第21話

 


 想像よりもすっきりした寝起きだった。レイシーは朝の日差しを浴びながら伸びをして、右に、左にと揺れてみる。調子がいい。もともとどこでも寝ることができるから、借り物のベッドでも問題ない。

 けれどウェインはあまり気分はよろしくないようで、元気に飛び出したブルックスと比べると対照的だ。


「ウェイン、お酒を飲んでいたの? めずらしい」

「まあな」


 それくらいである。朝ごはんはレイシーが担当した。成長を見せつけるチャンスである。目玉焼きはちょっと焦げたが、まずまずの出来栄えだった。



 それから、また道場に赴き、試行錯誤する。できればもう少しばかり考えたくはあったが、プリューム村の屋敷も気になる。いつまでも留守にしているわけにはいかず、夕方になると、レイシーは再び身支度を終えた。ウェインは直接遠征先に向かうようで、どうやら魔物が活性化している地域があるらしい。大丈夫かと伝えると、魔族よりも、ずっとマシだ、と笑っていた。


 最初こそ圧倒されてしまったが、楽しげな街だ、と鞄を横掛にしつつ改めて考える。ブルックスがプリューム村までレイシーを送り届けてくれるらしい。一人でもまったく問題ないが、気持ちはありがたく受け取っておくことにした。


 レイシーとウェインは、名残惜しく夕焼けの街を見つめた。ブルックスは門下生達に指導の一つを残してくるということで街の出口で待ち合わせをしている。


「レイシー、今回の遠征は長引くと思う。だから、しばらく行けそうにないな」

「……わかった。気をつけてね」

「あんまり、根を詰めるなよ」

「うん……」


 頷いた。もともと、ウェインには会ったところで月に一度程度だし、数ヶ月来ないときもあった。彼にだって、彼の生活がある。「根を詰めるなよ」 そして再度、重たい声で告げられたので、レイシーは飛び跳ねた。頭の中には、すでにブルックスの依頼でいっぱいであることになぜバレてしまったのか。


「レイシー、お前は余裕を持て。その合間に飯を食え。とりあえず、花を育てて草木を愛でて、洒落っ気の一つでも覚えるくらいが目標だ」

「お母さん……」

「俺はお前の母ではない、せめて父と言え!」


 許されてしまった。

 ブルックスと約束の時間までは、まだ間がある。その間に、レイシーはティーへの土産を買うことにした。なんせ初めてのお留守番。今頃はキュイキュイ泣いているかもしれない。できれば食べ物を、と考えたけれど、ティーの食生活は未だ不明だ。ウェインと相談しつつ店を回って、レイシーはタラッタディーニを後にした。ウェインとの別れも、あっさりしたものだった。


 行きは馬に乗って、帰りは徒歩で。さすがのブルックスも、一人歩くレイシーを置き去りにすることもなく時間はかかったものの、平和な旅路だった。数日ぶりの我が家だ。ブルックスと別れ、レイシーは一人屋敷に向かった。てこてこと影から飛び出すものがいた。ティーである。


「ンキュイイイイ!!!」


 感動の再会、と思いきや、ティーは何かに乗っている。イノシシだった。ブルックスに土産として渡されたはずのイノシシの上になぜかちょこんと乗って、両手を開き、右に、左にと器用に互いの意志を合わせて移動している。一体なぜこんなことに。


 実は、レイシー達が旅立つその日、彼らをじっと見つめる瞳があった。それはこのイノシシだった。ティーとイノシシの寸劇が始まる。ウェインとブルックスに恐怖を覚え逃亡したイノシシは、歴戦のイノシシであり、このまま逃げ帰ることは、自身のプライドが許さなかった。村には魔物避けが張られていて近づけない。けれど屋敷ならば範囲外、となると、丁度旅立つレイシー達を睨みつけ、まずは嫌がらせをせんばかりに飛び出した。目指すは薬草畑である。


 しかし、それをティーが食い止めた。キュイーッ! と気合の一発とともにキックを繰り出し、イノシシはふらつく。突撃する。翼を開いて威嚇する。首を振ってぶもお! と鳴く。戦う。日が暮れる。そして生まれる友情。


「なるほど」


 よくわからないけれど、まあいいかと頷いた。レイシーはよくわからない事態にも人よりもスムーズに受け入れがちである。そういうものだと言われると、なるほどと納得してしまう。というわけで、レイシーとティー、そしてイノシシの共同生活が始まった。


 まるでコカトリスのために薬草を作ったときのようだ。毎日、試行錯誤を繰り返す。あれが違う、これが違う。魔術はいくらでも作ることができる。けれど、魔石に詰めるとなると、難しい。


