2 関わったり、笑ったり
第34話
凍てつくような寒さの中、ひえびえとした風が通り抜けた。瀟洒なレンガづくりの建物は慣れない人間には寒さを感じる。フリーピュレイの街にたった一つの医療院の回廊をこつこつと硬い音を立て歩くダナの背に、必死な男の声が叩きつけるように叫ばれる。
「――聖女様! 聖女、いや、ダナ様、お待ちください!」
一歩、二歩と踏み出し立ち止まり、聖女は聞こえぬようにため息をついた。そして振り向く。うっとりするような優しげな笑みだが、多分、彼女を知る人間からすれば奇妙だと言わざるを得ない笑い顔なのだろう。とにかく、目が笑っていない。
「あら、ロミゴス伯爵ではいらっしゃいませんか」
「お、おお! ダナ様は私の名をご存知でいらっしゃいましたか!」
「もちろんですもの! 何度もいらっしゃる大事なお客様のお名前は自然と覚えてしまいますわ!」
「なんとなんと」
「それでいかがなさいましたか? また足の具合が悪くなってしまわれたのかしら。医療院の受付は別方向ですわ。まさか迷ってしまわれました?」
“何度も”来ている客に対して、ダナは再度にっこりと笑う。ロミゴスと呼ばれた男は、どっしりとした体を着ぶくれでさらに膨らませている。ダナを見て急いで駆けつけたのだろう。頬は上気して真っ赤だし、息も荒い。しかし片手には立派な杖を持っている。
ふうふうと汗をぬぐいながら、伯爵は本人なりに愛想のいい顔を浮かべた。
「おっしゃる通り、また足がうまく動かなくなりましてな……。しかし本日はそれとは別件に、折り入ってダナ様にお願い申し上げたいことが……」
すでにこの時点で、ダナはこの話には聞く価値がないと判断している。しかし、伯爵はそんなことも知らずに上機嫌に言葉を続ける。
「ダナ様はアステールの魔道具屋と懇意であると伺いました。ぜひ! 私にもご紹介いただきたいのです」
「あらあら」
断られることなど、一つも考えていない。そんな男に、ダナは笑みを深くし、さっくりと返答した。
「大変申し訳ございませんが、アステールの魔法使いは、とっても人見知りですので、実際に会うとなると伯爵の機嫌を損ねてしまうかと思いますわ。ご理解くださいませ」
――要約すると、『お断りだ、この野郎』である。
はは、と伯爵が笑う。それに対してダナも笑う。はは、はは、はは……。「い、いやそんな、機嫌を損ねるなど」 から寒い笑い声の中で、伯爵はそんなこと、まさかと繰り返し、顔を引くつかせている。
「ええ、ええ。ロミゴス伯爵以外にも、そうおっしゃる方々はいらっしゃったのですが」
「わ、私以外にも」
「フリーピュレイ医療院は誰しもに平等の精神を謳っておりますから、まさかご自身だけ融通してほしいなどと貴族の方々のような高潔なお方がおっしゃるわけもなく」
「はは、まさか、そんな、ええ……」
ダナは以前までの彼らを思い出した。聖女と呼ばれはするが内心ではダナを見下す貴族は多くいた。目の前にいる男、ロミゴスもその通りだ。視線を泳がせ、いかにこちらをやりこめようと思案している。
(さて、どうしたものかしら)
今までならば、適当におだてて、煽って、気分良く帰らせていた。誰が味方になって、敵になるのか、わからなかったから。
けれども、ストレスは溜めないように、と願う人見知りの魔法使いの姿を思い出した。自然と、ダナの口元は笑って次の言葉を伝えてしまう。
「……中には、困った方もいらっしゃいますの」
「……困った方、とは?」
「ええ。最近、治療の必要のない方が何度も当院にいらっしゃいまして……。たしかに治療を行ったはずの箇所を、効果がきれてしまったとおっしゃるんですが、困ってしまいますわ。 中には“聖女と懇意である”とみせたいがために、遠い地からわざわざ来られる方もいるほどで」
ダナが言葉を重ねるほどに、ロミゴスの顔は真っ青に変わっていく。短い指先が、ぶるぶると震えている。
「神は全てを理解なさっております。嘘偽りを吐き出す舌は、いつか引き抜かれてしまうでしょうに心配ですわ。ときにロミゴス伯爵、随分暖かそうな格好をなさっていますわね? 寒さが苦手なのかしら。“随分遠い場所”からいらっしゃったのね?」
「急用を思い出した! わ、私は、これで失礼いたす!」
杖を使うことすら忘れて、転がるようにロミゴスは消えていく。その後姿を、ダナはふん、と鼻から息を出して、しらけたような瞳で見送った。
「よろしかったのですか?」
「ええ、客を一人失ったわ」
どこからかするりと現れた影のような少女に、ダナは腕を組みながら返答する。ロミゴスは以前から悪目立ちのする客だった。遠いところから、わざわざ杖のような小道具を使って毎度ご苦労様と呆れてもいたが、金を落とすので大目に見てやっていたつもりだ。
