第36話

 

 レイシーが初めて村にやって来たときは、肌寒くなってくる季節だった。そこから春から夏に移り変わり、肌寒い秋がやって来ようとしていた。

 木々や風の匂いが少しずつ変わって、ひんやりと懐かしく感じるようになったとき、何をするにも小さくなって杖を握りしめ、大きな帽子ですっぽりと顔を隠していたはずの少女は、いつの間にか前を向いて広々とした道をゆっくりと進んでいた。


 それは一つの大きな変化であったけれど、実のところ変わったものはレイシーだけではなかった。オレンジ髪で、以前はそばかすが目立っていた少年も、レイシーが出会ったときよりもぐっと手足が伸びて力もついた。十三歳になったのだ。


「父ちゃん、お願いがある」


 テーブルの上に置かれたランプの炎が、ゆらゆらと揺れている。アレンは椅子に座りながら、ぐっと拳を握った。それから顔を上げ覚悟を決めて、目の前の父に告げた。家族が寝静まった家の中で、カーゴはじっとアレンを見つめていた。


「畑仕事が嫌なわけじゃないんだ。でも俺は、もっと、俺だけができることをしたい、と思ってる……」


 アレンからすれば一世一代の告白だったが、カーゴは腕を組んで、静かに息を吐き出すだけだった。これは、ずっとずっと、アレンが考えていたことだ。


 ――アレンは面倒見のいい長男だった。父親の畑もよく手伝うし、兄弟の世話をすること自分の仕事だと思っていた。


 けれど、どうだろう。もちろんそれも大事な仕事だが、弟達も以前よりは父であるカーゴの仕事を少しずつ手伝えるようになってきた。リーヴもヨーマも相変わらず騒がしい双子で頭が痛くなることは多々あるけれど、してはいけないことの線引きはきちんと理解している。


 それじゃあ、俺の役割ってなんだろう、とふとしたときに考えたことが始まりだった。頭の隅にあっただけの気持ちはいつの間にか大きくなって、考える時間が少しずつ長くなっていったが、それでもクワを振るっていた。だってそれがアレンの仕事だから。そんな彼を変えるきっかけとなったのはレイシーとの出会いだ。


『この方法だったら、体をしっかり休めることでベストな状態に導くことができるかなと!』


 きらきらとした瞳でアレンとダナに語りかけるレイシーの姿を、何度だって思い出してしまう。何かを生み出すということは、畑仕事にも似ている。こつこつと積み重ね、試行錯誤して満足がいくものを作っていく。


 プリューム村が、その名の通り羽飾りの村と呼ばれていた頃、アレンは八つのときだった。いつもみんな忙しそうで、たくさんの羽の飾りを作って賑わっていた。それがいつしか忘れられ当たり前になり、寂しいという気持ちすらも記憶の片隅に追いやられてしまっていた。


(俺だって、もっと何か、俺にしかできないことをしたい)


 そう思う。でもそんなこと、あるわけない。アレンができることは、きっと誰だってできることだ。家族のために体を使って働くことを心の底から大事にも思っている。なのにくすぶるような感情は次第に大きくなっていく。


 だから、吐き出した。そしてカーゴに伝えた後を後悔した。具体的に何をしたいということもわかっていない。レイシーと一緒にものづくりをしたいと思う。でもそれも何か違う気もする。


 ぐちゃぐちゃと混じり合って、絡まってしまった糸のような感情だった。その中の一本をほどいてみて、最初にわかったことは恥ずかしさだ。自分の手のひらよりも大きな何かをつかみたいとただ無計画に叫んでいる自分がまるでとても幼い子供のようで、父に出した言葉を今すぐに引っ込めてほしかった。


(俺は、何を言っているんだろう)


 耳の後ろが熱くなって、苦しくなる。許してほしいと自分で言ったはずの言葉に願う。いっそのこと、バカだと笑ってほしかった。今すぐに話を終わらせて、明日の日常に戻りたかった。


