第39話
大きさの割にはみっちりと肉が詰まった彼のロミゴスであるが、馬は見事に森の中を駆け抜けながら兵士達も続いている。
暁の魔女、レイシー。
時代錯誤な杖を抱えている点を除けば、一見すればどこにでもいるただの少女だった。なのにロミゴスはレイシーを前にして、びっしょりとかいた冷や汗が今も止まらない。ロミゴスは上のものに媚びへつらう能力だけは誰よりも優れている。だから逆らってはいけない“もの”を嗅ぎ分ける能力は恐ろしく高い。
(何が、この国一番の魔法使いだ……!)
けれども、理解はしても彼の中のプライドが認めなかった。女で、その上、貴族ではなく平民の子供。もとは孤児とも聞いている。彼が馬鹿にし続けてきたものの典型だ。馬で走れば走るほどにロミゴスの記憶は都合よくすり替わり、プリューム村から尻尾を巻いて逃げたのではなく、全ては準備を整えるために駆けているだけなのだと自分自身を納得させた。
「ええい、もっと速く走ることはできんのか! のろまな馬だ!」
「ろ、ロミゴス様、一体どうなさるおつもりで……」
「馬鹿者が! 決まっているだろうが! 暁の魔女など大層な名をもらっているがあんなものはただの小娘だ。今すぐ屋敷に戻って全ての兵力をプリューム村に向かわせる!」
「そ、そんな!」
兵士の悲鳴にも気づかず、ロミゴスは地を這うような声を出した。
「力ずくにでも従わせて、私に反抗したことを骨の髄まで後悔させてやる……!」
荒い息を吐き出し、怒りに震えながらもまっすぐに邪魔な木々をも越えて突き進む。
そのときだ。いつの間にかロミゴスが進むべき場所に、地味な男が立っていた。旅人だろうか。「邪魔だ!」 轢き殺してやろうと考えたはずが、馬はのけぞり抵抗した。まるで先に進むことを嫌がるように前足を持ち上げ体をくねり、まったくもって役に立たない。奇妙なことにロミゴスが引き連れていた兵士達、全ての馬が急なことにもかかわらず立ち止まっていた。
「な、なんだ、くそ、進め!」
馬にまで馬鹿にされているのかと、歪んだロミゴスの瞳は憎らしく捉える。旅人はその様子をじっくりと見つめていた。不思議なほどに外見に特徴のないその旅人に、ロミゴスは馬を諌めることに必死になりながらも苛立たしく叫んだ。
「どけ! 殺されたいのか!」
「それは随分な挨拶だな」
ロミゴスの様子とは打って変わって旅人はひどく冷静に返答する。いっそ違和感を覚えるほどだ。まるでロミゴスを知っている口ぶりだが、まったくもって男の姿に覚えがない。いくら特徴がないといっても、ロミゴスは人を覚えることに長けている。だからこそ一度しか会っていないレイシーの顔を覚えていたのだ。
なんだこの男は、と苛立たしさばかりがつもり上がり、歯ぎしりを繰り返したのだが。
「ああ、魔術を解除していなかったか」
男が自身の顔にするりと手のひらを添えた瞬間、ロミゴスと兵士達は瞳を見開いた。先程とは別の意味で体が小刻みに震えている。一瞬にして男の姿が変わったのだ。いや、正確にはただしく認識できるようになった。
男の姿は、ロミゴスにとってひどく見覚えのあるものだった。
「ウェ、ウェイン・シェルアニク……!?」
唖然として声を上げた後に、ロミゴスは慌てて付け足した。
「い、いやその、いや、勇者様……!?」
今更呼び方を変えたところで、ウェインの表情は変わらない。それはひどく冷たい顔つきで、ロミゴスの心に恐怖の感情ばかりが膨れ上がる。ウェインはゆっくりとロミゴスと、そして後ろに仕える兵士達に告げた。
「自身が求めるものが、他人と同じであると考えることは、いつか自分自身の首を絞めることになると伝えたはずだが。ロミゴス伯爵。あの村にも、レイシーにも今後一切の手を出すな」
「な、な、な、うわあ!」
驚きのあまり、ロミゴスは馬から転がり落ちた。尻から落ちたことと、分厚い脂肪に阻まれて怪我がないことは幸いだったが、そんなことよりもと必死に頭の中で考える。あれは隠蔽魔法だ。見たものが一番地味に思う姿に認識を歪める魔術である。
