第33話

 




「な、なんで……石を入れただけなのに……。あ、そっか、火山石を入れたのか。なーんだ、びっくりした」


 前のめりに顔を乗り出していたアレンが、あっけにとられていたような自分の顔をぱちんと叩き、ほっとしたように息をした。火山石とは熱をはらんだ魔石のことだ。


 なあんだ、とアレンは額の汗を拭うような仕草をしていたが、レイシーは困ったような顔をしている。その表情を見て、ダナは気づいた。


「アレン、違うわ。もし火山石で水を沸かしたというのならもっと大きな石が必要なはずよ」


 大きければ大きいほど、魔石は威力を増す。火山石とは、ようは火の魔術が込められた石で、熱を少しずつ放出し小さくなり、最後には燃えカスとなって消えてしまう。氷結石と性質は正反対だが、よく似ている。


 レイシーがココナッツの殻の中に沈めた魔石は決して大きなものではなかった。親指二本分程度の大きさで、水を沸かすにはまったく足りない。


 魔術的に考えると水と火は相対するもので、水をお湯に変えようとわざわざ魔術を使用するくらいなら、薪を持ってきて鍋で水を沸かした方が早いということは魔術を少しかじった程度のダナでも知っている。レイシーほどの魔法使いなら属性の不利をいくらでも技量でカバーすることはできるだろうが、彼女が使ったものはただの魔石だ。


「スライムを退治する方法と同じよ」

「スライム……? ああ、なるほどそういうことなの!」

「俺はまったくわからない……」


 ううん、とアレンは首を傾げたままだ。

 レイシーは半分に割って置いてあったもう一つの殻の中に、またたっぷりと水を入れてもう一度、実演してみせた。


「スライムはね、力がほとんどないとても弱い魔物だけど、代わりにこちらの攻撃もほとんど効かないの。だから過去の冒険者達が色んな方法を試してみたんだけど、その中には水を高速で振動させる魔術をスライムにかけるという方法があったの。そうすると、体の大半が水分でできているスライムはなぜか消えてしまうということがわかったわ。だから、今では振動魔法がスライム退治の定石とされているの」


 レイシーがするりと水面を撫でるように滑らすと、先程よりも水は激しく振動し、あっさりと消えてしまう。


「これって、つまりスライムの中にある水の温度を振動により極限まで高めて蒸発させているのよね。火炎魔法を使うという方法もあるけど、その場にない火を生み出すよりも、ある水を揺らす方が魔術的に効率がいいのよ」

「スライム側からしたらたまったもんじゃないなあ……」


 アレンの言う通りであるが、魔物との戦いは、人の発展の歴史にもつながる。人と魔物は切っても切れない関係ともいえる。


「魔道コンロみたいな仕組みの魔道具を作って湯を作ってもいいと思ったけど、それだと眠る前に水を入れて、火を沸かして、とちょっと手間でしょ? 室内で燃え移る可能性も考えたら場所も限られてくるし。でも、これなら水を入れて、魔石を投げ入れるだけだから手軽かなって」


 うちは器の数が少なくて作るところからになってしまったけどね、とココナッツの実と中身を見つめて、レイシーは照れたように笑っていた。

 説明されればなるほど頷くことばかりだが、こんなこと、ダナには絶対に思いつかない。

 ダナは静かに息を吐き出し、自分と同じような顔をしているアレンとそっと視線を合わせた。ほっぺにそばかすを散らした少年は、呆れたような、驚いたような顔をして苦笑している。

 多分、彼もダナと同じような気持ちなのだろう。


 ――自分達は一生レイシーのようにはなれないし、こんなことは思いつきもしない。


 ダナはずっとレイシーのことを勘違いしていた。彼女は努力の人でもあったが、魔法使いとしての恐ろしいほどの才に満ち溢れた少女なのだと思っていた。けれども本質は違う。レイシーは間違いなく天才だが、それは決して魔術に対してのみではなく、彼女の側面の一つにすぎない。


 きっかけさえあれば、レイシーは多くの知識を組み合わせ、新しいものを生み出すことができる。一つひとつの知識はなんてこともないものばかりでも、自身の中にあるたくさんの知識を本のように抜き出して組み合わせることが、誰よりも上手いのだ。


