第22話

「レイシー、本当にありがとう!!!! 感謝する!!!」

「いやあの、はい、その、はい……」


 音量を調節しろ、とウェインに言われたこともすっかり忘れてブルックスはレイシーの腕を掴みつつぶんぶんと振る。感謝されている、ということはわかる。けれども、始終くすぐったい。だって本当にレイシーからしてみれば、大したことはしていないのだから。


「ブルックス、あれは、タラッタディーニにもともと咲いている花の匂いが、強く出るようにしたものです。みなさんにも、馴染みが深かっただけじゃないでしょうか」

「ああ、ラッカの花だろう? それはわかるが、それだけじゃないだろうッ!!」

「ま、まあ……」


 声の勢いに押された。イノシシと言えば、様々な葛藤があるのか、部屋の端に隠れてはあはあぶもぶもしている。落ち着いてほしい。静かに両手を上げて、まるで降参のようなポーズをするレイシーを見て、ブルックスはおっと、と口元を押さえて距離をあける。


「なんにせよ、だ。早くこれを渡したくてな」


 渡された布袋の中には、金貨が五枚。レイシーは首を傾げて考えた。そして、報酬のことを思い出した。


「……多いです!」


 すっかり忘れていたし、もともとは三枚、と言っていたはず。いくらブルックスがどんぶり勘定の男でも、これはいけない。間違えるにもほどがあると思えば、「これで合っている。本当なら、もっともらってほしいぐらいだ」 獅子のような男は、頬の傷までにっこりさせて笑っている。


「感謝の気持ちを、金でしかあらわせんとなると嫌らしいようにも思うが、わかりやすいものも必要だろう。受け取ってくれ」


 レイシーの小さな手とブルックスの手を比べてしまうと、まるで大人と子供のようだ。ブルックスは、レイシーを傷つけぬよう、やんわりと握らせる。これが、レイシーが求めていたものだ。きちんと、自分の力で金を稼ぐということ。


 一人で、生きていける力を得るということ。


「……あ、ありがとう、ございます……」


 手のひらの重さは、少しばかりの自信に変わった。


「なあレイシー」


 じっと金貨を握りしめるレイシーに、ブルックスはゆっくりと言葉を選ぶ。


「お前が、俺のことをあまり得意ではないということは知ってるし、俺達はもう仲間じゃない。だから、無理に仲良くなる必要はないということを前提として、聞いてくれ」


 レイシーは、ブルックスのことをあまり得意には思っていない。彼の人の良さは知っている。ただ、旅の途中、どうしても心を開くことができなかった。それでもレイシーは彼のことを仲間だと感じていた。大切な仲間なのだと。


 だから、もう仲間ではない、と言われた言葉に愕然とした。でもその通りだ。レイシー達の旅は、もうとっくに終わっている。


「できれば、なんだが。俺達、友達にならないか。ウェインと同じように、たまにここに来て、逆にレイシーが俺の街に来てもいい。嫌がるかもしれないと思って、旅の間は言えなかったんだが、どうだろう。ついでに友達というんなら、敬語もなしにしてもらえると助かる」


 どうにも尻がむずむずしてなあ、とブルックスはぼりぼりとお尻をかいている。


 言葉に、ならなかった。ちゃりちゃりと、レイシーの手の間から金貨がこぼれ落ちる。慌てて二人で拾って、もう一度立ち上がって、顔を合わせて、何度だって頷いた。ちょっとだけ泣いたというと、嘘であって、ぼろぼろと涙ならこぼしていた。



 レイシーとブルックスは、こうして友人となった。今度引っ越すときは、ちゃんと言えよと言葉を残して、手を振って帰っていく。引っ越すつもりなんてないけれど、もちろん、と声に出した。

 三つ目の依頼の完了である。


 ***


 そうして満足感を胸に日にちが過ぎ、特になんの変化もなく、いつの間にかいつものレイシーに変わっていた。成功を得た経験は人を成長させるが、彼女はとにかく内向的であり多分人よりも鬱屈している。


「暇ではないけれども暇のような、一体どうすればよいか……」

「レイシー姉ちゃん、彼氏はどうしたんだよ、振られたのか?」


 ウェインがレイシーの年が十五であると伝えてから、いつの間にかアレンのレイシーに対する呼び方は変わっている。村の境目である流れる川を見つつ、ぼやいているところにアレンがやってきた。彼氏とは多分ウェインのことだろうが、別にどうでもいいので無視することにする。