「でも、負担を増やす客を追い出す権利はこちらにあるわ。それにあの男、いい噂を聞かないもの。今まですり寄っていた分家が大きなやらかしを行ってしまったみたいで、新たなすり寄り先を見つけたいようだけれど、こちらもごめんよ」
鼻で笑う。そうしたあとで、やはり先程の自身の判断を間違いないものだったと再確認する。
今までのダナであるなら、レイシーの正体を伝えることはないだろうが、適当にかわして再度医療院に赴くように上手い言葉を告げていただろう。けれどもそれを繰り返して、いつかの未来に着ぶくれした貴族とともに共倒れになるなどたまったものではない。
(それにしても、本当にレイシーの影響は計り知れないわね……)
遅かれ早かれ、レイシーは貴族の争いに巻き込まれるだろう。名と姿を隠したところで、彼女の魔道具の力は彼女自身が考えている以上のものだ。
さきほどのロミゴスの動きも気になる。追い詰められたネズミほど、何をやらかすかわかったものではない。
「……気の回しすぎかもしれないけど、ちょっと声をかけておいた方がいいかもしれないわね」
「誰に、ですか?」
首を傾げる少女に、ダナはおもしろげにむふりと笑う。
「そんなの、レイシーのことだもの。一人しかいないでしょう」
***
「クソッ、馬車を出せ! 早く出せと言っているだろう、聞こえないのか!」
「は、はいっ!」
苛立たしく馬車の扉を開け、ロミゴスは御者に叫ぶ。真っ赤な頬と、ぶくぶくに着ぶくれした服。フリーピュレイの雪遊びに慣れた子どもたちなら、きっとこう思うだろう。雪だるまが、動いている、と。
「私がわざわざ、こんな僻地にやって来ているというのに……なんなんだあの女は。少し美人だからといって、まったく調子に乗っている! もとはただの平民のくせに、何が聖女だ……!」
ロミゴスは持ってきていたはずの杖もどこかに投げ捨て、忘れてしまったことを思い出した。まあいい、と外の景色を顔をしかめて見た。こんな寒い辺境などもう来ることはない。本来、彼は王都に近い領地を持っている。
「アステールの印を持つ、魔道具屋……」
まずは匂い袋だった。そして今は保冷温バッグと呼ばれるなんとも不思議な魔道具が、今は王都と、フリーピュレイを二つを中心にして飛ぶように売れている。けれども、それを作ったものは誰も知らない。もともと贔屓にして色々と理由をつけて通ってやっていた聖女が、そのアステールと懇意であると噂を聞き飛んでやって来たわけだが、無駄足だったとロミゴスは地団駄を踏んだ。
「くそう、何もかも、“あいつ”が悪い……! “あいつ”さえ、いなければ……ッ!」
短い爪をがりがりと噛んだ。社交界の誰もが、ロミゴスを冷ややかに、あざ笑うような目で見ている気がする。今まで彼は何の不安もなく輝かしく笑っていたはずなのに。
自分の上にいる人間など吐き気がする。下にいるものは多ければ、多いほどいい。そのためには、どうすればいいのか。
今や社交界は正体不明の魔道具屋の噂でもちきりだ。
「アステールの、魔道具屋。匂い袋は、まずは王都を中心として売られた。そして次の保冷温バッグも聖女がいるフリーピュレイを除けばそうだった。必ず魔道具屋は王都近くに存在する。そいつを私のものにする。虱潰しに、探してやる――!」
***
「ふえっくしゅ」
「……レイシー、風邪か? もしかして腹を出して寝ただろう」
「そんなわけないでしょうウェイン。……そんなわけ、ないよね?」
もしかして、と思わず自分のお腹を触ってしまう。真夏の盛も過ぎ、裏庭の畑も随分落ち葉が目立つようになってきた。レイシーは細い竹を集めて箒を作ってみた。レイシーの庭にはもはやなんでも育っているし転がっている。
ひゅるりと静かに吹く風から、季節の変化を感じた。かさこそ落ちる葉っぱを箒で集める。ティーは葉っぱのベッドで寝そべってころころと幸せそうだ。
その後ろでは、ウェインが焚き火を使って大鍋を煮込んでいる。
「ココナッツからオイルを作るなんて、おもしろいこと考えたもんだなあ……」
丸太の椅子に座って火の番をしつつ、すっかり真っ白にとろけている鍋の中を見つめた。大きすぎる鍋はキッチンでは手狭になってしまうから、落ち葉掃除のついでで丁度いいと外に出てきたのだ。
「オイルについては私じゃないわ。ダナが言っていたのよ。意外と色んな使いみちがありそうで考えたら楽しいけど」
帰りしなにダナがレイシーに話していたことだ。足湯に入れた手足がつるつるになっていたから、石鹸やオイルを作ってみたら、と言っていた彼女の言葉を、レイシーからいわせてみれば自分はその通りに行動したにすぎない。
「だからってなあ……」と、ウェインは呆れたような顔をしたが、いつものことだと言いたげにため息をついた。思いついても、それを形にするのが普通は難しいものなんだよ、と呟いた彼の言葉はレイシーに届くことなく、しゃかしゃかと楽しげに箒で落ち葉をはいている。
