第38話
「け、権利を渡す、ですって……?」
呆然として声を出したのはランツだ。それを皮切りに村人達が言葉をざわつかせる。ババ様さえも、シワだらけの顔は歪めて剣呑な表情をしている。
ロミゴスはその様子を、ひどく楽しげに仔細まで観察している様子だった。ざわつきが大きくなると、「おっと」と瞬き、にやつきを抑えながらも説明を続けた。
「いいや、権利とまで言っては言葉が悪いな。何も私はそこまで鬼ではない」
村人達は安堵の息をついた。レイシーが作る魔道具は、すでにレイシーだけのものではない。村全体での事業として、羽飾りの村と呼ばれた誇りを取り戻そうとしているのだ。
しかしロミゴスはすかさず告げた。
「アステールの品の管理を今後は私が行うというだけの話だ。あまりにも流通がずさんだ。これからは私が貴様らに庇護を与えよう。代わりといってはだが、これからは私が思うがままの品を作り、献上してもらうがな」
静かなざわめきが広がっていく。
村人達はロミゴスの言葉に互いに目配せし、彼が伝える内容を呑み込んで、理解しようとしている。何かがおかしい、けれども返すべき言葉が見つからない。ささめくような声が、混乱に変わる時間はそれほど必要なかった。誰も彼もが、事態を把握できていない。
しかし唯一レイシーのみが違った。ただ冷静に、ロミゴスという男を観察していた。先程のやり方は悪くない。先手として条件を叩きつけ、相手が動揺したところで、若干緩和したように見せかける。最初の条件と実質的には同じ内容であっても、これで心情的には受け入れやすくなるだろう。
(これは困ったわ……)
ロミゴスという貴族はレイシーが作る魔道具を求めてやって来たという。自分自身が作るものにそこまでさせる価値があるかはともかく、村人達を巻き込むのは本意ではない。どうにか穏便にことを収束させる方法はないものかと考え込んでいる間に、ロミゴスの言葉のおかしさに気づいたものはレイシーだけではなかった。その中で真っ先にロミゴスの前に踏み出したのはカーゴだった。
「ちょっとまってくれ!」
普段は笑いジワが目立つ顔をぴしりと引き締め、ババ様をかばうように片手を広げる。
「それは、つまり実質的な奴隷契約じゃないのか? なぜ俺達が作るものを見ず知らずの貴族に管理されなければならないんだ。庇護などプリューム村は必要としていない。申し訳ないが、お帰り願いたい!」
「ハッ、お前達に拒否権があるはずがないだろう!」
奴隷という言葉はあまりにも強いものだ。けれども実際はそれほど違ったものにはならないだろう、とレイシーは想像する。ロミゴスの顔色を窺いながら無茶な生産を求められ、庇護とは名ばかりに収益は吸い取られる。そして得られる賃金は雀の涙だ。レイシーは旅をしてきた中で様々な村を見てきた。決して珍しい話ではない。
けれどもそれを受け入れることができるかどうかというのは別の話だ。
ふざけるな、と誰かが叫んだ。そうだ、そんなの受け入れられるか、と波のように怒声が広がる。カーゴの背中を勢いづけるように、誰しもが叫んでいた。いけない。レイシーははっとして周囲を見回す。ロミゴスの後ろには、剣を持った男達が立っているのに。
「だ、だめ、落ち着いて……!」
「黙れッ!!」
レイシーは声を上げたが、さらなる大声でロミゴスが威圧した。大きな雪だるまは真っ赤な顔に変わっていて、頭からは湯気まで上っている。いますぐに溶けてしまいそうだ。ふうふうと息を荒らげ、そんな自分にはっとしたのか、ロミゴスは大きく深呼吸した。そして吹き出た汗はそのままに、冷静な声色を作って笑っている。
「この村、プリューム村だったかね? いやはや、まさかこんな村がアステールの品の流通を担っているとは思いもよらなかった。探し出すにも随分時間も苦労もかかってしまったが、見つけることができたのは、全てはそこにいるオレンジ頭のガキのおかけだ」
ロミゴスはアレンに短い指をさした。
