2 思い出の切り取り方

第49話

 

 セドリックの娘、セレネの結婚式が終わってから数日。


 レイシーはベッドの上でぐんと伸びをした。朝はそれほど苦手じゃない。窓の隙間からちらほら見える外の光にそっと目を細めて勢いよくカーテンを開いた。自分の寝床から、いつの間にかレイシーのベッドに移動していたティーがごそごそしている。


「いい天気ね」


 窓を開けて、すっきりとした空気を胸いっぱいに吸い込んだ。ウェインがプリューム村に滞在するようになって三週間が経った。あっという間のようであり、逆に長い時間だったような気もする。


(なんだか不思議)


 未だにベッドの上で眠るティーを置いて、レイシーはぼんやりと考えながらドアを開いて階段を下りた。足音が聞こえる。すでに起きていたウェインと顔を合わせて、おはよう、と言うつもりがじわじわと自分の状況を思い出して、「ご、ごめんなさい!」と叫びながら自室に戻る。閉じた大きなドアの音にびっくりしてティーは周囲をきょろきょろしていた。


「んきゅ?」

「わ、私、パジャマのままだった……!」

「きゅいきゅい」

「あと、髪もぐしゃぐしゃだった……」


 別に、そんなこといつものはずなのに。ウェイン達と旅をしているときは同じテントで起きていたし、宿屋で同じ部屋だったこともある。それなのに。


(……なんだろう)


 とにかく、心臓の音がうるさかった。どくどくして、これが本当に自分の体の中だけで響いているものなのかと驚いてしまう。痛いのは得意だし、我慢強い方なはずだ。なのにこれは耐えられない。あまりに苦しさのベクトルが違う。


 レイシーは唇を震わせるように、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして、吐き出した。自分の中にある奇妙な感情に振り回されることが怖かった。

 ウェインを見てびっくりして逃げ出してしまったから、彼がどんな顔をしていたのかわからない。


 おかしく思われていないといいけれど、と考えて、一体何かおかしいのかもやもやしてしまう。ちち、と窓の外から鳥の鳴き声が聞こえた。それから足元ではティーがぱたぱたと羽を動かしている。レイシーは慌てて着替えて、自分なりに髪をとかして手入れした。


 けれど、手先が器用なウェインに敵うはずもなく、「ああ、着替えたのか」となんてこともない顔をして朝ごはんの準備をしている彼に向かって、うん、と力なく頷いた。別にいつも通りのウェインである。当たり前だ。


 外の寝床からのっそりとノーイもやってきたから、みんなでおいしく朝ごはんを食べる。朝だからシンプルにアレンからもらった野菜を茹でたスープに、焼き立てのさくさくしたクロワッサン。お腹の中が幸せになってしまう。食事に対するレイシーの認識は塗り替えられていくばかりである。


 ほくほく、さくさくとほっぺにつめて、ごちそうさまですと手を打った。自分の皿を片付けてさて一日の始まりだと考えて、さっきまでの騒動はレイシーの頭の中からすっかりどこかに消えていた。だから髪の毛を結び直そうとウェインに提案されたとき、いつものことだと椅子に座って背中を向けた。


 ひたりとウェインの硬い指が耳に触れたとき、でもやっぱり思い出した。じぃんと耳の端が熱くなる。いつものことなのに、いつもってなんのことだっけ、とわからなくなってくる。だから顔を少し下に向けてじっと耐えた。どうせ、彼はこっちの顔も見えないのだ。



 だから、レイシーと同じくウェインだってふいに触れてしまった指先に驚いて、慌てて距離を置いていることには気づかなかった。ウェインは伏せたレイシーの首筋を見ながらぐっと息をつまらせ、そんな自分に気づいたから強く瞳をつむって口元を一文字にした。首を振って、目を開けて、普段どおりな顔を作ってしゅるしゅるとレイシーの黒髪を結んでいく。けれどやっぱり、ときおり手付きがおぼつかない。


 気づくなと願った互いは、自分ばかりしか見ていないから、彼らの願い通りに気づかなかった。けれどもしゃもしゃとウェイン手製の薬草サラダを食べたりつついたりしているティーとノーイの二匹は、現状、全てを目にしていた。じっと二人を見上げて、口元をもしゃもしゃしている。何をやってるぶもね。わからんキュイね。「ぶもっ」「きゅいっ」 多分、そんな感じのことを話しているんだろう。



「……よしっ、できたぞレイシー!」

「あ、ありがとうウェイン! 今日もさすが、上手ね!」



 なんだか互いに棒読みになってしまった今日だった。




 ***



「レイシー姉ちゃん、この間はごめんな!」

「……アレン、この間ってなんのこと?」


 今日は二つくくりのおさげを揺らして、ウェインからもらった髪留めはちょんとおでこについてる。てくてくとティーとノーイもくっついて、その後ろにはウェインだ。


 ウェインがプリューム村にいることができる期間は一ヶ月。三週間は過ぎてしまったから、残りはたったの一週間だが、せっかくの休暇だ。何をしたいかと聞いてみると、『別に、あえて言うならゆっくりしたいかな』ということだった。たしかに、ウェインは年中旅をしているようなものなので、あえて一つの場所に居続けるということは珍しいことなのかもしれない。


