第11話

 

 今から三、四年ほど前の話だが、ウェルバイアー家は、裕福な商人の家だった。

 以前はうだつの上がらない商売下手な夫婦だったが、ある日を境に彼らの生活はがらりと変化した。夫婦が村の顔役に持ってきたのは、一匹のコカトリスの羽だ。


 それが、ただの魔物の羽というのなら、二束三文に買い叩かれて終わる話だったのだが、なんとその羽は金色に光り輝いていたのだという。

 コカトリスとは体が鶏で、尻尾が蛇という、旅をしていればときおり見ることもある、どこにでもいるありふれた魔物だ。けれど、中には変異種というものが存在し、生えているはずの尻尾がなく、白いはずの羽が金色に染まっているものもいる。その金の羽は珍しく、通常コカトリスの羽の、何十倍の価値があるとされている。


 夫婦はめったにないはずの金の羽を、それこそ何十枚と持ってきた。自分達は、これからいくらでも羽を持ってくることができる。けれど一度に市場に卸して価値を下げたいわけではない。だから、この羽を使って装飾具を作らないかと持ちかけた。

 分前の大半は羽を手に入れる経路を持つ夫婦のものとなったが、それでも村は潤った。プリューム(羽飾り)村と名前を変えたのはその頃だ。


 夫婦は部屋の数が数え切れないほどの立派な屋敷を建てた。しかし不思議なことに、使用人を雇うことなく、二人は息をひそめるように村の端でひっそりと暮らした。そして、その頃のことだ。彼らが、コカトリスの羽を手に入れることができなくなったのは。


 最後に持ってきたものは、金の色のかけらもない、茶色い、濁った色合いの羽だった。もちろんそんなものはなんの価値もない。転落はあっという間のことだった。大きな屋敷も、随分無理をして建てたものだったのだろう。途端に金の巡りも悪くなり、ある日を境に夫婦は消えた。夜逃げしたのだ。


 村人達は夫婦に呆れた。すでに名前は羽飾り村と変わってしまったが、以前の生活に戻るだけだ。ゆっくりと、村は元通りの生活に変わっていった。そんな中、不思議な噂が静かに村の中を巡っていった。――夫婦は、逃げ出したのではない。死んでしまったのだと。


 彼らが住んでいた屋敷から、ときおり不気味な声が聞こえる。金目のものがあったから、悪さをしようと忍び込んだものもいたのだ。けれどもまるで追い返されるように聞こえた恐ろしい声に震え上がり、すたこらと逃げ帰った。あれは、おそらく死んでしまった夫婦が残した怨念だ。


 その言葉を証明するように、日に日に屋敷は荒れた。外観が、という意味ではない。ただ、おどろおどろしいのだ。重たい空気が屋敷の中から漏れ出て、誰もが近づくことをためらうようになった。そして今も、夫婦はこの屋敷にいる。苦しげに声を出して、金の羽を求めている。





「ほら、そこに!!!」


 アレンはレイシーの背後を指差し、恐ろしげな顔を作った。窓からぴかりと光が弾ける。遠くで雷鳴が轟く音が聞こえた。ざあざあと土砂降りの雨である。レイシーはゆっくりと背後を振り返った。もちろん、誰もいない。そしてアレンをもう一度見つめた。


 てっきり、彼がレイシーを驚かそうとして叫んだのだと思ったが、そうではなく本当に何かを見てしまったらしい。あわわと泣き出しそうな顔をして、むぎゅりと強く瞳を瞑る。


「ああ、見ちまった……やっぱりいたんだ、見ちまったよ……まっすぐに黒いものが伸びてた……どうしよう呪われる……」


 べそをかいていらっしゃる。

 大変申し訳ないのだけれど、とワンクッションを入れて、「大丈夫よアレン」とレイシーは冷静に言葉を伝えた。


「あれはただの、立ち上がったあなた自身の影なんじゃないかしら」





 すっかり長居してしまったと勢いよくアレンは立ち上がり、「親父にどやされちまう、それじゃあまた今度!」と手のひらを振って、レイシーが止める暇なく土砂降りの雨の中を帰ってしまった。豆粒になる小さな少年の背中を見送り、すっかり太陽が隠れてしまった空を見上げる。ざあざあと、雨が止む気配はない。