ただの旅人のような服装は変わらないのに、ウェインには勇者然とした佇まいがあった。そこにいるだけで重苦しい存在感がロミゴス達にのしかかる。
馬はただ進むことを嫌がっているのではない、ウェインに怯えているのだ。それはロミゴスが引き連れた兵士達も、ロミゴスも同じだった。立ち上がり、手綱を握ろうとしていたはずが、馬はロミゴスを放って逃げてしまう。また尻をついた服をどろだらけにしてぽかんとして、次第に顔を真っ赤にさせたロミゴスは、立場も、状況も考えることなく怒声を放つ。
「き、貴様に一体なんの権利があると言うんだ! いくら貴様が勇者で、あのレイシーという女が過去では仲間だったとしても、私に口を出す権利はない! 私はあの村を使って、社交界に返り咲いてやる、全ての貴族が、あのアステールの品を独占したいと願っているのだ!」
「……全ての貴族か」
ウェインの瞳は、まるで理解ができないこちらを馬鹿にしているような、いや、哀れんでいるようにも見える。あまりの怒りに汗が吹き出し、かんかんになってさらに叫んでやろうと立ち上がろうとしたときだ。懐から取り出した一通の書簡を、ウェインはロミゴスの眼前に叩きつけるように投げ捨てた。
「フィラフト公爵からお前への、ありがたいお手紙だ。しっかり確認しておけ。プリューム村は、今後公爵の保護下となる。アステールの品もすでに公爵はご存知とのことだ。お前達が出る幕はない」
手紙に押された蝋印は、間違いなく公爵家のものである。
「い、一体、どういう」
「お前のように、平民の全てを自身のものと勘違いしている貴族以外も存在するということだ」
書簡を確認し、ウェインの言が間違いないものであることを理解した。認めることはできない。しかし、認めねばならない。悔しさのままに地面に打ち付けた拳が痛む。
(しかし、諦めてなるものか。この書簡によると、公爵の保護下となるのはあくまでもプリューム村だ。暁の魔女ではない。あの小娘がしけた田舎に住み着いているというこの情報は、相手を選べば高く売り込むことができる……!)
「これは念の為だが」
ウェインには見つからぬようにとにやりと口元を緩ませていたところ、静かに言葉を付け足された。
「この書簡にプリューム村のことしか記載はないが、公爵は暁の魔女がプリューム村にいることを存じていらっしゃる。その意味を理解しているな。この先、暁の魔女の噂が王都を賑わせることになるのなら、自身の身を危うくすることと理解した方がいい」
何もかも見透かされているとロミゴスは震えた。けれども、さらなる恐ろしさがやってくるのはすぐのことだ。
ロミゴスが座り込みながら見上げたウェインの表情は、先程とまったく違う。
「レイシーは、俺の大切な仲間だ。俺個人としても、彼女について今後一切の口外を行わないことをおすすめする。彼女に万一があったとき、どんな手を使ってでもお前に後悔させてやるよ」
そのあまりの冷たい声に、がちがちと歯の根が噛み合わない。
「失せろ」
勇者の言葉に、ロミゴスとその兵士はただの子ねずみのように消えていった。
その場に残ったのは、ウェイン一人だ。青年はすっかり固くなった体をほぐすように首を鳴らして、ゆっくりと、長い溜め息をついた。
***
あれからレイシーと村の人達との関わりは、また少し変化した。
いや、彼らは何も変わっていなくて、受け入れるレイシー本人が変わったのかもしれない。ロミゴスが逃げ去った後にプリューム村にやって来たウェインは、「勇者様」と村人達から呼ばれることに戸惑いつつも、苦笑して受け入れていた。
さらに、ロミゴスのことが気になった。力ずくで追い返したものの、それが通じる人間は逆にさらなる武力を持って脅し返してくる可能性もある。一日経ち、二日経ち、さらにはレイシーは護衛役としてアレン達について王都にも向かってもみたが何もなく平和なもので、気持ちが悪いほどにあっさりとして、拍子抜けだった。
しかし不安は降り積もり、魔術で村の守りを固めるレイシーに、「問題ないと思うけれど、念には念を入れるのは必要だな」と不思議な言葉を残して帰ってしまったウェインが、妙に記憶に残っていた。
