第35話
イノシシは、力強く炎の中に飛び込んだ。
焚き火に駆けられていた鍋は跳ねたが、ウェインが見事にキャッチしている間、レイシーとティーは弾ける火花に呆然として赤々とした火を顔に映していた。
焚き火はごうごうと揺らめいていた。
おそらくイノシシはこんがりおいしく焼き上がるのだろう。「ではなく!!」 あまりの状況に思考が停止してしまったが、ぼんやりしている場合ではない。
「なななな、なんで!? いやなんで!? なんであぶられてしまっているの!?」
「落ち着けレイシー。あいつはワイルドボアだろ。これくらいの火なんてなんとでもないし、風呂に入ってるみたいなもんだろ」
「えっ、あ、そうか。そうよね、そうだった……」
フェニックスであるティーは火でありスライムは水というふうに、魔物にはそれぞれ属性というものがある。
イノシシと呼ばれている彼は、実のところワイルドボアという名の魔物である。ただの動物と魔物の差は、心臓が魔石でできているかどうかだ。魔石は血と同じように体中にそれぞれの属性と同じ質の魔力を循環させ、魔物をより強く変化させる。
ワイルドボアの属性も火であり、大きな牙と体中を覆う硬い体毛が特徴だ。個体差はあるものの毛の一本にまで染み渡った魔力はそんじょそこらの火は寄せ付けない。
だからこそ焚き火の中でごうごうと腹を焼かれているイノシシは、やっちまったぜ的顔をしつつもなまったりしているのだろう。
冷静に大鍋を地面に置きつつ焚き火から距離を置いたウェインは、「な? 大丈夫って言ったろ」と、まるで世間話をしているようにレイシーに話しかけた。それでも驚きは消えないから、胸元に手を置きつつ深呼吸をした。
とりあえずよかったよかった、とみんなでほっとしつつ、耐性があるといっても限度があるだろうと、「そろそろこっちに来て、危ないわよ」とレイシーが声をかける。「ぶも」 おっしゃる通り、とイノシシは頷いた。――そして弾けた。
ばちばちと何かが爆散して、じたばたイノシシが暴れている。そのうちの一つ、白く小さな何かがウェインめがけてやってくるが、淀みない動作でぱしっと片手で受け取った。「あっち!」 何かをつまんだまま、ウェインは手のひらを振っている。
「ぶももももももも!?」
「ちょっとまって、すぐに――」 レイシーは素早くバッグから杖を取り出し放り投げる。宙で受け止めたときには、ぐんと杖は大きくなっていた。「魔法を、使うから!」
魔法の杖はレイシーの意思で自由に収縮する。足元ではティーが両羽を開きながら、むんっと息を吸い込み、吐き出した。「ンキュオオオオオッ!!!!」 生み出された風圧を、ばさばさと羽を揺らして焚き火に叩きつける。
火の反対の属性は水である。火属性のイノシシに万一があってはいけない。
(だから、水魔法を使うなら直接ぶつけない方法で……!)
フェニックスであるティーは炎の扱いならお手の物だ。ティーが生み出した風がぐるぐると焚き火の炎を巻取り、しゅるりと細長く空に向かって伸びていく。そしてレイシーが向けた杖と、彼女の口元から高速で編み出される呪文を糧に、杖の先から水の塊が噴射される。
空に浮かんだレイシーの水はまるでしゃぼん玉のように丸くなり、細い炎をしゅるしゅると吸い取った。薄い膜の内側をくるくると回りながら炎は次第に小さく変わっていき、レイシーが指を鳴らすとぱちりとしゃぼん玉は割れた。残ったものは天気雨のような小雨がはたはたと落ちるだけだ。
消えた炎にほっとしてレイシーは息をついた。「きゅいいいいいん!」 ティーがばたばたと両足を動かして必死にイノシシのもとに駆けつけている。ぶもぶも、きゅいきゅい、ぶももん。どうやら深刻な怪我はないようで手元の杖を握りしめて、再度安堵した。そしてハッとして振り返る。
「そうだ、ウェインも! 大丈夫? 熱いて言ってたよね、やけどをしていない?」
「いや、別に大したことない。けれど……」
と、眉をひそめて握りしめた手元をそっと開き、白くふかふかした何かをレイシーに見せた。「……これは?」 ウェインの手元を覗いて首を傾げるレイシーに、「さあ……」とウェインは返答する。
きゅいきゅい、ぶもぶもと再会を祝い合う声を聞きつつ、秋の午後が過ぎていく。
