第29話

『ダナ、お久しぶりです。レイシーです。

 故郷の孤児院に戻ると言っていましたが、その後、いかがでしょうか。

 私はといいますと、お伝えするのがとっても遅くなってしまい、ごめんなさい。

 実は、王都から引っ越しして、今、プリューム村という場所にいます。

 優しくて、とってもいい人達ばかりです。鳥もいます。

 それから、新しくお店を始めました。

 忙しいかとは思いますが、もし都合がつけば、いつでも遊びに来てください。

 待っています』


「待っています、かあ……」


 ダナは改めてレイシーからの手紙を読み直した。暑い日差しが頭の上からはさんさんと降り注いだが、村に入ってまず目についたのは大きな木だ。口元に手を置いて、むふりとして、悪戯気分でいそいそと座り込んでみた。


 きっと何度も書き直したのだろう。ダナとレイシーが旅をしたのは、たったの一年。

 レイシーのことを何でも知っている……とは到底いえないけれど、それでも一年も寝食をともにしたのだ。わかっていることも多い。彼女はいつもどこか遠慮がちで、誰よりも大規模な術を使うくせに自信がなさそうで、口数だって少なかった。


 近づいたら、慌てて逃げて行ってしまう。そんな女の子だったはずなのに、書き慣れない手紙を、必死に書いてくれたのだろう。待っています、と綴られた言葉が、妙に温かく感じる。

 ……しかし鳥もいるとは、どういうことだろう。


「きっと、あの子にとって素敵な変化があったのね。……それにしても、ウェイン。あいつは絶対知ってたわよね?」


 思わずダナは眉間のシワを深くする。レイシーとウェイン、二人の関係は見ていてこっちがやきもきするほどだった。けれど、周囲が口にするのは野暮だと、見ないふりをし続けていた。ダナだって、仲間達の様子が気になっていたけれど、とにかくそれどころではなかったのだ。

 レイシーから手紙をもらって、本当ならすぐさま飛び出したかったけれど、そうはいかなかった。


 思い出すと、ずっしりとダナの体が重たくなる。まるで呪いのような“それ”に、ダナは苦しげに息を吐き出し、肩をなでた。体が、重たい。木陰に座ったまま、いくらか呼吸を静かに繰り返す。目を閉じて、風の音を聞いた。暑さに汗がにじむが、さわり、さわりと通り抜けていく風を胸いっぱいに吸い込むと、少しずつ落ち着いてくる。


「……おなかが、へったわ」


 変わりに聞こえたのは、小さなお腹の音である。きゅるり。きゅるきゅる……。そういえば、お昼ごはんを食べるのを忘れていた。丁度手元の保存食も尽きてしまった。まずはレイシーの家を探そう、と思っていたものの、先に腹ごしらえをする必要があるかもしれない。ダナはゆっくりと立ち上がり、村に足を踏み入れた。



 ***



「……さて、そもそも食事処はあるのかしら」


 ダナの故郷から、プリューム村は馬車を使ったとしてもいつまで経ってもたどり着かない程度には遠い。けれどもダナは王都付近までの転移魔法の祠を使うことを許可されているから、あとは途中の中継地点まで馬車に乗りつつ、歩きつつとやって来た。


 女の一人旅である。本来なら中継地点までではなく、護衛を頼み村まで来てもらうべきだったが、ダナはとある理由によりそれを拒んだ。もちろん、元勇者パーティーの一人として、途中で野党や魔物が出たところで、大抵のものならば撃退できる自信もあったのだが。


 その途中でプリューム村がどういう場所か、ということはある程度は耳にしてきたつもりだ。プリューム<羽飾り>の名を持つほどに、昔は金のコカトリスの羽を使って商売を行っていたというが、穏やかな村だという。その中に、暁の魔女が住んでいる、という噂はもちろんなく、レイシーのことだ。こっそりと姿を隠しているのだろう。


 王都ではダナ達の姿絵も売られている。プリューム村では、どの程度ダナの姿を知られているかはわからないが、隠すに越したことはない、とくいと帽子の縁を持ち、深くかぶり直す。本来の彼女は聖女という名も相まって、優しげな風貌をしている。可愛らしい、というよりも美人という言葉がとても似合う。


 慎重に村の中を見ると、王都付近で聞いていたよりも少し話が違うように思えた。王都からわざわざプリューム村まで来る人間は商人程度だろうから、彼らが口をつぐんでしまえば現在の様子はわからないわけだが、それにしてもどこか活気があるように思う。