 旅をした経験、魔術に打ち込み、多くの書を読んだ経験が、レイシーを形作っている。そして、これからレイシーは多くの人々とか関わっていくことになるだろう。経験すればするほど、彼女の知識は深くなり、幅広く変化していく。そのことを、きっと本人は知らずにとっくに一歩も、二歩も踏み出している。


 これから先、レイシーはどう変わっていくのだろう。


 ダナはただ、レイシーの変化を近くで見届けることができないことを悔やんだ。細っこくて、いつもおどおどしていて、けれども優しかった少女の姿を思い出して、ぐっと胸が熱くなった。ココナッツの殻ごと抱えてたっぷりとしたお湯を見つめ、どれくらいが丁度いい温度かとアレンと話し合うレイシーを見て、ダナはごまかすように指の先で目頭をついと拭った。


「……ねえ! 私もちょっと失礼してもいい? うん、もうちょっと、あったかい方がいいんじゃない?」

「でもダナ、人の温度と、同じくらいの方がいいんじゃないかしら。それにあんまり熱いとやけどしちゃうわ」

「俺もこれくらいがいいと思う」


 みんなでお湯に手を入れて、きゃっきゃと笑った。ぱたぱたと、ティーも畑の中で体中をどろんこにして遊んでいた。



 ***



(あああ、もう本当に自分が嫌……)


 自信満々に演説をかまして、時間が経つとそんな自分を思い出して死にたくなる。

 レイシーは数刻前の自身の言動を一言一句頭の中で映し出して考えて、口元を両手で覆いながらきゅっと瞳をつむり、耳の後ろを真っ赤にしていた。


(なんで私はあんなに偉そうなことを……!)


 そのときは、とにかく作りたい、伝えたいと必死だった。アレンは昼過ぎには帰ってしまったし、明日はダナもプリューム村を旅立つ。二日目の夜、ダナとレイシーはセドリックの店に寄って舌鼓を打った。やっぱり顔は無愛想なのに愛想のいい人で、とろとろのオムライスは絶品だった。


 屋敷に帰って寝間着に着替えたとき、レイシーは思わず、まじまじとダナと自分の姿を見比べてしまった。二人ともウエストに切り替えがなく、楽な形のワンピースだったが、似た服を着ている分、互いの差がよくわかる。


 だいたいダナの胸元あたり目を向けて、レイシーはそっと視線をそらした。


「レイシー、どうしたの?」

「いや、なんでも……」


 人間、得手不得手というものがあるのだから、とこれ以上は蓋を開けることはやめておいたわけだが、着替える必要のないティーは最近はお気に入りのナイトキャップをかぶってキュイキュイ寝床の準備をしている。もちろん、レイシー作だ。最近気づいたことなのだけれど、針仕事は案外好きかもしれない。好きが増えるのは嬉しいことだ。


 ティーはおやすやキュイッ! とでも言いたげにお気に入りの毛布の中に素早く滑り込み、数分後にはンキュンキュ聞こえる寝息を耳にしながら、レイシーとダナは、どきどきと床に置かれたココナッツの殻から立つ湯気を見下ろした。


 通常のココナッツよりも楕円の形をしているから、丁度いいことに支えがなく床に置いても転がることなく、どっしりとしている。水は入れて、湯を沸かした。アレンがいる前で素足を見せることはためらわれたので、ダナも、レイシーも今が初めての“足湯”だ。


 二人で一つのベッドに並んで座って、ダナの足の指先がちょん、と触れて、静かに水面を揺らした。ごくんとツバを飲み込み、今度は思い切ってたぷんっと沈み込むように両足を入れる。レイシーもそれに続いた。「ふあ……」 ダナが呟いたのか、それとも勝手にレイシーの口から漏れてしまったのかわからない。ほかほかとした感覚が、足の先からじんわりと体中に広がっていく。いつまでも浸かっていたい気分だ。ぶるっと震えて、しっかりと気持ちの良さを味わった。


 そのままうっとりしてしまいそうになったけれど、レイシーはダナよりも先に足を引き抜き、用意しておいたタオルで水滴を拭った。それから慌てて台所に行って、温めた湯を入れたコップを二つ持ってくる。


