第40話

 

 エリーが求めるものは、恋愛相談だった。


 さすがになんていうかそれはちょっとどうかというかとごにょごにょもごもごするレイシーに、「一体なんなの、なんでいきなりしぼんじゃったの、暁の魔女なんじゃないの!?」とエリーは叫んだが、相談されたところでまともに返答できるかも怪しい分際である。「どうしたの!? 今度はすっぱいものを食べた後みたいな顔になってるんだけど!」 嫌な汗しかこぼれないし、すでにこの依頼はレイシーの範疇外のように思えた。


 震え声でぽそぽそと返答するレイシーに、エリーはどうやら何かを察したらしい。

「依頼とかじゃなくてもういいわよ、ここまできたら同じ女同士、相談に乗りなさいよぉ!」とずるずる引きずられるままに屋敷をあとにした。年齢差が十歳近くある女同士のカウントである。今日はなんだかにぎやかですねとティーとノーイはきゅいきゅいぶもぶもと見送ってくれた。


「あのねレイシー。私、今片想いをしてるんだけど……」

「か、片想い……」


 もはや異国の言語である。顎に手を添えレイシーは頭の中にある単語を検索する。大丈夫、わかってる。ただあまりにも縁がなさすぎて、ぱっとは思いつくことができなかった。エリーと手をつないでいると、村の人達から微笑ましいとたくさんの声をかけられたのだが、幼子につながれ導かれているだけであるとはとうてい言えない暁の魔女である。


 一体どこに行くんだろうと不思議に思っていると、途中、アレンの双子の弟達に出会った。エリーと顔を合わせるとヨーマはぼふんと顔を赤くして、「えええええエリー、いい天気だね!」とばたばた手を振っている。リーヴはそれがいつものこととばかりに見ているが、なるほどわかった。これはさすがのレイシーでも理解する。


(つ、つまりエリーちゃんは、ヨーマとの恋を応援してほしい……? いや待って、もしかするとリーヴの可能性も……!)


 そうだったらどうしよう、とどっちを応援すればいいんだろう、とおろおろするしかない。しかしエリーは、「今日は曇りよ」とすげない返事とともにヨーマを素通りする。

「今日は最高の曇り日なんだァ!」と背後で叫んでいるヨーマは負けてはいないが、中々切ない光景である。


 どこまで行くのだろうか。気づけば双子達も後ろについて、レイシー達はずんずんと進んでいく。しかしなんだか覚えのある道のりだ。もちろんプリューム村でわからない道はすでにない。だからこれはわかる、わからないの話ではなく、あまりにも覚えがありすぎるというかなんというか。


 たどり着いたサザンカ亭では、真っ赤な山茶花が咲き誇っていた。


(……いやそんな、まさか)


「あれ、昼飯でも食うの?」と平和に問いかける双子の問いを、エリーはつんと無視した。

 そのとき、ちょうど店の中からセドリックが顔を出した。縁の細い眼鏡をかけ、なでつけた白髪交じりの髪型はいつもどおりだ。眼鏡の縁と同じく細い体をひょろりとさせて、レイシー達を見つけるとぱちりと瞳を瞬かせた。


「おやレイシーか。いらっしゃい」

「こ、こんにちはセドリックさん」

「どうした、うちで昼でも食べるかい?」


 セドリックの口調も、ロミゴスがやって来てからの変化の一つだ。カーゴやババ様など、村の人達からは、レイシー“さん”と呼ばれていたけれど、今ではレイシーとして扱ってくれるようになった。そのことがくすぐったくてたまらないけれど、やっぱり嬉しい。


「いえ、その、そういうわけではなく……あ、あれっ」


 さっきまでレイシーをひっぱってずんずんと前に進んでいたはずのエリーが、いつの間にか自分の後ろに隠れている。小柄なレイシーの後ろだからあんまり意味がないし、ちょろちょろツインテールが見えている。もちろんそのことにセドリックも気づいているようで、ふうん、と眼鏡の向こうをうっすら細めた。


「あ、あ、あ、あ、あの、あの、私」


 とにかく真っ赤な顔をするエリーは可愛らしい。微笑ましく思ったのも一瞬だ。「セドリックさんが……好きです!」 幼子は激しい爆弾を投げ落とした。被弾したヨーマは崩れ落ちて、全ての力を失った。リーヴがぽんぽんと背中を叩いて慰めている。セドリックはきゅっと瞳を見開き、レイシーは思わず意識を手放してしまいそうになった。



