第48話

 

「それにしても、この手袋は素晴らしいな……」


 ふうとセドリックは自分自身の手のひらを見て息をついている。使用に問題ないのならよかった。子供達とともに悪戦苦闘をして数日後、エリーいわく、『クッキングペーパー』の使用状況を確認するため、ウェインと一緒にサザンカ亭を訪れたのだ。


 セドリックの手には、レイシーが渡した“もう一つの道具”がはめられている。


「実用に耐えることができるのなら、本当によかったです」

「感謝しているよ、レイシー。もちろんウェイン君や、あの子達にもね。僕一人ではきっと何もできずに後悔した結果になっていた、本当にありがとう」


 礼の言葉を繰り返して、セドリックはレイシーに握手のために手のひらを向けたが、「おっと」と慌てて、手のひらを自由にさせた。取り外したのは使い捨ての手袋だ。薄くてぴったりとしていて透明な、そしてひっぱると伸びるといったような不思議な感触であるそれは、“耐熱樹”の樹液だ。


 ――あのとき、まだ何かあるのかと驚いていたセドリックに頷いて、レイシーは持っていた幾本かの瓶に詰めた樹液を出して器の中にひたした。そして、その中にセドリックの両手を入れてもらった。ゆっくりと引き抜くと彼の手には不思議な膜がくっついていた。


 紙や木の皮、石に土とたくさんのものに樹液をつけて、乾かしてを繰り返しているうちにレイシーや子供達の手のひらもいつの間にか樹液でべとべとになっていた。そのときこれをこのまま乾かしたら一体どうなるんだろう、と考えてこっそりと試してみたのだ。すると案の定、不思議な手袋が出来上がった。


 クッキングペーパーよりも弾力性があり、感触はまったく違う。耐熱の機能はほとんど失われていたが、それでも手のひらで直接作業するよりもずっとマシなはずだ。素手で飴細工を作ってしまうと不慣れさからどうしても指紋がついてしまうことにも困っていたらしい。『料理用手袋』と一旦は命名するとして、これを使うことで作業は格段にスムーズになった。


 あとは、セドリックの努力次第だ。


「それで、作る花は決めたのか?」


 飴細工で花を作ろうとは決めたものの、肝心の花を何にするかということにも頭を悩ませていたのだ。ウェインも気になっていたのだろう。テーブルの上にはたくさんの試作品が載っている。どれも素晴らしい出来栄えのようにレイシーは思うが、セドリックはまだまだ足りないと本番までは店を閉めて調整をするのだと言う。


「うん……そうだね。やっぱり花嫁に送るものだから華やかなものがいいと思うんだ。見栄えもいいし、薔薇の花にしようと思う」


 なるほど、たしかに試作品の中でひときわ目をひく。けれどもレイシーはもう一つ、どうしても気になるものがあった。


「あの、セドリックさん。薔薇も素敵だと思うんですけど……ここにある山茶花ではダメなんですか?」

「そんなまさか!」


 レイシーへの返答は、セドリックにしては珍しく大きな声だった。


「それは冗談のつもりで作っただけだよ。山茶花なんてしたら、すぐにあの子はわかってしまう。僕はあまり見栄えを気にした料理は作らないから、せっかく僕が作ったとわからないような飴の菓子にしたっていうのに、店の名前と同じ花だなんてこっちから主張しているようなものだろう」


 おっしゃる通りだ。けれどなぜだろうか。レイシーは、どうしてもその花がしっくりくるような気がした。真っ赤な花びらをぱっと開いて、可愛らしく、けれども美しさも感じる。あえて柱頭には色をつけられていないから、本物と偽物の境界が曖昧でどきりと目を引いてしまうのだろう。


「うん、やっぱり薔薇でいいよ。時間の中で、めいいっぱい練習しなくてはね」


 ああ大変だ、と言いながらもセドリックの顔は晴れ晴れとしている。不安もあるのに楽しくてわくわくしてしまう。次はこうしよう、ああしたらもっとよくなる。そう思って眠れなくなるような気持ちはレイシーにはよくわかる。


