第17話
ブルックスは一言でいうと、あつい男である。熱いし、厚い。体の厚みは、レイシー三人分程度はあるんじゃないかと疑う程度だ。
いつまでも見下ろしていては失礼だろう、とレイシーは慌てて階段を駆け下りた。その後ろをウェインが追いついて、キュイキュイ言いながらもティーがてこてこ歩いてくる。
「ウェインもいるじゃあないか!」
「あ、ああ久しぶり、ブルックス……」
「丁度いい、みんなで食おう、土産だッ!!」
何かをかかえていると思ったら、立派すぎるイノシシだった。「い、いら……」 思わず本音のままに、いらないと告げてしまいそうになったところで、レイシーは冷静に首を振る。いけない。こういうところがよくない。ブルックスも、ブルックスなりに考えてのことなのだから。まずは好意を受け取ろう、顔を上げた。
「ありがとうブルッ」
「ぶもおおおおおおおお!!!」
「うっかり殺し忘れていたな!!!!」
「そんなうっかりがあるか!?」
「クス……」
すっとレイシーの意識が遠くなった。そうだ、数ヶ月ぶりだからすっかり忘れていたというか、忘れようとしていたというか。ブルックスは大きすぎる男だった。立ち上がったイノシシはまずは怒りに震えた。このやろうとばかりにぶもぶも叫び、四本の足を床に叩きつける。そしてブルックスに向き合った。
イノシシとブルックスは言っていたが、長すぎる牙はどう考えても魔物である。一般的なイノシシの範疇には収まらない強さであるはずだ。「ん?」 しかしブルックスは腕を組んだままイノシシを見下ろした。「ぶ、ブキュ……ッ」 あまりにも気の毒。おそろしいことにも、彼は常時威圧を行っている。
それならば、とイノシシはパーティーの中で一番弱いものを狙うべく、視線を回した。彼の目に映ったのはレイシーだ。大きな帽子のつばをひっぱりぐらつかせて、イノシシと目が合うと驚くように瞬く。弱いものから制圧する。それが様々な困難を乗り越えた、イノシシの流儀であった。しかし悲しいことにイノシシは気づかない。そもそも、このパーティーに最弱など存在しないことに。
ぶもお! と飛びつかんと前足に力を入れた瞬間、イノシシは激しい殺気を感じた。冷徹なまでに冷えびえとしている。少女ではない、その隣に立つ一人の男だ。ただの金髪のイケメンかと思いきや、背後には死神が見えている。イノシシは死を覚悟した。飛び込んだ足を反転させ、見事なまでに逃亡する。「ぶんもおおおおお!!!!」 おそらく何らかの捨て台詞を叫んでいる。
「……危機回避能力がおそろしく高いイノシシだったな」
「……このまま村を襲わないかしら」
「方向も違うし、村には魔物避けもあるだろう。大丈夫だと思うがな」
「土産がなくなってしまったなッ!!!!!!」
そういう問題ではない。
そのとき、寝起きだからか羽を使うことなく、ゆっくりとレイシーの足元へ歩いてきたティーの姿をブルックスは確認した。しなやかに腕を伸ばし、すばやくティーの頭を掴み、座りながら見下ろす。若干瞳孔が開いている。
「腹の足しにもならんかもしれんな……」
「ンンキュイイイイイイイイ!!!?」
「さすがにそれだけは絶対にやめて!!!!!!」
***
自分でもあれほど大きい声が出るとは思わなかった。レイシーはへたり込みながら山盛りの料理を平らげていくブルックスを見つめた。
「久しぶりに食うウェインの飯はとにかくうまい!!!」
「そうかよ、そりゃよかったよ……」
テーブルの上には、野菜をふんだんに使ったフルコースだ。それが、皿の端から消えていく。ブルックスが座る椅子は、通常のサイズであるはずなのに、今はとても窮屈なようにも見えた。ウェインはどこから取り出したのか頭につけた三角巾を片手で剥ぎ取る。腰には回したエプロンを回しているが妙に似合っているというか、似合いすぎているというか。
そもそも、ウェインは貴族の子息である。そんな彼が、なぜこうまで家事に精通しているかというと、魔王討伐のために集められた面々が、それぞれ食わせ者すぎたからだ。
みんながみんな自分自身のことにしか興味がなく、ブルックスはとにかく鍛錬のみしか頭にない。もちろん、食事の係を言い当てれば、まかせろと胸を叩くものの、出てくるものは魔物の姿焼きばかり。自分でもおかしいと首を傾げるものの、改善はしない。というか、できない。
過去の仲間達は、それぞれ有能の皮を被ったポンコツ達であり、任せる内容によっては驚くべき成果を出すものの、こと、旅をするという面に置いては彼らほど役に立たないものはなかった。レイシーはレイシーで、誰よりも大規模な魔術を使用するくせに、他の面は消極的が過ぎて、気づいたら一人で死んでいるのでは、とウェインはとにかく不安の毎日であった。