自然と村人達はアレンに困惑の視線を向け、少しばかりの距離を置く。「お、俺のおかげ……?」 アレンは幾度も瞳を瞬いて、眉根を寄せた。にまり、とロミゴスは笑っている。
「ガキを王都で見つけた際に、探索魔法をかけるように命じておいた。そこにいる狐のような商人は随分入念に品を売り歩いていたからな。それだけ必死に隠し通していたということは、探られて痛い腹があるんだろう? このことを、私の口からフィラフト公爵へ報告してやろうか?」
フィラフトとはプリューム村近辺を治める貴族の名である。探られて痛いものも何も、こうしてロミゴスのような人間が出てこないようにという配慮だったのだが、どうにもロミゴスは勘違いをしている。
――けれども、ここでさらに公爵の名を出されると話が込み入ってくる。プリューム村は、統治先である公爵にきちんと税を納めているが、あくまでもそれは戸籍に応じた人間の数で税収を決めているだけだ。プリューム村が新たな収入源を得たとなると、また話は変わってくる可能性がある。それこそ、ロミゴスのような主張をしかねない。
公爵とも若干の面識があるレイシーは、彼がそういった人物ではないということを知っているが、プリューム村の住人からすれば、ロミゴスよりもさらに雲の上のような存在だ。ぐっと眉をひそめて苦い顔をする大人達を、子供達は不思議そうに見上げている。
ロミゴスは村人達の様子を満足げに見回していた。自分の主張が通るものだと、間違いなく確信していた。
その中で、アレンはいつもの明るい表情などどこにもなく、ただ、がたがたと震えていた。おかしいくらいに小刻みに揺れる自身の腕を押さえ込もうと左腕を右手で握りしめるのに、それでも震えが止まらない。
「俺のせいだ……全部、俺の……」
ロミゴスの言葉はアレンを深く傷つけた。自分のせいで彼らがやって来てしまったのだと、まだ幼さが抜けない顔を蒼白にさせている。
レイシーは静かに瞳を細めた。そして少年にゆっくりと近づいた。
「いい加減面倒だな。おいお前ら、一人二人いなくなったところで問題ないだろう。適当に遊んでやれ。そこのババアで構わん」
ロミゴスは背後に従えていた男達に声をかける。重たい剣が音を鳴らし鞘からいくつも引き抜かれた。カーゴはすぐさま両腕を開きババ様を背中にかばった。同時にいくつもの悲鳴が響いたが、男達に睨みをきかされ、村人達は必死に自分達の口を押さえ込んだ。
それでも声を上げたのはアレンだ。
「やめろよ! ババ様にも、父ちゃんにも手を出すな!」
ふうふうと息をして、ぼろりと涙もこぼしていた。自分のせいだと喉の奥から振り絞るような声だ。それでも村人達をかき分けて進もうとする。
――あまりにも、腹立たしかった。
「アレン、待って」
「れ、レイシー姉ちゃん……」
レイシーは知っている。彼がどんな気持ちを持って王都に出て、まだ幼さの残る瞳で前を見て進んでいこうとしたのか。
だからアレンを引き止めた。彼の腕をひっぱって、じっと見つめた。振り返って、ぐずぐずの顔をこちらに見せる少年を目にして、さらに怒りが増した。
「ひ、え、ね、姉ちゃん……?」
ヘーゼル色の瞳はいつもとまったく変わらないはずだ。なのにどこか気弱で、いつも曖昧に笑うような少女はどこにもいない。普段の彼女を知っているものはその姿にぞっとした。
アレンもそうだった。純粋に腹の底から恐怖を覚えた。呆然としてレイシーを見て、はくはくと声にならない何かを振り絞ろうとした。
「アレン、あなたは何も悪くない」
「え……」
だから何を言われているのかわからなかった。
するりとレイシーはアレンを通り過ぎた。そして静かに声を上げた。いつの間にか片手には大きな杖を握っている。村人達の隙間を通り抜け、兵士達の前にしっかりと顔を上げ向かい立つ。
「あなた達、この村から出ていきなさい」
決して張り上げた声ではなかった。けれども不思議なことに、その声はこの場にいる誰しもの耳にはっきりと聞こえた。