「……お弁当あります……?」


 土の道を歩き続けていると、はたはたとのぼりが風に揺れていた。「お弁当、あります?」 あまりの不思議な言葉に、思わず二回読み上げてしまった。


 お弁当、という言葉の意味はわかる。ダナも今でこそ聖女と扱われてはいるが、教会で孤児院の世話役を兼任していて、以前はよく子供達とピクニックに出かけたものだ。けれども氷結石をすぐに手に入れられる王都や、権力のある貴族ならばともかく、ダナが考えるお弁当とは夏の時期ならば硬い黒パンで冬の時期なら冷たいスープだ。


 王都から馬車で二日程度の距離とはいえ、プリューム村も似たようなものだろう。つまり、黒パンを店先で売っているということだろうか。その割には仰々しいのぼりである。不思議に思って近づいてみると、看板が立っていることに気がついた。


『本日の弁当、日替わりランチ詰め合わせ。銅貨三枚』


「パンじゃなくて、ランチの詰め合わせ……? それが、銅貨三枚!?」


 あまりにも安い。ランチ、ということは一般的な食事と同じものということだろうか? そんなわけがない。安すぎる商売には、何らかの裏があるということ知る程度には、年を重ねてきたつもりだ。だからそんな、安さだけに流されるわけにはいかない、とは思うものの、ダナの頭の中でちゃりちゃりと残りの旅費が計算される。


 保存食の味気ない食事には飽きてきた。けれども外食をするには、懐が気になる。ダナはとにかく、人よりも“お金”が気になってしまう。あればあるほど嬉しいし、もらえばもらうほどありがたい。彼女が魔王討伐の任務に加わった理由は、多額の報奨金のためで、王都からプリューム村まで、馬車で真っ直ぐやって来なかった理由は、ようは旅費をケチったのである。


 光の聖女のダナ、と言われてはいるが、実は彼女を照らす光は、ぴかぴかの金貨の輝きであることを知るものは、意外と少ない。


 ケチか、そうでないか聞かれれば、ドケチという称号をあらん限りに両手で抱きしめ認める彼女だが、必要な経費までを割きたいわけではない。旅とは体力以外にも相当にメンタルが削られる。だからこそ素泊まりの宿以外にも、たまにはリッチな宿に泊まって英気を養えることで最終的には効率が上がることを知っている。だから今は、おいしい食事を食べるべきだ。


 結論を出した瞬間にはダナは店の中に入ってしまっていた。店内だというのに帽子を深くかぶり顔を隠すダナに、愛想の悪い店主はわずかに不思議そうな顔をしたが、「いらっしゃい」と小さく声をかけてくれた。


 店の中で食事をすることもできるのだろう。テーブルが二つに、それぞれ椅子が三、四脚ついている。昼というには随分中途半端な時間だから、客の姿は一人、二人程度である。


「珍しいね、外の人かい」

「ええ……。あの、お弁当、というのぼりが気になってしまって。まだ売っていますか?」

「もちろん。一つで構わない?」


 こくりと頷き、ダナは店主に銅貨を渡す。


「……あの、日替わりランチって」

「今日はパスタ。とれたてのフレッシュトマトを使用してる」

「それはおいしそうな……ではなく」


 そういうことを聞きたいわけではなかった。そもそも、弁当というもの存在するのか。店で出すようなランチを、本当に詰め込んでいるのか、ということが聞きたかった。けれども店主はさっさと背中を向けて、カウンターの下に置いているらしい箱を開ける。一つ取り出したかと思うと、今度は別の箱からもう一つ。


(……えぇ? そこからなの?)


 たしかにカウンターの下は日陰になっているし、手軽に取り出すことができて便利だろうが、保存場所としてはどう考えても適さない。今更ながらに不安になった。やっぱりやめよう、とまで考えてしまう。返金が無理でも仕方がない。勉強料というものも、ときには必要だ。これも人生の経費である。


「店主さんごめんなさい、やっぱり――」

「どうぞ。水はおまけ。デザートつき」

「あらどうも」


 渡されたので、思わず受け取ってしまった。いやいや、と首を振ったあとに、手のひらの感覚に驚く。――冷たい。


 大小二つの箱が重ねられていた。

 丈夫な紙を使っているのだろう。使い捨ての箱は蓋がぴったりと閉じられている。そして、箱全体がひんやりとしている。いつの間にか水まで突き出されていた。


「おまけで保冷バッグもつけられます。銀貨四枚」

「ほれい……? いえ、お高くなるのはちょっと」

「それならすぐ食べる? 外で食べるならコップはあとで返しに来てくれたらいいから」

「はあ……」


 肯定も、否定もしていないつもりだったのに、店主は納得したように去ってしまう。結局、弁当と水をかかえたまま、ダナは静かに店の扉をくぐり、もとの木陰に戻って行った。



 ***



 少しばかり選択を間違えたような気がする、と若干の後悔もあったが、木陰の下には柔らかい草が生えており、そのまま座って食べてしまおうとダナは判断した。持っていたコップはこぼさないようにゆっくりと地面に置いて、改めて弁当を膝に載せる。ひんやり、している。