 ***



 目の前には山盛りのどんぐりがつまれている。エリーからの感謝の品である。

 愛の告白というレイシーでさえも行ったことのない偉業を経たエリーに対するセドリックの反応はとっても大人な返答だった。


『嬉しいな、ありがとう』という答えではなく平和な返答となる感想を述べたセドリックに、エリーは喜び、ヨーマは死んだ。リーヴはどこから取り出したのか、ポップコーンをぼりぼりと食べていた。


『ねえ、レイシー! 嬉しいってことは、私はセドリックさんに嫌われてないってことよね!? セドリックさんは私のことを好きなのかしら、どう思う!?』


 ただただ興奮しているエリーになんとも言うことができずにいると、『もう、レイシーは魔法使いなのに、占いとか、そういうことはできないの?』と、少女はぷっくりと頬を膨らませていた。魔法使いと占い師はまったくもって異なる。力不足に謝罪するしかないレイシーだったのだが。


『じゃあ、私があなたに素敵な恋の占いを教えてあげる!』


 とのことだった。


 教えてくれた占いとは花びらをちぎって、好きと嫌いの言葉を交互に繰り返すということ。レイシーとエリーはそろって花の茎を持って、好きか、嫌いかを占った。エリーは好きと出ると喜んで確認のためともう一度同じことをしたくなるし、嫌いだと悔しくて、好きが出るまで何度だって繰り返す。なぜだかそれにレイシーも付き合う。


 好き、嫌い、好き、嫌い。同じ言葉を繰り返しすぎて、頭がおかしくなってしまいそうだ。たっぷりの花を山盛りちぎって皿の中がいっぱいになった頃には、エリーは大満足で『ありがと、今回の依頼のお礼よ!』と大量のどんぐりをくれた。彼女は野生の動物なのだろうか。


「いつの間にか、依頼ということになっていた……」


 別にいいんだけど、とつんだ花びらは匂い袋の新作にしようと考えて、行儀悪くテーブルに寝そべりながら皿の回りにあったどんぐりを指先でつんと弾く。ころん、と不規則に転がり、くるくると滑るようにどんぐりはテーブルの上を回った。花びらが落ちていない花は、まだ少し残っている。


「好き」


 特に意味なんて何もない。寝そべった体勢のまま、ぷつりと花びらを一枚取る。「嫌い」 エリーと一緒にたくさんしたから、流れるように次の言葉が出てくる。「好き」 まだ、花びらは残っている。「嫌い……」 一体、誰が?


『好きな人を思い浮かべながらするの』


 ぽってりと、温かい笑みを落としながらエリーはそう言っていた。


(好きな人……)


 そんなの、考えたこともない。魔術の腕を磨くことばかりに必死で、必要だと感じたものはたくさんの知識を吸い込んだけれど、そうでないものはたくさん捨て去ってしまった。でも本当はそうではなく、同世代の少女達がきらきらと嬉しそうに恋を語る言葉を耳にして、羨ましくて見ないようにと目をそらしていたのかもしれない。エリーの姿は、とっくに過ぎ去ってしまった幼い頃のレイシーと少しかぶる。

 あれほどレイシーは素直になることはできなかったけれど。


「ウェイン」


 特になんの意味もないけれど、自然と彼の名を呟いていた。このところレイシーはいつもそうだ。次は何を作ろうとわくわくして普段はそれだけで頭がいっぱいなはずなのに、畑に水をやっているときや、ご飯を食べているとき、ふとしたとに、彼のことを思い出してしまう。次はいつ会えるのだろうと考えて知りたくてたまらなくなってくる。


 ぷちり、ぷちり。一枚いちまい、と花びらを引っ張っていく。とうとう最後の一枚になってしまった。交互に呟いていた言葉は決まった。


「す……」

「レイシー、何をやってるんだ?」

「へ、うわ、え、え、え、あーーーっ!」


 どんがらがっしゃんと机に飛び込んで、レイシーは花びらまみれになってしまう。そんな彼女の姿をウェインは眉をひそめて見た。とにかく不思議な恥ずかしさがやってきた。


「一体なんだってんだ。また匂い袋でも作るのか?」

「あ、新しい顧客からの相談ごとがあったの!」

「お、おう」


 普段よりも大声で涙まじりに怒るレイシーに若干困惑しつつもウェインは頷いた。なのでほっと安心した。とりあえず自身の行っていた痕跡を隠そうと必死にテーブルの上で体をじたばたさせていたとき、床に落ちた一枚の花弁をウェインは拾って持ち上げている。


