれどもちろん、水の勢いにすぐに押し流されて消えていく。


「……風の魔法で川を押さえて、水に絵を描いたのね」

「そうだ。我ながら面白い魔術を作ったもんだが、使うには絵心が必要ってところが難点かな」


 たしかに、切り取って覚えておくというよりも、自分の記憶を思い描く魔術だ。難しい、と腕を組んで唸っていると、ウェインはひょいとレイシーの首根っこを持ち上げて、そのまますたすた歩いていく。ぶもぶも、と荷物を持ったノーイが後について、きゅいきゅい、とティーもぽてぽて足を動かした。中々に、難題だった。



 ***



 屋敷に戻って、椅子に座り込んだ。考えてもいいがまずはちゃんと飯を食え、とウェインに怒られたので、スパゲッティーでほっぺたを膨らませて、うんうん唸る。


「唸るのは食事が終わってからにしろ」


 畑の手入れをしているときに、自分で出した水魔法で頭を水浸しにした。


「一つのことをしているときは、ちゃんとそれに集中しろ!」


 おっしゃる通りと返事をしようと振り返って、そのまま滑って土の中につっぷした。


「足元くらいお願いだから見てくれ!」


 怒られてばかりである。

 なんせ時間がない。ウェインが休暇を終了し、王都に戻るまで残り一週間。それまでの間に作らなければいけない。別に時間の制限はレイシー自身が勝手に作っているだけで、急ぐ事情なんてどこにもないのだから、ゆっくり考えればいい。わかっているのに、気ばかりがもやもやと急いでいた。


 作りたいものはある。

 なのにその形に近づく方法が思いつかない。「なあ、何をそんな焦ってるんだ?」とウェインに聞かれた。ティーとノーイだって、同じことを言いたそうにレイシーを見ている。それにきちんとした言葉を返すこともできなくて、ウェインを見上げた。「……作りたい、から?」 自分でも下手くそな返答だと思う。「なるほど」 けれどもウェインは納得した。


「よし、そんなら作戦会議だ!」


 もちろん、飯を食ってからだと並べられた晩ごはんをみんなで力いっぱい食べる。お腹いっぱいになった後でお皿を移動させて、次にテーブルにどんと載せられたのは真っ白な大きな紙だ。ノーイもティーもこっそりと覗き込んでいる。こうしていると、なんだかウェインや仲間達と旅をしていたときを思い出した。


『この先には街がある。けれどもそこには人っ子一人いない。魔族に占領されたと情報をもらっている。さて、ここを無難に抜けるか、生存者がいることにかけて、まっすぐ通るか』


 とん、とウェインが指をおいた姿が、レイシーの記憶と重なる。まっすぐ通る! と拳を握りしめてすぐさま出した仲間達の結論に、嬉しそうに勇者は笑っていた。


 そのときと、同じ顔だ。


「具体的なイメージがある。でも、どうしたらいいか思いつかない。そんなときはお互いの意見のぶつけ合いだ。俺の頭にあるものと、レイシーの頭にあるもの。それがまったく同じなんてことはありえない。まずは違う視点を見つけるぞ。出た意見は端からこの紙に書いていく。まかせろよ、元悪ガキのプライドにかけて、俺一人で真っ黒な文字で埋め尽くしてやるぜ」

「まさかまさか。こっちはものづくりには一日の長があるんだから」

「ぬかしやがる」


 互いに目をぎらぎらと光らせた。

 ウェインを相手にすると、不思議と心が丸裸になっていく。レイシーが大声で泣いたのも、弱音を吐いたのも人生でウェインが初めてだった。


『腹が減ってるのか?』


 これは真っ黒なローブを着て、重たいフードをかぶった、ちっぽけな魔法使いの記憶だ。ウェインに問われたから、ゆっくり、時間をかけて返答した。妙なことを言ってはいけないと緊張していたのだ。旅をしている仲間だとは思っていたから、きちんと言葉を返さなければいけないと考えるくらいの気持ちはあった。でも、返したらそれで終わりだとも思った。なのに彼との会話は続いた。さらに次の質問がやってきたのだ。レイシーの中にあったのは、驚きと困惑だ。


 でも、旅をしているうちに、いつしかそれが当たり前のことになった。以前のレイシーは今よりもっと言葉をうまく口から出すことができなくて、下ばかりうつむいていた。けれど、ウェインとの会話で少しずつ前を向いた。