***
ウェインとレイシー達は、白いふかふかした何かを“ポップコーン”と名付けることにした。
イノシシが風呂敷に大事にかかえて持ってきていたものは、干したとうもろこしであり、同族達の好物なのだという。里帰りのお土産だったそうだ。
しかしそれが火であぶると弾けるというのはイノシシも想定外だったようで、残ったとうもろこしをウェインとともに鍋を使って火を通すと、弾けに弾けた。とうもろこしの粒がふわふわの白いものに変わってしまうとは驚きを隠せなかったが、おそるおそる食べてみるとなんだかおいしい。全員で顔を合わせて、口元を押さえてびっくりした。
とうもろこしに残った粒を畑に植えると、翌日には大きな粒をぱんぱんにさせ育っていたので、そろそろ畑も化け物じみてきたような気がする。できたとうもろこしを干す作業も、ようはとうもろこしの水分を調節し抜き取ってしまえばいいわけなので、レイシーの出番だ。
というわけで、レイシー達はたくさんの干したとうもろこしをかかえて村に下りた。向かう場所は村で唯一の食事処、サザンカ亭だ。
ダナとの一件があって以来、レイシーはときおりサザンカ亭に足を運ぶようになった。その中で店主のセドリックは無愛想ながらに料理に対しては研究熱心で、レイシーの保冷温バッグを実は手放しで喜んでいたという事実を知った。そして、次に面白いものがあればまた自分のところに持ってきてほしいとも言われていた。
「別に俺がいるんだし、わざわざ食事処になんて行かなくてもいいんじゃないか」と珍しくぶつくさ言っているウェインをいなしつつ、レイシーはサザンカ亭の扉を叩いた。
「いらっしゃい。おや、そちらは?」
カウンターに座って新聞を開きながら、細いフレームのメガネの向こうはじろりとこちらを睨んでいるように見えるが、別にそんなわけではなく心の中では歓迎してくれいると知っているので、レイシーは静かに頭を下げた。
ティーとイノシシも、ぶいぶい、きゅいきゅいと言いながらレイシーの足元からぴょっこり顔を覗かせている。動物、というか魔物になるけれど、食事処につれていくのはどうだろう、と当初は遠慮していたのだが、セドリックから「いつもの鳥くんはどうしたんだ」とせっつかれたので気にせず連れて行くことにした。
「こんにちは、セドリックさん……。あの、今日は面白いものを持ってきたんですけど。あと、こっちの人は私の知り合いで」
「ほう。レイシーさんが面白いとはよっぽどだな」
セドリックはちらりとウェインを見た。
「そちらが例の彼氏くんか」
レイシーのもとに外からやってくる男がいるということは村人の大半が知っていることだ。ウェインは金髪、青い瞳の端正な顔の青年だが、勇者としての顔が売れすぎているものだから、普段は隠蔽魔法を使用している。セドリックの目には彼が一番思う平凡な青年の姿が思い描かれているはずだ。
「彼氏ではないです」
「なるほどこんにちは、はじめまして彼氏くん」
とりあえずレイシーは否定するが、セドリックはまったく聞いていないので、それ以上はやめておいた。無駄な苦労をしたところで仕方がない。
「……こちらこそ、はじめまして」
セドリックから出された手を握りつつ握手を返したものの、ウェインは珍しく愛想悪く返答している。レイシーはおや、と疑問を抱いたが彼ら二人は初対面のはずだし、セドリック側は至って普通の様子である。ウェインがつっかかる理由もわからない。だから多分気のせいだろう、と思うことにした。
「それで、面白いものというのはそれかな?」
ウェインがたくさん脇にかかえて、レイシーが少しだけカゴに盛っているとうもろこしのしっぽを見る。
「はい。少し調理が必要ですが、よければセドリックさんにも食べてもらえればと」
「よし、丁度いいことに客もいない。厨房に行こう」
とても話が早かった。さっと扉を固定させ、片手を向け店内に案内する。レイシー、ウェインが、そっと店の中に入っていく後ろにティーが続き、そして最後にはイノシシが。「……ぶも」「食べやしないから、君も入っておいで」「ぶもも」 平和にのしのし進んでいく。
それからレイシーはセドリックから鍋と油を借りて、ポップコーンを作り上げた。膨らんで弾けた音に、セドリックは驚いてメガネをずらしつつ、そうっと指を伸ばして口元に入れた瞬間、いつもは薄っすらと細められた瞳が、ぎゅんっと大きくなった。