とにかく彼らの中で、一番器用で、一番まともな人間がウェインだった。初めは仕方なしに、であったはずが、次第に自身の性に合っていることに気づいて、実は今もいそいそとエプロンを着込んで作業に当たっていたのだが、できる限り顔には出さないようにしている。
レイシーよりも大食らいのブルックスは作りがいがある。
しかしレイシーはブルックスを剣呑な目つきでじっと見つめた。一年旅をした仲間であるから、悪い人間ではないということは知っているし、声が大きいだけで、中身はあっけらかんとした、男気のある男だと知っている。ただ、それでも尻込みをしてしまう。旅をしていたパーティーのみんなは、レイシーにとって大切な人たちで、大切な思い出だけど、レイシーが自然体で接することができるのは、ウェインだけだ。
「あの……久しぶり、です。ブルックス」
「おう!!!!! 久しぶりだな!!!!」
口元から大量のパンくずがとんだ。すっとレイシーは距離を置いた。ウェインは椅子を反対にして座りながら「ブルックス、音量を調節しろ」と伝えている。「おう、すまんすまん」 気づいたら大声になってしまう男だが、一応気をつければ人よりも抑えることができる。それでも驚いて振り向く人もいるだろう声量だが。
「そこの鳥もすまんかったな。ちょっとうまそうに見えたんだ」
「キュイキュイキュイキュイキュイ」
「震えているのでやめてあげてください」
「ん? そうか。んん!? レイシー、お前、頭がおかしいぞ、でかいたんこぶが、二つもある!!」
ハッとしてレイシーは自分の頭をなでた。先程、ウェインが発案した髪型である。帽子で隠していたはずが、怯えるティーに帽子を渡してしまったので、すっかり外にさらしている。たんこぶ、と言われたことで、静かにレイシーは顔を赤らめた。ぶるぶるしつつ唇を噛みしめる。
「……ウェイン、お願い、とって、死にたい……消えたい……」
「死ぬな死ぬな。ブルックス、言葉が悪い。たんこぶなわけがないだろう。こういうのはかわいいって言うんだ」
「かわいいな! うん、うまそうでそう思っていた。かわいいぞ!」
「もういや……」
始終こんな様子であるので、レイシーはやはりブルックスに苦手意識を持ったままだ。
実のところ、レイシーにはもう少しばかり洒落っ気があってもいいのではないか、とウェインは思っての行為だったのだが、あまりのタイミングの悪さにため息をついた。
すんすん鼻をならしつつ小さくなるレイシーの髪をほどいてやりつつ、すっかり騒がしくなった屋敷に苦笑する。まるで、旅をしていた日が戻ってきたようだ。
「……で、いきなりどうしたんだ?」
「土産がなくてすまんな」
「それはいいというか、どれだけお前の中で土産の比重が高いんだ」
「お前達二人は王都に残っただろう。久しぶりに仲間達の様子を知りたくなってだな。けれどレイシーは家にいないし、ウェインもどこかに消えたと聞いた」
「消えてない。休暇中だ」
「だからウェインの匂いを追うことにした!」
「おそろしすぎて死にそうだ」
ブルックスは白い歯を見せながら厚い胸をドンッと叩いているが、ウェインは頭をかかえている。つまりこうだ。
「心配してくれたんだな? そりゃ悪かったよ。でもな、まずは訪ねる前に文を出せばいいだろう。ただそうだな、レイシーが引っ越したことを誰にも伝えないのはよくなかったな」
前半は、ブルックスに、後半はレイシーに。
ウェインにほどいてもらい軽くなった頭を確認しつつ、レイシーはすぼんだ。
「……ブルックス、ごめんなさい」
「いやあ、すまん! ウェインの言う通りだ。ちらりと思いはしたのだが、手間だと思ってな。しかし人間、きちんと順序を踏むべきだったなあ!」
つまり、文字を書くよりも走った方が早いと考えたのだろう。さすがはブルックス、と思いつつも、レイシーはわずかばかりの嬉しさを噛みしめた。
レイシーのことなんか、誰も興味がないのではないかと思っていた。ウェインは人よりも輪をかけたお人好しのお節介だから、こうしてレイシーが生きているかどうかを確認するため、わざわざプリューム村まで来てくれるが、他の仲間達はわからない。
いや、実際、彼らはレイシーが手紙を書いたとして、きっと全員が全員、返事をくれるに決まっている。けれどもし、どうでもいいと思っていたら。心の隅に、ちりりとした不安があった。だから手紙を前にして、宛名の一文字を書いて、それ以上書きすすめることができずにいつの間にかペンにつけたインクも乾いていた。
けれど、そう考えていたことが失礼なことだと感じた。知らぬ間に消えてしまう方が、心配をかけてしまうに決まっている。
そもそもレイシーはウェインがこの場に来る理由も彼の性格からだと思い込んでいるが、別にウェインも誰に対しても親切なわけではない。
