第51話
「……扉を開けてほしいの?」
「んっきゅい!」
こくこく、とティーは必死に頷いて、ついでに両方の羽をバタバタとさせている。たしかにティーはこの部屋で生まれた。空高く飛び立っていったフェニックスが残した卵からティーは生まれたのだ。
商人であったウェルバイアー夫妻は、ある日、金色の珍しい羽を持つコカトリスを見つけた。その羽を使って、夫妻は様々な装飾品を生み出し、プリューム村を豊かにした。夫妻はコカトリスの存在を誰にも告げることなく監禁していたのだが、珍しい金のコカトリスだと思っていた魔物はさらに稀有なフェニックスという魔物であり、体の色を金からくすんだ茶に変えることで自身を守った。
金の羽を得ることができなくなった夫妻は忽然と屋敷から姿を消し、今となってはどこにいるのかもわからないが、レイシーがこの屋敷に来るまでの長い年月、フェニックスはこの部屋の奥に繋がれていた。あまりにも痛々しい様子で、レイシー自身も思い出したい記憶ではない。
けれど、ティーはきらきらとした瞳でレイシーを見上げている。フェニックスには、本来親と子という概念はない。全て同一の個体であると聞く。便宜上、親とレイシーは認識しているが、ティーとあのとき飛び去っていったフェニックスは炎の中で生み出した分身体のような存在なら、最初のフェニックスと記憶を共有しているものもあるのだろう。
――だからティーは、レイシーをこの部屋に案内した。
「……わかった。仕方ないわ」
監禁されていた本人ではないにせよ、ティーだっていい思い出の場所ではないはずだ。本人がこういっているのに、今更レイシーがごねたところでしょうがない。
本棚をスライドさせると、頑丈な重たい鉄の扉があった。開けてみると、扉の向こうは相変わらず真っ暗だ。
ときおり魔術を使って屋敷中の掃除はしているから、中は想像よりもまともだったことは幸いだ。埃も溜まっていないし、淀んだ空気もない。以前にレイシーが入ったときは、ぽつりと一匹フェニックス――そのときは、レイシーもコカトリスだと思っていた――が魔力を封じられて足を繋がれ、うずくまっていただけだった。
頭の上には明かり取りが一つある。けれどもレイシーの手のひらよりもずっと小さくて、窓というにはあまりにも頼りない。
過去にこの部屋の天井はレイシーが壊してしまったが、呆れたウェインがしっかりと修繕してくれている。
「……それでティー、どうしたの?」
けれどやっぱり中に入るのは躊躇する。扉を開けたままレイシー達が中を覗いていると、「んきゅういっ!」 ぐいぐい、とティーが頭を使ってこちらを必死に押した。「え、あの」「おいおい」「ぶもー」 もちろん抵抗くらいいくらでもできるが、言われるがままに全員が部屋に入った。
「あの、ティー?」
「キューーーーイッ!」
「なんだよ、次は俺に言ってるのか……?」
薄暗い部屋の中でティーはビシッとウェインに羽を向ける。そしてばたばた振っている。視線と行動で照らし合わせて、ウェインは頭をひっかき、「わかったよ」と頷いた。扉を閉めろ、と言っているのだろう。レイシーにも理解できた。
「でもティー、扉を閉めたら本当に真っ暗になっちゃうわよ?」
ティーを抱き上げてレイシーは問いかけた。もちろんとばかりにティーは頷いている。むしろそうしてくれと言わんばかりだ。仕方ない。閉めたところで、灯りの魔術を使うことはいくらでもできるし、扉に鍵がついているわけでもない。
「閉めるぞ」
ウェインが鉄の扉に手をかける。静かに、扉を閉めた。途端に部屋は暗闇に支配される。
ぽとん、と空が落ちた。
「え……」
違う、そんなわけがない。なのに間違いなく、レイシーの足元には真っ青な空が広がっている。
「なんだ、これは……」
「ぶもももも!?」
ウェインが瞬きながらまるで嘆息するように声を出した。ノーイはじたばたと両手を暴れさせている。
切り取られたような空が床一面に広がっている。信じられない。
上と、下が反転した。そんなわけがない。間違いなく床は床のままだ。床に、空が映し出されているのだ。よく見れば、雲の輪郭はぼやけているし、空の青さは本物には及ばない。けれども、自然とレイシーは息を飲み込んでいた。
「……空の、中にいるみたい……」
誰もレイシーの言葉に異を唱えなかった。ウェインでさえも、はっとしたような顔をしてただ足元を見つめていた。
「何で、一体、どうなっているの……?」