「ダナ、どうぞ」


 本当はミルクにしたかったけれど、歯磨きはしてしまった後だ。あら、とダナは瞳を瞬かせて、両手でコップを受け取る。少しずつ、少しずつ流し込んで、「ふわあ」と温かい息をほんのり吐き出す。レイシーもダナも、二人で同じ顔をして、とろりととろけてしまいそうにベッドの中に潜り込んだ。屋敷には部屋がたくさんあるけれど、今いる部屋はレイシーが普段使っている自室だ。『最後の日なんだから、どうせなら一緒に寝ましょうよ』というダナの言葉にレイシーは、困りながらも頷いて、枕を二つ準備していた。


「こうして二人で並んでいると、レイシーや、みんなで旅をしていたときを思い出すわね」

「うん……」

「懐かしいわ。ねぇ、私が医療院で働いているということは伝えたけれど、レイシーはどうだったの? 何でも屋を開いたことは知ってるわ。でも、それ以外のことは知らない。もっと教えてほしい」


 そう言われても、何を伝えればいいのかわからない。嫌なわけじゃ、もちろんない。けれど、どこまで伝えればいいのかわからない。レイシーのことをたくさん話したって、興味なんかないと思われたらどうしよう、と不安になる。


「ねえ教えて、レイシー」


 でも、とろりと溢れるようなダナの声を聞いていると、少しずつ、勝手に言葉が漏れていく。


「……婚約を、していて。それで、貴族と結婚して、魔術を捨ててしまおうと思って」

「レイシーが!? 魔術を!?」

「うん。でも、浮気をされていることに気がついて、婚約を解消したの。ウェインも手伝ってくれた」

「ウェインって、本当にいつもレイシーのそばをうろちょろしているのね」

「それから、魔王を退治した願いを使って、国との契約も破棄して、アステールの名をもらった」

「そうだったの……。大変だったわね」

「すごく、体が軽くなって」

「うん」

「でも、やっぱり怖くて、たまらなくって」

「そうね」

「嬉しくもあって」


 つらつらと、枕を並べて天井を見上げながら語った。見えもしないはずなのに、まるで一面の星空の中にいるみたいで、ベッドの上が原っぱのようにふわふわしている。


 ダナは、レイシーのどんな言葉にも頷いて、大げさに見えるくらいに驚いてくれた。こんなにたくさんのことを彼女に語ったのは旅をしている間でもなくて、初めてのことだった。いつの間にか、言えないはずだった言葉まで、つるりとレイシーの喉の奥からこぼれおちた。


「私、ダナが来てくれて、嬉しかった」

「私もよ。いつでも遊びに来てとあなたからの手紙に書いてあったのを見て、とってもとっても嬉しかった」


 相手の都合を勝手に考えて、下手に距離を測ってしまうのは、大人の悪いクセなのかしらね、と呟くような言葉を聞いて、大人というものは大変なのだな、とレイシーは考える。相手との距離だなんて考えることができるほど、レイシーは器用でもなんでもない。でもレイシーだって、あと二年と少しで成人するのだから、今度は不安になってくる。


 なのに聞こえるダナの声はとっても明るくて、優しくて、きらきらしていた。


「レイシー、あなたは、誰にもできないことができるのね。羨ましいわ。これからも、あなたが作るものを見てみたい」


 レイシーにできることは、誰にだってできることだ。そう思うのに、ダナの言葉が嬉しくて、温かく胸の底に沈んでいく。ゆるゆると、ベッドの上で二人して寝息を立てた。どこから眠ってしまったかなんてわからないくらい、とっぷりと沈み込んだ。夢だって見ないくらいに。



 目が覚めると、窓の外から小鳥の鳴き声が聞こえていた。日差しを体いっぱいに浴びて、レイシーはベッドの上で伸びをする。その隣は空っぽだった。びっくりして部屋の中を見回すと、すでに起床していたらしいダナがスリッパをはいてベッドから下りてレイシーに背を向けていた。手のひらを開いて、閉じてを繰り返して振り返ったダナの顔は驚きに満ち溢れていた。


