第14話
嵐の夜、星空を駆け抜けていくかのように飛び立って行ったフェニックス。
残されたヒビが入った卵を、レイシーはただ呆然と見ていた。頭の上は彼女が魔術で屋根に穴があいてしまったため、見晴らしがいい分、すうすうする。
少しずつ入っていくヒビを見つめて、その度に驚き、後ずさる。つまり、これって――考える間もなく、卵は再度揺れた。レイシーは慌てて手を伸ばした。思わず近づいてしまったそのときだ。ぱきんっ、とひときわ大きな音が聞こえた。初めに割れたカラから覗いたのは、ふさふさのお尻だった。真っ赤な燃えるような羽の色は、親と同じ。
頭に大きな卵のカラをつけたまま、ぱたぱたとその子は翼を広げて、ゆっくりと頭を回した。生まれたての手のひらサイズだ。「キュイ」 小さな声が聞こえる。金の瞳が、くるくるしつつ、レイシーを見つめた。……産まれてしまった。
座り込んで、呆然としているレイシーをよそに、フェニックスの子供は生まれたばかりだというのに、「キュイキュイ」と楽しげに首を揺らしてよたよたレイシーのもとに歩いていく。
(……これは、ど、どうすれば)
短い間の同居人が残した、大きすぎる荷物だ。レイシーは頭を抱えた。そして産まれたばかりのフェニックスはと言うと、やっぱり嬉しそうにキュイキュイしていた。
一晩明けて、レイシーは珍しく村に下りた。
これから長く住むはずとなる村なのだから、もっと頻繁に顔を出すべき、と思ってはいるものの、中々足が向くことはない。名前を知っている村人といえばアレンくらいで、買い物が必要なときも大きな帽子で顔を隠して、用件を急いで伝えて屋敷まで逃げ帰っていた。進歩をしつつ、後ろを向いて、それでもやっぱりとレイシーは少しずつ変わっている最中なのだ。
いつもは被っているはずの帽子も、すっかりフェニックスの子供が気に入ってしまったため、今頃は帽子を反対にひっくり返して寝床代わりに使っているだろう。
レイシーは口元を必死に引き結びつつ、猫背のままに必死に足を動かした。やっぱりローブのフードが懐かしい。
(フェニックスって、一体、何を食べるの……?)
コカトリスだと思っていた魔物は成体だったから、放っておいても、自分で好きなものを食べたし、盗んでいた。雑食であったように思うけれど、本当にそれでいいのだろうか。なんせ産まれたばかりだ。今はすっかり気持ちよく眠っているけれど、とにかく肉でも何でも確保して、目の前に並べるべきだろうか、とウェインが見れば怒り狂うほどに偏った食材しか存在しないキッチンを思い出した。
慌てているものだからか、どんどん足が速くなる。屋敷から村までの道を駆け下りた。昨日の嵐の爪痕はいたるところに残っていて、ひょいと指先を回してなぎ倒された木々を移動させながら、周囲を確認し、跳ねるように飛び越える。
たどり着いたときには、いつもの村とは随分様相が変わっていた。壊れた家もいくつかあり、通り過ぎた嵐の激しさを改めて理解する。慌てふためいている様子の村人達は、レイシーに目をくれることなく、何やら大声で話し合っている様子だ。川、やら。水、やら。少なくとも、来るタイミングを間違えたようで、目当ての雑貨屋も開いてはいないかもしれない。
深呼吸して、考えて、すごすご逃げ帰るべく反転したとき、悲鳴が聞こえた。村人の一人が、崩れた家に押しつぶされたのだ。運が悪いことにも、軒下にいたらしく体の半分しか見えていない。大の大人達が数人がかりで引っ張り出した足元は、悲惨なものだ。悲鳴が聞こえた。
「すみません、ちょっと」
一呼吸の間に、すぐさまレイシーは駆けつけていた。飛び込んできた小さな少女に驚いたのか、村人達は彼女に道をあけわたした。レイシーは頭を下げて、倒れ込んだ男の前に座り込み確認する。息も絶え絶えな様子の男の顔はどこか見覚えがある。そばかす混じりで、笑いじわが目立つ。けれども、ゆっくりと記憶を遡らせている場合ではない。
丁度いいことにも、レイシーの腰につけられたバッグには、特級の回復薬が入っている。コカトリスのために作って、余ったものをそのままバッグの中に入れていたのだ。血の気がひいた男の顔を確認し、まず飲み込むことは困難だと判断した。
「痛みます。我慢してください」