 けれどずっと屋敷にいるのもどうかと思い、なるべく村に下りるようにしていたのだ。こまめに食料を買ったり、セドリックの店に行ったり、子供達と遊んだり。


 アステール印の魔道具作成は、ランツに言ってこの一ヶ月の売り出しは控えめにするようにした。村の人達も手伝ってくれているからゼロにはならないが、ランツはうふふと瞳を細くさせて、『たまには配給を抑えて需要を高めるってのも有りですねぇ』と悪い顔をしていたけれど、別にそういうつもりはないのでほどほどにしてほしい。


 と、いうわけでウェインを連れて村をぶらぶらしているところで、アレンと出会った。最近アレンはランツにくっついていることが多いが、今は仕事が少ないということで暇を与えられたのだろう。出会ったときよりも背も高くなって、以前よりもずっと大きな体でひょいとクワを抱えていた。カーゴの手伝いの最中なのかもしれない。


「なんのことって、リーヴとヨーマのことだよ! ウェイン兄ちゃんも邪魔してごめんな、うるさかっただろ?」


 どうやらセドリックのもとで飴細工を作っていたときのことらしい。アレンは兄らしく長い溜息をついて視線を遠くさせている。エリーも含めて可愛らしい騒ぎで楽しかった。それに彼がいなければいつまで経っても目的のものにたどり着かなかったかもしれない。


「いえ、別に――」 


 大丈夫だったから、アレンが謝ることなんてない、とレイシーが首を振ろうとしたとき、アレンの背中からひょこひょこっと二つの影が飛び出した。リーヴとヨーマである。なんというすばしっこさだろう。いつの間にか二人でケタケタ笑ってアレンの周りをぐるぐる回っている。アレンのこめかみがぴくぴくとして青筋が立っている。


「お前らァ! こないだも遊んだから、今日は思いっきり手伝うって約束しただろ! だいたい姉ちゃんと兄ちゃんに挨拶もせずに失礼だろうが!」

「レイシー、数日ぶり!」

「ウェインもなー!」

「さらっと呼び捨てすんじゃねぇよばか!」

「アレン、いいよ、私はいいから……」


 段々アレンが兄ではなく父親のように見えてくる。ウェインも苦笑している様子だ。

 三人は今からカーゴの畑に向かう最中らしいが、少しばかり立ち話をすることにした。リーヴはノーイに乗ってきゃっきゃと楽しそうだし、ヨーマはティーの尾っぽを恐るおそる触ろうとして、目の前でぴろぴろと動かされたものだから、「ひえぇ」と驚いてひっくり返っていた。


「あのねアレン。逆に、私は二人にお礼を言わなきゃいけないのよ。二人からのセドリックさんのお嬢さんをお祝いしたいという気持ちは痛いほど伝わったし、たくさん助けてもらったから。……もちろん、エリーに引きずられたというところはあるんだろうけど、ねえウェイン」

「まあな」


 リーヴとヨーマは聞いていないふりをしながら、照れたように鼻をすすっている。「……そうなのか?」 アレンはちらりと双子を見た。なのにそっぽを向いて、ティーとノーイを遊んでいる。兄であるアレンの前ではやんちゃな弟達だから恥ずかしいのかもしれない。


「……あいつらが邪魔をしてないってんなら、よかったけど。そうだ、なあ姉ちゃん、『クッキングペーパー』と『料理用手袋』。よかったら、またランツさんに卸してくれよ! 絶対便利だし売れるって!」

「うーん……でもあれって、量産しないといけないよね。クッキングペーパーは太陽でゆっくり乾かすことができるからなんとかなるかもしれないけど、料理用手袋は人の手を使って作るから、私が魔術ですぐに乾かさないと大変だし……あっ、でも手の型を作ったらいいかも」

「じゃあ手袋の方はのちのちってことでいいや。値段と材料については俺が! ランツさんと交渉するから、任せてくれよ!」


 俺、というところをアレンは妙に強調して胸を張る。アレンはレイシーの力になりたいと願って、ランツに指南を願い出たのだ。やっときた活躍の場に、嬉しくてたまらないという顔をしている。成長したと思っても、やっぱり子供っぽさは変わらないなとレイシーは口元を緩ませた。