「わかった」


 なのにカーゴはゆっくりと頷いた。

 アレンが固く握りしめていた拳が、ぶるりと震えた。


「なあアレン。お前はレイシーさんの力になりたいんだろう。何かをしたいんじゃない。お前にできる力で、彼女の役に立ちたいんだ」


 言われて、ひどくしっくりきた。ぽとんと言葉が胸の中に落ちていくようだ。


「……俺が、レイシー姉ちゃんの、力に」

「ああ、別にそれは悪いことじゃない。でもお前はレイシーさんのようにはなれない」


 わかっている。アレンは魔術が使えるわけではないし、同世代よりちょっと背が高くなってきたといってもそのくらいで、何もかもが平凡だ。


「もし、本当にそう思ってたんだとしたら、俺は、やっぱり……とても、自分が恥ずかしいよ」

「そんなことはないだろう。リーヴもヨーマもでかくなった。二人でお前一人分くらいの働きにはなる。レイシーさんは俺達の恩人だし、何より村の力になってくれる。アレン、お前がレイシーさんの手助けをしたいと言うんなら、父親としても、プリューム村の住人としても応援する」

「……うん」

「レイシーさんみたいに、ものを作ることだけが全てじゃないさ。多分なんだが、レイシーさんは金勘定が苦手だろう。金に興味がないんだろうな。それなら無理にこっちが口を出す必要はないが、少なくとも損をしないように、アレン、お前がレイシーさんの手助けができるかもしれない」


 レイシーは、商品の卸売りを定期的にやってくる行商人に一任している。プリューム村としても長く取り引きをしている男だから、信用がないわけではない。でも彼は村の住人ではない。

 これはアレン一人では考えつかなかったことだ。


 レイシーを助けたい。いつの間にか、アレンの中でははっきりとした目標が出来上がっていた。力いっぱい、アレンはカーゴに頭を下げた。勢い余って、テーブルに額をぶつけてしまったほどだ。ごっつん、と揺れたテーブルを見てカーゴは笑いじわを目立つ顔を苦笑させて、「がんばれ」と一言息子に伝えた。


 新しい道を行く。それはとても勇気が必要なことだ。けれど道があるのなら進んでいく。振り向かないくらいに、まっすぐに。



 ***



「旅は道連れ、世は情けェ、というやつですねぇ!」

「……それは知らないけど」


 からからと馬車の車輪が回っている。ときおり石を踏んで、大きく揺れる。尻を持ち上げるような衝撃に「おわあ!」とアレンが悲鳴を上げると、行商人はうしゃしゃと笑っていた。どんな笑い方だ。


 相変わらず狐のような男だった。細い目はきゅうっと丸くなって弧を描いているといえばいいが、言い換えれば隙がないようにも見えるのだなと、アレンは男の隣に座って気がついた。行商人とは思えないようなカラフルな色合いの服を着込んでいて、まだ寒さも本格的ではないはずが首元には大きなショールをぐるりと巻いている。


 アレンの父であるカーゴよりは若いだろうが、それでもアレンよりはずっと年上だ。見かけだけなら二十歳の半ば程度に見えるが、彼は何年も前からプリューム村に行商にやって来ていた。けれどこんなに長く一緒にいるのも初めてのことだ。そして馬車の荷台にレイシーや村人達から預かった商品をたっぷりとつんでいると思うと、なんだかひどく緊張する。


 カーゴと相談したアレンは、まずは行商人について品を売り出す手伝いをすることにした。だからしばらく畑を手伝うことができないと家族に告げると、双子達は互いに顔を見合わせたが、任せろと胸を叩いてくれた。

 村を出る際にはレイシーにも声をかけた。アレンの胸中を知ることのないレイシーは、不思議そうにしていた。


「あ~~かいは~な~握りしめ~。いっちまーい、にーまい!」

「…………」


 そして現在、行商人の隣に座ってがたごと道を馬車に乗って走っている。歌っている童謡はアレンでも知っている。しかし音痴である。知っているはずが、知らない曲のように聞こえてくる。


「なあ、それ歌わなきゃダメ……?」

「あったりまえでしょう。魔物避けがある道をなるべく通って進んでますがねぇ、何があるかわからんのですから歌ってあたしらがいるよと主張せにゃ。子連れのワイルドベアーは人の気配を避けますよ。ほら、だから一緒に」

「……あーかい花を握りしめぇ~……」

「まあ、こんだけ道が悪くてガタゴトしてりゃ嫌でもあっちに気配は伝わると思いますけど」

「…………」

「いい声ですよ、アレン君! うひゃひゃ!」


 すでに相性の悪さを感じていた。王都まではゆっくり馬車で進んで、二日程度の距離である。残りの道のりを考えて、すでにアレンは頭が痛くなってきた。これだけ不安になったのは、走る喜びを知ってしまった弟達が、四方八方に走り去り消えてしまったとき以来である。