 ――レイシーにとって、ウェインは初めて言葉を交わした相手だ。


 魔術を磨くことしかない、たったそれだけの人生の中で、レイシーを、レイシーとして見てくれた人だ。


「うふふふふ」

「ふはははは」


 気づくと胸の中がぎゅっと熱くなってくる。それをごまかそうと邪悪な笑みを浮かべてみる。ウェインもレイシーと同じような顔をしているが、それは果たしてレイシーに合わせているのか、それとも彼の素直な顔なのかはわからないが、もしかすると、その両方なのかもしれない。


「ぶもぉ!」

「きゅいきゅい!」

「あっ、ごめんね、二人はちょっと見えづらいわね」


 ノーイは前足をテーブルの端にかけてふんふん鼻息を荒くさせている。ティーは羽ばたいたり、レイシーの頭に乗ればテーブルを見ることができるが、それだとちょっと自由にテーブルを見ることができない。何より、今回は彼らもまかせろとばかりに胸を張っているので、同じように並んで見たくもあった。


 というわけでレイシーはくるりと人差し指を回した。勝手に部屋のドアが開き、どこからか飛んできた椅子がふわふわと整列してやってくる。ぱちん、と指を鳴らすと、椅子は重力を思い出し、どすんとテーブルのそばに落ちた。体の大きなノーイには二脚の椅子を、ティーには一脚だ。陣形は完璧である。



 テーブルを囲んでレイシー達は互いの意見をぶつけ合った。

 目指すは思い出を切り取る方法。そんなもの、どの魔術でも聞いたことはない。だから、今から初めて、レイシー達が作り出す。


「やっぱり水に描くっていう方法が一番じゃないか? 水は液体だし、魔術で自由に変動できる」

「たしかにウェインが言うことは一理あると思う。でも私は魔術が使うことができない人でも使ってほしい。そうするためには魔術だけに頼るものは作りたくないの」

「なるほど、誰でも使えるものが前提か。そうするとできることは絞れてくるな」

「ウェインがした方法は、水の波紋に曲線を加えて物理的に絵を描いたということよね? でもそもそも、そこまで高度なものにする必要はないのかも」

「と、いうと?」

「昼間で灯りがあるのなら、水はそのままでも鏡みたいに姿を映すじゃない。それを切り取ることができれば」

「なるほど、鏡か……」

「ぶおおお」

「んきゅいい……」


 議論は白熱していく。レイシーが声を出して、ウェインが紙に書き込む。その反対も繰り返す。テーブルいっぱいの大きさの紙はどんどん文字や矢印で埋め尽くされて、真っ黒に変わっていく。一つ書くごとに、さらにそれを掘り下げた意見がでて、これでよしと思えば、またさらに次の意見が。何度だって考えた。窓の外の太陽は静かに日が落ちて夜になり、そしてまた朝日が昇る。喉はすでにからからだ。なのに、言葉をぶつけ合うことが、楽しくってたまらない。このまま一晩だって、二晩だって。


「はあ……はあ……」

「レイシー、大丈夫か? 少し休憩しないか」

「うん、大丈夫……ううん、やっぱりちょっと、横になろうかな……」


 ずっと話し続けていたい。

 なのに体がついていかない。以前のレイシーだったならどれだけ体が悲鳴を上げても気にならなかった。自分には食事も、睡眠も、必要なものは何もないと思っていたから、倒れるギリギリまで、いいや限界を超えるのはいつものことで、ぷつりと糸が切れたように意識を失うことも多かった。


(どう考えても鈍っているわ)


 魔術の修行は尽きることはないから、以前ほどではないにしろ訓練は続けている。じゃあ何でだろうと考えて、旅を終えてしまったからだろうかと不思議に思った。でもそれも何か違う。


(……にぶくなったんじゃなくって、その反対なのかも)


 自分の体の声が聞こえるようになった。限界だと叫んで、痛いという声がきちんと心に届くようになった。空腹を耐えることはいつものことだから、辛くなんてない。そんなの嘘だ。それは慣れてはいけないことで、過去のレイシーは“辛い”ことが“当たり前”だったから気づかなかった。


 レイシーは弱くなったのだろうか?

