3 何でも屋、開業します

第16話

 

 その男を見て、まるで獣のようだ、と思うものは多いだろう。

 旅をしているというのに、随分軽装で、不思議なことに、武器の一つすらも持っていない。獅子のようにぐしゃぐしゃの髪をしていて、体つきは大きく、その場にいるだけでも他者を圧迫する。


 ――駆ける。進む。突破する。


 男は拳を握った。襲い来る魔物の叫び声を体中に受け止め、腕を突き出す。一匹、彼の腕に狼のような魔物が噛み付く、が。


「なぁんの問題もないッ!!!!」


 鼻で笑い飛ばす。砕け散ったのは、狼の牙だ。

 鋼鉄の体であると、人々は彼を称する。荒野を駆け抜け、数多の魔物を蹴散らす。しかし頬には、深々とした傷が一つ。


「まったく、水くせえやつらだッ!!!!」


 本人としてみれば、そんなつもりはないのだが、まるで叫ぶような声だった。


「レイシー!! ついでに、ウェイーーーンッ!!!!」


 イーン、イーン、イーン……。静かに、森の中にこだまする。何事だ、とでも言うように、多くの動物達が逃げていく。噂に聞く、村は近い。あと少しだ、と相棒の背を叩き、ひゅっと口元から息を吐き出した。



 ***



「ンキュイ?」


 レイシーの帽子をひっくり返して、眠っていたはずのティーが、唐突に顔を上げた。きょろきょろと周囲を見回して首を傾げる。「ティー?」 寝ぼけているのかと思ったけれど、そうではないようで、不思議な仕草だ。


 屋敷は以前よりも随分明るくなった。村人達が長く恐れていたおどろおどろしい空気とは、コカトリスを閉じ込めていた部屋から漏れ出ていたものだ。それをレイシーの魔術で掻き出して、屋敷中を掃除したから、まるで見違えるようである。

 大きな明かり取りの窓からは、ぴかぴかと明るい光が溢れていて、屋敷の中を映し出す。少しばかり傷んではいるものの、丁寧な作りの家具達は細かな装飾がかわいらしく、修理をして大事にすれば、まだまだ使うことができるだろう。


「何かあったのかな」

「夢でも見てたんじゃないか?」


 魔物も夢を見るのだろうか、という疑問はさておき、背後ではウェインの声が聞こえる。ごそごそとレイシーの髪をいじり、あっちか、こっちかと首を傾げている。


「あのう……ウェイン」

「なんだ」

「もしかして暇なの?」


 聞いていいのだろうか、と思いつつとうとう伝えてしまった。彼は勇者の責務を終えて、貴族として、また国の要人として日々を過ごしているはずだ。けれども相変わらずウェインはレイシーのもとに定期的にやってきて、屋敷のチェックをしたと思えば、彼女の衣食住の確認、両のほっぺをひっぱり、伸びぐあいから本日の体調の確認、最終的には伸ばしっぱなしのレイシーの髪をいじり、編み込みまでしている始末。旅の間も同じようにしていたから、違和感はないと言えばないけれど、レイシー達の旅は、すでに終わっている。


 王都からプリューム村は、ウェインの足ならそれほど時間がかかるわけではないが、それでも頻繁に訪れる距離ではない。


「言いたいことはわかる」


 意外なことにも冷静にウェインは返答し、レイシーの黒髪をいじった。


「しかし事実は違う。俺は暇が多いから、ここに来てるんじゃない。できた暇を、全部ここにつぎ込んでるんだ」


 髪をいじられているからわからないけれど、多分ウェインは真顔だろう。ウェインが王都からプリューム村にやってくるのは、だいたい一月に一度。忙しいと、それ以上の間があく。考えてみると、彼は休暇の全てをレイシーに使っていることになる。


 何か複雑な味のジュースを飲まされて、味の感想がわからない。そんな気分だ。息を飲み込んで、吐き出して、腰につけた鞄に入れていた小さくしている杖を、自然と握りしめる。気持ちの大半にあるのは、申し訳無さだ。


「し」

「し?」

「死にそうで、ごめん……」


 ウェインが面白そうに笑う声が聞こえる。以前に彼がレイシーの様子を見に来たとき、『生きているか不安になった』と言っていた。仲間の誰にも伝えることなく、世間知らずに勝手に家を引き払って、ふらふらしていたレイシーだ。面倒見のいい彼だから、思うところがあるのだろう。


 ――お前、何もないのか?


