第28話
試作品を持ってアレンの家に行くと、なぜだかアレン達の様子がよそよそしい。
いらっしゃい、と迎えてくれるのはいつもと変わらないが、なんだか違和感があるような、気のせいなような。
ちなみにカーゴが仕事に行く前ということで、食卓には家族全員がそろっている。そして全員が神妙な顔である。普段と変わらないのは、レイシーの膝でキュイキュイしているティーと、ティーを見つめて両手をじたばた振るレインのみだ。
何かおかしい雰囲気を感じたが、とりあえず目的を達成すべく、出来上がった鞄を二つ取り出した。
「あの、とりあえず……これをどうぞ。やっぱり、食糧を長持ちさせるには冷やす必要があると思います。この鞄は冷やすと、長時間保冷できるように作りました。実際に冷気の魔術を込めたのは、昨日の夜になるんですけど」
「あら可愛い。小物が入りそうで便利ね。出かけ用に一つほしいわ」
思わず、といった口調でトリシャがほころぶ。鞄はころんとした形で、アレンの案であるリボンのように結び、口元を締めるタイプと、それよりも一回り大きく、ボタンで蓋をするタイプを準備した。トリシャが気に入ったのは、リボンの形なのだろう。レイシーから鞄を受け取り、目的を忘れてしげしげと鞄を見つめた。
さて、この中でレイシーの魔術を見たことがあるのは、アレンとカーゴの二人だが、実際に恐ろしいほどである威力を目の当たりにしたことがあるのは、カーゴのみだ。
冬の川を向こう岸まで全て凍らせる、という離れ業を見たとき、カーゴの腰は抜けていた。
おそらくレイシーは名のある魔法使いなのだろう、とカーゴは考えている。けれども今回レイシーに依頼したことは夏でも、家と同じように食事ができるようになること。魔術一つではどうにもならないことだ。
たしかに、炎天下の中、ぬるい水を飲んで乾物をかじるのは味気ないし、日陰の中とはいえ硬いパンは噛むほどに体力が奪われていく。もし、依頼のようなものができればとにかくありがたいわけだが、さすがにこの小さな鞄一つで、何ができるのだろうと疑った気持ちで見つめていた。
いくら威力のある魔術を使用できるからといって、それとこれとは話が異なる。
「よければ、カーゴさんもどうぞ」
「ああ、はい……」
流されるままに、ボタンがついたタイプの鞄を持って、持ち心地を確認した。手に馴染むし、見かけよりも頑丈そうだ。見たところ、あくまでもただの鞄である。初めから期待していないのだから、がっかりする気持ちすらもなく、隣でしげしげと鞄を持ち上げ顔をほころばせるトリシャを横目で見た。
ものを冷やす鞄に喜んでいるというよりも、鞄そのものの形に注目しているのだろう。喜ぶ妻の姿に、カーゴは笑いじわを深めた。もともと、朗らかに笑っているような顔つきが、さらに深まる。
――初めの目的としては違うものだけれど、せっかくレイシーさんが作ってくれたのだし、トリシャも喜んでいる。買わせてもらうことにしよう。
鞄を買う、なんてことは久しくしていない。平民にとっては、頻繁に買い換えるものではないからだ。いい機会だ。自分が手に持っている、ボタンがついているものもいいデザインだと思う。
「レイシーさん、こちら二つでおいくらになりますか?」
「あの、その前に、鞄を開けて、中を確認してもらってもいいでしょうか」
「……ああ、そうでしたね」
別に今更、と思いながらもカーゴはボタンを開ける。そして、鞄の口を開く。トリシャも同じくリボンをほどき、中を確認した。そして、思わず息を飲んだ。
冷たい。そんなわけがない。鞄の中は、まるで冬があるかのように、ひんやりしている。
「どうして……!?」
「ああもう、俺達にも見せてよ!」
ここまでずっと口を閉じて我慢をしていたらしいが、とうとう堪えきれなくなったらしい。最初に動くのはいつもリーヴだ。俺達、と主張している通りに、ヨーマと二人、カーゴが持っていた鞄の蓋を開けて、「涼しい!」「すんずしいぃ~!!」と声を上げてはしゃいでいるし、さすがのアレンもそわそわと視線をさまよわせている。
カーゴは驚き瞬いたが、鞄の内側に小さな内袋があることに気がついた。それはアレンが帰ったあとに、レイシーが調整をしていた箇所である。袋は縫い付けられていて、中身を確認することはできないが、触ってみると、小さな硬い何かが入っている。魔石だ。袋の中が涼しい理由は、すぐにわかった。
「そうか、冷気の魔術を込めているんだったな。驚いた。いやでも待て、レイシーさんは、昨日の夜に込めたとおっしゃっていたが……そんな規模の魔術が、こんなに長く?」
ようは、氷結石と同じようなものを作ったのだろう、とカーゴは理解したが、それならこの暑さだ。小さな魔石では周囲の気温と相まって、すぐに常温に戻ってしまうだろう。レイシーは首を振った。