***
マルラド・ロミゴスの人生は何もかもが順風満帆であったはずだった。
上のものには尻尾を振り、下の立場の人間は踏み潰し利用する意地汚い男だったが、ロミゴスからすれば、ただ当たり前の処世術であると認識し、貴族社会を生きてきた。ロミゴス自身に人が集まらずとも、上の人脈を得ることができれば同じことだ。それがわからない者達はなんと馬鹿なのだろうと笑っていた。
しかしそんな日々はあっけなく崩れ去った。
ロミゴスはデジャファン家という名の公爵家の取り巻きの一人であったのだが、デジャファン家の長男であるラモンド・デジャファンが恐るべき不義を犯したのだ。
噂ではラモンドは女好きが高じて、婚約者がいる身にもかかわらず姫にまで手を出してしまったのだという。それが事実かどうかはさておき、噂は囁かれればいずれ事実と変わってしまう。王の怒りを買ったラモンドは廃嫡となり、何とも愚かな話であった。
しかし愚かだったという話では終わらないのが、貴族社会の恐ろしいところだ。
デジャファン家の転落は、いっそ見事なものだった。そしてロミゴスはデジャファン家の取り巻きとして、いつでもべったりとしがみついていた。金魚のフンと笑われようとも、それが正しいことだと思っていた。そのはずなのに。
さらに運が悪いことにも、デジャファン家はロミゴス家の分家でもあった。丁度いいと選んだ寄生先だったが、しっかりとしがみつけばつくほど、落ちていくときはあっという間だ。
だからこそアステールの魔道具の噂を聞き奔走した。やっと商人の尻尾を掴んだとロミゴス自身がわざわざ村に来るほどに焦っていたのだ。剣を持って脅してやればいい。そうすればただの平民である世間知らずな田舎者達が口答えをするわけがない――と、思っていた。いや、間違いなくそうだった。その、はずなのに。
「あなた達、この村から出ていきなさい」
大声を出したわけではない。なのにひどく凛として耳に残る。目の前の少女は大きな帽子をかぶっていて地味な服装だ。奇妙といえば不釣り合いな時代遅れの杖を握りしめているというくらいだが、ロミゴスは彼女から目を離すことができなかった。
「生意気なガキだな、ひっこんでいろ!」
ロミゴスの前に立つ少女に向かってすぐさま叫び剣を向けたのは、“こしょう男”である。ロミゴスは知らぬことだが、ランツにこしょうつきのショールをまきつけられた兵士だ。こしょう男も、剣をちらつかせればただの女子供、すぐさま恐れて逃げすに違いないと思ったのだろう。そのとき、ぞっとした。ロミゴスは体の底から震え上がった。大きな帽子に隠された向こうにある、ヘーゼルの瞳がちらりと見えた。
「やめろ……! そいつには手を出すな!」
考えるよりも先に声を張り上げていた。兵士はわけもわからずピタリと剣を止めたが、少女は怯えている様子の一つも見せない。やはり、と確信した。
「そいつは、暁の魔女だ……!」
その場の視線の全てが、ざっとレイシーに集まった。
勇者パーティーの一人である、暁の魔女レイシー。世間では赤毛な大柄の美女と思われているが、実際は異なることをロミゴスは知っている。ラモンド・デジャファンは暁の魔女の婚約者だった。ロミゴスが彼女の顔を知ったのは、ただの偶然だ。いつものようにデジャファン家に訪れた際、嫡男であるラモンドの婚約者が訪れていると聞いた。ただの一度すれ違っただけだが、そのときのレイシーは、まだ魔王を倒すために旅立つ前で、おどおどとして黒髪の、痩せぎすな冴えない子供であったとラモンドの記憶に刻み込まれた。
あれから数年が経ち背も伸び、今となっては痩せぎすとまではいえないが、少女の顔にはたしかに面影を残している。
見事なほどの黒髪が風の中でうねるようになびいている。力強い瞳は“何か”をロミゴスの中で彷彿とさせた。
――自身が求めるものが、他人と同じであると思わない方がいい。
(ウェイン・シェルアニク……!)