服を切り裂き、患部に直接塗りつける。体内に摂取すれば、無理なくゆっくりと回復力を底上げすることができるが、今回は場合が場合だ。ひどすぎる外傷や、部分欠損の場合は、多少痛みはするが、外から塗りつける必要がある。ただし、人よりも耐久力のあるコカトリスのような魔物ならばともかく、剣で斬りつければすぐに血が噴き出すような柔らかい肌を持つ人間にとっては、苦痛にも変わる。
じゅう、と肉が焼けるような音とともに、声にもならない悲鳴が響いた。「あんた、何をしたんだ!」 周囲の村人に肩を掴まれる。レイシーは冷静なままに患者を確認する。痛みが激しい分、効き目は申し分ない。
「回復薬です。大きすぎる外傷なので、直接塗りつけました」
空っぽになった瓶を持ち上げ振るうと、村人は困惑のまま、瞬きを繰り返した。
「あんた、医者か、それとも薬師か……?」
「違います。ただの魔法使いです」
はっきりと言い切るレイシーに、はあ、と村人は曖昧な返答をする。
人を相手にすると、どうしても、もごついてしまうきらいのあるレイシーだが、こと、魔術において、また人命の救助においては異なる。一秒の差で結果が変わってしまうことを、ウェイン達との旅で嫌というほど思い知らされてきた。
みるみるうちに回復する傷を確認し、レイシーは静かに息を落とした。「あとはよろしくお願いします」 外傷が治ったところで、抜け出た血が戻るわけではない。命には別状はないが、しばらく意識は朦朧とするだろう。服の裾を叩きながら立ち上がろうとした。強く腕を掴まれた。
驚いたことに、彼女を引っ張ったのは怪我をして先程まで意識を失いかけていた男だ。笑いじわのある目尻は今はひどく苦しげで、息も絶え絶えな様子だった。レイシーの細い腕を握りしめてはいるものの、幼い少女を相手にしていると思っているのか、どこか迷いもある。
「あの……?」
「君は、もしかして、村外れの屋敷に住んでいる、魔女か……?」
おそるおそる、頷いた。そうか、と男は苦しげに息を吐き出した。
「あの、まだ無理をしない方が」
「助けてくれたことに、礼をいう……。ただ、重ねて申し訳ない、先程俺に使った回復薬は、まだ残っているだろうか、謝礼はもちろんする、お願いだ、貴重であるものであることはわかる、恥を忍んで、願う……」
そこまで告げたところで、男は一瞬、意識を手放した。「カーゴ!」 見守っていた周囲の村人達が男の名を呼んだ。どこか見覚えがある、と思ったものの、やはり知らない名だ。カーゴと呼ばれた三十路を過ぎた頃のよく日に焼けた男は、またすぐに薄く目を開いた。優しげなはずの瞳を苦しげにさせ、立ち上がることもできないまま、必死に細めて浅く息を繰り返す。
事情は、わからない……けれど。
申し訳なく、レイシーは頭を下げた。
「すみません、作り置いている回復薬は、今のものが最後で」
言葉を続ける前に、カーゴは長く息を落とした。レイシーを掴んでいた手を力なく放して、倒れ込んだまま片手で自身の顔を隠した。
「そうか、そうだな。当たり前だ、貴重なものだったんだろう。それを、俺なんかに、なんてことだ……」
苦しげな声だ。「あの、でも」とレイシーが再度伝えようとしたとき、「父ちゃん!」 オレンジ色の、いつも元気な少年だ。
「父ちゃんが、すげえ怪我をしたって、向かいのおばさんが! こんなときに父ちゃんまで、どうすんだよお!」
泣きながら飛び込んできたアレンを、カーゴがゆっくりと受け止める。そして違和感に気づく。服は破られていて、血だらけだ。けれども傷はふさがっている。困惑する周囲の空気も感じたのだろう。アレンはくるくると辺りを見回した。
「……レイシー?」
「アレンのお父さんだったのね……」
どうりで会ったこともないはずなのに、覚えがあるような気がした。彼らはよく似た父子だった。回復薬の使用も終わって、後は普段の通り、段々と小さくなっていくのみのレイシーだったが、アレンがいるのならば別だ。彼は何度も遠い屋敷までを重たい野菜を抱えてやってきてくれた。
「何かあったの……?」
尋ねると、アレンはカーゴに抱きついたまま、ぐっと唇を噛み締めた。カーゴの傷がふさがっていることに気づいて止まっていたはずの涙が、またぼろりとこぼれ落ちる。いや、彼はずっと、泣いていたのだろう。そんなアレンを、カーゴは静かに抱きしめた。
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