 まるで酔っ払い相手に絡まれているような感覚を持ちながらも、なんとか道中かわしつつ一日が過ぎた。馬を休ませながら進むから、走り通すわけにはいかない。馬の世話や荷台の確認、食事や寝床の準備など、やるべきことはたんまりあった。弟達の世話に明け暮れた経験から、アレンは目端がきく少年だ。するすると如才なく動き、旅は意外なことにも順調だった。そしてそのまま無事に王都にたどり着くだろうと思っていた頃だった。


「アレン君、はいどうぞ、これをかぶってくださいな。思いっきり目深にね」

「えっ、あ、え?」

「あたしもほらねぇ」


 行商人は着ていたカラフルな服を脱ぎ捨て、地味な色合いに変えるている。アレンに渡されたものはフードつきのローブだ。


「ここで人と待ち合わせをしているもんで。はい、はい。馬車から下りて」

「いや、下りてって、そんな」

「おう、早いなリューゲ!」


 道の端で待っていたらしいガタイのいい男がひょいと片手を上げた。アレンはリューゲと呼ばれたのが行商人であることにしばらくして気がついた。何年も前から知っている男だというのに、アレンは行商人の名を知らなかったことを思い出した。もちろん、カーゴは知っているだろうが、プリューム村に来る行商人といえば一人きりなので、“行商人”と言うだけで会話が通じるものだから、不便がなかったのだ。


「ああ、いい道連れ相手ができたからねぇ」

「ふうん」


 戦士風の男はゆるく返事をしてアレンを見下ろしたが、アレンはすでにローブのフードをかぶっていたから、互いに顔はよく見えない。行商人がなぜか男に金を渡したかと思うと、男はアレン達の馬車に乗って馬の手綱を引いき、からころと進んで行ってしまう。


「えっ、あ、ちょっと、えっ!? なんで!?」

「まあまあ。あたしらはゆーっくり歩いて行きましょ。急いじゃ損って言うもんさ」

「知らねえよ! 俺達の馬車が! 荷台が!」

「落ち着きなさいよ」


 大丈夫大丈夫、なんて、まったく安心できない言葉を吐き出しながら、ぱしんとアレンの背中を叩く。よく見れば、最低限の荷物は持っているらしく、二人で荷物を抱えた。王都までまだ歩いて半日の距離だった。とにかくアレンは先に進んだ。そうするしかなかった。そして、あっさりと荷台につまれていた荷物と再会した。


 王都にたどり着き、大きな門をおそるおそるたどり着いた先には、溢れんばかりの人々だった。まともに村から出たこともないアレンからすれば圧巻だった。


「もしかして今日って祭りか何か?」

「そんなわけないでしょ。お、早かったねぇ」

「あんたがマンソン? ほらここに置いといたよ」


 見ると、馬車に乗せていたはずの木箱が道の端に置かれている。声をかけてきたのは、あの戦士風の男ではなく恰幅のいい女性だった。「マンソン? リューゲじゃなくて?」 瞬くアレンを無視して、ありがとうねと行商人は礼を言って、「ほらほらアレン君、しゃっきり運んでくださいな!」とにこにこと荷物を持ち上げる。わけもわからずアレンもそれに続いた。


「おう、ランツ! 一等地だぜ。感謝しろよ!」


 今度はヒゲの男が呼びかけてくる。「毎度、ありがたいことだねぇ」と行商人はへらりと笑っていたが、また名前が違っている。


「ど、どういうこと?」


 道端に敷かれた布の上に、行商人とヒゲの男はどんどん品を並べていった。アレンの手も休むことなく彼らの動きを真似ているが、もちろんわけがわからない。あまりにも目まぐるしい。けれど、今、一つひとつ並べていくものはどれも見覚えのあるものばかりだ。レイシーが作って、足りないものは村人達も助けてくれた。父や母も、忙しい日々の中で針を動かしていたものもある。


 だから急いで、けれども丁寧に陳列した。誰かの手に届いてほしいと願って作ったものばかりだ。大切な想いがこもっていることがわかるから、受け止めて、並べていく。アレンの様子を行商人はちらりと細い目で見ていたが、そんなことに気づかないほどに、アレンは必死に並べていく。


(まさか、こんなところで売るのかな……)


 初めて訪れた王都は、恐ろしいほどの人の量だった。アレンは行商人から渡されたローブのフードを深くかぶったままで、見るからに怪しげな格好だ。だというのに、王都を歩く人々は一様にアレンを気にする様子もなく通り過ぎていく。人が多すぎるから、他人にも無関心なのかもしれない。