「ねえ、すっごく体がすっきりしてるの……! こんなの、久しぶりよ……!」


 その言葉を聞いて、レイシーはほっと胸をなでおろした。「でもね」とダナは続ける。


「こんなにすっきりしたのは、足湯のおかげであることは間違いないけれど、きっと、あなたとたくさん話ができたということもあるんだと思うの」


 告げられた言葉に、困惑した。どう応えよう、と視線を右に、左に泳がせてしまったとき、飛び込むように抱きつかれて、ひえっと声を上げて目を白黒させてしまう。


「どうか、これからも友達でいてね。ありがとう」

「あ、う……」


どうしたらいいのかなんてわからなかった。でも、とレイシーは、そっとダナの背に手を伸ばした。「うん……!」 ぎゅうっと抱きしめ合った体は柔らかくて、いい匂いがして、なんだか少しどきどきしてしまった。



 ***



 体中がすっきりしていると言っても、まだまだ一時しのぎだ。レイシーはダナにたっぷりと薬草を渡して、使いすぎないようにと念を押した。薬草に頼ってばかりでは結局体に負担をかけてしまうからだ。


 荷造りを終えたダナは、顔を隠すためとやっぱり大きな麦わら帽子をかぶって、村に下りた。見送りのためである。


「……ねえ、ダナ、やっぱりもらいすぎじゃない?」

「あなたが私に任せると言ったんでしょ? 私はケチだけど、必要なものまで使わないのは嫌いだわ。それに、巡り巡って私のためになるものだから気にしないで」


 ダナの言葉に、レイシーは困って眉毛を八の字にしてしまう。もちろん、今回の依頼料のことだ。


 朝ごはんを食べつつ、彼女達二人は静かなバトルを繰り広げた。いったいいくらになるのか、とダナがレイシーに尋ねたところ、魔石は形が悪くてどう使おうかと困っていたくらいだし、ココナッツは勝手に庭に生えていたものだから、別にタダでもいいくらいだと思いつつ、ブルックスからはお金をもらってしまった手前さすがにそれは不平等だ。だから困ったレイシーは、あくまでも魔石の必要経費のみを伝えたところ、ダナの怒りが炸裂した。


 もらうべき賃金をもらわないのは美徳とは言わない、という説教から、これが自身が考える賃金だと思うと言うレイシーの意見とぶつかり合って、最終的に依頼者のダナが価値を決めるという結論に至った。再会したばかりの彼女達ならできもしなかったであろう言い合いだから、二人の距離が近づいた証拠でもある。


 そして決まった価値としては、金貨三枚。

 レイシーからしてみれば、目が飛び出るほどに多い。それならば、とダナはプラスして、いくつか保冷温バッグをもらえないかと言うので、もちろん頷き、荷物に詰めることができるだけ渡した。


「これ、私の好きに使わせてもらうわね。それも含めての代金ということで」

「……もちろん、いいけど?」


 むふりと笑うダナの目的は謎である。


「それにしても、この保冷温バッグって不思議ね。どんな素材なのかしら」

「フィラフトの木の皮を使っているの。たくさん譲ってもらったから」

「あら、それってこの辺りを管理するフィラフト公の、ということ?」

「そうかもしれないわね。プリューム村付近でしか見当たらない品種みたいだから」


 フィラフト公とはレイシーにも覚えがある名である。立派な髭がつややかな男性だったと記憶している。

 荷物を抱えて、レイシーとダナはぽくぽくと村の出口まで進んでいく。


「昨日、あんなにすっきり眠ることができたのは本当に久しぶりだったわ」

「それならよかった。でも、無理はしないでね」

「うん。わかってる。あとね、不思議と足もすごくつるつるなの。これってもしかしてココナッツの殻を使ったからじゃない?」

「たしかにそうかも。石鹸やオイルをココナッツで作ってみるのもいいのかしら……」

「できたら教えてね」

「もちろん」

「…………」

「…………」


 進めば進むほどに、少しずつ会話も少なくなっていく。見送りについてきてくれているティーも、気を使っているのかレイシーに抱きかかえられたまま、つんとクチバシを閉じて静かにしている。


「あの、レイシー……」


 固められた土の道を歩き、ダナは覚悟を決めたというように顔を上げて、ぴたりと立ち止まった。


「私、あなたにずっとお礼を言おうと思っていて。知ったのは旅を終えて街に戻ってからだったの。タイミングを逃してしまったということもあるし、きっとあなたは黙ってしたかったことだろうにどうしたらって」