レイシーだって、何度かこの部屋に訪れたことはある。なのに、こんなことは一度だってなかったし、何らかの魔術的な仕掛けが施されているわけではない。扉を閉めることによって現れた空。けれど部屋の扉はただの一つで、今はぴったりと閉ざされている。この場所は外界から隔絶されているはずだ。いや、違う。「明かり取りの、窓……!」 窓というには小さすぎる、天井にぽつりと空いている穴だ。
かちり、かちりとレイシーの中で言葉が埋まっていく。なぜ水に自分達の姿が映るのか。なぜ、幾度も部屋を訪れているはずのレイシーが、今までこの現象に気が付かなかったのか。
――昼間で灯りがあるのなら、水はそのままでも鏡みたいに姿を映すじゃない。
「光……」
真っ暗な部屋でないと床に空は現れない。扉が開いていることによって光が拡散されてしまうからだ。するとさらに気づいていく。なぜ、窓や鏡や、ガラスのコップ。きらきらしたものに、自分の姿が映り込むのか。
本来はただの液体である水をレイシーは色を感じている。水は青いものだと思っていた。それはただ空の青さが映し出されているのではないだろうか? 光と反射、それがものの輪郭を映し出す。
「できる」
いつの間にか、レイシーは片手に杖を握りしめていた。彼女の頭の中に、またたく間に術式が生み出されていく。知らずと、重力を忘れていた。レイシーを基点として、新しく生み出された風が部屋の中で暴れ狂う。「んきゅおっ!」「ぶんも!」 飛ばされたティーとノーイをウェインが素早く受け止める。
レイシーの長い黒髪が風の中を泳いでいた。ぼんやりと、どこを見つめているのかもわからないようなヘーゼル色の瞳の中では、かちかちと目まぐるしいスピードで彼女にしかわからない演算が次々に行われる。できる。理解した。レイシーは、“思い出を切り取る魔術”を使用することができる。
「……」
「きゅ、きゅお……」
静かに、とすりとレイシーはつま先を下ろした。杖とともに、静かに収まりゆく風を握りしめ、瞳を伏せる。
「……落ち着いたか?」
「……うん」
ウェインの言葉に、小さく頷き返事をする。足元を見つめた。
「たしかに、今、私は新しい魔術を作った。そのときの一瞬の思い出を切り取って残しておく記憶の魔術を。でも違ったわ。これじゃない。私は、私だけが使える魔術を作りたいんじゃない。魔術を使えない人でも、大人でも、子供でも、貴族も平民も関係なく、思い出を大切に、忘れないようにする方法がほしいのに」
これじゃない、とうめいてしまう。自分の力の至らなさに情けなくなる。「十分だろ」とウェインの声は、きっと慰めではなく、本当にそう思ってくれていた。彼の気持ちはありがたかった。けれど、レイシー自身が思って、感じてしまう。あまりにも、自分のちっぽけさを感じてしまう。
悔しい、と唇を噛み締めて、それは奇妙な言葉だと思った。何かと比べて自分を嘆くだなんて、今まで自分の中にあった感情なのだろうか。……多分、あった。プリューム村にやって来てからたくさんの初めてがあって、新しいことを知る毎日だった。だからきっと、その中にあったんだろう。
でもレイシーは自分の内にある目まぐるしい変化にも気づかなくて、自然と感じるようになった自分自身の感情がとても愛しいもののように思えた。だから静かに胸の前に握りしめた。――悔しく思うのなら、その分先に進めるはずだ。
「魔術は作れたんだろう。なら次はそれを形に落とし込むだけだ。十分すぎるさ」
「……うん」
「ついでに悪いんだが、この部屋の床に空が映る現象の理由を俺達にも教えてくれないか。光と言われても、正直まだピンとこない」
「あ、ああ、そうね。一人で盛り上がってごめんなさい。この部屋の天井にはね、小さな明かり取り用の窓があるでしょ? あの小さな穴から光が差し込むことで床に空の光が反射しているのよ。本来、光はたくさん色んな所を反射しているけれど、小さな穴から通り抜けることで、よりシンプルに選別される。だから穴が小さければ小さいほど、暗いけど、もっとはっきりと空が映ると……」
そこまで話したところで、レイシーは首を傾げた。天井にあるものはてっきり穴だと思っていたが、それだと頭の上から雨風が入って来てしまうから、そんなわけはない。よく見るとガラスが埋め込まれていて、平坦ではなく妙な厚みをしている。真ん中が膨らんでいて、端の方が薄く、ゆっくりと弧を描いているようだ。
「……ウェイン、天井の明かり取りだけど、以前に修理してもらったときに、あそこも触った?」
「いや? 壊れていた場所は若干ずれてたからな。何もしてない」