 屋敷の中はシャンデリアは立派だが、光の魔石を入れ込んでいるわけではないので、大きな置物が天井からぶら下がっているだけである。真っ暗な屋敷の中を、ロウソク代わりに杖の先に炎を灯してあたりを見回す。


 なるほど、屋敷に長く人の手が入っていない理由と、立派な調度品が並んでいる理由がわかった。元の家主達が夜逃げをしようにも、大きな荷物を持っていくことができず、置き去りになってしまったのだろう。小さな貴重品も全てを持っていくこともできず、ティーカップは棚の奥に押し込まれていた。泥棒がやって来ようにも、奇妙な噂や屋敷自体の重苦しい空気に逃げ帰ってしまったというわけだ。


 実際、夫婦が夜逃げをしたのか、それともこの屋敷で死んでしまい、亡霊となったのか。そんなことはレイシーにはわからない。窓の外から、また雷が光った。遅れて音がやって来る。杖を片手に掲げながら、反対の手は手すりを持って、一歩いっぽ、階段を上っていく。ぎぃ、ぎぃ。踏みしめる度に踏み面が沈みこむ音がする。


 二階までたどり着くと、レイシーの長い影が、ずっと先まで伸びていた。


 ――夫婦はこの屋敷にいる。苦しげに声を出して、金の羽を求めている。


 レイシーは、アレンの言葉を思い出した。そして。


「とりあえずこっちかしら。なんだか声も聞こえるし」


 苦しげな声がたしかに聞こえるが、すたすたと歩き始めた。

 正直なところ、レイシーは亡霊などまったくもって怖くはない。アンデット系の魔物や魔族など、いくらでも倒してきた身である。もちろん呪われたこともあるので、光の聖女と名高い仲間の一人には、何度もお世話になった。

 過去に呪いにうなされながらレイシーが考えたことは、やられる前にやれというところである。呪われる前に全力で炎の魔術を叩き込めば、だいたいなんとかなる。ふんふん、と気合で素振りを繰り返す彼女を、もし本当の亡霊が見ているとしたら話が違うと両手で口元を押さえつつ、多分はわわと震えている。


 レイシーはアレンの話を聞いて、驚きや、恐ろしさを感じることはなかったが、一つ思い当たるものがあった。先程、浮遊魔法で屋敷中の掃除を行っていたときに気がついたことだ。


 この屋敷には、一つだけ扉が開かない部屋がある。


 隠し扉なのだろう。二階の、吹き抜けになった廊下の突き当たり部屋。その奥だ。声も間違いなくこの場所から聞こえている。

 本棚の奥に巧妙に隠されているが、この部屋の奥にもう一つの部屋がある。魔道具を使用した封印だ。レイシーは魔力の流れをちらりと瞳で確認して、あっさりと杖で絡め取った。途端に魔道具は効力を失い、からからと音を立てて本棚がスライドした。


 出てきたのは頑丈な扉だ。明らかに他とは様相が異なる。彼女が目の前に立つと、響き渡っていた声はぴたりと止んだ。レイシーは少しばかり考えて、扉と壁の境目を、つるりと指先でなでた。これで問題なく開く。鉄でできた扉を、軽くノックする。返事はない。ゆっくりと開いた。窓一つない薄暗い部屋の中には、淀んだ空気が広がっている。


 その中に一匹、茶色い何かがあった。ぴくりとも動かず足は鎖で繋がれている。生きているのか、それとも、死んでしまっているのか。こつり、とレイシーが部屋の中に足を踏み出した。コカトリスはひどく緩慢な動作で顔を上げ、レイシーを見上げた。それは生きる力、全てを失っているようだった。けれども瞳ばかりは金の色を爛々と輝かせ、ただ怒りを叩きつけるように、レイシーを見つめていた。

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