第2章

1 困りごと、ありませんか?

第25話

「……いい天気ね」


 頭の上には、さんさんと温かい光が降り注いでいる。

 ――プリューム村にも、どうやら夏がやってきた。

 初めてレイシーが村にやってきたとき、まだまだ冬の息吹を感じ始めたというところで、簡素な荷物と杖を一本かかえて、不安と期待を織り交ぜにさせながら、それでも一歩を踏み出した。


 彼女の膝の上では、ティーがくるりと丸まっている。真っ赤な羽の色合いは、まるで炎のようで、フェニックスという種族であるからには、やっぱり寒い時期よりも暑い時期の方が相性がいいのだろうかとレイシーは考えた。

 ティーはレイシーの膝の上でまんまるになりながらも、ときおりぽふぽふと頭を突撃させて「キュイキュイ」と嬉しそうな声を出している。生まれたときは手のひらサイズだったはずなのに、今では鶏よりも少しばかり小さい程度で、子供とはいえない大きさだ。


 レイシーはティーを落とさないようにと気をつけつつ、深く被った帽子をちょいと上げて、手作りの小さな木の椅子の上に座ったまま空を見上げた。暑くはあるが、畑の中でわさわさと大きく育った薬草達の間を涼やかな風が静かに通り抜けていく。


「ここに来てまだたった半年なのに、随分たくさんのことが変わったわ……」


 プリューム村に来たとき、初めは、レイシー一人きりだった。すぐにウェインが引っ越し祝いとばかりにやってきてくれたけれど、彼女を国にしばり続けていた契約紋がなくなってしまうと、驚くくらいに軽くて、おそろしくもあった。それが、今はどうだろう。魔王を倒し、婚約を破棄し、空っぽになったレイシーの中に、少しずつ温かいものが流れ込んでくる。


 瞳を閉じると、つるりと流れる小さな星が、静かに尾を引き、消えていく。


 ――離れるなよ。俺のそばにいてくれよ。お前は自由に、生きて、それを一番近くで、俺に見せてくれ。


 なぜだろう。ときおりレイシーはその言葉を考える。ウェイン本人はといえば、魔王を倒した今も勇者として、そして貴族としても国内を駆け回り、レイシーのもとにやってくることは月に一度がいいところだというのに。


「…………」


 無言で、無心のままにレイシーはティーの背中をなでた。「ンキュッ!? キュ、キュ、キュイ?」 よしよし、なでなで、わしわし。「キュイイイ、キュイイ、キュウイイインッ……」 中々のテクニシャンに、いつの間にか羽を開いて、ティーはうっとりとお腹を見せている。長い尾っぽが、たらりと力なく垂れていた。


(なんでだろう)


 ウェインは知っての通り、面倒見のいい男だ。それこそ、魔王を倒した褒美であるただ一つの願いをレイシーのために使ってしまうほどに。

 レイシーは少しばかり、息を吸い込んだ。けれどもすぐに吐き出して、また無心でティーをなでる。すでにティーはでろでろになっている。ウェインの願いを知った夜の日から、ときおりレイシーは彼の言葉を思い出してしまう。理由なんて、自分にだってわからない。


 わけのわからない気持ちを抑え込むように、今度は必死でティーをなでくりまわしていると、「ぶもお!」 とやってきたのは、イノシシである。魔王討伐パーティーの一人、ブルックスに命を狙われてからというもの、すっかり屋敷に住み込むようになったのだが、ティーに向かって、何か話しかけているらしい。イノシシというか、魔物である。立派すぎる牙が生えている。


 レイシーの膝の上で溶けていたはずのティーは、イノシシの言葉に飛び起きた。彼ら二匹にしかわからない言語を話し合い、揉めて、決別、とみせかけて再度手を握り合い、涙ながらの抱擁。いつもどおりティーはイノシシの上に飛び乗り、だかだかと畑の周りを駆け回り始めた。一体何をしているのか。


 時間をかけ、彼らの主張を紐解くと、どうやらイノシシは里帰りをするらしい。――なるほど。


 わかってはいたことだが、改めて半年という時間をレイシーは噛み締めた。



 ***



 最後の別れとばかりにティーはイノシシの乗り心地を確認し、駆けずり回った。そしてハンカチを激しく振るかの如く別れを告げた。まあ多分すぐ戻ってくるんだろうけれど、悲しげなティーである。友人がいなくなると、寂しくなることは仕方がない。

 いつまでもいつまでも、レイシーの頭に乗りながら切なくキュイキュイ泣いている様を見ると、こちらまで辛くなる。


「ティー、泣かないで。あの子も自分の家があるわけだから。さすがにちょっとこの屋敷にいすぎたものね」

「キュウイイイ……」

「だ、大丈夫よ、すぐ戻ってくるわ。……多分だけど」

「キュンイイイイイ!!!」


 イノシシをすっかり仲間と認識しているらしいティーだった。あの手この手で慰めつつお腹を持ち上げ、ぐるぐると回っているところにやってきたのはアレンだ。彼はレイシーに助けられてからというもの、定期的に野菜を箱に詰めて持って来てくれる。


「……レイシー姉ちゃん達、何やってんの?」


 木箱を肩にかかえつつ、そばかすだらけの顔を心底不思議そうにされてしまったものだから、あわ、とレイシーは固まった。


「いや、ちょっと。別れを惜しんでいた……というか」

「ふーん……楽しそうだから別にいいけどさ」


 アレンはどすん、と音を立てて木箱を地面に置く。レイシーが住む屋敷はプリューム村の端の端に位置する上に、少しばかり坂になっているから持ってくるにも大変だろうに。お礼は十分にもらったと伝えてはいるものの、アレンは頑として意見を曲げることなく、「姉ちゃんの彼氏にも頼まれているんだから」と胸をはるが、どうにもアレンはウェインのことを勘違いしている。


 木箱の中に入れられた大量の夏野菜達は、アレン達家族の“気持ち”で、“お代”である。それを無下にするのは、よくはない。だから、ありがたく受け取っているものの、気の所為だろうか。最初よりも、さらに箱は重みを増しているはずなのに、よろよろとやって来ていたはずのアレンの足取りがいつの間にかしっかりしたものに変わっていた。


 アレンの年を十二歳、と聞いたのは、冬の終わりのことだから、今はもう十三だろう。レイシーは、もう少しで十六になる。細い腕とやせぎすな体は相変わらずだが、レイシーだって、ちょっとは背が伸びた、と思っている。しかしなぜだろうか。彼女だって成長しているはずなのに、アレンと視線の高さが変わらないどころか、見上げている。地面に一度は置いた木箱をアレンは軽々持ち上げ箱についた土を叩きつつ、よっこいせと持ち直した。


「レイシー姉ちゃん、台所のいつものとこに運んだらいい? それとも氷嚢庫(ひょうのうこ)の方がいい?」

「ひ、ひえっ……」

「ちょっと、聞いてるのかい?」

「だ、台所で……。あっ、私が魔術で移動させるけど」

「最後までしてこそ仕事」


 姉ちゃん家はいいよなあ、氷嚢庫があってさあ、と言いながらも、さくさくと動くアレンの背中を見つめつつ、子供の成長にレイシーは震えた。いつも見ているからこそ気づかなかった。へっぴり腰のままにあわあわと口元に手を寄せる。


 始めにレイシーの魔術を見せたときに、腰を抜かしてへたり込んでしまった少年の姿などどこにもなく、すっかり追い越されてしまったような気分だ。レイシーの頭の上には、いつの間にかティーが飛び乗っていて、なぜだかがっくりと落ち込む彼女を見て、「キュイッ?」と首を傾げていた。

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