あのとき、夜会の場でロミゴスに生意気にも諫言を向けた若造だ。女好きがするであろう見てくれで、すらりとした鼻梁はいっそ腹立たしいほどだった。
しかしそんな気持ちすらも抑え込んで頭を下げてやったというのに、青年はロミゴスを歯牙にもかけなかった。背中を向けて去っていく青年の背をロミゴスは追いかけるべきだったのに、ただの顔ばかりが整っている細い男一人の言葉と瞳に、足は縫い付けられたかのように動くことができなくなった。ぞっとするような迫力があった。
それと今ロミゴスの目の前にいる女は、まったく同じだ。姿ばかりはどこにでもいる少女であるはずなのに、まったく足が動かない。敵うはずがないとはっきりと理解した。
しかしそのことを認めようとはしないものはいくらでもいる。こしょう男もそうだった。
「こんな小娘が、勇者パーティーの一人などと……!」
「や、やめろと言っているだろう!」
男はロミゴスの静止をものともせず、構えた剣をまっすぐにレイシーに突き出した。
***
あまりにも、遅い。
レイシーがため息をするよりも遅い動作だ。すでに杖を持っている。詠唱すらも必要ない。掲げた杖を相手に向け、爆風とともに男は弾けるように吹き飛んだ。みっともなく尻から着地し、持っていたはずの剣は宙の中で弧を描き、遅れて地面に突き刺さる。
レイシーの魔術を見て誰しもが口を閉ざし、しんと静寂が波打った。
「……ひっ」
そして出てきたやっとの音は、恐怖で喉を引くつかせる音だ。「う、あ、わ、ひっ……化け物……!」 聞き慣れたし、言われ慣れた言葉である。そして自身の状況に気づいたのだろう。さらに大声を出してがたがたと震えている。男が着込んでいる鉄の鎧の腹が、ぺっこりと凹んでいた。怪我を負わしては面倒だと丁寧に鎧だけを凹ませたのだ。
男は地面に尻をすらしながらさらにずるずると後ずさった。「う、うわあ!」 覚悟を決めてこちらに向かってくるのかと思いきや、男達はあっという間に背中を向けて馬に飛び乗り消えていく。その様子をしばらくあっけにとられて見ていたらしいロミゴスと名乗った伯爵貴族だが、「ま、待て、私を置いて行くな、待てぇ!」と転がるように追いかけて走っていった。
「……なんだったの」
なんともあっけない人達だった。あれなら下っ端の魔族の方がずっと相手のしがいがある。旅を終えてから時間も経つから、やっぱりなまっているなとレイシーはため息をついた。以前ならば一秒の間もなく数名まとめて吹き飛ばしていただろう。そんなとき、周囲の様子に気がついた。
誰しもがしんとした瞳で、レイシーを見ていた。レイシーがかばった、アレンすらも。
――そいつは、暁の魔女だ……!
ロミゴスの言葉に、レイシーは否定をしなかった。それは肯定していることと同じことだ。
(違うと言えば、まだ、間に合うかもしれない)
彼らの視線を感じながら、焦るように唇を噛み考えた。
初めにこの村に来たときは、誰に何を言われたって恐ろしくなんてなんともなかった。噂に聞く暁の魔女だと知られたところで、怖がられたり、遠巻きに見られたりしたところでレイシーにとってはなんの関係もないことだと思っていたのだ。だから、多分どうでもよかった。
けれど、その自分の考えはひどく幼いものだったと気がついた。近づくと、知られることが恐ろしくなる。離れられてしまうことが怖くて、あっちに行かないでと叫びたくなる。結局、自分の気持ちを一方的に押し付けるだけの小さな子供と同じなのだ。だから否定しようとした。暁の魔女なんかではなく、ただ勝手にあちらが勘違いしただけなのだと。
「ち……」
違う。言える。そう、大丈夫だ。自分は、ちょっと魔術が使えるくらいのただの魔法使いだと思い込んだ。だから違う。
違うから。
怖がらないで。
「ごめん、なさい……」
違う、と言うはずだったのに、呆然として呟いていた。まるで勝手にこぼれ出てしまったのだと、ぼんやりとした顔のまま謝罪した。途端に、レイシーはくしゃりと顔を歪めた。いつの間にか杖を握りしめて、「ごめんなさい……!」 やっぱり謝っていた。
ただただ、申し訳なかった。プリューム村の人々は、レイシーに優しくしてくれた。なのに嘘をついて自分はごまかしている。言わないということは、結局はそういうことだ。
誰も、何も言わなかった。
