第44話

 


 セドリックに娘がいるということは知らなかった。それも、プリューム村ではなく、ここから三日ばかり馬車で走った距離にある別の村にいるとのことで、もう何年も顔を合わせていないとのことだ。


 たしかにセドリックの年齢を考えるなら年頃の娘の一人や二人いてもおかしくはない。けれども子供がいるということは、相手がいるということで、尋ねてもいいものかどうか困っていると、セドリックはレイシーとウェインを店の中へと促しながら、「別れたんだ。深い理由があるわけじゃない。よくある話さ」となんてこともないようにさらりと教えてくれた。


 レイシーは案内されるままにテーブルに座って、ウェインはその正面に。どこから取り出したのか、目の前にはオレンジジュースが置かれている。麦から作ったストローがコップの中に突き刺されていて気遣いが嬉しい。飲んでみると、さっぱりした味だ。


「……それで、困っていることって?」


 ウェインが少しばかり行儀が悪く肘をテーブルにつけてウェイターをするセドリックをちらりと見上げた。トレイを抱えたまま、「そうだ、まあ、そのことだな」とセドリックは珍しくも口ごもっている。やっぱり本人が言うように、動揺しているらしい。


「先程娘から届いた手紙の中に結婚式は二週間後と書かれていたので、正直驚いてね」

「それは……随分、急ですね」


 結婚のことはレイシーにはわからない。婚約者はいたが、そちらの準備については任せっきりだったのだ。レイシーの場合は貴族との婚姻だったから話が異なるかもしれないが、それでも数週間で準備を行うべきものではないだろう。

 それとも準備だけは以前から行っていて、セドリックに知らせるのが遅れてしまったのだろうかというレイシーの疑問は、不機嫌そうにストローでジュースを飲んでいるウェインの言葉であっさり解けた。


「間違いなくアリシア様の影響だろうな。一ヶ月後の春には隣国に嫁がれるということが最近国から通達されたろう。貴族ならともかく平民が王女と同じ時期に結婚式を挙げるわけにはいかないし、アリシア様の婚姻からしばらくの間、王都中は花で飾り付けられる。となるとこれから先、花の値段は間違いなく高騰する。結婚式には花が必要だから、それがなしというわけにはいかない。だからもとの予定を急いで早めたんだろう」

「その通りだ」


 セドリックはうん、と頷いている。レイシーは二人の会話をぱちぱち瞬きしながら聞いていた。


「アリシア様のおかげで、クロイズ国はどこもかしこも結婚ブームだよ」

「へぇ、そうだったの」

「そうだったのって、レイシー、お前……」


 ちゅるちゅるとジュースを飲む。そういえば、クロイズ国第一王女のご婚約、またご結婚のニュースは村に下りたときに聞いたような気がする。

 ウェインは思わず呆れたようにレイシーを見たが、アリシアの婚姻は隣国との縁が深まるし、少なくともがっくりくるニュースではない。レイシーは王都を出る際、件の王女と少しばかりの波乱はあったがそのことに対して何を思うわけでもない。


 むしろ、お元気にしてらっしゃったらいいけど、とピンクブロンドの豊かな髪と愛らしい顔つきの女性を思い出すくらいだ。レイシーが彼女に会った記憶は大粒の涙をこぼしてあえいでいたから。


「まあとりあえずそのことはいいんだ。問題は、娘が僕に式に出席してほしいと言っていることだ」

「……いいことじゃないんですか?」

「そんなわけはない。僕は彼女に十年近く顔を合わせていないだ。今更見せる顔などない」

「でも、お嬢さんからセドリックさんに来てほしいとおっしゃっているんですし」

「嫌だ」


 子供のような返答である。どうしろというのか。それならそれで断りの返事を書いた方がいいのだろうが、来てほしいと願った人が来てくれないとなると、顔を知らない女性の悲しみを考えて寂しくなった。でも事情をよく知らないレイシーがそれを無理強いするわけにはいかない。「でも行きたい」 どっちだ。気分が上下すぎてどう反応すればいいのかわからない。


「娘には顔を合わせることはできない。けれども、僕はめいいっぱい彼女の幸せを祝いたい。だからそれを僕がどう祝うのかと考えると……僕ができることは料理しかない」


 レイシーとウェインに語りかけながら、セドリック自身も考えているのだろう。近くの椅子を引いて席に座って、言葉は淡々としつつも真面目くさった表情である。


「けれどセレネ……娘は僕の料理を知り尽くしている。僕が作った料理ならば、セレネはすぐにわかってしまう。十年たってはいるけど、そこは断言する。間違いない」


 テーブルに肘をつき、両手を合わせておでこに指を載せながらセドリックは断言する。「なんせあの子は天下一品の食いしん坊だったんだ」「怒られますよ」 女の子に何を言うか。


