第31話

「貴族のクソ親父どもの対応にドがつくほどのストレスにこっちの体は限界なのよォオオオオ!!!!!」



 はあはあとダナは肩で息を繰り返し、握りしめた拳は震えている。多分、この光景はよく見た。いくら言っても怪我をしてボロボロで帰ってくるブルックスに、『毎回毎回ふざけんじゃないわよ、聖女の奇跡だって私の体力と引き換えなんだから、いい加減あんただけ別料金もらうわよ!!!?』とダナはよくブルックスの尻に向かって力強く正拳を叩き込んで吠えていた光景と全く同じである。彼女は肉体系聖女だった。


「あらやだ私ったら。ごめんなさい、さっきのはあなたに向かって言ったわけじゃもちろんないからね、勘違いしないでね!?」

「も、もちろんわかってる、大丈夫……」


 実はちょっと一瞬だけ意識が遠くなりかけてはいたが、レイシーはふるふると頭を振った後にきゅっと口元を引き締め、しっかりとダナに向かった。今レイシーがすべきことは一つ。ダナからの依頼をはっきりと把握することだ。


(依頼、と言うからには、下を向いてるばかりじゃだめ。ちゃんとしなくちゃ)


 ダナはレイシーが『星さがし』だからこそ伝えようと思った、と言ってくれた。それなら自分だって、何でも屋の星さがしとしてきちんと受け止めなければいけない。


「ダナ。それでストレスが溜まっている、というのはどういうことなの……?」


 願いを叶えるには、まずは依頼の理解が不可欠だ。レイシーは先程までと打って変わってテーブルの上に手のひらを載せながらピンと背筋を伸ばして問いかけた。その姿を見て、ダナは少しだけ意外そうに瞳を瞬かせたが、すぐにレイシーの意を汲んでくれたようで、より正確に、彼女は自身の状況を語った。


「知ってのとおり、私はただのよ。あなたのように魔法使いではないから、魔術を使うことはできない。ただの神の意向を伝える手段として選ばれた存在であり、奇跡と呼ばれる回復の力を使うことができるわ」


 レイシーは頷く。ダナの奇跡は、レイシーの魔術とも、ブルックスの体の内側にある魂の力を変換させる技とも異なる。ただ、本当に奇跡、としかいいようがない。

 神に選ばれた限られたもののみが使用できる御業であり、怪我、病に関係なく人々を癒やす力だ。

 ダナは勇者パーティーの中で欠かすことのできない存在だった。彼女がいなければ、誰もが欠けることなく旅を終えることは不可能だっただろう。


 奇跡の御業とは、人に施す善の精神をもとにしている。呪いと呼ばれる精神の汚染すらもものともしないダナの力だが、回復の力を持つものは同じ聖女や聖職者からの力を受け付けない。つまり、自分自身にも使うことはできないため、ダナは日々筋トレを欠かさず、魔物からの呪いは、いつも気合で粉砕していた。『フンッ!』と叫びながら両足でしっかりと地面を踏みしめ拳を握っているダナの姿は、今もレイシーの脳裏にしっかりと刻み込まれている。


 それから、と思い出す。

 魔王を倒して、旅が終えたらどうするのか。焚き火の弾ける炎を見ながら仲間達が話していたことだ。レイシーは彼らのように楽しげに談笑することなんて到底できなかったけれど、小さくうずくまりながら、それでも耳だけはそっと彼らの会話に傾けていた。

 その中でダナが言っていたことは、聖女の力を、きちんと対価を得て使用したいということ。


「……旅を終えた後に孤児院に併設して医療院を作ったの。びっくりするほど忙しい日々だったわ。貴族も平民も関係なく、と言いたいところだけど、やっぱりお客様商売ですもの。気位が高い貴族達の相手は特に面倒なのよ。やれ自分を優先しろだの、やれ専属になって、自分だけに奇跡を分け与えろだの。毎日ストレスしかないわ」


 ダナは重たいため息をついた。「けれども!」と声を荒らげ主張する。「お金のためですもの! 貴族は金払いのいい上客だし、逃がすわけにはいかないわ! 笑顔なんて顔に貼り付ければいいだけだし、私のトークでいくらでもころころと転がすことができるもの!」 とてもぶれない。金のためならプライドを捨てる系の聖女である。


 けれどいくら割り切ったところで、消耗してくるものはあるに違いない。旅を終え医療院を開き、わがまま貴族達を相手にする毎日をレイシーは想像した。なるほど、ストレスが溜まるわけだ。