「……ダナ?」


 ずっと考えていたことなのだろう。怒涛のようにやってきた口をくるくる回しながらのダナの言葉に、レイシーは困惑した。幾度も瞬いて、眉間の皺が深くなる。(お礼? 私が、黙ってしたこと……?) 何のことなのか、さっぱり見当がつかない。


「あの、その!」


 肩に力を入れて、ダナは鞄の紐を強く握った。あと少しというところだ。「れ、レイシー姉ちゃーん! ダナ様ー!」 おおい、とこちらに向かってくる声が聞こえる。


 息を切らして駆けつけたアレンが二人の前で膝に手を置き、いくらか呼吸が落ち着いけたところで、「はー」と長い息をついた。それからダナの大荷物を確認して、じろりと二人を睨む。いや、口元を尖らせて不本意そうな顔をしている。


「屋敷に行ってみたら、誰もいないもんだからさ……やっぱりじゃないか。見送りくらいさせてよ!」


 そうレイシーに叫んだ後で、度はダナを見て、「いやその、させてください!」と慌てて口調を変えている。ダナは豆鉄砲をくらったみたいな顔をした。それから笑った。


「俺、おかしなこと言いましたか!」

「言ってないわ。ありがとう、嬉しかっただけよ」

「それならよかったけど。……セドリック! おっせえよー!」


 さらにアレンは振り返って、てこてこと走っているのか、それとも歩いているのかわからないスピードでこちらに向かうエプロン姿のコックに叫ぶ。「アレン君、じじいをこき使うのはやめてくれ」と距離があるものだから小さな声が返ってくる。じじいじゃないだろ、せめておじさん程度だろ、と二人は言い争っている様子だ。


「なんでセドリックさんも……?」

「えっ、見送りは大勢の方がいいかと思って! だめでした?」


 アレンは当たり前のことだと言いたげな表情だ。「そういうわけじゃないけど、その」 ダナが言いたいことはわかる。確かに、セドリックの店にダナとレイシーの二人で夕食を訪れたが、たったの二日だ。それなのにわざわざ呼びつけるだなんて迷惑なんじゃないだろうか、と不安に思ってしまうのだろう。


 ダナとレイシーは顔を見合わせた。

 そして、えっちらおっちらとやってきたセドリックは細長い体をすっくとさせて、「村の外から来る新しい人が僕の料理をうまいと言って食べてくれる。それはとても嬉しいことだったよ。また来てくれ」と無愛想な顔つきなのに愛想のいい言葉で、ダナに握手を求めている。相変わらず表情と言葉が一致しない人である。


 ダナは困惑しつつも、「そ、そうですか。ありがとうございます。こちらも素敵な食事でした」と握手を握り返す。


 そうこうしている間に、なんだなんだと村人達が仕事に行く途中に立ち止まったり、家の中から顔を覗かせたり、わいわいがやがやと集まって来て、互いに話し合っている。


 ありゃあ誰だ、見ない顔だな。レイシーさんの知り合いみたいよ、そうか外からの客人か、いいや帰るとこだってよ――。


(えっと、えっと、その)


 どうしよう、とレイシーは困って、顔を右に左にと向けた。村の人達をレイシーは全員知っているわけではないが、彼らからすると別だ。プリューム村の住人達は、レイシーのことを全員が知っている。でも、ダナのことは知らない。大きな麦わら帽子で顔を隠している彼女が、光の聖女だとは気づいてもいないだろう。


 なのに、村人達は一様にダナに声をかけた。また来いよ、だとか。行ってらっしゃい、だとか。気をつけてね、だとか。

 最初こそは驚いた。けれど気がついた。これがプリューム村の流儀なのだ。


 レイシーが初めプリューム村に来たときは、こっそりと、それこそ身を隠すようにやって来た。ウェインも隠蔽魔法をかけているし、ブルックスは嵐のようにやってきて、帰るときもそうだから気づかなかったけれど、狐のような商人がやってくるときは、誰もがおかえりと声をかけて、行ってらっしゃいと見送っている。あまり村に下りることのないレイシーでもその姿を知っているくらいだ。


 見送りは大勢の方がいいと思って、というアレンの言葉はその通りで、見送りはプリューム村の全員で行うもので、出迎えるときも手放しで迎え入れる。レイシーという新たに来た奇妙な住人を、初めこそは奇異な目で見られることはあったが、いつの間にか受け入れてくれている村の姿がそこにあった。