「俺も知っていたんだ。そこまで気が回っていなかった、悪かったな」
「ウェ、ウェインが謝るのはおかしいわ」
「そうだウェイン! 知っていれば、引っ越し祝いにきちんと逃げない土産を持ってきていたというのになァ! まったく水くさい!」
ウェインもレイシーも王都にいないとなると、おそらく二人でどこかに行っているんだろうと思っていた、とブルックスはがははと笑っている。
「……ごめんなさい。そうね、みんなに、手紙を書くわ。ちょっと遅くなってしまったけど」
レターセットは、きちんと書斎の机の中にしまい込んでいるのだ。それがいい、とウェインは口元を緩めてレイシーの頭をなでた。いつものことなのでそのまま受け入れていると、ブルックスは青い目をじっとこちらに向けている。
途端に恥ずかしくなって、ぶるぶると首を振って、ついでにウェインの手をぺちぺちと叩いて逃げた。
いつの間にか食卓に並べられた皿もからっぽになってしまっている。ティーも、悪い獅子ではないと思っているのか、食卓の上をちょんちょん歩いて、赤に少しばかり金の混じった尾をブルックスの前でぴろぴろと振って主張している。行儀が悪い、とレイシーに怒られて、しょぼんと彼女の肩に飛び乗った。
ブルックスはブルックスで満足げに腹を叩いた。けれども、レイシーもウェインも、彼と旅をしているので理解しているが、こんな量では彼にとっては腹ごなしにもならないだろう。
「それでブルックス、お前が来たことは、特に理由があって、というわけじゃないのか?」
仲間の様子が知りたくなって、とブルックスは言っていた。パーティーの中で一番明るく、社交的だったのは彼だ。ブルックスはにっかり笑って、「まあな!」と頷く。レイシーとウェインは視線を交わし、それから、互いに顔をほころばせた。
三人で顔を合わせるのは、たったの数ヶ月前のことだというのに、ひどく懐かしい。食事の皿の代わりに、お茶とお菓子を載せて、レイシー達は会話に花を咲かせた。パーティーを解散するときにレイシーの婚姻の予定を仲間達には告げていたから、婚約の解消を伝えると、ブルックスはもともと大きな目をまんまるにさせて驚いた。
それから、アステールの名をもらったこと。プリューム村に来た理由。あった出来事。
案外、ブルックスは聞き上手な男だから、おう、おう、と一つひとつ大げさに言葉を落として、大きく頷き、驚く。それこそ話していて気持ちがいいほどだった。レイシーの下手くそな説明にも、興味深げに、体を前のめりにするように耳を傾けてくれる。
生まれてから十五年と少し、その一年にも満たない短い時間だったというのに、まるで怒涛のような時間だった、と改めて感じた。拙く、それでも必死に言葉を重ねるレイシーをウェインは柔らかな瞳で見つめている。
さて、と。
そんなに長い時間ではなかったが、内にあるものを伝える行為は、ひどく緊張するものだった。いつの間にかレイシーの頬は真っ赤になっていて、ゆるゆると息を吸い込み、吐き出した。喉はすっかりカラカラだったから、ウェインが淹れてくれた紅茶を流し込む。これがわかっていたからか、いつもよりもあっさりとした味わいで、行儀が悪いと思いつつも、いっぺんに飲み干してしまう。おいしかった。
しん、とした間が、ひどく恥ずかしかった。自分のことばかりを話してしまった、という気恥ずかしさもあった。それでも、「よかったなあ」と獅子のような顔をくしゃくしゃにさせて、頬にある傷すらも優しげに見える顔つきでブルックスは言葉を落としていた。
「パーティーを解散するときお前が結婚すると聞いて、一体相手はどんなやつだと思ってたんだよ。ウェインは知っていたようだが、ダナも、ロージーも寝耳に水って顔をしてたしな」
どう言っていいのかわからなくて、レイシーは苦笑に少し近いような、困った顔をする。妙にくすぐったくなってしまう。ウェインは素知らぬ顔だ。
「わ、私のことはこれくらいで。ブルックスはどうでしたか?」
彼が王に願ったことを思い出しつつ、尋ねる。ブルックスはさらなる武功を重ねるべく、海に囲まれた故郷に戻ったはずだ。ブルックスはレイシーの問いに答える前に、うむう、と唸った。大きな、分厚いてを顎の下に置いて口の端を尖らせつつ、眉を落とす。
「レイシー、お前、『何でも屋』を始めたんだったな?」
「え、ええ……」
始めた、というほどお客も来ていないけれど、とちょっと声が小さくなってしまう。よし、とブルックスは勢いよく膝を叩いた。
「少々頭をかかえていることがあってな。料金は金貨三枚。どうだ、俺の困りごとを引き受けてくれんか?」
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