「冷気の魔術は込めましたが、魔石にではありません。ただ、鞄の中に吹き込んだだけです。実際に魔石に込めた魔術は、吸収魔法です。本来なら魔物や魔族の生命力を吸収する魔術ですが、そこを周囲の温度のみ、というところに限定して作り変えてみました」
「ええっと……それは、氷結石とは、違う……?」
「氷結石は外に発散させるものなので、魔力を定期的に注がないとすぐに使い物にならなくなります。けれど、これは内に溜めるものですから、氷結石よりも長く使うことができます」
おそらくですけど、半年くらいでしょうか、と呟くレイシーの言葉に、カーゴ達は目を丸くして、自分達の手に持つ、ただの鞄とおもしきものにも困惑の瞳を向ける。
にわかには信じられない。けれども、実際に鞄の中は冷たい。
「もちろん、袋の蓋はなるべく閉じて、冷気を逃さないようにする必要があります。最初なので今は私が冷気魔法を込めましたが、半年経って冷気が抜けきった頃には、冬がやってきます。そのとき、また周囲の温度を吸い込めば」
「そうか、何回でも使えるんだ。それに……そうだ! レイシー姉ちゃん、これって、夏の今の温度を吸い込んだら」
魔石をつけていない鞄を見て、このままじゃ保温じゃないか、と言っていたのはアレンだ。自分自身の昨日の言葉を思い出したのだろう。レイシーはゆっくりと頷く。
「夏は冬の間に溜め込んだ温度で保冷を。逆に、冬は夏の間に溜めた温度で、保温できます。冬でも外で火を使わずに温かいスープを飲むことができますよ。……一つでは年中使い回せない、という不便な点もありますけど」
「全然、不便じゃないよ!」
慌てたようにアレンは立ち上がった。ガタガタと椅子をひきながら、テーブルに両手をつく。
「姉ちゃん、すごいよ! 今まで、外でうまいものが食べられないのは、当たり前のことだと思ってた。でも、なんか、違うんだな。姉ちゃんが魔術を使うことができることも十分すごいけど、そうじゃなくて、考え方一つ、というか」
レイシーの魔術そのものではなく、レイシー自体を、真っ直ぐにアレンは見つめていた。
そのとき、奇妙に胸が痛んだ。魔術しか持っていない、ただの空っぽの体のように思っていたものに、温かいものが、ほたり、ほたりと静かに注がれ、染みていく。
鞄を作りながら、ずっとレイシーはアレン達の生活が、便利になればいいと願っていた。そのためには、どんな風にすればいいだろう、とただそればかりを繰り返し考えて、人見知りで、怪しげな魔法使いを優しく迎えてくれた彼らに、何かの形を残したいと思ったのだ。
ウェイン達との旅の経験も無駄ではなかった。それがあったから、たどり着けるものもあった。
レイシーはうつむいて、少しばかり唇を噛み締めた。そうしないと、涙がこぼれてしまうと思ったからだ。でも多分、レイシーの膝の上に乗っていたティーは気づいていて、「キュイッ?」とクチバシでつんつんしていた。
「ねえ、レイシー姉ちゃんさえよければだけど、この鞄、もっとたくさん作ろうよ。それで、村の奴らに宣伝しよう。姉ちゃんは、こんなすげえものが作れるんだぞって。絶対みんなびっくりする!」
「いいわねえ、保冷鞄、だったかしら。もう保冷機能なんて関係ないわ、こんなに可愛いんですもの。みんなに見せびらかしたいわ」
大したものではない、と首を振ろうとしたがどうにも楽しげな家族達を前にして、何も言えなくなった。「手伝う!」「手伝う!」と双子達はパチパチと互いに手を合わせて、カーゴは苦笑している。ゆっくりと息を吸い込んで、レイシーは勝手に柔らかく微笑んでいる、自分の口元にはとっくに気づいていた。
「……よかったら、みなさん、手伝ってくださいますか? どういった形のものがいいのか教えてもらえれば、とっても嬉しいです」
もちろん、と同時に頷いて、たくさんの声が重なった。そしたら、全員が顔を見合わせて笑ってしまった。鞄の端には、小さな星のマークをつけるのはお決まりだ。レイシー印の第二の魔道具、保冷温バッグの出来上がりだった。
***
さて、村では静かに、ゆっくりと新しい流行が生まれていた。夏の暑い日でも、箱の中にお弁当を詰め込んで、家の中と同じようなものを食べることができる。ひんやりとした野菜は格別だ。
プリューム村には、定期的に行商人がやってくる。レイシーから匂い袋を買い取り、王都に流行させた男である。一時に比べれば需要は落ちたが、それでも未だに注文は相次ぐ。
狐のような目をした男は、すんすん、と鼻をひくつかせながら、奇妙な村の変化を感じ取った。商売人である彼は、流行の始まりを見逃さない。そして楽しげに弁当を食べる村人達の姿を見て、聞いて、一目散にレイシーのもとへ走っていった。絶対にあの子だ、という確信があった。そしてレイシーの屋敷へ飛び込んだ。