「そう……。あの、怒らないでね」
「怒るって、俺が?」
レイシーは指先を明かり取りに向けて、くるりと回した。ぱきりと、ちょっと怪しい音が鳴る。「おい、レイシー!?」「が、ガラスを取るだけだから! 割れたわけじゃないから!」 レイシーは風魔法を使って窓からガラスのみをうまく外してみせた。そしてゆっくりと下ろし、片手で持った。やっぱり肉眼で見たときと同じように中央に厚みがあり、周囲は薄く、通常のガラス窓とはまったく違う。それにレイシーがガラスを外したことで、床に写っていた空の輪郭が格段に変化し、ぼやけた。このガラスがあることで、よりはっきりとした空を床に描いていたのだ。
「なんで、こんなものが……?」
この屋敷はウェルバイアー夫妻が作ったものだ。そのときはめ込んだのだろうか、と考えて首を振った。ガラスには本当にわずかだが魔力の残滓があった。これはレイシーにも覚えがあるものだ。ティーの親であるフェニックスの魔力だろう。はっとした。そして思わず手の中から滑り落ちたガラスをウェインがすかさず受け止めた。
「おっと! ……レイシー、どうした?」
レイシーは口を押さえた。わずかに、震えている。気づいてしまったからだ。
そしてティーはレイシーを見ていた。静かな瞳だった。
初めは、本当にただのガラスだったのだろう。けれどティーの親であるフェニックスは、自身の炎を使い、少しずつ、少しずつガラスを溶かし変化させた。フェニックスは夫妻によって魔力を封じられていたが、レイシーと出会う前、衰弱する以前ならば、わずかばかりならば魔力を使用できた可能性がある。針のような細い炎をゆっくりと吹き出し、気が遠くなるほども繰り返し、ガラスを変化させたのだろう。
空を、見るためだけに。
足を繋がれまともに動くこともできず、何年も何年も絶望するような日々だったに違いない。レイシーが枷をといたあとも、フェニックスはいつも気づくとこの部屋に戻ってきていた。明かり取りがよく見える位置にうずくまって、ぴくりとも動かなかった。きっと空が見たいのだろう、とレイシーはお気に入りの場所に毛布をつめてやったのだが、フェニックスは、決してあの小さな窓から空を見たいわけではなかった。
部屋一面に広がる、空の中にいたかったのだ。
――海とも、空ともわからないような真っ青な部屋の中で、金の羽をした一匹の鳥がうずくまっていた。ぽつりと降り注ぐ光をその一身に受け、きらきらと羽が光り輝いている。動かない。そう思ったのに、ぴくりと鳥は顔を上げた。きゅう、と、小さな声を出す。鳥は、レイシーを見ていた。久しぶりだと言いたげに、ティーよりも、少しだけ意地悪な声を出した。レイシーは瞬いた。
途端に景色が遠くなる。全てははただの幻覚だ。なのに、ふいに喉が詰まった。気が遠くなるようなあの子の努力と、苦しさがいっぺんに胸の中に流れ込んで、瞳が滲んだ。
この部屋は、フェニックスの檻であり、宝でもあった。レイシーは急いで腕で顔をこすった。そしてしっかりと前を見た。部屋の天井につけられていたガラス。それさえあれば、レイシーは彼女が願う目的のものを作ることがある。……けれども。
「……ティー、本当に、いいの? あのガラスを私が使ってしまっても……いいの?」
「ンキュウウウ!」
もちろんだ、とばかりにティーは跳ねた。そのつもりでレイシーを案内したのだろう。「わかった、ありがとう!」 それなら大切に使わせてもらおう。
「それじゃ、さっそく!」
「さっそく?」
レイシーは、ぱっくり口を開いて、言い出しそうになった言葉をぐっと飲み込む。そして、「……みんなで寝よう!」 昨日からずっと考え続けて徹夜である。頭がぐわん、ぐわんとするし、目の表面もからからだ。ウェインが言う通りに、このままでは思いつくものも思いつかなくなってしまう。うつらうつらと頭を揺らすレイシーに、ウェインがにやりと笑いながら、「よし!」と彼女の肩を叩いた。
「さっさと寝て、起きて、さっさと食って、さっさと次を考えて、作るか!」
その日見た夢は、レイシーはあんまり覚えていない。興奮して寝付けないかと思ったら、あっさりと柔らかいシーツの海に沈んでいた。どこか遠くの空で、鳥が飛んでいたような気がする。ティーとよく似た、けれどももっと意地悪そうな。そして、どこまでも飛んでいくような。そんな、鳥を。
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