「……なんというか、とても大変そうね」

「そうね! わかった上のことではあるんだけど! ……自分ではやりがいがあって元気なつもりだったんだけれど、ある朝起きたらとにかく体が重たくなって動かなくなっていて。自分で奇跡の力を使えたらいいんだけど、使うことはできないし」

「……つまり?」

「肩が凝って腰が痛くて頭もがんがんする! 助けてレイシー!」


 なるほど。レイシーははっきりと理解した。つまりダナの依頼とは、ストレスからくる体の不調の改善ということである。


「……うん、わかった。がんばる」

「引き受けてくれるの!?」


 もちろん、とレイシーが頷くと、ぱあっと花が咲いたようにダナは顔をほころばせた。そして椅子から立ち上がり、勢いよくレイシーに飛びつこうとして、「あふい、いったあ! よ、腰痛が……!!」 腰を押さえて床に崩れ落ちた。とりあえず、不安になる光景だった。



 ***



 ダナがプリューム村に滞在できる期間は今日を含めて二日だった。その後はぎっしりと予定が詰まっているから、三日目の朝には旅立たなければならない。

 レイシーは顎に手を当てつつ、ぶつぶつと呟いている。腰痛、頭痛、体の凝り……。これを一挙に治すもの。腰の痛みになら薬草は効くだろうが、それ以外には無理だろうし、何かピンとこない、といったような内容だ。


「うーん……」

「レイシー? レイシー? あら全然聞いてない」


 腰へのダメージを懸念してダナはへっぴり腰のままにレイシーに問いかけた。けれども聞こえてくるのはぶつぶつとした呟きだけである。

 このレイシーの姿を、ダナは知っている。旅をしている間、何度も見た姿だ。少しでも魔術に違和感があるとなると、寝る間も惜しんで術式の効率化を図っていた。魔術とともに生きていた彼女は、まるで自身すらも完成された一つの魔術のようだった。

 レイシーは心強い仲間ではあったが、どこか踏み込むことができない雰囲気があった。


 彼女よりも大人だから空気を読んだ、と言えば聞こえがいいが、実際ダナができたことと言えば、少しの不安や、心配のような気持ちでレイシーを見守ることぐらいで、ダナが乗り越えることのできない何かを気にせずざくざくと進んでいくウェインは少しばかり羨ましくもあった。


「……ねえ、こんないきなりのお願いだし、無理なら無理で仕方ないことだからね。無茶なんてしないで……うん。やっぱり聞いてないわ」


 依頼というからには報酬が必要だ。けれど、『今はまだいいわ。何を作るかどうかもわからないもの。どんなものかわからないのに、もらえない』とレイシーは首を振った。


 どうしたものか、とダナは屋敷の中でくるくると歩き回りながら考えるレイシーを椅子の上に座りつつ目で追った。ダナの足元ではティーが両の羽を広げて右に、左にと振り子のように踊っている。ダナはくすりと笑った。


「あなたのご主人さま、とっても一生懸命みたい」

「んきゅい」

「それがレイシーのいいところよね」


 一年もの間、一緒に旅をした。決して乗り越えることのできない複雑な距離があったのだとしても、ずっとダナはレイシーを見ていた。覚えている姿よりも背が伸びて、どこか雰囲気も変わった。以前よりも、素敵になったと思う。でもやっぱり変わらないところもある。


「来てよかった。こんな言い方だけど、気分転換になったらいいなって思って、無理に休みをとったの。だって、ずっと休みもなしで、もうくたくただったのよ。やっぱり限界だったのね、体が悲鳴を上げるくらいに」


 変わったけれども、変わらないレイシーを見ていると、少しだけ元気が出てくる。聞いているのか聞いていないのかわからないが、ティーはくるくるとした瞳をダナに見上げたまま、キュイキュイとお尻を振ってダンス中だ。あなたも素敵よ、とダナが優しく告げると満足げにクチバシも一緒に揺らしている。


「さすがに無茶なことを言っちゃったから、期待する結果はでないと思うけど、レイシーに会えただけでもよかった。これでまた頑張れるわ。あとは、そうね、私、レイシーにお礼を言わなければいけないことがあるの」


 言わなければいけない、と言っているのに、聞こえてないわよね、と不安そうな瞳でダナはちらりとレイシーを見た。もちろんレイシーからは見えていないし、相変わらず部屋の中をぐるぐると歩き回っている。「あっ」 全く前を向いていない。あぶない、とダナが声を上げようとしたときだ。ごいん、と重たい音とともに、レイシーは壁に激突した。