 ――視界の端では、イノシシに乗ったティーがてこてこと屋敷の中を暴れていた。あんまり足跡がついても大変なので、玄関の前で足を洗ってもらうようにお願いすると、次の日からイノシシの足は綺麗になっていた。なので屋敷の中でも放し飼いである。ティーに友達が増えたのはいいことだ。


 ――紙束の前に座って、ペンを走らせてみる。わからない、とばっさりと紙を投げ捨てた。イノシシがキャッチする。ティーはそれを集めて回る。さあどうぞ、と渡されて、逃げ切ることができない。


 ――大量の野菜をイノシシは食べる。屋敷には、アレンとカーゴから渡された野菜達が山ほどある。こいつはうまい、と尻尾を振って、こちらもいいぞとティーがイノシシに教えてやる。二匹が薬草を食べている。もう少し収穫量を増やした方がいいだろうか、と畑を広げた。




「ううう、思いつかない!!!」


 レイシーは畑に大の字に転がり、地団駄を踏んだ。考えすぎて、頭の中がおかしくなってしまいそうだ。一人きりでなくてよかった。そうじゃなければ、レイシーはすっかりおかしな人だ。イノシシ達のために広げた畑の上で、空を見上げる。まだ薬草は植えていないから、体中土だらけだ。一回、頭を空っぽにしようと思った。根を詰めるなよ、と言ったウェインの声が聞こえる気がする。大丈夫、と誰とも知らず呟いて、手を伸ばす。


「ウェイン……」

「ぶんもおおおおおおお」

「キュイイイイイイイイン」


 そしてまた現実に戻ってくる。


「……大丈夫? というかうわあ、そっちは花畑……」


 ティーはいつのイノシシの上に乗って、そこら中を駆け回っている。本人達が楽しげなので別にいいけれど、スピードには気をつけてもらいたい。


 二匹がつっこんだのは、新しくできた花畑だ。大きな花びらは立派に開いていて、色とりどりの目にも鮮やかな色彩で、見るだけで楽しくなる。タラッタディーニで、ティーへの土産として買った種を育てたのだ。『花を育てて草木を愛でて、洒落っ気の一つでも覚えるくらいが目標だ』というウェインに、とりあえず花を育てる程度ならできるのでは、と薬草畑のついでとばかりに広げてみた。


 プリューム村とあちらでは気候が違うが、そこはお決まりの土の魔術改造である。何回かの試行錯誤のもと、薬草と同じく成長の早い花達が、むくむくと育っていった。ティー達も喜んでいた。そして、この花に水をやる度に、レイシーはウェインのことを思い出す。飯を食え。そうだ、そう言っていた。二匹と一人で食卓を囲む準備をする。


 ウェインはいないはずなのに、彼はこんなにもレイシーの中に潜んでいる。


「ああ、花びらが……」


 いくつかは散ってしまっている。イノシシとティーは初めこそは目を回していたが、彼らも大切にしていた花畑だ。しゅんとしつつ、レイシーに謝り、花達にも頭を下げる。


「してしまったものは仕方がないから。次は気をつけてね。二人とも、花びらでいっぱいだよ」

「ぶもお……」

「きゅ、キュイ……」


 二匹は互いにチェックしつつ、ぶるぶると体を振るった。どうやらしっかりと花の匂いが染み付いてしまったらしく、不思議そうな顔をしているから、レイシーは二匹に視線を合わせて座り込みつつ、笑ってしまう。


 タラッタディーニで買った花は、潮の匂いにも負けないくらいに、香りがしっかりしている。けれど、不思議と不快ではない。落ちた花びらをつまみながら、すん、と匂いをかいでみた。そのとき、ひらめいた。


 レイシーは急いで落ちた花びらを回収し、回復薬を作る要領で花を煮つめていく。そしていくつかの調節を繰り返し、出来上がった。鳥の手紙を作り出し、ブルックスのもとへ飛ばす。前回、彼には印をつけておいたので、郵便で届けるよりも断然早い。封筒には出来上がった代物を詰め込んでおく。


 数日後、まさかのブルックスはレイシーの屋敷の扉を直接叩いた。手紙が届いて、使用して、そしてやって来て、となるとどう考えても時間が足りないはずだが、どうやら彼は限界を超える速度でやって来てしまったらしい。頬を興奮に紅潮させたブルックスはレイシーの手を掴み、何度も上下させて感謝の言葉を繰り返した。


 体ごとぶんぶんとされながら、どう言っていいものかわからなくて、レイシーは曖昧に笑った。大したものなど作っていない。むしろ、なぜすぐに思いつかなかった、という話だ。


 彼女が作ったものは、匂い袋。小さな袋に、花の香りを詰め込んだものだ。

 ただ、ちょっとした特別製だけど、と考えた彼女のちょっとした、は、もちろん全然小さなことではないのは、いつものことだ。

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