 これじゃあ見向きもされないんじゃないかとぞくりとする。


(せっかく姉ちゃんが考えて、村のみんなが作ったのに)


 もっとうまく売る方法があるんじゃないだろうか。自分ならどうするのか。考えて、悔しくて唇を噛みしめた。そのときだ。


「……もしかして、あれって、アステールの……?」


 女の声だ。

 店が立ち並ぶ大通りである。買い物帰りなのだろうか、アレンが振り返ると大きな袋を抱えていた少女がぽつりと呟く。その声を聞いたらしい別の人間が、同じく言葉を繰り返した。アステール、と何度も聞こえた。匂魔具、保冷温バッグ、もしかしたら、新作――?


「ね、ねえあなた、これってもしかしてアステールの魔道具? そうよね?」

「え、あ? その、うわっ」

「もちろんそうです。新作ですとも!」


 唐突に話しかけられまともに返答もできないアレンの肩をつかみ、後ろにひっぱりながら行商人が答える。その瞬間、そこかしこから悲鳴が上がった。あまりの声に驚いて、アレンは自身の耳を塞いだ。次々と人が流れ込んでやってくる。それはさながら戦場のようで、飛ぶようにものが売れていく。


「嬉しい! ずっとほしかったの! いい匂い……」

「保冷温度バッグ! こっち、こっちの花の刺繍もかわいい~! 買います!」

「お、お買い上げ、ありがとう、ございます……! ありがとうございます、あ、ありがっ」

「アレン君大丈夫ですかぁ!?」

「じ、人生で一番人に囲まれて、正直混乱して、うあ、お買い上げありがとうございます!」


 助けてくれと叫びたいが、そんな場合ではない。ヒゲの男も、行商人も、アレンも含めて誰しもが大声を出して金を受け取り、品を出して次々にさばいていく。


「どけっ、お前ら、どけぇ!」


 無理やりに人垣をわけて入ってくる男がいる。どこかの貴族の兵士らしく周囲の悲鳴をものともせず、乱暴に叫んでいる。


「そこの行商人達! こちらに来い!」 


 その声を聞いて、狐のような瞳のまま行商人は笑った。きゅっといつも以上に瞳を細めて、首に巻いていたショールを勢いよく引き抜き、「おおっとぉ、手がすべっちまったぁ!」 ぐるん、と兵士の顔に巻きつけた。


 ふがっと兵士は息をつまらせるが、薄いショールだ。もちろん何の意味もない、と思いきや、兵士は苦しげにくしゃみをした。「なんっ、ぐしゅ、ぐへっ、ぶくしゅっ!」 とてもつらそうである。


 自分で無理やりショールを引き抜いた後も、兵士の顔は涙や鼻水でずるずるだ。


「ああっ! すみません、さっき昼を食べたときに、うっかり首元のショールに大量のこしょうを塗り込んじまったみたいで!」


 言い訳が赤ちゃんである。アレンの妹の方が上手にご飯を食べている。


「おま、ふざけっ、ぐしゅっ、ぐしゃんっ!」

「あ、そのショールはさしあげますよ。不運なうっかりですからねぇ。まさかこんなことでお貴族様に歯向かった、なんてことにしないでくださいよ。そして丁度いいことに、店じまいのタイミングでして!」


 行商人がショールを外さなかった理由がわかったところで、見回すとすでに大半は売り切れている。ヒゲの男はすでに地面に敷いていた布をくるくると巻き上げていて、逃げ支度は完了している。「ま、まてぇ!」「どうぞ、またのお越しを~~!!」 勢いよく脱兎した。必死に追いかけてきた相手に、今度はヒゲが布を投げつける。「ぶぼほっ」 段々アレンは相手が気の毒になってきた。


 すばしっこさなら行商人にも負けない。人の波をかいくぐり、街の外に飛び出たところにいたのは別れたはずの馬車だった。「はい、はい、行きますよぉ!」 御者台に二人で飛び乗り行商人が手綱を握って馬が駆け出したときには、ヒゲの男はいつの間にか消えていた。