 とにかくレイシーは嬉しかった。何が彼女の体に染み込んで、温かくして、堪えようのない気持ちにしているのかなんてわからない。でも、そう思うのはレイシーだからで、ダナがどう思っているのかはわからない。不安に顔を上げてダナを見た。すると、麦わらに隠されてはいたが、間違いなくダナは楽しそうに笑っていて、村の全てを理解していた。そのことが、もっともっと嬉しかった。


 口元をちょっと笑わせていただけなのに、段々と耐えきれなくなって、ダナは大声で笑った。


「いやだ、もう、すごいのねこの村。とっても素敵」


 指先で目尻の笑い涙を拭って、ふう、と静かに息をする。


「あのねレイシー、私、あなたにお礼を言おうと思っていたって言ったでしょ。寄付のことよ。孤児院に、とてもたくさんの寄付をしたでしょう」


 何のお金を、と言わないのは周囲の目を気にしてのことだ。けれども寄付と言われれば覚えがある。魔王を倒した報奨金のほとんどを、レイシーは各地の孤児院に寄付をした。――ダナと、同じように。


 魔王を倒したらどうするのか。焚き火を囲みながら互いに話し合っていたとき、ダナは聖女の力を、きちんと対価を得て使用したい、と言っていた。そしてたくさんお金を儲けて、故郷や、国中の子供達をもっと豊かにしたいのだと。彼女が王に願ったことは、さらなる金貨の割増だったと聞く。けれどもそれは自分に使われるものではない。


「ええ、したわ。ダナの夢が、私はとても素敵だと思ったから」


 レイシーも、もとは孤児だ。けれども魔力の適正が誰よりもあったから、魔法使いとして国に繋がれることになった。幼い頃のレイシーにダナのような人がいたらどうだったのだろう、とときおり想像することはあるが、結局よくわからない。歩いてきた人生は、誰にも変えられないのだから。


「ありがとうって、言いたかったのに、お礼を言うのは何か違うような気がして。でも、改めて言うわ。レイシー、『ありがとう』」

「私も、ダナにお礼を言われたくてしたことではないの。でも、あなたがそう言うのなら、私もこう返答するわね。『どういたしまして』」


 握手をして、笑った。それから、「私、お金にならないことはしない主義なの」とレイシーの耳元に、ひっそりと呟く。


「でもね、今はとっても気分がいいわ。この村のことも、あなたのことも大好きよ。それにあなたからたくさんの前払いをもらってしまったもの。何か返さなくちゃフェアじゃないわ。大切な仲間をお願いしますの挨拶もしなきゃいけないしね……みなさん、はじめまして!」


 ダナは勢いよく帽子を空に向かって投げ捨てた。ダナの淡い金髪が太陽の中に照らされたとき、初めはぽかんと口を開けていた村人のうちの何人かも、あっと声を上げた。光の聖女、と誰か一人が呟いて、それがさざなみのように広がっていく。


「光の聖女、ダナと申します! せっかくですので、お見知りおきを、そしてあなた方にこれから先、たくさんの祝福を!」


 わっ! と村人達が驚きの声を上げる。ダナの手のひらから、光があふれた。それは誰しもを包み込む優しい光だ。レイシーからすると覚えのある感覚だが、村人達は驚いて目を丸くしている。最近は腰が痛いと嘆いていたらしいトリシャの姿もそこにある。レインを抱えつつ、しゃんとする自分の腰に声も出せないくらいにびっくりして、自分の背中を見ようとくるくるしている。


 ――これほどの回復の奇跡を使用できる人間を、レイシーはダナ以外には知らない。だからこそ、彼女は勇者パーティーに選ばれたのだ。


「だ、ダナ、あなた……」

「あなたへのお礼への一部よ。それに旅の間に使っていない神聖力が溜まっていたから。ちょっとは吐き出しておかなきゃやってきたお貴族様を調子に乗らせるだけよ。私、適度にしか回復できない設定なの」


 はあ、となんとも言うことができず頷く。にっこりと微笑んだダナは、たっぷりの金髪を風の中に遊ばせて、大きく手のひらを振った。さようなら、のはずなのに、まるでいってくるねと言っているような姿だった。