「娘に僕の料理を届けたい。そしてその上でこっそりと参列して端っこから祝いたい。けれど、届けた料理は僕からということはバレたくはない。しかし、僕が一人きりで作る料理には、僕自身の癖がどうしてもでてしまう」


 なんだか難しい話になってきた。そして少しずつ話の全容も見えてきた。どうしよう、とレイシーの背中から滝汗が流れ出る。


「レイシーさん、お願いだ。正式に『星さがし』に依頼したい。娘の結婚式に見合うような、素晴らしい料理をどうか一緒に考えてくれないだろうか」


 ずるずるずるっと勢いよくストローでオレンジジュースを飲み込んだ。


(……これは、なんというか)


 セドリックは眼鏡の奥の瞳を真摯にレイシーに向けている。隣に座るウェインは、ついと片眉を上げていた。ジュースの次に飲み込んだものは、重っ苦しい胸の奥の何かである。


 責任重大すぎる、依頼だった。



 ***



 いや責任がない依頼などそもそも存在しない。程度の差はあるけれど、みんながみんな、困りあぐねてレイシーに助けを求めている。だからこの依頼には手を抜いて、この依頼には気合を入れて、なんて考えはないけれど、結婚式である。人によって回数は変わってくるかもしれないけれど、場合によっては一世一代の晴れ舞台。出会ったこともない女性だが、どうか幸せいっぱいの式になってほしい。


「娘が住んでいる村、メリア村には友人がいる。そこにちょこっとお邪魔をして厨房を借りるくらいのことは許してくれるはずだ」


 レイシーはセドリックと二人並んで粉をさっくりと混ぜ合わせている。「ひいい」 店の奥の厨房で、レイシーはエプロンを引き締め机のいたるところには書き殴られたレシピが多数散らばっている。「ううう」 パウンドケーキは粉を混ぜたら混ぜすぎてはいけない。わかっている。「ああああ」「さっきから君は何を唸っているんだ?」 緊張で死にそうだった。抱きしめたボールに頭をつっぷしてしまいそうだ。


 あれだけたくさんのものを作ることができる君だから料理だって大丈夫だろう、とセドリックに言われたはいいけれど、料理と道具作りはまったく別だ。たしかにレイシーは以前アイスティーを考案したことはあるものの、それは冷やした紅茶を飲むというアイデアの提供だけであって、ゼロからとなると絶望に近い気分だ。


 多分この依頼はレイシーよりもウェインの方が適切である。『星さがし』へというよりも、もっとちゃんとした、違う人に相談した方がいい、ということを遠回しに伝えてみたものの、「僕は作り方を考えてほしいというよりも、根本的なアイデアがほしいだけなんだ。だからただ料理が得意な人よりも、僕が思いつかないことを考えてくれる人がありがたい。つまり君みたいなね」とセドリックは真顔だった。期待が怖い。


 時間は短い。だから少なくともすぐさま方向性だけは決めなければいけない。それは案外あっさりと決まった。『花』である。クロイズ国の結婚式と言えば、花嫁はその名の通りたっぷりの花を抱えて、村の端から端までできる限りの花を詰め込む。それなら料理にもあしらってはどうだろうか、というレイシーの提案にセドリックはなるほどと頷いた。けれど、問題は何に、どんな風にあしらうかということだ。セドリックの表情は変わらないが、おそらく焦る気持ちはレイシーと同じか、それ以上に違いない。机の上にはバツをつけられるレシピの数が時間がすぎるほどに増えていく。


 そしてこの場にいるのはレイシーとセドリックだけではなかった。


「セドリックさんのピンチよ! あんた達、気合を入れなさい!」

「……アイッサー」

「アイアイサー」


 びったん、びったん。音が響いている。厨房の外の食事スペースにはくるくる髪を二つにくくった女の子がビシッと双子の少年達を指導している。そして彼らを保護者のごとく見守っているウェインである。店の扉の外側には臨時休業の木の札がひっかけられていた。


「お花よ! あらん限りのお花を考えるのよ! セドリックさんのお嬢さんに、私達なりの花を添えるのよ……!!」


 だんっと両足を広げて、ふんぬと両腕を組む少女。

 ――もちろん、エリーちゃんである。

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