「……なあ、それは何をしてるんだ?」
「落ち葉をはいているの。普通ならまだ落ち葉になる時期じゃないけど、色んな季節が入り交じる畑になっちゃったから、一足早い子もいるのよね」
「そうじゃなく。魔術を使えばいいんじゃないか?」
煮詰めたココナッツの実が焦げないように鍋をぐるりとかき回しながらの勇者の言葉である。ウェインは聖剣も似合うが、おたまも似合う男である。
レイシーは箒を握りしめつつ、きょとんと瞬き振り返った。
「……魔術を?」
「だからさ、屋敷を掃除するときも、魔術を使ったって言ってただろう。落ち葉も風魔法でさっと集めればいいじゃないか。俺じゃ無理だが、レイシーなら簡単だろ?」
「簡単だと思うけど、しないよ」
そしてあっさりと否定した。
「それだと、葉っぱ一つひとつの形を見ることができないからね。今は魔術じゃなくって、自分の手でした方がいいときもあるかなって」
ついこの間まで、レイシーは魔術とはただ攻撃の手段として使われるものだと思っていた。けれどもウェインの魔術を見て、そんなことはないのだと知って、理解した。たくさんの可能性を教えてもらった。便利なものは便利だけれど、多分これからも、レイシーは全てを魔術に頼らない。自分の手で触って、探って、わかるものもあると知っている。
「……なるほどな」
下手な自分の説明に何を言っているんだと思われてしまうかもしれないと考えていたのに、ウェインはすぐに頷いた。ウェインは器用で、なんだって飲み込みがいい。彼は頭がいいから曖昧なレイシーの言葉をすぐに理解してしまう。だからいつも甘えそうになってしまう。ウェインのことを深く考えると、なぜだか胸がぎゅっとなって、きゅんとした。
(いやいや、今の私、ちょっと変だった)
ぎゅっとなった、まではわかる。説明が下手な自分に悲しくなってとか、いくらでも説明はつく。けれどその後の流れがわからない。最近レイシーは妙にウェインのことを思い出す。今までずっとそばにいることが当たり前な大切な仲間だから当たり前でしょう、と感じる反面、きゅっと息がつまるような苦しい気持ちになるときもある。
もしかするとこれは何かの病気なんじゃと不思議になるくらいで、ダナに診てもらった方がよかったかもしれない、と後悔した。いやでもこんなことで、とレイシーが葛藤しているとき、ウェインも何か考えているようで、「なあレイシー」 ぐつぐつと火の具合を確認しつつ、声をかける。
「何かほしいものはないのか?」
「…………どうして?」
あまりにも突拍子がないから。レイシーが首を傾げるのも無理はない。
でもウェインからすればそうではないようで、「いやどうしてって」と何てこともないように言葉を重ねようとしたときだ。ひゅおっと大きな風が吹いた。レイシーは慌ててすっとんでいきそうな帽子のツバを両手でひっぱる。からん、と足元に箒が落ちてひょおひょお踊りながら転がっていく。その様子をウェインはぱちくりした瞳で見ていた。
「大丈夫か?」
「うん、なんとか飛ばされなかったけど……ティー? どうしたの?」
「キュイッ、キュイキュイキュイ!!!!」
落ち葉の中でもふもふとベッドを作って楽しんでいたはずのティーが勢いよく飛び起きた。そわそわと周囲を見回し、困った顔をしたと思うと、キリッと瞳を吊り上げる。
「ンキュイーーーーーッ!!」
まるでここにいるぞ、と主張するような声だった。「ほ、本当に、一体どうしたの……?」 当惑するようにレイシーが瞬いた。そのときだ。
「ぶもぉおおおおおおお!!!!!」
聞き慣れた声が聞こえた。いや、鳴き声だった。ティーは両手の羽を広げたまま、ぱあっと瞳を明るくする。帰ってきた、と嬉しそうにばたばたしている。ぶもお、ぶもお、と叫びつつ、どたどたと聞こえる足音はどんどん大きくなってくる。旅立っていたイノシシである。
叫びつつ突撃しながらやってくるイノシシに、あら、おかえりなさい、とレイシーは返答しようとするが、やってくるイノシシは止まらない。イノシシが実家に里帰りしている間に、畑は様変わりしていた。あるはずの木はないし、逆にないはずの植物がにょきにょきと伸びている。全てはレイシーの類まれなる魔力のせいなのだが、そんなことは知らないイノシシはブレーキをかけるはずが、うっかり足を滑らせ、茶色い巨体が宙を舞った。「ぶもっ!?」 なんとまあ。
くるくると回るイノシシの背中には大きな風呂敷包みを抱えている。あれは一体なんだろう、と不思議に思う間もなく、イノシシはウェインがかき回す鍋に直撃した。正確にいうと、焚き火に突撃した。ボッ。火花が弾けて、そして。
――イノシシ、爆散す。
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