第43話
ウェインの休みは一週間どころか一ヶ月だった。
レイシーはおそるおそるウェインに問いかけてみたものの、クビになったわけではないらしい。とりあえずよかったと思えばいいのだろうか。ウェインは元勇者として王宮から人里を荒らす魔物を狩る仕事を主として行っている。危険がない、とはいえないが元であるが勇者である。大抵のことはなんとでもなる。
それでも万一はあるし、しばらく前のことだがたまたまレイシーが作った魔道具があったおかげでウェインの命を救ったこともあった。だから今も彼は匂い袋を常備しているらしい。というわけで人生何が起こるかわからない。休暇が長いというのならいいことだ。……いいことなのだろうか?
レイシーは、ううんと考えてウェインを見上げた。
「ウェインそれって本当に、ただの休暇?」
問いかけてみる。ぷいっと顔をそむけられた。「何かあったわけじゃなく? 何かしてしまったわけでもなく?」 大丈夫なの? という意思表示だったのだが、ウェインは口元を固く引き結んでぴくりとも語らない。そしてどんと腕を組んでいる。
これ以上は話す気はないのだろう。それなら仕方ないとレイシーが諦めたときと、腹の中から炎を吹き出し続けていたティーがくらりと意識を落としたのは同時だった。「ティー!!」「ぶんもっ!!」 慌てて駆け寄り、抱き上げてみるとティーの目がぐるぐると回っている。
「……こ、これは、薬草をあげた、ほうが……?」
ティーの主食はレイシーが育てた薬草だ。自己回復能力の高いフェニックスに与えるべきものなのかどうかは未だにわからないが、デリシャスとノーイとよく一緒に舌鼓を打っている。食事として適切かどうかはさておき、どこか怪我をしてしまったのなら今こそ食べるべきときだ。
「……どうかな」
ウェインがティーの眼前で親指と人差し指をぱちぱちと幾度か弾いてみると、ゆっくりとティーは瞬いていた。そして、ぐぅ、ぎゅるるん、と激しい腹の音がする。もちろんティーからである。「……どうぞ、あちらに」「ンッキュイイイィイイン!」 跳ね上がりながらティーは薬草畑に突撃した。「ぶもおおおおお!」 そしてノーイも続いた。彼ら二匹は自身の何倍も大きな薬草畑の中に転がり込んで、もしゃもしゃ嬉しそうに食べている。元気である。ウェインと無言のままにその姿を見つめた。
ティーに燃やされていたはずの木は、そんなことは知らぬとばかりにぴかぴかの葉っぱで天高く枝を向けて空を見上げている。
「……耐熱樹ってすごいのね」
「まあな。場所によっては魔族の土地でも平然と生えているらしいぞ」
「へえ……」
「んぶおお、んぶおお」
「ンンン、キュイシャス!!」
「今もしかしてデリシャスって言った?」
***
どこまでも食欲がつきることのないティーとノーイには伝えて意味があるかわからないが、あまり食べて胃もたれしないようにと言っておいて、レイシーとウェインは村まで下りた。レイシーの屋敷はプリューム村の端に位置する。小高い丘をゆっくりと下って振り返ると空が少し遠くなったように感じた。レイシーの屋敷まで続く道は、まるで空に向かっていくようで、村からは遠いけれど、気に入っている。素敵な道だ。
「ウェインが一ヶ月プリューム村にいるっていうんなら、村の人達に挨拶回りをしなくちゃね」
「おっしゃる通り、ナイスな提案だ」
提案すると褒められてしまった。
プリューム村の人達はウェインが勇者であることも知っているし、何度も来ているから馴染みもある。けれど、一ヶ月いるとなると話は別だ。アレンやカーゴのような村人達や、顔役であるババ様に伝えておいた方がいい。と、いうことを思いついた自分に、少しだけ鼻が高くなってしまう気分だ。プリューム村に来たばかりの頃や、ウェインと旅をしていた頃に比べるとなんと成長したことか。
「うふ、挨拶、うふ、うふ、挨拶……」
「怖いんだが?」
嬉しくってにやつきが止まらない。村に向かいつつもほっぺたに手を置いて、緩み続ける頬をなんとか堪えた。最近、こうしてレイシーは自分自身の成長を実感するときが多々ある。
「ウェイン、私、せ、成長が、止まらない……うふ……」
「そりゃいいことだな」
そしてこの場につっこんでくれる人間は存在しない。よかったなとウェインはレイシーを褒める始末である。しかし褒められると今度は不安になってくるのがレイシーだ。「……いいえ待って、やっぱり私、大したことないと思う」「どっちだよ」 進んだり、戻ったり、やっぱりこっちじゃなかったかなと杖を持ってぐるぐるするのがレイシーだ。もちろんどんどん進んでいることは本人が気づいていないだけだけれど。
「レイシー、お前変わったよ。少なくともいい方にな。ちょっとこない間にどんどん変わるんだ、正直ちょっと混乱する」
「ウェイン……」
「前よりずっと……その、可愛くなったしな。うん、まあ、なんだ。なんだか最近それも言いづらいんだよな。何でなのかね」
「あっ、セドリックさんだ。お店はもう開いてるのかな」
「聞けよ」
セドリックは村で唯一の食事処の店主だ。年は四十の半ばかその程度で、白髪が交じる髪をなでつけていて、細いフレームの眼鏡をかけている。神経質か、もしくに無愛想に見える顔つきだが、実際はそんなことはなくただ口調がぶっきらぼうなだけな人とレイシーは知っている。
サザンカ亭と呼ばれる、山茶花の木が立派に生えた店の軒下では、難しい表情をしたセドリックがいつも以上にむんと眉間の皺を深めている。忙しいのだろうか、と思いつつもいつも、もともとあんな顔なのでちょっとよくわからない。声をかけるのはやめておこうかと考えたのに、「セドリックさん、おはようございます!」とレイシーはすでに気合を入れて声を張り上げてしまっていた。
