第19話

 


 とにかく、街は喧騒に溢れていた。誰かが何かを叫んで、それに応じる。男も、女も、子供も。カラフルな屋根だと思っていたら、驚くべきことに建物の壁まで色とりどりで、赤や緑、青色黄色、それぞれが個性を主張している。


「こりゃすごいな」


 馬の手綱を引いて歩きながら、周囲を見回して声に出したウェインの言葉に、こくこくとレイシーは頷く。「ふんぐっ!」 うっかり、人とぶつかった。レイシーは人の中を歩くことは苦手だ。

 新しい街に行くのは、もちろん初めてのことではない。けれども、ここまで特徴的な街はあまりない。潮の匂いと一緒にからからの太陽の日差しがやってくる。人々がとにかく元気なのは、暑さをごまかすためなのかもしれない。


 ブルックスと同じように日に焼けた住人達が、レイシーのすぐとなりで、けらけらと笑っている。跳ね上がった。ウェインはレイシーの手を引くか否か、と考えて、そのまま拳を握った。そこまでするほど、彼女は子供なわけではないと考えた。

 そんなウェインの考えも知らず、まるで周囲にブルックスがたくさんいるようだ、とレイシーはぽかんと口元を開けた。


 まさかブルックスが声も体も大きいのは、土地柄だったのか、驚きの瞳で見ているとも知らず、ブルックスは、「がっはっは!」と笑ってこちらに背中を見せている。街に着き、いつの間にか外套を脱いで立派な筋肉を晒している。暑いからだろうか。レイシーとウェインは風魔法でなんとでもなるが。


 転移魔法は文字通り、空間を飛び越える。どこにでも行くことができるわけではなく、各地にある祠をつなぐが、利用できる場所には制限があり、ブルックスはここ、タラッタディーニとレイシーのプリューム村に一番近い祠を利用することができるのだろう。


 プリューム村の祠からは、通常ならさらに二日程度の距離で王都もある。さすがに、王都と目と鼻の先の祠の使用許可はでなかったろうから、場所としては妥当なところだ。プリューム村が近いのは、ただの偶然だろう。


 もしこれが村とは反対方面に、王都を越えての先であったのなら、長い旅路を想像して、レイシーはぞっとした。誰か助けてほしい、と具体的に光の聖女である彼女に両手を合わせて願っていたかもしれない。ダナなら細い拳を握りしめて、腹に一発うめるがごとく、ブルックスを止めてくれる。ただ、そこまでの距離だったなら、さすがのブルックスも今回の旅を言い出さなかっただろう。……多分。


 というわけで、本来なら船でどれほどの時間がかかる場所も、一瞬でたどり着くことができる。場所が変われば風土も異なり、その場にいる人々も変化する。街の中心にたどり着くと、そこには大きな銅像がそびえていた。ブルックスである。ブルックスの銅像の下に、ブルックスが同じポーズで笑っている。レイシーは混乱した。どういうことだ。


 この賑やかな街の中でも、ブルックスの声はやはり目立つようで、気づいた住民の一人が「おかえりなさい、ブルックス様!」と叫ぶと、どんどん人が溢れてくる。レイシーはぎゅうぎゅうに潰された。隠蔽魔法をかけて、印象を変化させているウェインもしかり。今度こそ手を握っているか考えている場合ではない、とウェインが思考する暇もなく、レイシーと二人、人の中を押し流されていく。ウェインの愛馬はひひんと逃げた。


 一体どういうことなの、声を上げるかわりに、レイシーは気づかぬうちに、「ひええ!」と情けなく叫びつつ両手で杖を握りしめていた。





「いやあ、すまんすまん!」


 頭をひっかきつつ謝罪するブルックスに生ぬるい返事を返しつつ、レイシーとウェインは目的地まで向かう。崖に面するようにできている街だから、階段もとにかく長い。ウェインの馬を連れてくることはできなかったから、ブルックスの屋敷に先に寄った。今頃疲れ切った顔で、厩舎で草を食んでいるだろう。



「……ブルックスは人気者、なんですね」とレイシーが呟いた言葉はそのままの意味だ。決して、嫌味のつもりではない。あんな風に、町の人達に手放しで歓迎されるなどレイシーには想像もつかない。


「ああ、地元だからな。あの銅像は旅から帰ったら出来上がっていた。最初は俺も面食らったもんだが、今はとりあえず帰ってきたら同じポーズをとることにしている。その方が周りも喜ぶからなァ!」