 それこそ、あっと言う間の出来事だった。


「あの、今のは、一体……」

「人気が出過ぎるのも、困りものってことですねぇ」


 行商人はにっと笑った。そして教えられた。

 ――レイシーの魔道具は、あまりに人間を呼び寄せ得るのだと。


 荷物が少なくなった分、馬が走る速度は行きよりも少し速く進んでいるような気もした。それでも後ろを気にしながらも森の中を進んでいく。


「初めにあの子が作った魔道具を見て売れる、と思ったんですよねえ。けれど、こりゃあ売り方も考えないといけねぇなあと思いもしたんですよ」


 ともすると、信用できないようなと思ったはずの横顔が、ゆっくりと沈んでいく太陽の中で頼りがいがあるようなものにも見える。行商人は眩しそうに瞳を細めて、ぱかぱかと道を進む。


「すげえもんが売れるとなると、嬉しいじゃないですか。でも、そうするとまがい物が出たり似たような商品が出るのは仕方ない。商業ギルドにあたしらは守られてますから、不安も少ない。だから、一番怖いのはそれじゃあなくて、客なんですわ。あたしらにゃどうしようもないやつらも、ほら誰とは言わないけどいるでしょ」


 こしょうで顔を苦しげにさせていた男は、腰には剣をさしていた。胸元には立派な紋章があった。間違いなく貴族に関わっている。もし、彼らに何かを命令されれば、アレン達にはどうすることもできない。


「だからねぇ、一応あたしも気を使ってるんですよ。どこの誰が売っているのかわからないように、馬車を変えたり、人を変えたりねぇ」

「……名前も変えたり?」

「はい。あたしの名前はランツといいます。他は全部嘘っぱちです。普段はあんなにわかりやすく表じゃ売らねぇけどね。アレン君が見てみたいんじゃないかと思ってねぇ。たまには趣向を変えるのもいいでしょうと」

「……うん、なんか、すごく」


 あれがほしい、これもちょうだい。少女や、女性。中には男性もいた。妻が喜ぶと嬉しそうな声や彼女達のきらきらとした瞳を思い出す。


「すごく……言葉に、ならない」

「でしょお」


 それこそたまらないとばかりに顔をほころばせるランツを見て、何がもっとこうして売ったらいいだ、と自身が恥ずかしくなった。ランツはアレン以上に物事がわかっていて、レイシーや村人達から渡された道具を慎重に売りさばいてくれている。


「……みんな、アステールって言ってた」

「星という意味ですよ。レイシーさんが考案した道具の印として、星の形をどれもこっそり記していますから。誰もがね、アステールの品を求めて買いに来るんです」

「すごいってことはわかってるつもりだった。でも、多分俺、全然わかってなかった」

「あたしはあの人が、次はどんなものを作ってくれるんだろうとわくわくしてたまりませんよ。ポップコーンにココナッツオイルに足湯。どうやって売っていこうと戦略を練ることに必死ですとも」


 忙しくってたまりません、とランツは口元を緩めた。彼は、彼にしかできないことを力の限りやり遂げている。

 それに比べて、と胸の内ばかりが重たくなる。いいや違う、悔しくてたまらない。あまりにも自分が情けない。


 けれど、それを表に出すことはさらにたまらないことだったから、アレンは御者台に座りながらじっと自身の拳を見つめた。ランツはアレンを見向きもせず、ただ馬の手綱を引いた。がたごとと車輪が回る音がする。静かに夕日が沈んでいく。「だからね」と、ランツは続けた。


「あたしは、忙しいんですよ。カーゴからアレン君が手伝ってくれると聞いて、そりゃもうありがたかった。信用できないやつには名前だって教えられねぇからね。頼りにしてますよ」


 リューゲや、マンソンではなく、ランツと彼はアレンに名乗った。そのことを遅れて噛みしめて、力いっぱいに頷いた。


「…………はい!」




「……と、いうことがあったんですよねえ」


 レイシーの目の前には、相変わらずカラフルな服を着てランツが得意げに語っている。手間賃を差し引いた売り上げを受け取りつつ、レイシーは何とも言えない曖昧な表情になるしかない。


「あたしは深くは聞いてませんけどね? アレン君はレイシーさんの力になりたいみたいで。いやあ! あたしってば口が軽い男だから、いいねぇと思ったらすぐにペロッと言っちゃうんですよねぇ!」

「ペロッと……」


 それは褒められるべきことなのだろうかと思いつつ、言われなければきっと自分は気づきもしなかったのだろう。アレンが行商に行くことは聞いてはいたものの、その裏側の気持ちまで目を向けようとはしていなかったことが申し訳なかった。