 スプーンとフォークは旅の鞄の中から取り出した。こんなときのために準備済みだ。本来の購入層は村人達だろうから、フォークは持参前提なのだろう。


「やっぱり一時の感情に流されてしまったかしら……」


 じっと蓋を見つめていても仕方がない。おそるおそる、と固定されていたバンドを引き抜き、蓋を大きな方の箱を開ける。中身はパスタ、とわかってはいたのだが。


「えっ……」


 食べやすく一巻きごとに入れられたパスタには、半分に切られたミニトマトとミントがいくつも添えられていて、赤と緑が食欲をそそる。そもそも、冷たいパスタってどうなのかしら、と疑っていた気持ちは、くるくると鳴るお腹と可愛らしい彩りに押し込まれるように消え去って、つきさしたフォークを、ぱくんと口の中に入れていた。「んん……!!」 こんなのするする入ってしまう。さっぱり、すっきり。


 夏に冷たいものを食べることって、こんなに幸せだったのね、と改めて感じてしまった。端に入れられたゆで卵は白身がつるんと愛らしいし、憎らしいことにもただ半分に切るだけではなく、飾り切りをされていて、花のようだ。隣に入っているパリパリのきゅうりはそれこそ今切りました、といわんばかりである。


「なんなのよぉ、可愛いし、安いし、おいしいし!」


 おいしいことは重要だ。けれどもそれと同じくらい、安いことだって大切だ。飲み込んだ水は、きんきんに冷えていて幸せだ。夢中に喉を潤した。「でもなんで!?」 安ければ安いほど嬉しい、でも、理由のない安さはそれはそれで気持ちが悪いものだ。何度も痛い目に遭いつつ、ダナが気づいた事実は一つ。物事には、適切な値段があるということ。


「……この“お弁当箱”には、なんの仕掛けもないわよね、ということは……やっぱり問題はあの箱……? そういえば、ただの木箱じゃなかったわ。もっと密閉されていて、そう、中の冷気が漏れ出さないようにしているような……小型の氷嚢庫ということ? 誰が考えたかわからないけど、なるほどいいアイデアだわ」


 得意の計算をするときと同じように、ダナはちゃかちゃかと頭の中で組み立てていく。


「単価が安いのは、作る時間が違うからね。あの店の規模なら、店員は二人か一人、となると昼食時は手が回らなくなるはずよ。座席もあえて少なくしている感じ。お客に対して店員の数が足りないという問題を、このお弁当でクリアしたのね……! これなら保存がきくから、当日の朝にでも一度にたくさん作ることで、時間というコストを削減できるわ」


 野菜も村で作られたものを使用しているのなら、王都よりも安いことに納得だ。「なるほどすっきりしたわ!」 お金の謎を放っておくと、胸の奥がもやもやしてならないのでこれで安心である。と一段落したところで、ダナはあえて目をそらしていた“それ”に目を向ける。もう一つ店主から渡された、小箱である。


 おそらくこれが店主がデザートと呼んでいたものだろう。すっかり食べ終えた弁当箱を横に置き、それよりも一回り小さな箱を持ち上げ確認してみる。先程のものよりも、さらにひんやりと冷えている。蓋を開けてみると、木苺が詰められていた。きらきらと、まるで宝石のように光り輝いている。しかし。


「お、お弁当に、木苺……?」


 ラズベリーとも呼ばれるそれは、夏が旬であるくせに日差しに弱く、すぐに傷んでしまうのに。ダナは静かにスプーンを取り出し、そっと差し入れ、おそるおそる、口の中に含んで見る。「ふ、ふんむ……っ!?」 食べ慣れた甘酸っぱさとともに、しゃりっと未知の触感が手を取り合って踊っている。


「こ、これがデザッ、デザート!?」


 混乱してきた。そしてしゃくしゃくほっぺの膨らみが止まらず、夢中で食べ終えた。ダナは空っぽになった弁当箱を見つめ、すっと空を見上げた。さわさわと揺れる葉っぱの音が、瞳を瞑ると優しく聞こえる。瞬間、ダナは跳ね上がった。弁当箱、かつコップと旅の荷物を抱きかかえ、全速力で店に戻った。