「レイシーさん」
「はい」
「この名前は何だったかな?」
「とりあえず、ぽこぽこ弾けるので、ポップコーンかなと」
「よろしい。ならば本日、店は臨時休業だ。……今から村中を集めて、ポップコーンの試食会を始める!」
細い体のくせにそれ以上の存在感でカッと瞳を見開きセドリックは叫んだ。レイシー達は呆然とした。そして始まったのはポップコーン大会である。
***
「俺は塩のポップコーンがもっとほしい!」
「リーヴ、これ甘い方が絶対いいよ!」
双子がコップに入れられたポップコーンをほっぺたいっぱいに頬張っている。その後ろにはくるくる髪の女の子がからっぽのコップを持っていて、ハッとしたヨーマが「どうぞ!」と真っ赤な顔でポップコーンを差し出した。リーヴははぐはぐ頬を膨らませつつ様子を見守っているが、女の子は「しょっぱい方がいいわ」とすげなく断る。がっくりと地面に沈み込む双子の片割れの背中をリーヴは優しく慰めている。
サザンカ亭の外までデコレーションされたガーランドは、どこから取り出したのかカラフルで可愛らしい。並べられたテーブルにはところかしこにポップコーンの山がある。プリューム村の顔役であるババ様は大きな椅子に可愛らしくちょこんと座って「ふょほほ」と楽しそうに笑っている。そしてよく見れば椅子が大きいのではなく、ババ様が小さいだけだった。
アレン一家の他にも、顔だけしか知らない村人も、たくさんいた。レイシーもはくりと一つポップコーンを食べたはいいけれど、胸の奥でつっかえて、うまく飲み込むことができない。相変わらず動揺しつつ、右に左にと視線を動かし、やっとごくりとポップコーンを飲み込んだ。
楽器まで持ち出して楽しげな音楽に合わせて踊っている人達までいるから、試食会なんてものではなくまるで何かのお祭りのようだ。
(……な、なんでこんなことに?)
『このポップコーンは、そのままよりも色んな味付けをして楽しんだ方がいい。それならまずは意見交換といこう』
と、セドリックの一声で、一斉に村人達は集まった。テーブルや椅子を出して、飾り付けをして、ついでに飲み物や各自家からつまめるものを持ってきて、とあっという間の連携だった。その間、「レイシーさん、また面白いものができたって聞きましたよ」と誰から言われたのかもわからなくなるくらい声をかけられ、「姉ちゃん、何ですぐに俺に教えてくれないんだよ!」とアレンはじたばたしていた。
何か勘違いをされているような気がするが、別にポップコーンもレイシーが考えたわけではない。ということを調理中のセドリックに声をかけると、「とうもろこしを育てて乾燥させたのはあんたでしょ」とあっさり言い切られてしまった。釈然としないのだが、発端のイノシシといえば流れてくる楽曲に腰を振りつつ四足を暴れさせて、村人達からひゅうひゅう吹かれる口笛にのりのりである。レイシーよりも遥かにこの場に適合していた。そして踊り終わった報酬がわりに、ポップコーンをたらふく、やまもりに食べていた。
(それは、いいんだけど……)
料理をする人間の手は足りているから、レイシーにできることというなら配膳だった。呼ばれるがままにしゅるしゅると人の隙間をくぐってそっと渡す。表に立つよりも、そっちの方が性に合っている。せっかくだからと運ぶ途中にレイシーもつまんでみたが、一つ食べると次をひくといったような味付けばかりだった。甘いのも、しょっぱいのも両方おいしい……はずなのだが。
いつの間にかサザンカ亭の厨房ではなく野外に設置された料理会場の熱気あふれる風景を、口元をへの字にしつつレイシーは見つめる。
「塩の方がうまいに決まってるだろ!」
「いいや、キャラメル味だ! 甘い方がいいに決まってる!」
リーヴとヨーマの双子ではない。大の大人の言い合いである。より正確にいえば、ウェインとセドリックの二人が鍋を振るって汗だくになりながらも額を突き合わせている。そして互いに犬歯を見せ合いながら、大量のホップコーンを生み出している。
「塩だ、いいかい、塩! 彼氏くんはわかってないな、ぴりっとしたちょっぴりの塩がよりあとを引くってことがなんで理解できないかな?」
「それは認める、けどな、甘いものはうまい。それで間違いないだろう?」