「じゃあお願いしようかな。クッキングペーパーはこの間作った残りもまだたくさんあるから、今度渡すね」

「やった! ……ん、ごほっ、ごほ」


 ぴょんっと飛び跳ねて、弟達の視線に気づき、慌てて咳をしてごまかした。レイシーからすると微笑ましいのだが、兄の威厳も大変そうだ。


「クッキングペーパーって言えばさ、セドリックさんの結婚式、すごかったなあ」

「リーヴ、セドリックさんじゃなくて、セレネだろ」

「そうだった。花嫁さんが綺麗だったんよ」


 レイシー達の会話に入りたかったのかもしれない。リーヴが大きな声で話している。そしてヨーマに訂正され、へらりと笑った。枝を持って、かりかりと地面に何かを描いている。きっとセレネさんだろう。


「こんな感じのドレスで、色は真っ白でさ」

「待てよ、ちがうぞ、もっと裾が長かった」

「いや違う、こんくらいだよ。あと髪はきゅきゅっとね」

「お前セドリックさんでも描いてるんのか! ふざけんなよ俺にかせ!」

「いやだよへたくそ!」

「リーヴの方がどへたくそだ!」


「そんな……二人とも、ちょっと落ち着いて」

「まあまあ、気にしなくいいよ姉ちゃん」


 レイシーは慌てて止めに入ろうとしたが、アレンはいつものことと言うようさらりと流している。これくらいの兄弟喧嘩など、慣れたものなのだろう。


「たしかに、最近結婚式は見てないからなあ。リーヴとヨーマはびっくりしたかもな」

「……そうなのか?」

「うん。丁度その年頃の人達がいなかったってのもあるし、以前は祭りをする雰囲気もなかったからね。結婚式が祭りっていうと、ちょっと違うかもしれないけど」


 プリューム村は、過去では羽飾り村として、珍しい金のコカトリスの羽を使った装飾品を特産物に賑わっていた。しかしコカトリスがいなくなってしまったことで途端に商売は失敗した。それが、今はレイシーが作る魔道具で、少しずつ以前の活気を取り戻しつつあるのだ。

 ウェインは、ふうん、とアレンの返答に頷いている。


「いいことだよね、思い出になるってのは。俺も、もっとガキの頃に見た花嫁さんはきらきらしてて綺麗だったよ。でも、それがどんなだったかっていうと思い出せないんだよなあ」


 クワを担ぎ直して、ううんとアレンは眉間の皺を深くする。


「思い出に残るっていうのもいいけど、やっぱり良し悪しだよ。記憶なんて勝手に変わるし。絵に描いてもやっぱりどこか違うような気もする」


 レイシーも王都で買った仲間達の姿絵を持っている。仲間達と比べて、レイシーだけは大人の女性の姿で、顔も、髪の色も違うけれど、それでも大切に屋敷の広間の一番目立つ場所に飾ってある。それに気づいたウェインが、さすがに恥ずかしいからやめてくれと苦言をこぼしていた記憶はそれほど以前のものではないが。


「何か、はっきりと形にして残しておくことができればいいのにな。そしたら忘れたって思い出せる。時間が経ったあとで、ああそうだったって思うんだ。頭の中にある想像と違ってたりして、それでみんなで笑ったりとか、やっぱり記憶の通りだったって安心したりとか。へへ、なんかいい感じじゃない? それって」


 まあ、そんなことできっこないだろうけど、と苦笑するように鼻の下をこすって、アレンと双子達は去っていった。


「……どうした、レイシー」

「ううん、別に……その、なんていうか」


 アレンの言葉は、静かにレイシーの胸に沈んでいった。忘れてしまっても、覚えていることができる。そんなものが、あるのだろうか。


「……作って、みようかな」


 ないのなら、作ればいい。

 誰もがしたことがないのなら、レイシーが、初めてになればいい。


「ウェイン、私、作りたい! 思い出を切り取って、大切にできるもの。そんな道具を!」

「おう。いいな、楽しそうだ。たまには俺だってがっつり考えてみようかね」

「ぶもっ」

「きゅいっ!」


 わっと腕を振り上げて、真っ青な空の下で力いっぱいに腕を伸ばす。

 まだまだ、作ることができる。誰かに役立つものを。幸せになれるものを。

 そのことが嬉しくって、楽しくってたまらない。


 レイシーは小さな体をぐんと背伸びをさせた。考えることは山積みで、大変だ。でもそれがわくわくして、勝手に笑みがこぼれていく。




 ――これは、小さな村、プリューム村の出来事だ。




 そこからさらに離れた立派な部屋の中で、静かにため息をつく女がいた。ピンクブロンドの豊かな髪の毛に、愛らしい顔立ちの女だった。彼女は窓枠に肘をかけて、ふうと重たい息を吐き出す。まるで冷たい部屋だった。彼女の陰鬱なため息がどこまでもそうさせる。


 王都では彼女の婚姻を祝い、次々に花が運び込まれる予定だった。そして市井では様々な恋人達が幸せな式を挙げているのだという。


「……結婚、なんて」


 指先までが、しんと冷たい。


「したく、ないのに……」




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