「ほら、あの金髪の兄ちゃん」


 と、ウェインの姿を思い描いているらしく、アレンは人差し指を立てる。その後ろには、アレンの父であるカーゴが。「え? 茶髪じゃなかったか」 さらには別の村人が、「んん? 黒髪だったろ」

 ウェインが村に来たのは一度ではないし、レイシーもすっかり馴染んでいる。彼らは互いに話し合って、いや違う、そうだと繰り返し、さらには別の住人も巻き込んでいく。


 それぞれが思い描くウェインの姿を説明するが、年と性別以外は、どうにも話が合わない。当たり前だ。ウェインは隠蔽魔法を使っていたから、見たものが思う一番地味な男の姿に変わっているはずだ。そんなこんなで喧々諤々し始める彼らから一番に抜け出したのはアレンだった。


「で、レイシー姉ちゃん。どうしたんだよ」

「依頼を、捜しているっていうか……。その、一応、何でも屋だし。でも、依頼人が、見つからず」

「あー」


 捜している、といっても日々こそこそと村の中を歩き回っている程度なので、レイシー自身もこれでは意味がないとわかっている。けれども一歩を踏み出せない。


「俺が依頼しようか? そろそろ種まきなんだけど。報酬は野菜で」

「……私は野菜をもらい過ぎだと思う……」


 あと多分、アレンがいう依頼はレイシーへの思いやりであって、絶対に必要なものではないのだろう。アレン一人でも事足りる作業量に違いない。


 うーん、と唸りながらアレンはレイシーの隣に座り込んだ。さらさらと、水が流れる音が聞こえる。嵐が来ると恐ろしく荒れ狂う川だが、そうでなければ日々村人を守る、ありがたい場所だ。アレンの妹の名前は、レインと決まり、レイシーも少しばかり挨拶をさせてもらった。赤子だというのにいつでもご機嫌にきゃっきゃとしていて、可愛らしい女の子だった。


「……レイシー姉ちゃんは、今までどんな依頼をもらったんだ?」


 参考までに、と尋ねるアレンに、ゆっくりとレイシーは指を折って数えてみる。一匹目、コカトリスのことは説明が難しいのでさっくりと無視をすることにして、二人目はアレンとカーゴの本人達の話だからこれも置いておく。だから説明できるとしたら三人目、ブルックスだけだ。言える内容が一つしかない。


 初めから、もう半年程度は経っているだろうに、一つだけ。

 情けないのか恥ずかしいのか、レイシーだってわからない。そして詳しく説明するのも気が引けたので、懐の中から匂い袋を取り出し、ざっくりと伝える。


「これを作ったの」

「……これ?」

「匂い袋。お花の匂いがするでしょ」

「お、おおおお」


 最後の台詞はアレンでも、ましてやレイシーでもない。アレンとレイシーが座り込んでいた背後から、両手を出してわきわきしている男がいる。両目は吊り目がちで、ぱっと見は狐のように見える男は、いつぞやの行商人だ。


「匂い袋ですか。面白そうですねえ、ちょいと失礼。お貸しいただけやす? はんわァ!!!」


 仰け反った。大丈夫だろうか、とレイシーは男を不安に見つめる。


「これが、匂い袋……? いや違うでしょ、こりゃ魔道具でしょ」

「はあ……」


 欠片であるが魔石を使用しているので間違いはない。ふんふん、くんくんと男の鼻は忙しなく動いている。


「これ、他にもお持ちですか。もしくは作ることができますかあ!」


 勢いがすごい。レイシーは押されるように頷いた。


「他に、とりあえずですけど作ったものは、いくつかと……。作れと言われれば、作ることももちろんできますけど!」

「お願いします! こちら、いくらでも買い取らせていただきますとも!」


 言い値で、とまではもちろん言わない。この程度で、と指を突き出す。一つ、銀貨二枚。えっ、とレイシーは跳ね上がった。驚いたのだ。もちろん、多くて。こんなもの、いくらでも作ることができる。けれどもそのさらに後ろにはカーゴがいる。行商人の手から匂い袋を持ち上げ、確認し、今度はそっと行商人が立てる指の数を増やす。三本に。つまり、銀貨三枚。


「これくらいはできるだろう。あとは数があれば、もっと増やせるかな」

「やだな、カーゴの旦那。こっちの商売に口出ししちゃ嫌ですよ」

「レイシーさんは妻と子の恩人だ。あんたも積み荷が助かったと言っていただろう。これでも、ここはプリューム(羽飾り)村だ。いくつも作って、あんたに売って来たからな。商売のイロハは知ってるぞ」