何かあったときには、今度こそ完膚なきまでに叩きのめすと気合を入れ続けて一ヶ月。いつしかレイシーやプリューム村の人々の緊張もときほぐれ日常が戻ってきたのだが、これでいいのだろうかと心の底では未だに少し困惑している。
けれど平和な日々が嫌なわけでもなく、すっかり冬の訪れを感じる空を見上げて長く息を吐き出すと、真っ白な雲が流れていた。空の色に季節を感じた。
しかし相変わらずレイシーの屋敷の畑は春夏秋冬の作物が生い茂り、季節なんてあってないようなものなのだが。
畑の主のような顔をして野生の動物や魔物から作物を守っているティーとノーイ達は、年がら年中大変そうだ。
(ちょっと、指先が冷たいな)
今度は手袋を作ってみようかなと白い息を吐きながらじょうろを持ってぼんやりしていると、レイシーの腰のバッグから、ちりりんと鈴の音が鳴った。屋敷の扉と連動していて来客を伝える魔道具だ。さて誰だろう、アレンだろうけれど、そろそろウェインがやって来る頃合いだ。この二人のどちらかだろうなと思って出迎えたのだが、お客様は想像よりもちょこんとして可愛らしい女の子だった。
「こんにちは。私、今すっごく困っていて、何でも屋さんにお願いに来たの。ねえ、私のお願い、聞いてくれる?」
こてんと首を傾げた少女を見下ろし、「え、あ、あのっ」と口ごもってしまった自分は、想定外の事態にはやっぱり弱いのだなと改めて感じたのだけれど、それはさておき。
女の子はプリューム村に住んでいる住人だ。ポップコーン大会で、ヨーマが必死に彼女にポップコーンを渡そうとして、すげなく断られている姿を目にした。くるくるした髪の毛を二つでくくっていて、どんぐりの髪飾りをつけているけれど手作りだろうか。ヨーマ達とそれほど変わらない年頃に見えるから、六つか七つくらいだろう。
屋敷の椅子にちょこんとお上品に腰掛けていた。
「こんにちは、エリーです。テオバルドの娘です」
「あの、ご丁寧に……。レイシーです」
互いに存在は認識してはいたものの、きちんとした挨拶はしたことがない。テオバルド、という村人の名前に覚えがあった。村で唯一の鍛冶屋だったはずだ。
幼い少女が相手といっても何でも屋の顧客である。緊張すればいいのか、そうじゃないのか。なんだかとても困ってきた。いや、やっぱり大事なお客様だ。「あ、あの、エリーさん、困っていることって」「ちゃんとエリーちゃんって呼んで」「え、エリーちゃん……」 とりあえず怒られた。
ついこの間、アレンは何でも屋の看板をさらに立派に作り直してくれた。『王都の看板はやっぱりすげえよな、見てたら姉ちゃんの看板をちゃんとしたのにしなきゃと思ったんだ』と歯を見せて笑っていたアレンの最新作は、中々のものだった。もともとの看板も立派だとレイシーは思っていたけど、ただ文字を彫るだけではなく、可愛らしい字体で周囲には縁飾りを描かれていた。
その看板に恥じないように、そして新規顧客の獲得だとレイシーは必死に拳を握る。
「あ、あの、エリーちゃん。とっても困っていることがあるって、さっき言っていたけど、どんなことなの?」
「そう私、すっごく困ってるの」
しょぼんとして、少女はまるでツインテールまでたれてしまいそうな様子だ。これはきっと大変な依頼だろう。けれど絶対に成し遂げてみせるとレイシーは誓う。
「それって、一体どんな?」とテーブルを乗り出す勢いでエリーに尋ねた。するとレイシーの力強い表情にほっとするように、エリーは口元を笑わせた。
「ここって何でも屋なのよね、つまり、何でもお願いしてもいいんだよね?」
もちろんですとも、とはっきりと頷く。これまで少しずつではあるが様々な依頼をこなしてきた。だからレイシーにはわずかばかりの自信というものがついていたのだ。そんなレイシーの様子を見てほっとしたようにエリーは依頼の内容を告げた。
「じゃあ、恋愛相談だって大丈夫なのよね!?」
そして、早々に詰んだ。
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