 そのときだ。レイシーの鞄につけたベルが、ちりりん、と可愛らしく音を鳴らした。来客である。



 ***



「……光の聖女、ダナ?」


 レイシーに屋敷の中に案内されたアレンは、ぽかんと大口を開けていた。腕の中にはいつもの野菜がたっぷり入った木箱を持っていた。ダナはアレンの様子を見て、うっかり帽子を脱いだままであったことに気がついた。


「やっぱりダナ!? いや違う、ダナ様ですか!?」

「あらやだ。昼間に行った食事処じゃ何の反応もなかったんだけど、ここでも私達の顔って知られているの?」

「食事処? ああ、あいつはちょっと変わってるから……というか、サザンカ亭ならさっき行ったばかりなのに! セドリックのやつ、言ってくれよお!」


 じたばたとアレンは地団駄を踏んでいる。自分のことを知っているということは、つまりアレンはレイシーのことも? とダナは首を傾げつつ視線を向けると、アレンはレイシーに「なんで!? なんでレイシー姉ちゃんがダナ様と!? ねえなんで!?」と、食ってかかっていた。レイシーはされるがままにガクガクと揺さぶられている。


 下手なことは言わないようにしよう、とダナは静かに口を閉じた。


(……レイシーは私と違って、年齢も、顔や特徴も、全く違った姿絵が出回っているものね。本当は綺麗な黒髪なのに、“暁の魔女”だからって赤髪だし)


 可愛らしい顔をしているのだから、もっと表に出たらよかったのに、とダナは考える。旅をしている間のレイシーは大きな杖を抱きしめて、黒いフードをずっと目深にかぶっていた。名前が同じというだけではさすがに気づかないだろう。


 考えている間に、レイシーはしどろもどろに、王都にいたことがあるから、というようにアレンに説明を終えたらしく、アレンは「野菜! たしかにここに置いといたから! でもダナ様がいらっしゃるってんなら、また明日も来るからな!」と宣言しながら去っていく。と、みせかけて戻ってきて、ダナに勢いよく頭を下げ、それから逃げる。


 すっかり静かになった屋敷の中で、レイシーは説明した。


「あの子、アレンって言って、よく野菜を届けてくれる子なんだけど、ダナのファンなの」

「あらま」

「どれくらいファンかというと、妹さんにダナの名前をつけようかと思ってたくらい」


 ちょっとコメントがし辛いが、好いてくれているということだろう、とダナはすぐに前向きに捉えた。ダナ達を英雄のように扱う少年や、少女達はとても多い。


「思ってたってことは、違う名前になったのね。その名前の候補には、レイシーという名はなかったの?」

「それも考えていたみたいね」

「じゃああの子、レイシーが“暁の魔女”と知ったら、やっぱりびっくりするでしょうね」

「どうかな」

「すると思うわ」


 見てみたいわ、とダナはくすりと笑った。





 それから日が落ちて、レイシー達は村に下りることにした。なにしろ食事が必要だった。レイシー一人ならばなんとでもなるが、ダナの口に合うものとなると難しい。アレンがたくさん持ってきてくれた木箱の中にきゅうりが敷き詰められていたから、「今日の夕食はこれなんてどうかしら」と塩と一緒にダナに差し出すと「却下」と親指を下にクイッとされた。


 紅茶を淹れる腕はめきめきと成長したレイシーだが、食事となるととにかく相性が悪い。ウェインからの指導により諦めているが、本来ならニンジンを生でかじるだけでも満足してしまうレイシーである。一般的にもまるかじりでも問題ないと判断してきゅうりを提案してみたのだが、そんなことはなかったのね、とレイシーは悲しくダナの背についた。


「自分で作ることができればいいだけど、食材を無駄にしてしまうもの。もったいないことは嫌いだわ」

「私はなんでもおいしいと言うと思うわ」

「レイシーは黙ってて」


 何でもできるように見るダナだが、唯一食事だけはまともに作れなかった。旅の間に、ウェインの料理の腕がめきめきと上がってしまった原因の一人である。


「外食はコストが高いから、あまり気が進まないんだけど、お昼に値段は確認してみて、比較的リーズナブルだったのよね」


 ふんふん、とご機嫌に鼻歌を歌っているダナだが、歩き方を誤ると、「うんぐぅ!」と悲鳴を上げて崩れ落ちる。体中が悲鳴を上げているようだった。とても大変そうだな、とレイシーは悲しげに眉を八の字にさえつつ土で整備された道を歩く。向かう場所は食事処だから、ティーはお留守番だ。そもそもすでにの時間でもある。