 人から命じられるまま、その目的だけに生きていくということは、まっすぐで、固くて、きっととても強かった。今のレイシーは迷って、どうしようかと不安に思うばかりで前に行ったり、かと思えば後ろに行ったり忙しい。でも、以前よりもずっと広く、周囲を見ることができる。


 世界には自分だけではなくて、手を伸ばしてくれる誰かがいると、知ることができる。


「……ベッドに行くか?」

「……ふあっ、え、あ、あぐっ!」

「いてぇ!」


 ソファーの上で、一瞬だけ眠っていたらしい。レイシーを覗き込んでいるウェインの顔があまりにも近くてびっくりしたら、思いっきり起きてしまった。そしたら、ウェインの顎とレイシーの頭が激突した。ティーとノーイも、不安そうにレイシーを見ている。外はすっかり日が昇って、ちゅんちゅんと鳥の声が聞こえている。レイシーは痛さにもだえて頭を抱えつつ、ごめんとウェインに謝った。気にすんなという返答にほっとした。


「それはいいけど、ちょっと寝るか? しゃきっとしてなきゃ思いつくもんも思いつかないもんだろ?」

「たしかにそうかも……。でも、なんだろう、もうちょっと、みたいな、もやもやが、ここに……」


 ぎゅっと胸の前で拳を作った。もう少しなのだ。あと一歩。でも、その一歩がわからない。


「水に私達の姿が映る。それは当たり前のことだと思っていたけど、どうしてなんだろう。どうして、ただの透明な液体に映り込むんだろう……って。窓や鏡や、ガラスのコップ。きらきらしたもの。形に差はあるけれど、みんな私達を映している。今までそれが当たり前だと思ってたけど、当たり前なんてない。魔術の世界だって、術式でできていて、一つの文字でも狂えば形にならない」


 当たり前だと考えもしなかったもの。そこに、レイシーが知らない何かがあるはずだ。

 強く、はっきりと声を出した。ウェインだけではなく、ティーやノーイまでもが唸っている。


「他にないのかな。他に、私達の姿を映すもの。私が知らない何かが……」


 そうすれば、何かがわかる気がした。

 腕を組んで考える。口だけで唸っていても仕方ない。とりあえず、ここは一端休憩にしようと提案しようとしたとき、「きゅ、きゅきゅきゅ、きゅういーーーーんっ!!!!」 大きな声を出して、ティーがばさばさと羽を揺らした。


「ど、どうしたの? あっ、お腹でも減った?」

「きゅいきゅいきゅいきゅい!」

「違う? あっ、わかった眠い?」

「ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ」

「ぶもお!? ぶもぶも!? ぶもーーー!」


 聞いたこともないような声を出して唸っているティーの言葉をノーイは理解しているようである。そいつあ大変だ! とでもいうように跳ね上がって、今度は一緒にレイシーに主張してくる。「ご、ごめんなさい、わからない……」「ぶもももも!」「きゅきゅきゅるきゅーん!」 場は混乱を極めた。眠さと空腹も合わせて、目が回ってしまいそうだ。


 けれどもウェインだけは冷静に、レイシー達を見ていた。


「何か思いついたのか?」


 ティーに問いかける。勢いよく、ティーは頷く。そしてぷりっと尾っぽを向ける。


 ――レイシー、こっち。


 そう言いたいのだろう。お尻を見せて、振り返って、ちょんちょんと飛び跳ねるように進む。すぐに続いたのはノーイだ。レイシーはティーが何を伝えたいのかが気になって、すっかり眠気も覚めてしまった。


 つくてん、つくてん。

 ちょこちょこ跳ねて、ときおり飛ぶティーの後ろを、二人と一匹は歩いた。レイシーには大きすぎる屋敷だから、ティーがどこに向かっているのか見当もつかなかったが、階段を上って、廊下を歩いているうちに段々レイシーは不穏な顔になってしまう。


 そこは普段彼女が立ち寄らない場所だ。ティーや、ノーイ、もちろんウェインだって。

 場所は二階の、吹き抜けになった廊下の突き当たり部屋。本棚で巧妙に隠されてはいるが、そのさらに奥には小さな部屋があることを、レイシーは知っている。


「きゅいっ!」

「……本当に、ここ?」


 レイシーは少しだけ声を落とした。あまり何度も訪れたくはない場所だった。

 なぜなら、屋敷の前の持ち主であるウェルバイアーという夫妻が、ティーの親であるフェニックスを隠し持っていた――いや、監禁していた部屋だ。


 違ってほしいというレイシーの願いは激しく頷くティーの姿で、あっけなく崩れ落ちた。

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