「赤い花か。そういや童謡にあるよな、一枚いちまい花びらをとって、好きか嫌いか占う歌」

「そ、そんなのあったっけ……」

「うん、俺はしたことないけど。レイシーもそんな感じだろ、歌も知らないんだし」

「そっ……」


 ついさっきまでしていましたというのは、どうにもウェインには言えない。ぱくぱくと口をさせて、うぐっと言葉を飲み込む。「そ、そんなことより」 なので強引に話題をそらした。とにかく別の何かを話さねばと必死に頭の中を回転させる。


「この間ウェインがもらっていた手紙って、誰からなの!?」


 いや気になってはいたけど。ごまかしてこの話なの、と自分の話題の下手くそさに苦しくなる。


「手紙……? ああ、ダナから届いたやつか」

「え、ダナ……?」


 そしてあっさりとウェインが教えてくれたことと、意外な相手に驚いた。「なんで、ダナが? 私じゃなくて、ウェインに?」と、言ってしまうのは思い上がりだろうか。あれからダナとは定期的に手紙のやりとりをしている。レイシーとしているのだから、旅をした仲間同士、ウェインにも同じようにしていたところで違和感はない。


「いや待て! 言っておくが、あれは特別だ。頻繁にやりとりをしてるわけじゃないぞ」

「ふうん……」


 唐突に焦るようにウェインは続けたが、そんなことより特別って、一体何のことだろう、とさらなる不思議がやってくる。けれどもそれ以上はウェインもレイシーに伝えるつもりはないようだった。





 花びらだらけのテーブルを二人で片付け、恒例のお茶会を開くことにした。けれども茶葉がないことに気づいたから、村に買い出しに行って、ついでに食料を買って屋敷に戻った。ぽくぽくと屋敷までの道をゆっくりと歩きつつ、真っ白い雲がどこまでも続く冬空を見る。半分持つとレイシーは言ったのに、買い物かごは全てウェインが持っていた。


「ねえ、ウェインはもう隠蔽魔法は使わないの?」

「まあな。もう知られてしまったわけだしなあ」

「さっきもお店の人に勇者様って呼ばれて、ちょっと顔がひきつっていたね。ちゃんと返事はしていたけど」

「あんまり得意じゃない。でもまあ、悪気があるわけじゃないし、いうなれば愛称だろ」


 ウェインも段々プリューム村に染まってきてしまったようだ。勇者が来る村という秘密は、村人全体でひっそりと守られている。


「……なあ、村の人達は、大丈夫なのか?」

「大丈夫って?」

「俺はたまにしか来ないから、外からじゃわからないものがある」


 ロミゴスの一件を、ウェインは把握している。だからそのことだろうとレイシーは考えた。心配してくれているのだ。


「……最初は、みんな笑っていたけど、やっぱり怖がっているところがあったと思う。でも、少しずつ本当の笑顔を感じるようになってきた。でも、それがいいことかどうかはわからない」


 平和はとてもいいことだ。けれどもそれはただ現実から逃げることになってはいけない。


「フィラフト公爵に、私からお話を伝えた方がいいかもって考えているの……」


 レイシーの魔道具が悪いものを引き寄せるのなら、さらに大きな存在に庇護を願えばいい。けれどもすでにレイシーは国の鎖からは逃れている。それをもう一度捕まえてくれと言うようなものだったが、村の人達を守るためならと天秤にかけ、レイシーは自身の自由を投げ捨てる覚悟もあった。


「……公爵なら、すでにお前のことをご存知だ。アステール、なんて名前がついた魔道具を作ってることもな」

「えっ、え!? たしかにプリューム村に引っ越すとき挨拶をした方がいいとは思ってお目通りいただいたけど、魔道具も!? 知っているの!?」

「悪いと思ったんだが、それについては俺から伝えた。レイシーからだと色々とまずいだろ。ちょっと急いでたんだ。事後確認で悪いな、言い忘れてた」

「いえ、あの、不安が減ってありがたいけど……」


 暁の魔女が公爵の元へ庇護を願う。それはさらに新しい鎖を得ると同義である。だからウェインが橋渡しをすることでプリューム村のみの庇護に変えた。自由に生きるというレイシーの心情に慮ったのだろう。


