第18話

 

 びしり、と三本の指を向けるブルックスに、レイシーはただ瞬いた。

 まず聞こえたのはウェインのため息だ。


「……ブルックス、お前、金貨、ということは報奨金をそのまま使おうとしてるだろう」

「ばれたか」

「しかもそれ、財布の中に入っている金をそのまま言ったな?」

「うはは、それもばれたか!」


 魔王討伐のためにもらった報奨金はもちろんその程度ではないが、銀貨ならともかく、金貨を支払いに使用することはまれだ。もらった金を全て持っていくのはさすがにどうかと思いつつ、面倒だと財布の中に数枚をつっこんだのだろう。どんぶり勘定であるブルックスらしいといえば、彼らしい。


「えっと、金貨、その、金貨って……」


 それだけあれば、レイシーが王都で泊まっていた宿に、半年は居座ることができる。食事はなしだったとは言え、一人部屋だ。レイシーは、思わず胡乱にブルックスを見てしまう。


「あ、あっさりと投げ出しすぎなのでは……」

「そうか? 本当に困ってるんだ。報酬は妥当だとはおもうがなあ」


 もちろん、その何十倍もの報奨金をあっさりと教会に寄付してしまったレイシーが言えた台詞ではない。

 そして、ブルックスが言う困りごと、というのもなんとも謎だ。依頼を受けるか受けないかと、小さくさせて鞄に入れていた杖を、知らずに握りしめてしまう。でもすぐに首を横に振った。まず、断る、という感情が前面に出ているのがレイシーの悪い癖だ。頑張ろう、とついさっき考えたばかりだというのに。


 三人目、いや、一匹と二人目の依頼人。それが信頼のおける仲間からというのなら、場数を踏む絶好の機会である。レイシーは無意識にも自信がなさそうに垂れていた眉をキリッとつり上げ口元も引き締める。


「……よければ、ご依頼の内容を、伺わせてください」

「お、なんだか本格的になってきたな!」


 ちゃかすな、と言いたげにウェインはお茶請けのおかわりをテーブルに置きつつブルックスの体を叩くが、もちろんびくともしない。

 ブルックスは、ううん、と太い腕を組みながら考えた。


「こう、な。困ってるんだ」

「はい」

「なんというか」


 鼻の辺りにシワをよせつつ、ブルックスは考え込んでいる。そして、拳と手のひらを、パンッと打った。嫌な予感がする。


 ****


 それからすぐにレイシーは後悔することとなった。


「ぶ、ブルックス、速すぎじゃないの!? 本当に彼は人間なの!?」

「残念ながら人間なんだ」


 ウェインの愛馬の後ろに乗りつつ、今まさに豆粒のようになりながら駆け抜けていく男の背を見つめる。ダハハハハ! と楽しげな声が聞こえてくる。

 こちらは馬、あちらはその身一つ、であるはずが、おそるべきことに彼は馬より足が速い。





 紅茶を飲み干し、菓子を頬にいっぱいに詰め込んだブルックスは、『説明するより、見る方が早いに決まっている! というわけで出発だ!!!』と勢いよく椅子から立ち上がった。解放されたとばかりに椅子から聞こえないはずの悲鳴が聞こえたような気がしたがそれはさておき。


 どんな内容であれ、引き受けたいと思ってしまった手前、あとに引くこともできず、レイシーは気づけば旅支度をすることになっていた。すっかり意識が飛んでいたとしても、無意識で準備ができてしまう、旅慣れをしている自分が恐ろしい。


 ウェインは腕を組みながら慌てて準備をするレイシーを見つめ、しばらく渋い顔をしていた。別に、ブルックスとともに旅をするからではない。自身の休暇の日数を頭の隅で数えて、よし、と頷く。


『ブルックス、俺も行くぞ。ただ行けても二日ばかりになってしまうが』

『もちろん問題ないぞ!』


 ドンッと強く胸を叩くブルックスは懐が広いというか、なんというか。そしてティーはレイシーの頭の上でや足元をうろちょろとしていたものの、キリッと瞳を気合につり上げ、ばさりと羽を広げた。


『ンキュイイイインッ!!』


 てっきり、一緒にいくものかと思っていたのだが、どうやら自分は屋敷を守ると主張しているらしく、こちらはこちらで初めてのお留守番だ。不安ではあったが人間よりもずっと成長の早い魔物は、すでに生まれたばかりの子供とは到底いえない。ティー自身のやる気もみなぎっていることから、それじゃあ、お願い、とレイシーはティーのクチバシをゆっくりとつついてやった。


 こちらも、初の任務というわけだ。

 お腹が減ったら、いくらでも薬草を食べていいからね、と言い残し、レイシーはティーに手を振った。


 ――しかしキュイキュイ、と体をダンスさせつつ返答するティーを、息を殺し、遠くからじっと睨むように見つめる影があったことは、そのときは誰も気づかなかった。



 あれよ、あれよという間に旅立つことになり、慣れた旅路であったはずが、ブルックスの声の大きさをレイシー達が忘れていたように、ブルックスも自身が超人的であることを忘れていた。始めは襲いくる魔物をどかどかと蹴散らしながらだったのだが、次第に魔物達もおかしな気配を察したのか、手すらも出してこなくなる。