「バカだねぇ、甘やかすことだけが人生じゃないんだよ、バカの一つ覚えじゃなく、たまにはちょっと塩を入れることが人生のスパイスだし盛り上がる」
「俺はでろでろに甘やかす方針なんだよ! 悪かったな!」
ぎゃんぎゃんしている彼らを見つつ、むしゃっとポップコーンを食べているアレンは、「あれほんとにポップコーンの話?」とレイシーに尋ねるが、「……多分」としか返答しようがない。
いつの間にかウェイン達は、「俺がいない間にレイシーが世話になっているようで! どんなものか腕前を教えてほしいもんだ!」「ああもちろんだとも! 僕としては客が増えることはなによりだ! 存分に味わってほしい!」と世代を超えてばちばち火花が飛び合っていた。一体なんの話をしているのか。
そしてついでとばかりにレイシーが持ってきていたココナッツオイルを使っての勝負までが始まってしまった。箸休めとしてのサラダやケーキを作ったセドリックは拳を振り上げ勝ち誇り、はちみつを混ぜた飲みやすいジュースを作ったウェインは崩れ落ちて悔しげに地面を拳で叩いていた。よくわからないが彼らの中では勝敗が決してしまったらしい。
なるほど、ウェインが珍しくセドリックにつっかかっているかと思ったら、料理に対する密かなプライドがちくちくと刺激されていたのだろう、とレイシーは理解した。ウェインはあくまでも貴族であり、彼の料理スキルは旅の間に培われたもので、いわば付け焼き刃のようなものである。元来の器用さでごまかされそうになるが、実際のところ生まれついての料理人であるセドリックにはまだまだかなわない。
それ以外にも、レイシーの食事を作る役割としてのプライドもあったわけだが、もちろんそんなことは彼女は気づいていない。
ちくしょうとウェインは叫びつつも、いつの間にかセドリックと話し合い料理のアドバイスをもらっている。真剣な顔をしていると思えば、どちらかが冗談めかした言葉に笑って背中を叩きあっていた。ウェインはもともとそういう男である。
どんちゃん騒ぎは夜まで続いた。子ども達はすでに家に帰っているが、山盛りの料理を肴に大人達はちびちびとお酒を飲んでいる。踊り疲れたイノシシはティーと一緒に腹を出して眠っていた。夜になってちょこまかと動き回る必要もなくなり、レイシーはぼんやりと村人達の様子を見つめていた。
「おしゃけは飲むの?」
ふと聞こえた声にびっくりして、周囲を見回した。どこにも声の主は見当たらないと思ったら、ババ様が手を後ろに回してちょこんと立ってレイシーを見上げている。真っ白い髪の毛をくるんと二つくくりにしていて、くしゃくしゃの顔は笑っているのか、そうじゃないのかわからない。でも多分、嬉しそうだ。
「おしゃけ……あ、お酒ですか。いえ、私はまだ成人してないので……」
「そうにゃの。しっかりしてるみたいに見えるけど、おいくつだったかしりゃ?」
「十五ですが、もう少しで十六です」
ババ様はいつも少し舌っ足らずにゆっくりと話す。
幼く見えると言われることはあっても、しっかりしていると言われたのは初めてで驚いたが返答した。ババ様は、「そうにゃの、そうにゃの」と頷いて、今度はとっぷりと暮れてしまった空を見上げている。ガーランドの紐には、いつの間にかカンテラがひっかかって、風の中でゆらゆらと揺れていた。
「こんなふうにするのは久しぶりだから、レイシーしゃんは驚いたかしら。昔はね、プリューム<羽飾り>村に名前を変えた頃は、みんなでよく集まって星見をしたのよ。それも、少しずつ村がさびれていくとともに、しなくなってしまったけりょ」
レイシーしゃんが来てくれたかしら、とババ様はころころ笑った。
「いいわねぇ、とっても楽しい。レイシーしゃんは、プリューム村にとって、新しい風なのねぇ……」
そんなことはないとレイシーは思ったし、自分はただのきっかけの一つだ。でもきっとババ様は心の底からそう思ってくれてから、それを否定するほどレイシーは無知ではない。むずむずとした気持ちは、いつもそうだ。アステールの名をもらってから、いつだって彼らはレイシーの内側をひっかいて、おかしくさせてしまう。
何かを堪えるような顔をするレイシーを見て、おやとババ様は白い眉毛をふさりと上げた。それからすぐに笑った。「にょほ、にょほ」と言いながら、けんけんぱっ、と足を開いて、閉じてを繰り返しながら祭りの中に消えていく。昼間にあった机は場所を移動して、真ん中には大きな火の粉が巻き上がっていた。