「レイシーさぁあああああん!!!!」
「な、なんですか!?」
ばごばこ扉を叩くので開けてみれば、細い目から滂沱の涙を流す男である。さすがのレイシーも距離を置いた。足元ではティーが威嚇している。ティーと商売人の間には色々な事情があり、それほど仲はよろしくない。
「な、なんでっ、なんでなんでっ!」
「お、落ち着いてください、紅茶でもどうですか?」
「いただきますが! そうではなく! なんで、いのいちにあたしに教えてくれないんですかねェ!?」
いのいち……? とレイシーは困惑の瞳で相手を見つめた。いつの間にか、言葉を繰り返していたらしい。「そうですよ!」 見知った顔の相手である。てこてこ屋敷の中に移動して、椅子に座って、テーブルを前にして、「こんっっな売れそうなお品を、なんであたしをのけものにして、のけものに、う、ひぇ、うぐう」 レイシーから出された紅茶を泣きながらごくごく勢いよく飲み込んだ。
「しかも紅茶がつめた……ええっ!? 冷たい!? こんなのいいんですかあ!? いいに決まってます!」
暑い外からやってきたのだ。冷たいものが進むらしい。人によっては怒られてしまいそうだが、この人ならと思ったのは正解だった。否定から入るのではなく、まずは確認から。固定概念を取り除いて、売れるものか、そうでないかを考えているのだろう。
「アレン達の話を聞いていると、夏ですし、冷えたものを飲んでもいいのかなと」
「たしかに苦味はある気がしますが、それはそれ。茶葉や時間をどう調節しようかと夢が広がりますねえ!」
こんな言葉が来たらいいな、と求めていた通りの言葉に、なんだか嬉しくなってしまう。そうですね、とレイシーが返答する声まで軽やかだ。
ここまで来ると器も気になってくる。熱い紅茶を持つわけではないから、もっと両手で、手軽に持てるものでもいいかもしれない。
「よし、わかりました。売りましょう。だって冷えた紅茶ですよ? 自分達で店を作ってもいいんですが、そこまですると手が回らなくなるかもしれませんからねえ。完成したらレシピを売りつけてやりましょう。貴族よりも、庶民の方が親しみやすそうですから、商業ギルドに登録する手はずを整えます」
「いや、そこまでは、ちょっとまだ考えていないといいますか」
「それにあの、鞄! 保冷温バッグですか? もうあたしは悔しくて悔しくて。売りましょう作りましょう、まずは単価はおいくらで!?」
レイシーよりも先に、ずんずんと言葉を重ねられる。嫌ではないが、困りはする。足元で、キュイオウオウ! と普段よりも力強く威嚇しているティーがせめてもの心の支えである。
「鞄は……その、材料がなくて、そこまで作ることができないんです。ほら、以前くださった木の皮が必要なので」
「フィラフトの木ですか!?」
「あ、そんな名前なんですね……」
匂い袋を作った際に、アイデア代わりにあれもこれもと大量の布や道具をくれたのはこの人だ。すぐさま思い出せる程度の量ではなかったはずだが、職業上、記憶力がいいのかもしれない。
「すぐに! 仕入れます! 商人の名にかけて、馬よりも速く!」
「……普通でいいです……」
馬より速いとなるとブルックスの筋肉を思い出してしまう。目の前の青年はそれよりも若干、どころか、だいぶスマートである。
うわあい! とレイシー以上に喜びつつ、椅子から飛び上がったと思うとぴょんぴょこ踊りだす彼を見て、思わず溢れた笑い声を、ぺちんと口元を叩いて押さえた。
こうしてレイシーにとって、とにかく忙しい夏がやってきたわけだが、それ以上に彼女を驚かせるものが来るだなんて、一体誰が予想しただろう。
実のところ、レイシーになら予想は可能だったわけだが、想像はしていても、いざとなると驚く気持ちが大きかった。
行動したのは、レイシー自身だったはずなのだけれど。
***
「……ここが、プリューム<羽飾り>村……?」
一人の女性が、一通の手紙を握りしめて、ぽんやりと呟いた。川を渡る橋をゆっくりと越えて、やってきたのどかな村を前に、彼女はじっと手紙を見つめて、それから眼前を見た。彼女の淡い金髪は、麦わら帽子の中に隠されている。二十歳を過ぎた頃だろうか。顔のほとんどは深くかぶった帽子に隠されていて、ぽつんとついた口元のほくろ程度しか見えないが、それでも妙な存在感がある。
女性が持った白い封筒の外側には、きらきらとした星が縁取られて、可愛らしい。
手紙に書かれた宛名は、光の聖女、ダナ様へ。
レイシーと共に世界を巡って魔王を倒した、その一人である。
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