人と関わるのなら、まずは挨拶から。わかってはいるものの、自分から声をかけるとなると、たっぷり息を含んでから吐き出さないと心がまだ追いつかない。セドリックにはまだ少し緊張してしまうのだ。なのでやめておいた方が、と考えて近づいたときには、とっくに声をかけてしまった後だった。
セドリックがレイシーの声に振り向いたとき、ウェインはレイシーの葛藤なんて気にすることなく、セドリックにひらひらと片手を振っている。
「やあ、勇者くんじゃないか」
「勇者くんは勘弁してくれ。セドリック、久しぶりだな」
「なるほどウェインくんだな」
セドリックはほんの少し口の端を上げて言い直す。「レイシーさんも、おはよう」 ふんわりとセドリックは笑った。
――ここは暁の魔女がいて、ときおり勇者やその仲間がこっそりと来る村だ。
レイシーが暁の魔女だということはプリューム村の人達は薄々勘付いていたが、ウェインが勇者ということは知られてはいなかった。ウェインの隠蔽魔法にすっかり騙されていたのだ。レイシーは今でも村人達が気づいてしまったときの驚きの声と顔が忘れられない。
だからウェインが勇者だと気づき、再度彼が村にやって来たとき、ガチガチに固まっていた村人達を解きほぐすのは大変だった。レイシーのようにゆっくりと気づいていったという差異はあるかもしれないけれど、自分のときとは随分対応が違う、と少し複雑な気持ちになってしまったがそれはさておき、今ではウェインも村人の一員のように迎えられている。
「我らが暁の魔女様に朝から会えるなんて幸先がいいな」
「あ、あの、そういった冗談は、その、あんまり得意ではなく!」
「そうかい。本音だったんだがな」
「あんたは真顔で言うからわかりづらいんだよ。それよりセドリック、何かあったのか?」
「うむ。あったと言えばあった」
ぶっきらぼうなのに付き合いがいい返答はいつも通りだが、やっぱりどこか違うようにも見える。問いかけたのはウェインだが、レイシーも同じく違和感があった。そしてセドリックはさらりと言葉を続けた。
「けれどもあくまでも僕個人の話だ。もしかすると君達には興味がないことかもしれない」
セドリックが持っているのは手紙だった。ポストの中から取り出して、手紙を読んでいたところなのだろう。すぐそこに家があるのに、耐えきれずに封を開けて立ったまま読んでいたとなると、やっぱりあまりセドリックらしくないように思うが、それだけ手紙の送り主に動揺していたということだろうか。
「興味がないということはないです。セドリックさんが、私達に教えたくはないということならもちろん話は別ですけど」
「僕は動揺している。できれは誰かに話したい。君達が聞いてくれるならありがたいんだ。そして可能なら建設的なアドバイスがほしい」
無表情のまま、けれどもきりっと眉は吊り上げているから、動揺していると言われても本当かしらと疑う気持ちがないわけではないが、本人が言うからにはそういうことなのだろう。セドリックは、ちょっと表情が出づらい人なだけだ。
アドバイスをしてほしい、と言われても、できるかどうかなんてもちろんわからない。でも助けてほしいと言われたのなら、否定するわけにはいかない。セドリックにはたくさんお世話になっているのだ。「セドリックには俺がいない間レイシーが世話になってるからな。存分にお返ししたい」 しかしそれをウェインに言われると何か違うようなという気になるような。安定の保護者である。
「それなら安心して伝えよう」
レイシーは二人に見えないように、そっと拳を握った。セドリックの相談事を色々と頭で想像してみる。そしてびしりとレイシーが答えを返す。その発想はなかった。すばらしいな、ありがとうレイシー。すごいなレイシー。二人からの称賛を空想して、にまにま口元が喜んでしまう。そう、レイシーは変わった。これこそ、自分の成長を証明できるときなんじゃなかろうか? 絶対そうだ。
任せてください、とレイシーはない胸をそっと張った。どんな相談事だとしても、はっきり、すっきりと解決してみせる。なんていったって、『星さがし』でこれでもいくつもの場数を踏んできたのだ。
という言葉は恥ずかしくてとても言えないけれど、胸の中は期待いっぱいでレイシーはセドリックの言葉を待った。なんだか嬉しそうな顔をしているなとウェインにバレていることなど知らずに、鞄から出していつの間にか大きくなった杖をふんふんと握る。レイシーの杖は、ときおりレイシーの感情に起伏に反応してしまう。
セドリックは、ぴらりと手紙を二人に向けた。便箋だ。可愛らしい、けれども丁寧な文字で、おそらく女性なのだろう。手紙の主の優しげな性格が窺い知れる筆跡である。
「娘が結婚することになったんだが」
レイシーはきょとんと瞬いた。そしてウェインも手紙を覗き込みながら、レイシーと同じ表情をしている。それから二人でセドリックを見た。娘。「「娘!!?」」 さらに声までかぶった。
ああそうだ、とセドリックはなんてこともない顔をしている。
この相談事、少なくともレイシーが想像したものとはまったくもって違う気がする。立派になった自分の姿を想像していたレイシーは、頭の中で大きくばってんを描いて、ぺしゃんこになった。
ついた自信に大きくなったり、けれどもすぐに不安になったり。中々大変だ。けれどそれがレイシーという少女なのだから。仕方ない。
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