 にかり、と珍しくもカーゴが意地の悪い笑みを浮かべる。狐はだらだらと汗をかいた。そして根負けした。レイシーが知らぬ間に、話がまとまっていく。もちろん、無理というならやめましょう、といつもの笑みを見せたカーゴに、慌ててレイシーは首を横に振った。


 それから、レイシーの一日は目まぐるしく変化した。



 匂い袋はまたたく間に売れていく。作っても、作っても手が足りない。王都の、それも女性達に人気のようで、中には男性まで買い求めてくるという。アレンから依頼をもらうどころか、逆に彼に助けてもらった。外袋はレイシー一人が作ったところで、到底足りるものではない。いつの間にか村全体の事業となり、狐は高笑いを繰り返した。


 コカトリスの羽が消えた日から、いつかこんな日が来るかもしれないと思って、顔を出していたんですとも、コンコン笑っていたので、ティーが彼の全身をくまなくつついた。なんだって言うんですかと悲鳴を上げて、行商人は倒れ込んだ。ティーはとりあえずそれで満足したようで、イノシシに乗って、のしのしと消えていく。


 ティーの親といえばいいのか、フェニックスの子は自身の分身といえないでもないので本人と思えばいいのか。金色の羽飾りは望んで渡していたものではない。けれども、あくまでも彼らは知らず受け取っていた側だから、この程度の処置なのだろう。体中にクチバシのあとをつけて半泣きになっている行商人には、そっと薬草を渡した。その瞬間彼は細い瞳をあらん限りに広げて輝かせて、「これも売ってくださいなぁ!」と叫んでいたけれども、さすがにお断りをした。


 そのうち、匂い袋には一つの刺繍をするようにした。小さな星のマークだ。レイシー印の魔道具ならぬ、匂魔具と名付けられ、いつしかクロイズ国で知らぬものがいないとまでされ、製作者の名はふせられたまま不思議な星印だけが人々の記憶に残った。


 山のような金貨を見つつ、レイシーが呟いたことは。


「お金があればあれで、不安のような……」


 せっかくだ。ちょっと使ってみてもいいかもしれない。

 この間数ヶ月、レイシーは、ウェインに一度きりも、出会っていない。




 ***




 がたがたと揺れる馬車の中で剣を抱える。


「――いちょう。シェルアニク隊長!」

「ん、ああ、悪い。なんだ」

「いえ、少しぼうっとなさっていらっしゃったようですので、いかがされたのかと。馬車を止めますか?」

「問題ない。考え事をしていただけだ」


 ウェイン・シェルアニク。ウェインの名だ。隊長でも、そんなことがありますか、と幾人かの王国兵が軽く笑う。まあな、と軽く返事をする。レイシーやブルックスを相手にするよりも、その口調は冷えている。

 もともと、ウェインはこんな男だ。けれど、本来なら一つの馬車をまるまる使うことができるというのに、こうして兵士達と場所をともにする。初めは恐縮ばかりしていた兵士達だったが、今ではウェインの存在など気にせず談笑している。もちろん、上官がそばにいるというのも気が引けるだろうから、あまり長くいることもない。


 こうすれば、彼らの顔と名を覚えることができる。どんな人間で、何を考えているのか。

 数ヶ月の遠征は、確実に彼らの体力を蝕んでいく。けれど、新たに送られた物資に、妻からの荷が入っていたと、嬉しげに声を上げているものもいる。たしか、メイスといったか。新婚だったはずだ。


(想像よりも長くなったな)


 初めは、村を襲う大型の魔物を退治するという、ありふれた依頼だったはずだ。それがいつの間にかひも付き連続して、今である。ため息がでた。


「さすがに次で最後だ。浮かれるのはいいが、気を引き締めろ」


 彼らに視線も向けず、呟くようにウェインは指示したが、すぐさま馬車は静まり返る。そして返事が重なり合う。「ハイ!!!」「進軍中だ。返事は控えろ」「ハイ!!」 だからな、というところである。中でも一番元気に返事をしているのはメイスだ。よっぽど送られた荷が嬉しかったのだろう。


 最後の依頼は、他愛もないものだ。村の近くの洞窟付近に、どうやら魔物が出たらしい。近づくことができず、困っている。数はおそらく一匹。報告では奇妙な形をしていた。まるでそれは、蜘蛛のような形の、魔物であったという。



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