 ほう、ほう、と遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。ちりちり、ちり、と虫達が草むらの中でひっそりと囁いている。あれほどレイシー達を力強く照らしていた太陽がとっぷりと山の中に沈んでしまい、しゅるりと涼しい風が駆け抜けた。全く別の世界のようだった。

 点火魔法があれば、明かりなんていらないけれど、悪目立ちしたいわけでもないから、ダナとレイシーは互いに小さなランプを手に下げ歩いた。


 何度も行き慣れているはずの道なのに、ダナの方が勝手知ったるというような様子である。彼女はいつも堂々としていて、ウェインの隣がよく似合っていた。


 ふいに、歩幅が小さくなった。ランプが照らしている明かりはレイシーの足元ばかりを揺らしている。


「あら、着いたわ」


 ダナの声に跳ね上がるように頭を上げると、村で唯一の食事処だ。サザンカ亭という名の店は、名前の通り入り口部分には山茶花の木がすっと優しくそびえている。レイシーは、そっとランプを持ち上げた。緑の、ぴんとした葉っぱにほんのりとした明かりが照らされる。もう少し時期を待てば、赤の中に黄色い花芯が目立つ愛らしい花がいくつも咲き誇って、思わず木のそばに座ってお弁当の一つでも広げてしまいたくなってしまう。


 そんな木に似合いの、丸太を積み上げられた可愛らしい外見の店の窓からは、ほんのりと明かりが見ている。

 日が落ちて時間が経っているからか、村には人の姿はいない。もう店はしまっているかもしれない、と不安に思いつつ扉を押して見ると、鍵はかかっていないようだ。「いらっしゃい」というわりには愛想のない声色が聞こえた。店の中は店主一人で、客は誰もいないようだ。


「まだ営業してらっしゃいますか?」

「僕が寝るまでが営業中だよ。席はお好きにどうぞ」


 ダナの言葉に、カウンター付近にある椅子に座ったままの店主は返答する。すげない態度に、ダナは少しだけ瞬いて、「あらそう、ありがとう」とだけ伝えて、後ろに立つレイシーに目配せした。

 席を選ぼうにも、そもそもテーブルが二つしかない。


 店員は店主の一人だけで、詳しい年齢は知らないが、アレンの父の、カーゴよりも少し上というぐらいに見るから、多分、四十代程度だろう。白いシャツに紺色のエプロンをしていて、細身の体だ。白髪が交じる髪を後ろになでつけ、縁が細い眼鏡をかけながら手元の新聞を読んでいる。


 もちろん、レイシーは彼のことを知っている。保冷温バッグの販売に一役買ってもらったからだ。


 セドリックという名の彼はこっちのことに全く興味もない顔だった。どうしたらいいかわからなくて、レイシーは軽く会釈をする程度でセドリックの前を通り過ぎようとした。これでいいだろうか、やっぱり、ちゃんと挨拶くらいした方がいいだろうか。でも、どうでもいいと思われていたら、とドキドキしていたとき、「レイシーさん、こんばんは」と、セドリックは新聞から目を離しつつレイシーに声をかけた。


「えっ、はい、こんばんは!」

「それとそこの人。お昼も来てくれたね。何度もありがとう」

「あら、覚えていてくれたの」

「まあね」


 愛想なんて何もないのに、不思議な距離感だった。レイシーは、ダナと顔を見合わせた。




 椅子に座り、顔を隠すためとかぶっていた帽子を、ダナは店の中を見回して、まあいいか、といいたげにあっさりと脱いだ。客は誰もいないし、レイシーは知らないことだが、すでにセドリックには顔を見られている。そのわりには何の反応もないので、夜の、それも室内で麦わら帽子をかぶっているのが馬鹿馬鹿しくなったのだ。


「どうぞ、お水です。あとはメニュー」

「ありがとう」

「夜だから大半売り切れてるよ。あと、こんな村に光の聖女が来るとは驚いた」


 といいつつセドリックは全く驚いた顔はせずに、相変わらず淡々としている。昼間に来たとダナが言っていたことを思い出しつつ、レイシーはダナとセドリックの会話をそっと見守ることにした。