 ――ウェインはさらりと伝えたが、ダナの手紙でロミゴスという貴族の動きが怪しいと知り、夜会に調査に向かってその足で公爵への謁見を願って、交渉してと日々の仕事に加えて恐ろしいほどの目まぐるしさだった。けれどもそのことをレイシーに伝えるつもりはないし、どう伝えればいいかと悩んで、今の今まで言えなかったのだ。


 一言でまとめると、今回彼はとにかく頑張っていた。


「よかった、それじゃあ私が作る魔道具は、実質的に公爵の許しを得たということよね」

「ああ、後ろ盾にはなってくれるはずだ」


 立派な髭が似合う男性だったと記憶している。立場を考えると難しいかもしれないが、いつの日か礼の言葉を伝えたいものだとレイシーはひっそりと胸の中でごちた。


「……ウェイン、ごめんね」

「謝られることはしてないし、もらうのならその反対の言葉だ」

「ありがとう、とっても感謝してる」

「よし受け取った」


 少しだけ笑ってしまった。坂を上って、屋敷に近づく。まるで空に近づいていくようだった。どこまでも広がる空に向かって、近づこうと歩けば歩くほどに、吐き出す息の冷たさなど気にならないほど体が温かくなってくる。


 ひゅるり、とレイシーの頬を木枯らしがなでた。ついでとばかりに帽子を巻き上げ、長い黒髪が風の中ですっかり遊ばれてしまう。


「うわあ、ぐしゃぐしゃ」

「待て、整えているふりをしてさらにひどいことになってるぞ。待てって」


 レイシーよりもほんの少しばかり先を歩いていたウェインが振り返った。荷物を道の端に置いて、ちょうどいい丸太に二人一緒に腰掛ける。レイシーに比べたらずっと大きな手のひらなのに、ウェインは彼女の髪をするすると器用にいじっていく。以前なら髪をいじられようとなんの問題もなかったはずなのに、今はとにかく必死で瞳を閉じた。あまりにもウェインが近いから、自分の心臓の音がとにかくうるさい。


「できた」とウェインに言われたとき、奇妙な違和感があった。何かが前髪にくっついている。不思議に思って瞳を開けて、そっと指を伸ばして確認してみる。


「……ばれたか」


 たまにするいたずらっ子のような顔だ。ウェインが外して見せてくれたそれは、ぴかぴかで真っ青な石がついた髪留めだった。「やるよ」 もらったはいいものの、自分の手のひらの上にのせて首を傾げる。きょとんとしたまま考え込むレイシーの隣で腕をくんで、どっかり丸太に座っていたウェインも一緒に髪留めを見つめている。


 ぱたぱたと頭の上を鳥が飛んで、ぐんぐんと雲が動いて消えていく。


「…………なんで!?」

「反応までが長いなあ」


 呆れられてしまった。


「前にほしいものがないかって聞いたろ。まあ、色々あってちゃんと聞けなかったけど」


 記憶を遡らせて考えた。ノーイが勢いよく焚き火につっこんできたときのことだろうか。たしかに問いかけられて、そのときもどうして、と尋ねて返答がなかった気がする。

 手のひらの上にのっている髪留めは小さな石が可愛らしくて、夜の空をちょっとだけ切り取ったみたいだ。可愛いし、とても好きだ。けれどもらう理由はさっぱりでどんな顔をすればいいのかわからない。


「遅くなったけど、誕生日のプレゼントだ」


 だから、ウェインの言葉を聞いてもしばらく理解ができなかった。

 うねるような風が木々の葉っぱを揺らして通り過ぎる。坂の高いところから、村の外れまですんすんと通って冬の匂いを運んでいく。レイシーの生まれは秋だ。それがいつということは孤児であるレイシーは自分にだってわからない。だからだいたいこれくらい、と考えて、いつも適当に年を増やして数えている。旅をしている最中、そのことをウェインに告げたことは、たしかに、ある。


 改めてウェインから伝えられて、髪留めをそっと握りしめた。けれどやっぱり――わからない。

 どうにも認識ができなくて、実感がわかない。


「十六歳になったんだろう。レイシー、おめでとう」


 いつの間にか、一年が経っていたのだ。

 プリューム村に来たばかりの頃、レイシーはまだ十五歳で、何ができるかもわからずに見えない道を一つひとつ歩いていた。寒い冬にやって来て、暖かくなって、また季節が一巡りしてしまった。