 レイシーはそっとウェインと視線を合わせて、邪魔にならないようにとお暇することにした。

 それから本番の日を迎え、セドリックはなんとか納得のいく出来栄えのものを作ることができたらしい。よかった、よかった――というだけではもちろん、終わらない。




 ***




 ウェインとともにサザンカ亭に向かったレイシーだったが、店の中から聞こえた大きな音に驚き、急いで扉を開けた。すると床にはコップやトレイが床に転がっていて、一体何があったと声をかけようとして、奇妙な場の空気に気がついた。


 店の中には男女が二人。セドリックは呆然として女の顔を見ていた。所在のない手のひらから、彼がトレイを落としてしまったのだろうと推測できたが、眼鏡の向こうにある瞳をあらん限り見開いて女性を見ている。


 女性は二十代前後の年齢に見えた。高い背ですらりとしていて、細い体つきだ。誰かに似ている。そして、その誰かはわかっている。


「お父さん……」


 お、お父さん! と小さく呟いてレイシーとウェインは互いに勢いよく目を合わせた。と、いうことは彼女はセドリックの娘で、隣にいる男性は夫なのだろうか。


 声をかけられない。かけてはいけない。けれども今更去ることもできない。前にも後ろにも行くことのできない文字通りの気持ちで、とにかくレイシーとウェインはその場で息を殺し、気配を消すことに専念した。セドリックはセレネにお父さんと声をかけられ、「ななななな」と珍しくも動揺して視線をうろたえるようにぐるぐると回している。大丈夫なのだろうか。


「ひ、人違いだね!」

「そんなわけないでしょ。お父さんの店を間違えるわけがないわ」

「み、店違いだッ!」


 言い訳がむしろ悲しくなってくる。さすがにそれはない、と寂しげな瞳でレイシーとウェインはセドリックを見た。本人も諦めたらしい。「なんなんだよ、僕に何かようかい、セレネ」とそっぽを向いている。


「私の結婚式に飴でできた花の細工をテーブルにそっと置いてくれたのは、お父さんでしょう。ちゃんと来てくれたのね、ありがとう」

「ちがう、まさか。何のことかわからない」


 食い気味での返答はむしろ肯定を表しているが、意地でも頷くつもりはないらしい。セレネはそんなセドリックにため息をついていたが、諦めたというよりも呆れて、苦笑しているような顔だ。


「見たときはお父さんからだとは思わなかった。でも、食べてみてすぐわかったわ。紅を混ぜて味を変えていたけれど、何度も食べたお父さんの飴の味だもの。私がわからないはずがないじゃない」


 レイシーははっと気づいた。セドリックは子供達にこっそりと飴を作っていた。それなら、実の娘であるセレネにだってそうだったのだろう。


「なんせ天下一品の食いしん坊の私だもの。どれだけごまかしても、わからないわけないじゃない」


 自分の娘は食いしん坊だったと言っていたセドリックだ。セドリックはセレネにはわからないように、こっそりと料理を贈りたいと言っていたけれど、なるほど、彼が料理を贈りたいと思った時点で、彼の願いが叶わないことは目に見えていたようである。


「お父さん、来てくれてありがとう」


 今回の星さがしへの依頼は失敗かな、と考えて、いいや、むしろ大成功だったのかもしれない、と思い直した。なんせセレネに顔を合わさぬようにとぐるりと背中を向けたセドリックの肩がときおり大きく震えていた。勢いよく息を吸って、吐き出す。そうしているうちに耐えきることもできなくなって、ぐしゃぐしゃの顔で眼鏡をとって何度も涙をぬぐっていた。いつの間にか大声を上げて泣いていたのはセレネも同じだ。



 ***



 ありがとうの言葉が、次に、次にとつながっていく。そのことが嬉しかった。

 セドリックはセレネの結婚式を彼女にばれないようにこっそりと覗いていたらしいが、きちんと花嫁衣装を見てほしいという彼女の願いは、いつの間にかプリューム村全体を巻き込んでいた。セドリックの娘なのだから当然だという村人の声は次第に大きくなり、二度目の立派な結婚式が開かれた。村人達は一人ひとり花嫁と花婿に祝いの品を贈り、レイシーからはたっぷりの花を渡した。村中に飾り付けられた花達は、まるで一足早くプリューム村に春がやって来たようだった。