「……昼間も、今もそんな風には見ませんけど」

「昼間は他のお客さんがいたから。でも今は力の限り表現しているつもりなんだけど。あと今日のおすすめはハンバーグ」


 そして、意外と絡んでくるので実は性根は明るい人のような気がする、とレイシーは考えた。最初に出会ったのは、アレンとともにやって来たときだ。保冷温バッグの販売や小型の氷嚢庫を店に置いてもらって、使い勝手を試してもらえませんかと、どうしようかと思いながら伝えたのだが、セドリックは二つ返事で「いいよ」との一言で、それ以上は何もなかったから、レイシーは本意をさぐることもできなかった。


 過去を思い出している間に、それじゃあ注文が決まったら教えてください、と言いながらセドリックはカウンター席に戻っていく。ダナはそっと小さな声で、「変な人ね」と話しかける。たしかに、の一言だった。変わり者と言っていたアレンの言葉を思い出した。


 注文はおすすめの通りハンバーグにすることにした。じゅうじゅうに焼けた鉄板の上にはたっぷりのソースとともにアツアツの湯気がたっていて、ハンバーグにフォークを差し入れてみるとじゅわっと肉汁が溢れ出す。ぱくりと口にした瞬間、おいしい、とダナはほっぺをなでていた。レイシーも、全く同意だった。


「……レイシーはあんまりこのお店には来ないの? とってもおいしいけど。きゅうりにそのままかじりつくより、とても健康的だと思うわ」

「あんまり来ないかな」


 きゅうりだって素敵だけど、と言いたいけど、ぐっと我慢をしつつ、実際はアレンと一度来た程度だったが、言葉をごまかしてしまった。不思議そうな顔をするダナに、自分自身でも整理するように、一つ一つ言葉を落とす。


「最初は、あんまり村に行くのは怖くて……今はそんなことはないけど。それにきゅうりはダナがいるからで、普段はお芋くらいふかしているのよ」

「やだ怖い。言い返すレベルが芋のふかしであることがとても怖いわ。そういえばあなた、数日食べなくても問題ないとか言い出すタイプだったわね」

「さすがに今は、ちゃんと食べてるけど」

「でも食べ物ならなんでもいいんでしょう」


 そんなことはない、と言いたいところだが、あんまり大きな声で言い返すことができない。ダナはレイシーの顔色を、じっと観察するように見つめた。


「ウェインは? あいつ、よく嬉しそうにレイシーに食事を作っていたじゃない」


 ――嬉しそう?


 少し違和感のある言葉だ。レイシーが違和感を呑み込む前に、ダナはほくほくとハンバーグを口にする。


(たしかに、ウェインはいつも料理を作るとき、楽しそうだった。それを嬉しそう、といっていいのか、わからないけれど)


 世話焼きな人で、みんなに料理を作って、相手からの言葉を待ち構えるようにわくわくとした瞳をしていた。どうだレイシー、と問いかける声が、目を瞑ると聞こえてくるようだった。おいしいと正直な気持ちを伝えると、それこそほっぺをほころばせるみたいににかりと笑った。ウェインの料理は、いつだって温かい。


「……ウェインの料理は、特別なの」


 彼が笑うと、レイシーはとにかく嬉しくなってしまう。でも、このお料理だってもちろんおいしい。レイシーがひっくり返っても作ることができないものだ。

 ごくん、とハンバーグを飲み込むとお腹の中がほんわりとしていく。幸せの味だ。レイシーがゆっくりとフォークとナイフを使っていたとき、先に食べ終わったらしいダナはテーブルに肘をついて意味ありげに笑っていた。


「な、なあに?」

「いいえ。特別なんて、羨ましいことねと思っただけ。でもここ、入り口の木もとっても素敵だし、もっと頻繁に来た方がいいわ。こんなにお安いのにお腹にたっぷりのハンバーグなんて、私は知らないもの」


 ダナが自分の言葉を反芻するように頷き、テーブル越しにずい、と体を寄せている。そうね、と頷こうとしたとき、セドリックが、すっと彼女達の近くに立っていた。


「おいしく食べてくれたならなによりだけど、このハンバーグが今、焼くことができたのはレイシーさんのおかげだよ」


 セドリックの細い体と冷たい光を反射させる眼鏡を見て、ひぇっとダナとレイシーは叫んだ。しかしセドリックはそんなことは興味もない様子で話を続ける。


「ミンチ肉は日持ちしないけど、レイシーさんが作った小型の氷嚢庫があるから、僕は安心して作ることができる」


 セドリックが無表情のままだからどういう言葉の意味か捉え兼ねたが、つまりありがとう、という意味で考えてもいいのだろうか、と何度か言葉を咀嚼して、レイシーはやっと気づいた。