 魔王が消えてしまった今、魔物よりもより知性の高く、強い力を持つ魔族はもう生まれることはなく、少しずつ数を減らしている。けれども魔王と関係のない、ティーのような魔物はもちろんそこいらに生息する。旅をするとなると、まずは彼らの存在に気をつけなければいけない。


 だからこれはこれで平和だし、戦う必要もなく楽な旅……のような気はするが行き先はわかっているもののさすがにブルックスを見失うわけにはいかない。ウェインの愛馬はよく訓練されていて、クロイズ国でも五本の指に入るほどの名馬だが、相手は馬ではない。化け物である。蹴り合っていては馬も騎手も、体がいくらあっても足りない。


「ウェイン、魔術を使うから、一瞬バランスがおかしくなると思う!」

「わかった!」


 バッグの中から杖を取り出す。刻一刻と変化する状況に合わせるべく、レイシーはすばやく呪文を唱えた。その瞬間、レイシーとウェインの体がわずかに軽くなる。「うわっぷ」 ウェインの腰から両手を放していたからばたばたして、慌ててくっついた。そんなレイシーを見て、「さすがだな」とウェインは呟く。


 重力の全てをなくすこともできるが、そうすると吹き飛ばされてしまう可能性があるし、馬も誰を乗せているのかわからなくなる。適切な調節が必要だが、ただの魔法使いが一朝一夕にできるものではない。


「レイシー、捕まっとけよ!」


 返事の代わりに、レイシーは強くウェインの腰を両手で掴む。腕の感触を確認し、振り返ることなくウェインは手綱を強く握った。





「おお! プリューム村から半日程度か! 予定よりも随分早くついたな!」


 嬉しげな様子であるブルックスの後ろではげっそりとした顔のウェインとレイシーがいた。とりあえず、お疲れ様ですとばかりに、レイシーは馬には薬草を食わせている。馬はやりきった顔つきで、ぶるぶると声を出していた。まさかずっと走らせるわけにはいかないので、一時間程度ごとの休憩が必要だった。


 休憩の際に声をかけてからというものブルックスも気にするようにしてくれていたようだが、馬と長時間並走する人間を見ると心臓が痛くなる。

 ブルックスはむちゃくちゃな人間だったが、レイシーの記憶ではこれほど人外ではなかったようなと記憶を遡らせる。まさかこの数ヶ月で、さらなる鍛錬を重ねすぎてしまったということだろうか。もしくは、レイシー、ウェイン以外の仲間がいないことで、さらにストッパーが壊れていたのかもしれない。


 ウェインとともに馬に水と餌をやり終え、杖を握りしめながらじっと疑いの視線を向けるレイシーには気づかず、ブルックスは草原の中の祠を探した。祠は人が数名入れる程度の大きさで、誰からも忘れられたようにぽつんとそびえている。表面にはところどころ緑の苔が生えていて、ブルックスはそれを軽く叩きながら、ここだと告げた。


「俺もあまり使うことはないんだがなあ」


 世界には、誰が作ったかもわからない魔術が残されている。その中には限られた人間のみ使用でき、決まった場所へ人間を転送する術式も存在する。こういった祠は各地に点在しているが、さすがのレイシーでも転移魔法を再現することはできない。そしてこれは基本的には有力者のみ使用が可能だが、ブルックスのように街の要となる人間にも許可されることもある。


「さあ、入ってくれ」


 馬を含めて三人。大きすぎる体のブルックスを含めるとぎゅうぎゅうだ。レイシーはウェインにくっつくように祠の中に入った。頬がウェインの胸元でぺしゃんとなっている。なんだか気まずいものを感じる。それからウェインの手がかばうようにレイシーの背中に回されていることに気づき、思わずレイシーは小さな体をさらに小さくさせた。


 瞳を瞑ってもう一度開けたとき、潮の匂いがレイシーの鼻をくすぐった。


 先程よりも、随分明るい。瞑った瞳に明かりが差し込み、暗いはずの祠の中でウェインに片手でかかえられたままそっと両目を開き、外の景色を見つめる。

 音が聞こえた。


「あ……」


 波が、叩きつけるようにこちらに向かっていた。崖の向こうは、どこまでも真っ青な海が広がり、きらきらと太陽の光が反射している。旅をしている中で、幾度か海を見たことはある。けれど、何度見たって慣れない。広くて、大きすぎて、レイシーをすっぽりと包み込んでしまいそうだ。


「絶景だろう!」


 いつのまにか、崖の上ではブルックスが祠から飛び出して、こちらに大きく両手を開いていた。その背中には、海上に面した、色とりどりの屋根の街が見える。


「――あそこが海の街、タラッタディーニ! 俺の故郷だ!!!!」

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