 ***



「……というのが二週間ほど前のことなんだけど」

「ダナは意外なことに派手好きだからな。ブルックスは無意識だが、ダナはわかってそうしているとこがなんというか。今は医療院をしているなら、旅を終えた後のことを考えて宣伝のためにわざと目立つようにしてたんだろうな」


 パーティーのリーダーとして頭を悩ませた経験を思い出しているのだろう。久しぶりにプリューム村にやってきたウェインが唸りながらも椅子に座って紅茶のカップを傾けている。


「あの後、なんで光の聖女と知り合いなのか、と村の人達に質問攻めにあっちゃった。アレンに言ったときと同じように、王都でのちょっとした知り合いと言ったら納得してくれたけど」

「……暁の魔女と光の聖女がちょっとした知り合いか」

「嘘じゃないもの。それに暁の魔女は赤髪の大人の女性だから、私は名前が同じだけのちんちくりんよ」

「何言ってんだ?」


 別に、レイシーが思う大人の姿を思い描いて、自分との齟齬に悲しくなってしまっただけだ。成人まで二年と少し。それだけあれば、レイシーだってちょっとは成長するだろうか。


「さようなら。いってきます。違う言葉なのに、なんだか似ているのね。それなら、そのとき優しい気持ちになれる方を選んだらいいかもね」

「ん?」


 ダナを見送ったときのことを考えてみた。なぜだかあのとき、別れなのだとは思わなかった。でもやっぱり、今はちょっとは寂しい、とレイシーがしんみりとしていると、ウェインはぽりぽりと肩をかいて、「それなら」と呟いている。


「今度俺が出ていくとき、行ってきますでも問題ないかな」

「え? いいわよ。だってちゃんとウェインが使う部屋もあるもの。このお屋敷、素敵だけどちょっと広すぎるもんね」

「うん……」


 あっさりと返ってきたことに釈然としない様子にも見える。レイシーとしてみれば、自分の休みの全てをプリューム村にやって来ることに費やしている彼である。第二の実家だと思って、もっとのびのびしてほしい。


「それはいいけど、結局、ダナはなんで保冷温バッグを大量に持って帰ったんだ? 自分のためにもなる、と言っていたんだろ」

「ああ、それね……」


 一応、彼女から事後報告は届いている。あなたの名前を勝手に使わせてもらったわけだし、とのことだ。レイシーはなんともいえない顔でダナから届いた手紙の内容をウェインに伝えた。するとウェインはせっかくの端正な顔なのに、口の端をひくつかせた。


「本当に、あいつはたくましいな。一つのことで二つも三つも利益を作るというか」

「まあ、うん。そう。いつも来る行商の人に一応伝えておいたら、アステール印、なんて名前がついて知名度が上がりますねって喜んでたけど」

「そっちもそっちだな」


 つまりダナは、貴族達にレイシーの存在を匂わせた。自分は、噂の星<アステール>と懇意なのだと。

 新製品をいち早く提供してもらう立場にあると言外に伝え、やってくる貴族達に遠回しに自慢をした。ダナのことだ。嫌味にならぬよう考慮しつつ、密かな重圧をかけるのはお手の物だっただろう。高笑いする姿が目に浮かぶ。


 流行を先導する存在であることを貴族達に印象づけ、自身と貴族の優位性を逆転させてしまったのだ。なんていったって、情報を素早く集めることができることにも貴族の家の格が問われるため、貴族は流行に目がないのだ。


 こうしてダナは報酬を受け取りつつも聖女としての立場を保った。とりあえずは貴族達からの無茶な要求は鳴りを潜めたのだと言う。


 レイシーの部屋にある机の引き出しの中には、届いたばかりのダナからの手紙が眠っている。流麗な文字で、貴族達をやりこめてやったと楽しげに書かれた便箋を、レイシーは何度だって見返した。



 何でも屋、『星さがし』が噂のアステール印の魔道具を作っているのだと知る人間は少ない。けれどもダナはこれから適切な情報の提供を行い、アステールの魔道具を広める宣伝塔になってくれるだろう。


 便箋の最後には、またねと言葉が刻まれていた。同じく、レイシーも言葉を返した。彼女達の会話は可愛らしい竜の背中に乗って、竜のポスト屋が運んでくれることだろう。

 これからも、何度だって。

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