「せっかくもらったのに、帽子をしたら、見えないよ……」

「そっちの方がレイシーは気負いしないだろ」

「そ、そんなの、すごく可愛いのに、もったいない!」

「じゃあ、帽子はそろそろ卒業してもいいんじゃないか?」


 一つ年が増えた。たったそれだけのことなのに。たまらない気持ちがあった。今まではなんの意識もしていなかったくせに、知ってしまうとだめだった。胸いっぱいの何かがぐっと喉につかえて、捉えるには下手くそな感情が遅れてゆっくりとやってくる。


「ウェイン、ありがとう……」


 とても、とても嬉しかった。

 耳の後ろがとにかく熱い。壊さないように、大切に握りしめると髪留めはひんやりとしているのに、胸の内が温かい。「あ、ありがとう!」 一回言ったはずなのに、もっとちゃんと告げたくて、はっきりと声を出した。「おうよ」とウェインは貴族だしからぬ返答をした。照れているんだろう。


「ウェ、ウェインの誕生日にも、お祝いしたい! させてほしい!」

「残念だな、とっくに過ぎてるよ」

「えっ」

「だから来年頼むことにする」

「……うん、うん!」


 必死に伸びをして主張して、ウェインとレイシーはじっと瞳を合わせた。そのとき二人が顔を赤くした頃合いはちょうどぴったりで、同時に視線をそらしたものだから互いに気づかなかった。


 ふとレイシーは考えた。一年の時間はあっという間のようで、長くもあった。少しずつ時間を巻き戻し、あの頃の自分を思い出す。魔王を倒し、旅を終えて、仲間達はバラバラに旅立って、これで終わってしまったのだろうと言葉には出さずとも思案していた。


 だから、ウェインに大切な杖を燃やしてもらおうと思った。

 貴族の形ばかりの妻となり、魔法使いのレイシーはもう終わる。婚約相手に汚いと言われてしまった杖だが、大きさを変えることができるから、婚家にこっそりと持ち込むことなどいくらでもできた。でも、レイシーなりの決別のつもりでウェインに願った。


 けれど、ウェインは断ると告げた。結局レイシーに根負けする形で頷いてはしまったものの、ウェインはレイシー本人よりも、彼女が心の奥底で大切にしているものを知っている。


「……私、多分、ずっと、魔王を倒してしまったら全てが終わってしまうと思っていたの」

「……ん?」


 だってそのためにレイシーは生きることを許された。目的がなくなった先なんてきっと色がない世界が続いているのだと思っていた。けれども、現実は違う。


「でも、終わらないものなのね」


 つんとした冬の匂いがした。たくさんの植物が入り乱れたレイシーの畑の中では、今頃体中に葉っぱをつけたティーが、ノーイに乗って駆け回っているだろう。

 坂からは村を一望することができる。豆粒のような人達が、笑って、動いていて、真っ赤な山茶花の花が村を守るように咲き誇っている。そこにあるのは、ただ幸せな日常だ。


「そりゃそうだ」


 冷たい風にほんの少し鼻の頭を赤くしたウェインが、鼻先をこすって呟いた。


「死ぬまで、人生は続いていくんだから」


 ぶわりと、まるで何かが膨れ上がった。

 レイシーの足元からずんずんと世界が色づき変わっていく。小さな蕾がぽつぽつと首を上げて、ぱちんとはぜた。たくさんの鮮やかな花が開いて、どこまでも、どこまでも進む限りに埋め尽くしていく。一面の花畑だ。


 わあ! とびっくりして声を上げそうになった。けれど瞬いた後に見たものは、何の変哲もない、いつもどおりの風景だった。当たり前だ。不思議な夢のようなものを見た。世界は何も変わらない。


 けれど、何かが違うような気もする。


「……ウェイン、この髪飾り、もう一度つけてくれる?」

「いいけど、邪魔にならないか?」

「全然」


 ウェインが編み込んだ前髪を押さえるようにつけると、レイシーの黒髪に青い石の髪飾りはよく似合った。


「……どうかな?」

「もちろん可愛いに決まってる」


 女の扱いが上手い勇者だ、と思わずレイシーは照れるように笑ってしまう。

 ――ウェインはウェインで、思ったことをそのままに言っただけだが、いつもは可愛いと言ったところであっさりとした反応なのに、おかしいぞ、とそっぽを向いて考えた。心臓がぎゅっと掴まれてしまったみたいだった。