 温かい気持ちを与えられたのなら、ありがとうと礼を伝えたい。けれど、アレンがこっそりとレイシーに知られぬようにと行動したのなら、レイシーも知らないふりをしなければならないのだろう。いつか必ず別の形で返そうと誓って、少なくとも目の前にいる人にも伝えなければいけない言葉があるとぴんと背筋を伸ばして向き合った……けれど、やっぱり緊張してすぐに下に向けてしまった。


「あの、ランツ、さん、ありがとうございます! 本当に今更ですけど、いつも大切に荷物を届けてくださって……」


 レイシーが作った道具が、誰かの手に渡るのならとても嬉しい。村の人達の協力だって、無下にしたくもない。ランツの存在はレイシーにとってなくてはならない、とても大切なものだ。


「あと本当に今更なんですけど、私、あなたの名前も知らなくて。本当に失礼なことをしました」


 何度も会って、お金をやりとりしている相手だというのに。とりおりレイシーは当たり前のことができない自分が恥ずかしくて、情けなくなる。

 けれど、いつまでも恥じているわけにはいかない。ぐっと拳を握って、勢いよく顔を上げた。かぶっていた帽子が揺さぶられる。


「はじめまして! 私の名前はレイシーといいます! 何でも屋をしています!」

「はじめまして。あたしはランツ、しがない行商人です」


 互いに名乗って頭を下げた。それからいつまで経ってもレイシーが頭を下げているものだから、ランツは耐えきれずに笑った。


「いや、いいんですよレイシーさん。聞かれたところで、あたしは多分名乗ってはいませんから。信用できる人にしか名前は言わないようにしてるんです。それに“暁の魔女”様に頭を下げられるなんて、どうしたらいいかわからないじゃないですか」


 レイシーは跳ね上がるように顔を上げた。驚いて声すらも出なくて、呆然としている。そんなレイシーを見て、ランツは相変わらず笑顔のままだ。


「そもそも隠す気なんてなかったでしょ? 偽名を使ってもいない。そりゃ、聞いた話と見かけが違うからあたしだって最初は半信半疑でしたけど」

「……そう、ですね」

「街の外に行けば、勇者パーティーに小さな女の子もくっついていたって噂もありましたしね。それが誰かということは知りませんでしたが、ありゃあレイシーさんのことだったんですねぇ」


 別に知られても構わないと思っていた。黙っていることができるならそれに越したことないけれど、大して問題のないことのはずだった。けれども今となっては苦しげに口をつぐんで、レイシーは首を振ることしかできない。


 誰かに近づけば近づくほど、知られることが恐ろしかった。レイシーが磨き上げた魔術の目的はただ一つ、魔王を倒すためだけのものだったが、人を傷付ける術にもなる。レイシーは、獣のような鋭く尖った牙を隠し持っているようなものだ。そのことをプリューム村の人々に知られたくはなかった。

 アレン達の笑顔が壊れていく様を想像すると恐ろしくてたまらなかった。


「無理を、お願いしているのは、重々承知です。でも、みんなには、どうか」

「あたしからは言いません。ええ、ええ、あたしはとにかく口が堅い男と有名なんです」


 ぱしん、とランツは自分の胸を叩く。さっきと言っていることが全然違う、なんてことは言えなかったけれど、笑顔になりかけたような顔で、レイシーは笑った。くしゃくしゃな笑顔だった。


 狐のような男は、「大丈夫ですよ」とだけ告げたが、それがどう言った意味なのかはわからない。続きがなかったのは、畑を守っていたらしいティーとノーイが突撃するかのごとくやって来たからだ。


「キュイキュイキュイッ!」

「ぶもももももももお!」

「ヒエッ! 二匹に増えてるぅ!? それじゃあ、あ、あたしはこれで失礼しますぅ!」


 ランツとティーの相性はとてもよろしくない。すでにティー側の復讐は終了しているため、気にしなくてもいいだろうに、植え付けられた恐怖心は消えることがないらしい。ティー達からすればただのいらっしゃいの出迎えだろうが、「ヒギャーッ!」と悲鳴を上げているランツからすれば、まったく異なるものらしい。


 逃げるランツの背中をティーとノーイの二匹が追って、少しずつ遠のいていく。レイシーは少しばかり吹き出してしまった。でも、しゅるりと冷えた風が通り抜けていくのを感じた。


 嬉しいと、恐ろしいと感じる気持ちは裏表だ。それがまるでパタリと裏返されてしまうような。

 冷たい風が吹いていた。

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