「ついでに、こっちをお店で出すことができるのも正真正銘、レイシーさんのおかげ。デザートをどうぞ、お二方」


 机の上に置かれたものはカップに入ったアイスクリームだ。「あ、あらまあ」と、ダナは両の頬に手を当てた。カップも、添えられたスプーンもきんきんに冷たい。こんなの頼んでいない、とレイシーが困ってセドリックとアイスを見ていると、「本日最後のお客様へのおまけだよ」と告げてくれる。


 いいんだろうか。

 でも、とスプーンをアイスに差し入れた。このまま溶けてしまうなんてもったいないと思ったのだ。ぱくり、と口元にいれると、甘い味が口いっぱいに広がりとろけていく。言葉よりも、彼女達二人の顔を見て、「おいしいのならなにより」とセドリックは感想を述べた。


「レイシーさん。君のおかげで、僕もできることや料理のレパートリーが増えて、店に出す楽しみが増してしまった。責任をとって、たまには食べに来てほしい。君ならお得意様価格で提供するよ」

「せ、責任ですか……」


 レイシーが知らないところで、知らないうちに彼女が作ったもので変化していることがある。それはとても不思議な感情だった。

 きっと、アイスとハンバーグでお腹がいっぱいになったのだ。体中がほかほかして、どんどん温かくなっていく。


「素敵な星をさがしているのね、レイシー」


 ダナがくすりと笑うと、それはひどく絵になる光景だった。ダナはコップの水を飲んで、柔らかく口元を緩めて、それから、「はぐあっ!? う、う、う、あう、ぐううう……!! ずっと座ってたから、こ、腰にきたァ……!」 震えながらテーブルに拳を叩きつけている。座って体勢を変えることすら困難とはなんとも気の毒だった。


「だ、ダナ、ごめんなさい、私、今薬草を持ってなくて、屋敷に帰ったらあるんだけど……!」

「い、いいのよ。しばらくしたら落ち着くから。でも待って、今の私を動かさないで……」


 ダナは座っているのか立っているのか中途半端な状態で前かがみになりつつ、片手をひらひらと力なく振っている。


「腰痛かい? 随分苦しそうだな」


 セドリックの言葉に、ダナはぴしりと固まった。回復の奇跡を持つ光の聖女が体に節々に爆弾を抱えているなど、冗談にもならない話である。しかし否定する力もなく、ぬぐう、とダナは唇を噛み締め、ふんばるように痛みを耐えている様子だった。


「腰痛にはコルセットをしたり、体を温めたりしたらいいんだけどな。僕もそろそろ年だし、立ち仕事も多いから、なるべく座ったり、立ったりと同じ体勢をしないように気をつけているんだけど」


 セドリックはダナに親身に話しかけた。彼も他人事ではないらしく、こんなところでセドリックの苦悩を知ってしまった。


「ちなみに痛いところは腰だけ? ひどくなるとももまでしびれてくるからね」


 その他、セドリックはダナに腰についてのアドバイスをしている。無理がない範囲で、適度な運動をした方がいいとか、痛くない体の動かし方だとか。この人もこの人で、ウェインと同じ様に面倒見がいいらしい。


 そんな彼の言葉を聞きつつ、レイシーは顎に手を当てたままじっと考えた。腰が痛くなると、ふとももが痛くなることがある。病気が隠されている可能性もあるが、腰の痛みが神経に繋がり、本来なら痛みがないはずの脚にまで症状が出てくるのだろう。変化魔法や速度魔法のように、魔術には人に直接作用するものもある。そのため人の構造はある程度知識を得ているし、理解しているつもりだ。


(……何事も、症状は紐付いている、ということ)


 つまり、とレイシーはぶつぶつと呟いた。そして、ぱしん、とテーブルを叩いた。


「思いついた!」


 椅子から立ち上がって、興奮気味に声を上げる。そんな様子を、ダナは涙目のまま、セドリックは眼鏡越しにぱちんと瞳を瞬かせてレイシーを見た。


「なにが、思いついたの……?」


 今すぐにでも泣き出してしまいそうなダナである。レイシーが、それに返答する言葉は一つだ。


「もちろん、あなたの依頼を解決する魔道具のことよ!」



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