 旅をしていたとき、今よりずっと貴族らしい青年であった彼は、呆れたような顔をして、レイシーに呟いた。頭の上では、ころころと小さな星が流れ落ちていた。

 そのときからだ。ウェインが、レイシーを気にするようになったのは。


 レイシーは、いつかウェインを解放したいと思っている。甘えすぎている自分を恥じる気持ちが、少しずつ、染み入るように溢れていく。

 彼が、勇者として仲間を思う責務は、もうとっくの昔に終わったのだから。


「ん、死ぬな。最近、飯は食っているみたいだから、安心はしてるけどな」

「たまに忘れそうになるけど、なんとか」

「忘れてんのかよ……」

「あと、お金を稼ぐわ。なんでも屋、始めてみる」

「そうだな、ティーもいる」

「ウェインに、心配なんてかけない」

「おう。がんばれ」


 しゅるしゅると、髪の毛をいじる音が聞こえる。

(私は……)


 瞳を瞑ると、優しい指先を感じた。言葉もなく、静かで、ほっとする時間だった。ゆっくりと気持ちを飲み込む。

(私は、ウェインと、距離を置きたい)


 そのためには、きちんと自分の足で立てるようにならなければいけない。

 気合を入れた。ぐっと唇を噛んで、目を開けて前を向く。そのときだ。ウェインが、耐えきれないように笑った。腹をかかえてげらげらしている。これは彼が悪戯が成功したときの顔だ。なんなのと、わけもわからず周囲を見回した時、ふと、頭がいつもよりも重いことに気がついた。不思議な物体が、頭にぽっこりと二つくっついている。

 慌てて鏡を探した。


「ウェイン、なにこれ!? 頭に変なのがついてる!」

「題名、ネズミの頭。いやいやかわいい」

「か、髪を丸めて頭の上にまとめたの……!? や、やだ外せない、もとに戻らない、どうやったの、取り方がわからないわ!」

「たまには違う髪型もいいだろ」

「よくない! 帽子がかぶりづらいもの! 顔くらい隠させて!」

「そのままでいいと思うけどな。なあ、ティー」

「ンキュイイイッ!」


 よくない、ともとに戻らない頭を隠すように、真っ赤な顔をしてレイシーはティーから帽子を取り上げた。頭のお団子が邪魔をして、いつものように深く被ることができずに暴れる。その様子を、ウェインは笑みを押し殺すように見つめている。



「たのもーーーーう!!!」


 二人が言い合いっている最中のことだ。びりびりと、屋敷中の窓という窓が震え上がった。レイシー、ウェインはともに顔を上げて、レイシーは杖に手を伸ばし、ウェインは鋭い瞳で拳を握る。


「たのもーう! たのもう、たのもう! 誰もいないのかーーー!!?」


 まるで、声自体が武器のような大きさだ。あまりにも久しぶりだったから反応が遅れてしまった。けれど、これは聞き覚えのある声だ。レイシーはウェインと目を合わせて、そっと部屋の扉を開けた。二階の吹き抜けから顔を出し、いつの間にか入り込んで、きょろきょろと周囲を見回している一人の男に声をかける。


「ブルックス……?」

「お、おおー! レイシーか! 久しぶりだなあ!」


 灰色の獅子のような、大きな体躯を伸ばして、男は片手を上げた。

 男の名前は、ブルックス・ガージニー。


 一年と数ヶ月前に出会い、ウェインとレイシーとともに旅をして、魔王を打倒した一人、鋼鉄の戦士である。


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