 レイシーへの手土産にせよ、サービス精神の溢れる人だ。

 とりあえず現在向かっているのは、カラフルな街のさらにてっぺんであり、彼の“困りごと”へだ。どこに、ということは聞いてはいるが、何を、ということはまだ聞いてはいない。どうせ着けばわかるのだ、とレイシーは短い足をよいしょと伸ばして、石を削ってできた階段を上った。


 たどり着いたのは、驚くほど閑静な場所だった。

 先程までの喧騒が嘘のようで、街を一望できる。ぞっとするような高さだったが、そんなことは気にならなかった。吹き荒れる風は、少しだけべたついていて、不思議な感覚だった。どちらかというと、いい方に。

 くり抜かれた崖の中に、一つの建物があった。あれほど街は色とりどりだったというのに、補強はされているものの、木材をそのまま使用している。


「……なんだか、落ち着く場所だな」

「だろう!」


 ぽつりと呟いたウェインの言葉も、この場所ではよく聞こえる。ブルックスは嬉しげに胸をはった。


「ここは、俺の“道場”だ! さあ、入ってみてくれ!!!!」



 ***



 道場、という言葉はレイシーは初めて聞いたが、どうやら修練場、という意味なのだそうだ。ブルックスは戦士であり、その訓練方法は特殊だ。そして、レイシーの魔術とも、ダナの奇跡とも異なり、彼は自身の身の内にある魂を力としている。人には誰しも魂があり、それを膨らませ、鋼鉄のように変化させることで、体の表面を硬く、強くさせる、らしい。これがブルックスが馬よりも速い理由である。


 昔、旅の途中で説明を何度か聞いたのだが、さすがのこれはレイシーにもまったくもって感覚を掴むことができなかった。

 魔術とは体の外側を術式で作り変える技であり、ブルックスのそれは反対だ。おそらく、魔術に精通すればするほど、相性が合わなくなるのだろう。


 道場では靴を脱ぎ、素足となるらしい。木の上を直接歩くという奇妙な感触を素足に味わいながら、レイシーは辺りを見回した。レイシーよりは平静を保っているが、ウェインも似たように、その瞳の奥は興味深げで楽しそうだ。


 人に見立てているのか、道場には棒に巻き藁をつけたものがいくつかあり、鉄鋼の手甲をつけた門下生達が掛け声とともに腕を巻藁に幾度も叩きつけている。外では静かだと思ったが、入ってみると活気があり、セイ、セイと気合の声が響いていた。


「ブルックスの願いは、自身の流派を作ることだったな」

「ああ、そうだ」


 ウェインの声に、ブルックスは頷く。門下生達がブルックスに気づき、師範代と呼ばれる言葉にも返答しつつ、続けるように伝える。


「知っているとは思うが、クロイズ国では流派を作る際、国の許可が必要となる。下手なものをでっち上げられてもかなわんからな。いくら魔王を倒した勇者パーティーの一人と言ったところで、本来なら俺のような若造が認められるわけがない」


 そして、彼の願いは認められた。レイシーは、一人ひとり、仲間の願いを思い出す。彼女が自由になりたいと願ったように、それぞれ求めるもののために、王に願った。


(あれ……)


 そんな中で、ふと不思議なことに気がついたが、「それでだ、俺がレイシーに依頼したいというのはな」 続いたブルックスの言葉に、キリと眉を引き締める。


 ブルックスは、普段は快活な表情を珍しく難し気にして、「まあ、見てみた方が、早いな……」 声まで沈んでいる。レイシーはウェインと目を合わせた。普段の様子と異なっているものだから、こっちまで不安になってくる。


 ブルックスは、一人の門下生を呼んだ。手甲をがしゃがしゃと両腕につけたまま、額には汗が滲んでいる。


「あれは、まだそのままだな?」


 頷く。あれ、の一言でわかるということは、彼らの中で共通の認識があるということだ。「持ってきてくれ。とりあえず、布にいれてでいい」 短い返事とともにもう一度頷き、すぐさま消える。そして、戻ってくる。


 大きな布だった。とはいっても、レイシーでも抱えて持てる程度のサイズで、なにやらがしゃがしゃと音がしているから、硬いものであることはわかる。まあまあ、と言いながら、ブルックスは床にどっかりと座った。レイシーとウェインもそれに倣う。布袋をもらい、「とりあえず、覚悟をしてくれ」と神妙な声を出して、ブルックスは袋を床に置いた。


 そして、ゆっくりと紐をとく。


「ふ、ふん、ぐ……!?」


 レイシーは泣いた。

 ――とりあえず目尻に涙を溜めて、必死で口元を抑えた。

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