「ウェイン、どうしたの?」

「いや、なんか、ちょっと、なんというか」


 そのとき、レイシーの鞄につけた鈴がちりんと鳴った。訪問者がやって来たのだ。屋敷まではすぐそこだから慌てて二人で駆け上がると、大量の荷物を抱えたブルックスが「おお、レイシー! ウェインもいたかぁ!!」 がははと笑っている。彼はレイシーとともに魔王を倒した一人であり、体の大きさも音量の調節もちょっとおかしい。


「そろそろレイシーも成人だと思ってな! 酒をたらふく持ってきた、みんなで飲むぞ!」

「え、あの、ごめんなさい、気持ちはありがたいんだけど、まだ成人はしてないの……」

「そうだったか! 間違えたな! まあいいウェインがいるからなァ!」

「いるからなじゃねえよ、たまには連絡してから来いよ」


 ウハハァ! と勢いよくブルックスは自身の額を叩くと尋常ではない音が響いたが、楽しそうに笑っていた。本人的にはやっちまったなあ、という軽い仕草で自分の額を叩いたのだろうが、レイシーとウェインの頬に爆風がやってくるほどの勢いだった。とりあえず、ブルックスもレイシーの誕生日を祝おうと考えてくれたらしい。


 ありがたい気持ちとくすぐったさがまぜこぜで、いつもは頭の上に載せている帽子をレイシーはぎゅっと抱きしめたのだが、ふわりと一匹の仔竜が空から彼女の肩に舞い降りたのはそのちょうどのことだった。


「うわ、わあ! あ、お手紙? ありがとう……」


 竜便と呼ばれる小型の竜の配達屋は体に見合わない大きな鞄を抱えて、レイシーに手紙を渡すとそのまま遠くに飛び去り消えた。


「誰からなんだ?」

「ダナよ。最近は、よく手紙のやりとりをしているの」


 レイシーはほんのりと嬉しげに宛名を見てウェインに答える。

 ――終わってしまうことなど、何もないのだ。


 まるで季節が入り乱れたレイシーの畑のように、花が咲き、枯れてしまったとしてもこぼれた種から新しい花が咲く。


(死ぬまで、人生は続いていくんだから)


 けれどもそれも一つの花が枯れてしまっただけで、また次の誰かが続きを紡ぐのだろうか。


「ぶぶぶぶぶぶぶもおおおお!!!?」

「お前は! あのときの! イノシシィーーー!!!」


 レイシーが考え込んでいる間に、いつの間にか感動の再会が繰り広げられていた。

 そういえば以前に来てくれたとき、彼らは出会っていなかったというかノーイが必死にブルックスから逃げていた。なぜならノーイはブルックスから土産として持って来られたイノシシだからである。どうやら久しぶりなので気が緩んでしまって、なんだなんだと騒がしさにうっかり出てきてしまったらしい。


「ブルックス、食べないで。絶対にこの子達は食べないでね、ダメだからね……!?」

「レイシーがそう言うのなら仕方ねぇな!!!!」

「キュイキュイキュイキュイキュイ」

「ぶもおおおおおおおおお」


 あまりの恐怖にむせび泣いている二匹である。なんとも気の毒だ。「ブルックス、何度も言うけど音量は調節しろ」と呆れ顔のウェインにぐりん、と顔を向けて、「おっと」とブルックスは自分の首をさすった。


「悪いなレイシー。またうるさくなったら俺を……殴ってくれィ!!!」

「お前……ダナがいたなら今この瞬間殴り飛ばされてるぞ……?」


 ウェインとブルックスの相変わらずの掛け合いに、思わずくすりと笑ってしまう。


 ――さて。プリューム村にやって来てから一年の月日が経った。時間はいくらだって進んでいく。

 次はどんな一年になるだろう。そのまた次は?

 考えて、楽しみで眠れない日があれば、不安で、怖くてたまらない日だってある。その変化の全てが愛しくて空を見上げると、レイシーが抱きしめていたはずの帽子が、ひゅるりと風に飛ばされた。


「あっ……」


 うまい具合に風に乗ってしまったのだろう。くるくると回って坂の上からぽつんと小さくなって消えてしまった帽子に、ほんの少しの寂しさを感じた。けれども、とせっかくの髪が崩れてしまわないようにと気をつけながら、レイシーはそっと髪飾りをなでた。

 ひんやりとして冷たい。それなのにほとりと胸が温かくなる。


 なぜ自分がそう感じるのか。レイシーにはまだわからない。それでもいつか、わかる日が来る。

 たくさんの季節を巡って歩いて、これからも彼女だけの物語を紡いでいくのだから。

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