 店に入ると、先程までいたはずの客もおらず、「いらっしゃい、お早いお帰りで」と相変わらず適当に出迎えてくれる店主一人がいるだけだ。


「コップを、お返し!!! しますわ!!!」

「ご丁寧にどうも」

「箱はどうしたらいいのかしら!?」

「一応もらっときましょうか」


 どうぞと全てを返却しつつ、ダナはそわそわと周囲を見回す。焦って、帽子を脱いでしまっていたことに今更気づいたのだが、向こうも反応する様子もないようで安心した。それより、とぺたぺた頬を触って、視線をさまよわせて、カウンターに手を乗せ、ぐいっと体を寄せて問いかける。


「……あの、このお弁当、なんですか?」

「冷製パスタです」

「そんなお名前……ではなく! こんなの初めて食べましたが、この村ではこれが一般的なんですか?」


 新しい流行りなのかもしれないが、少なくとも通り過ぎた王都にはなかった。思わず問いかけずにはいられないほど、ダナにとって、“新しすぎる文化”だったのだ。これでも普段は聖女として貴族を相手にすることも多い。こんな新しいものを彼らは放っておかない。小さな村の中だけで栄える不思議な文化は、素晴らしくもあるが、奇妙でもあった。


「ん、いや……弁当は最近始めたばかりですけど」

「ですけど? 誰が考えたんですか? さっき、保冷鞄、とおっしゃってませんでした? その足元にある箱とは違うの?」

「保冷バッグは、ただの鞄。中にいれておけば、すぐに食べなくても冷たさが長持ちする。この箱は、鞄を箱に変えて、店に置く用に大きくしたものらしいけど」

「らしい? あなたが考案したわけじゃないの?」

「まあ、そりゃ」


 問いかけても、妙に口が重く、店主はそっぽを向いている。どうにも話したくない事情があるのかもしれない。

 これではまるで詰問だ、とダナは反省した。これほどのもの焦らなくてもすぐに国中に広がっていくだろう。普段は貴族を相手にすることも多い手前、できるなら事前に知っておきたくはあったが、まあいいわ、と首を降った。


「……ところで、この辺りにレイシーという女の子は住んでいませんか? 黒髪で、ちょっと小さくて、可愛らしい感じの。私、彼女を訪ねて来たんですけど。『星さがし』屋って、知ってます?」

「知ってるも何も」


 レイシーの名を出した途端に、店主は固い顔を柔らかくさせた。一体どうしたと言うのだろう。


「なんだ、あんたレイシーさんの知り合いか。保温バッグを作ったのはあの子だよ」


 ダナは大きな瞳を、さらに見開いた。

 驚きを抑えることもできず、レイシーが……? と小さく口の中で言葉を呟いた。





 それからダナは店主から屋敷の場所を聞き、礼を告げて店を出ようとしたところで、やっぱりと後戻りした。

 手に持っているのは、保冷バッグだ。正式には、保冷温バッグ、というらしい。いくつかのデザインが選べたから、ダナが選んだのは花の刺繍が入れられたタイプで、見ているだけでも明るい気持ちになってくる。刺繍は花以外にも小さな星が散りばめられていた。レイシーからもらった手紙にもあった模様だ。そしてダナは一つ、別のものも思い出した。


 少しずつ考えて、理解したとき、いきなり、彼女の体が動かなくなった。道端でうずくまり、体を引きずる。少し休憩して、息を整え、ゆっくりと歩いていく。痛みに体が震えていた。


「う、く……」


 まるで、呪いのようだ、とダナは思う。

 このところ頻繁になってきた、とため息をつくような気持ちで、やっと坂を上りきると、大きな屋敷が建っていた。貴族が住んでいると思っても遜色ない、と言いたいところだが、きらびやかな装飾がどこにもないからが、なぜだか素朴に感じる。


『何でも屋、星さがし』


 立てられた看板には、たしかにそう書いてある。


「本当に、あの子なのね……」


 何かひどく、奇妙な気分だった。自分のことなんて、まるでどうでもいいと考えているような顔をしていた少女なのに。そしてそれは事実だったのだろう。死ぬために生きているような、そんな女の子だった。本人に告げたら、否定するかもしれないけれど。

 そんなあの子が。


 ふと、息を吸い込んで、ダナはゆっくりとノッカーを叩いた。こつん、こつん。

 静かな、音がする。

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