ティーとイノシシは、炎を見て飛び起きた。火の属性の彼らだから、嬉しくなってちょこちょこ回って、レイシーのもとにやってくる。
「ティー」
「きゅい?」
呼んだ? とでも言いたげに、ちょいとティーは顔を上げた。フォティア、という名をつけた記憶は、まだ新しい。レイシーは、少しだけ考えた。
「ノーイ」
誰のことだろう、とイノシシは周囲を見回した。それから、もう一度レイシーは彼を呼んだ。「ノーイ」 それが、自分の名だと気がついて、イノシシは飛び上がった。それから、ぶもお、とそれはそれは嬉しそうに踊りだした。
プリューム村には魔物避けの結界が張られている。レイシーがテイマー代わりの存在として近くにいれば別だが、本来ならティーやノーイはプリューム村に近づくことはできない。けれど、名を与えたのなら別だ。
「ぶもおおお!!!!!」
ノーイの声がどこまでも広がる空の中にきらきらと輝いて通り過ぎ、ゆっくりと消えていく。
どこか遠い山の向こうで、静かに声が返ってくる。おおん、と鐘を叩いて響いたような音だ。口元をふと触ったとき、レイシーは自分の口元がいつの間にか緩んでいることに気がついた。それが、どうにもくすぐったくてたまらなかった。
***
祭りの騒がしさは、少しずつ消えていく。
だからなのだろうか。わずかな寂しさが胸の奥をひっかいて、ふとした気持ちをレイシーの中に蘇らせた。
人と関わり、出会うこと。それはひどく不思議なことだ。幸せに思う気持ちがある。けれども、だからこそ恐怖も感じる。
「ねえレイシーさん、もうとうもろこしはないよね」
「えっ。あ、屋敷にまだあるかもしれません、見てきます!」
「いいよそんな。もう遅いし、お開きの時間にしてもいいさ」
「でもまだいらっしゃる人もいますから、セドリックさん、待っていてください!」
すぐさま駆けた。終わりがくることが怖かったのかもしれない。足を踏み出すほどに人々の声が少しずつ小さくなっていく。代わりとばかりに虫の声が大きくなった。ちりちり、と鈴を転がすような音が聞こえる。真っ直ぐに歩くと、川に飛び出た。それに沿って歩いていくと屋敷に着く。ランプを持ってくることを忘れたから、周囲に誰もいないことを確認してレイシーは指先に火の粉を灯す。
それを放り投げると、蛍のように点々と道を照らされていく。ふと道の先を見ると、ウェインが静かに立っていた。川を見つめて、差し出した腕に大きな何かが飛び乗った。竜のポスト屋だ。彼らは暗闇の中でも、どこにでも手紙を届けてくれる。
「ウェイン……?」
レイシーが声をかけると、竜はすぐさま飛び立った。真っ暗な空の中を、微かな星あかりだけを頼りに力強く風を切り、竜は去る。
「手紙がきたの?」
「ああ、まあ」
てっきり、ウェインは祭りの中にいるものだと思っていた。
ウェインはすぐさま受け取った手紙を反転して差出人を確認したが、誰からと聞いていいものかわからなかった。そのままポケットにしまわれた手紙は少しばかり気になったが、「それより」とつり上がったウェインの眉の方がレイシーにとっては今すぐ対処すべき問題である。
「なんでこんなところに一人でいるんだ」
「えっ。その、とうもろこしの残りを取りに帰ろうかなと……」
「夜だぞ。俺が行くからレイシーはみんなのところに戻れ」
「……魔物や野盗が出ても、別になんの問題もないんだけど」
「たしかにそうだな。それならわかった、サザンカ亭まで二人で一緒に戻ってから俺が一人で取りに戻ろう」
「それってより悪化してない?」
つべこべ言うなと不機嫌に声を出して、ウェインはピィッ! と指笛を吹いた。慌ててレイシーは回れ右、と足を踏み出す。ウェインは大股でレイシーに追いついて、どちらともなく笑いながら、やってきた道を戻っていく。
「……なあ、いい村だな」
「うん、そうだね」
レイシーの魔術はまだ消えていないから、ぽたぽたとこぼれたみたいな光の道を二人で歩いた。ときどき、振り返って、空を見上げて。
ころろん、と小さな星が落ちてく。
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