返答の声もない中でずっと頭を下げていたから、ぽとりと帽子が落ちてしまった。どれくらいの時間がたったのかわからない。レイシーにとっては長い長い時間だった。でも本当は大して長い時間ではなかった。
落ちた帽子にゆっくりと手を伸ばしたのはアレンだった。「……何で謝るんだよ」と、なんてこともないように呟いている。いや、そういう風に少年は必死に見せていた。喉が震えたような声を、アレンはごくんと呑み込んで、今度こそと顔を上げる。
「レイシー姉ちゃん、俺達、姉ちゃんが暁の魔女様だってことくらい、とっくの昔に知ってたよ」
「え……」
「そりゃ気づくに決まってるだろ。だって、ダナ様のご友人で、名前がレイシーだぜ? わかるなって方が無理に決まってる。でも姉ちゃんからは言わないから、何か理由があるかもしれないから、黙ってようと思ったんだ。それにだ」
アレンから渡された帽子を、ぽすんとレイシーは受け取った。
「レイシー姉ちゃんはもう村の一員だからって、村のみんな全員で相談して、聞かないことに決めたんだ」
ぱちくりとレイシーは瞬いた。そんなレイシーを、まるでおかしいものを見たとでもいうようにアレンは吹き出した。それからいっぱいの笑顔をレイシーに向けて、アレンは笑っていた。
「さっき姉ちゃんが怒ってるのを初めて見て、少しだけ怖いと思った。でも、それが俺や、俺達のために怒ってくれたんだって思ったら、それ以上に嬉しかったんだ」
村人達はアレンと同じ様に力強く頷いた。「あ……」 胸の中でぎゅっと帽子を抱きしめた。「う、あ」 喉から嗚咽のような声が響く。「う、うう、う……」 大粒の涙がぽとんぽとんと落ちていく。抱きしめた帽子をくしゃくしゃにさせて、それよりもっと、レイシーの顔はぐちゃぐちゃだった。レイシーの小さな背中を呆れたようにトリシャがなでて、足元では双子達が回っている。
言葉になんてならなかった。鼻をすすっていつの間にかうずくまってしまったレイシーの頭の上では、「そりゃあ、わかるに決まってるよな」「隠し方が下手だよなあ」「そら、あたしは大丈夫って言ったでしょ」「レイシーしゃんは泣き虫ねぇ」 たくさんの声が聞こえる。
あんまりにも温かかったから、ほっとして涙がいつまで経ってもとまらない。
「それより、さっきの貴族の逃げっぷりったら! 丸くなった尻尾が見えたな!」と誰かが叫ぶと、周囲はどっと吹き出した。それを皮切りに誰もが明るい声を出して、笑い合った。
「さすが暁の魔女様だ! 魔王を倒しただけある! あんな貴族目じゃねえなあ!」
「あんたもレイシーさんに尻を叩いてもらったら? ちょっとは性根がまっすぐになるかもよ」
「勘弁してくれよ!」
こんな日が来るなんて、一体誰が信じるだろう。魔術を磨くことのみが、レイシーにとっての生きる道だったはずだ。けれど大勢の中に彼女はいる。
何度考えたところで、夢じゃないかと思ってしまう。涙を拭って、立ち上がった。レイシーも村人達を笑おうとしたが、なんだか泣き笑いのような顔をしてしまう。
「……ん、そういや、あのレイシーさんのところに来る茶髪の青年、彼はレイシーさんのことを知っているのかな」
ふとしたように疑問が浮かんだのだろう。カーゴが呟きながら首を傾げていた。その声を聞いて、「茶髪じゃないだろ、黒髪だろ」と別の村人が反応する。いやいや、とアレンが首を振っていた。「兄ちゃんは金髪だろ」 どこかで聞いた流れである。それらは全てウェインのことで、まるでウェインが何人もいるようだが、もちろん違う。
言葉を交わすうちに、村人達は全員がウェインの顔をはっきりと認識していないという事実に改めて気づいた。はっとした表情で瞬いて、首をひねっている。そのことについて説明していいものかどうかわからなくてレイシーは口を閉じたが、少しずつ彼らは事実に近づきつつあった。
「……レイシー姉ちゃんは、暁の魔女と、いうことは、もしかして兄ちゃんって――」
ほぼほぼ、答えは出てしまっている。レイシーが暁の魔女であると知ったとき以上に、ぎょっとした顔をしている村人達に、一体どう言えばいいものか。今度こそ困ってしまったわけなのだが。
***
「くそっ、あの、あの、小娘め……!」
――そのころロミゴスは短い足で必死にあぶみに足をかけながら、手綱を引いていた。
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