 セドリックが娘に贈った大きなケーキの上には山茶花の飴細工を。『本当は立派な菓子の上に飴細工を置きたかったのさ。メリア村では設備がなくて諦めたけど』とぐしゃぐしゃになっていた顔はすっかり忘れたように、セドリックはつんとつました顔をしていた。でも、娘の花嫁姿を見て何度だって声を震わせていた。子供達も作った紙や粘土の花がまさか活躍する日が来るとは思わず、驚きながらも花嫁に渡し喜んでいた。


「私、山茶花が好きなのよ。少しずつ寒くなって、花が少なくなってしまうときに咲いて、花の盛りの前に静かに散ってしまうから。まるでこっちを寂しがらせないようにと頑張っているみたいで胸がほわんとあったかくなる」


 だから昔から大好きなの、と頬を緩ませるセレネを見て、サザンカ亭の由来がわかったような気がした。


 真っ白なドレスに包まれたセレネはとても綺麗で幸せそうで、わあわあ、ひゅうひゅうと村人達は大盛りあがりだ。ポップコーンを食べ比べた、いつかのお祭りと同じようにそこら中は軽快な音楽が溢れていてティーとノーイと一緒に子供達もくるくると踊っている。


 レイシーにとって、それはとにかく不思議な場だった。なんだか自分が場違いのようで、不安になる。あまりにも楽しい風がどんどんやってくるものだから、ここにいてもいいのかと足元がふわふわする。――なのに、ぐっと胸の奥を掴まれた。たくさんの人の笑顔が嬉しくて、嬉しくて、気づいたら、力いっぱいの拍手を送っていた。レイシーの隣にいるウェインも、静かに拍手をしている。


 花嫁は大きな花束を抱えていた。それはブーケというそうだ。受け取った女性は次の花嫁になる。それくらいのことは知っているけど、自分にとって関係のない話だから気にも留めていなかったものだ。「レイシーさん!」 呼ばれた。だから、思わず手を伸ばしてしまった。多分、セレネはセドリックからレイシーの名を知ったのだろう。レイシーは小さな腕いっぱいの花束を受け取って、わあ、と悲鳴を上げてしまった。


 これがセレネの気持ちであることはわかった。驚いて、どうしたらいいものかわからなくって、たくさんの言葉を飲み込んだ。聞こえる拍手の音に、顔が熱くなっていくのを感じる。


「よかったじゃないか」 


 何の気なしに言ったような、ウェインの声が聞こえた。でも不思議なことに、すとりと胸に落ちてレイシーは優しく花束を抱きしめていた。


「……うん、嬉しい」


 正直な気持ちだ。たくさんの花を胸の中に入れてウェインを見上げると、珍しいことにも彼は顔を真っ赤にしてレイシーを見ていた。今まで見たこともない表情をするウェインを見て、慌ててレイシーは自分の言葉を思い出した。


「ち、違うわ、次のお嫁さんになりたいとか、そういうわけでは、なくて、ただ、彼女からの気持ちが嬉しいと! そういう意味で!」

「わ、わかってる。それはわかってる! 俺だってわかってるはずなんだ! なのに、なんだろう、すごく……照れただけだ!」


 なるほど、なんて頷けない。かぶっていない帽子のツバを引っ張ることはもちろんできないから、レイシーは花束を抱きかかえるように必死で顔をうずめて隠した。ウェインだって腕を組んでそっぽを向いている。そんな彼らには関係なしに、頭の上では色とりどりの紙吹雪が散っていて、お祭り騒ぎは続いている。


「……ふふ」

「…………はは」


 周囲と、自分達の差がおもしろくて、次第にくつくつとレイシーは肩を揺らして笑った。それはウェインも同じだった。今度は大声で腹を抱えた。でもそんな声も、村人達の笑い声に混じっていく。


 いっぱいの空の中に、ぐんと吸い込まれていく。



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