第3章
1 春の村、サザンカが咲く
第41話
ひゅるりと一つ風が吹けば、色とりどりの花弁が揺れる。まるで、ぎっしりと敷き詰められた花の絨毯の中にいるようだ。一体どうしてこんなことになってしまったのか。レイシーだって苦笑してしまう。
初めはちょっとした薬草だけの畑だった。一年と少し前、レイシーがプリューム村に来たばかりの頃のことである。
ただのまっさらな土から畑を作って広げて、花の種を植え、また広げてと必死に手を入れているうちに次第に畑はレイシーの手から独り立ちをしてしまった。クロイズ国一番の魔法使いであるレイシーの魔力が練り込まれた土は、誰にも知られることなく地中深くに眠っていた種達を呼び起こして、ぐんぐんと育っていった。おかげで今ではレイシーの覚えがない植物ばかりで、にょっきりと大きな木まで生えてしまっている。
以前でも季節を忘れるほどに生い茂っていた様々な植物達は、春本番に近づくプリューム村でここぞとばかりに力いっぱいに体を伸ばして、たくさんの仲間とともに生い茂っている。レイシーはこの光景がとても好きだ。思わずほっと笑ってしまう。
「……いい匂い」
レイシーは細い体をかがめてそっと花弁を手のひらで覆った。ヘーゼル色の瞳を静かに細めて微笑む顔は愛らしい。レイシー・アステールという名を持つ彼女は、以前は顔を隠すために大きな帽子をかぶっていたが、今では艷やかな黒髪を風の中で揺らしていた。髪留めには真っ青な石を装飾にしたバレッタを使っている。
「おーい、レイシー!」
ふと、少女を呼ぶ声が聞こえた。ウェイン・シェルアニクという名の青年である。金の髪がきらきらと太陽に照らされていて翠の瞳が優しげだが、本人の気質よりもきらびやかな外見に苦労することも多いらしい。勇者として、レイシーとともに一年もの旅をした面倒見のいい青年である。
ウェインはときおり王都からレイシーの様子を見に来てくれる。理由は、レイシーを放っておいたら死んでしまいそうで心配だから。今でこそしっかりと生きているレイシーだが、以前はふらりと消えてしまうような危うさがあった。衣食住にはこだわらないタイプだったのだ。正確にいえば興味がなかったのだ。
「ウェイン」
振り返って、花畑を通り抜けようとして、それより先にウェインがレイシーに向かって畑の中を歩いてくる。場所によってはにょきにょきとレイシーの背丈ほどに伸びている薬草もあるが、慣れた様子でかきわけている。でもやっぱり待っていると胸の内がそわついてきたから、レイシーだって彼の元に駆け寄った。
「うわっ、なんで走るんだ、危ないだろう」
「な、なんで……なんでだろう、なんでかな」
ウェインの姿を見たら駆け寄りたくなった、なんて伝えたところで困らせてしまいそうだ。息を吸って、吐いて、落ち着いてゆっくりとウェインに向かい合った。レイシーがそうする間に、ウェインも同じくざわつく自身の胸を手のひらで押さえて、緩んだ頬を締め直した。だから互いに顔を合わせるときには、すっかりいつもの顔である。
「久しぶり、ウェイン。二ヶ月ぶりくらいだね」
「そんなもんだろ。ちょっと忙しかったからな。元気にしてたか?」
「とってもね」
「そりゃ上等だ」
「そっちは?」
「ぼちぼちかな」
なんて会話をかわしつつ、妙に自分の心臓の音が大きいことにレイシーは困惑した。ごまかすために軽口を口にしているが、自分でも何を喋っているのかわからない。おかしなことを言っていないだろうかと不安である。理由は自分でもわかっている。
「……髪飾り、使ってくれているんだな」
「…………」
思いっきり唇を噛んでウェインから視線をそらした。思わずここに帽子があればと願ってしまう。レイシーの髪飾りはウェインから十六歳になった祝いの品として贈られたものだ。深い夜の空を閉じ込めたような青い石が綺麗で、可愛らしくて何度だって見てしまう。もったいなくて使いたくないという気持ちと、やっぱり使いたいという気持ちが板挟みになって毎朝大変なのに、なんということだろう。今日に限ってウェインがやって来てしまった。
使っているところを見られたくない。でもやっぱり見てほしいような。ぐるぐると目の前が回っている。しかし同時に、珍しくもレイシーは腹立たしさも感じていた。
レイシーがこんなに困りあぐねいているというのに、ウェインはなんてこともない顔をして、「やっぱり似合ってるな」と笑っている。なんだかちょっとむかむかする。
「……レイシー、ちょっと待て」
「うん」
「なんで俺に杖を向けている」
「そんなことはしてないわ」
レイシーの杖は普段は腰の鞄の中に小さくしてしまっているが、杖はレイシーの魔術に呼応して自在にサイズを変化させる。レイシーが集中すればするほど杖は大きくなるが、逆に言えば、杖を大きくさせることで集中を高めている。そのように訓練したのだ。
ぐんぐんと大きくなる杖に、さすがのウェインも状況に困惑している。「いやそんなことあるだろ! なんで俺に魔術を使おうとしてるんだ!?」「わからないけど、わからないけど!」 とにかく顔が熱くてたまらない。耳だってまっかっかだ。ぎゅうぎゅうに杖を握りしめている両手を自分で睨んだ。
そのとき、真っ青な空に登るほどの火柱が立ち上った。レイシーの杖からではなく、彼女の背後からである。
「キュウウウウイイイイイイイイ!!!!!」
「ぶんも! ぶんも! ぶんもォーーー!!!」
「…………」
「…………」
振り返ると、フェニックスと猪が気合の限りを叫んでいた。ティーがごうごうと一本の木を燃やしていて、ノーイがフレフレと応援している。レイシーはただ呆然としていたが、ウェインといえば炎に気づいた瞬間、レイシーの肩を抱きかかえてすぐさま背中にかばっていた。しかし見たものと言えば、二匹の珍妙な光景だった。
「あれは、一体何をしているんだ……?」
「さ、さあ……」
レイシーは首を傾げつつも、自分の心臓の音がすっかり落ち着いていることに気づいて、ひどくほっとして、息をついた。そんな自分に、少しだけ気づいていた。
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