第10話
「ほ、本当にごめんなさい……」
「いや、全然……そりゃ、結構びっくりしたけど……」
屋敷中を浮遊魔法と風魔法を使用して掃除をしていたところ、やってきた少年を驚かせてしまった。レイシーは家の中だというのに帽子までかぶって小さくなるばかりだ。
彼女と一緒に楽しそうに踊り回っていた家具達は、先程のことなどすっかり忘れたようなすまし顔をしているようにも見える。
彼はこの間、レイシーに魔法で助けを求めた少年だ。アレンという名前で、年はレイシーよりも下だろう。多分、十二、三歳程度なのだろうが、同年代よりも少し背が高いことと、レイシーが小柄ということもあって、二人の目線はそれほど変わらない。
アレンはレイシーのことを年上ではなく、同い年程度だと思っているようで、「さっきの、いきなり扉が開いたのも魔法なんだよな? 小さいのに立派な魔法を使うもんだなあ」とわかったような顔をして、口元を尖らせつつ頷いている。
自分の年など特に興味もないし、否定をする必要も感じなかったので、そのまま流すことにした。
アレンはオレンジの髪の色と同じく、元気な少年で、一週間前に彼の仕事を手伝ってすぐのときに、大量のニンジンを持って来てくれた。『父ちゃんにこないだのことを言ったら、魔法使い様になんてことをさせるんだってどやされてさあ』とそばかすが散ったほっぺを緩ませて、けたけたと笑っていた。
レイシーには食べ切れないほど、十分すぎる野菜をたっぷりとくれたものだから、気持ちだけでと伝えても、まあまあと流されてしまう。今日の手土産はカゴいっぱいのじゃがいもだ。彼が住んでいる家と、レイシーの屋敷とでは同じ村とはいえ、結構な距離がある。わざわざ遠い中持ってきてくれたのだ。まさか持って帰れ、と言うわけにはいかない。
「ありがとう。でも、お礼はこれが最後でいいからね」
再度伝えてみたものの、アレンは頭の後ろに腕を組んで、きししと笑った。
レイシーからすれば、大したことなど一つもないが、実のところ、彼女が行ったことはアレンが一年を通して作業したとしても、終わりにすらたどり着かないほどで、レイシーは、ただの一瞬でアレンの数年分の労働力に値する行為をしたのだ。アレンが思う、彼女に見合う礼にはまだまだ足りない。
ということで、アレンは以前に一度屋敷の前まで来てくれたのだが、中まで案内したのは本日が初めてだ。やっと人を呼べる状態になった、ということもある。昨日来たばかりのウェインには、大変申し訳ない気持ちばかりが広がる。
レイシーが村に来て一週間と少し。周囲の地形が違うからか、王都よりも、プリューム村は寒さを感じる。少し早く冬がやってくるのだろうか。せっかくだ、と温かい飲み物でも作ろうとして、レイシーはキッチンで悪戦苦闘する。ウェインはレイシーのために、ヤカンまで持ってきてくれたのだ。
「く……く、くんぬ……!」
ぷるぷるしつつ、本来なら火の魔石を入れて使用するはずの立派なコンロに火炎魔法で火をつける。お湯が沸くと自然と火が消え、かつヤカンの底が焦げてしまわない程度の温度という絶妙なバランスと難解複雑な術式が必要になる『お湯沸き魔法』、という世の魔法使い達が泡を吹いて倒れてしまうような大魔法が今この瞬間に生まれていた。天才の無駄遣いである。
まさかそんな驚くべきことが目の前で起こっていることなど知りもしないアレンは広間の椅子に座りながら、そわそわと周囲を見回した。
「なあ、魔法使いさん。この屋敷、こんなんだったっけ? 入ったことはないけどさ、外から見てると、もっとどろどろしてたというか……なんだかすごく空気が軽くなってないか?」
「……そうかな?」
風魔法で室内を掃除するついでに、淀んだ空気も掃き出してしまったからかもしれない。
「ちょっと掃除したから。ところで、ごめんなさい、前に名前を言ってくれたのに、私は名乗っていなかったね。魔法使いさんじゃなくって、レイシーっていうの」
「あれ、暁の魔女様と同じだな。もしかして本人とか」
珍しく具合を間違って、ぼうっ! と炎が燃え上がった。同時にヤカンからけたたましい音が鳴る。レイシーは拳を握って、慌てて炎を抑え込んだ。いや、隠しているわけではないのだから、と思いつつも背中から冷や汗が止まらない。名前を言って、言い当てられたのは初めてだ。
「冗談だよ。見かけも年も違うしさ。同じ魔法使いだし、もしかしてファンだったりする?」
「えっと、あの」
「ほら、絵も飾ってあるし」
以前に王都で買った、仲間達の姿絵のことだ。
椅子の背もたれに腕を置いて、反対に振り返り、アレンはきしきしと笑っている。
「えへへ、あやかりたい気持ちはわかるよ。俺にも兄妹が増えるんだ。妹だったから、暁の魔女様の名前をいただくのも候補の一つだからね。光の聖女様もお優しくて素晴らしいけど、暁の魔女様はそれに加えて、とにかくお強いと聞くから。あこがれだよなあ」
とりあえず、レイシーは相槌代わりに曖昧に頷いた。しゅぽしゅぽと音を鳴らすヤカンを目の端に収めつつ、やっぱりレイシーが暁の魔女本人だということは隠すことにしよう、と強く決意した。どうやら自分には、この二つ名は重すぎるようだ。
なんとか紅茶の形が出来上がったとき、アレンとレイシーは互いにテーブルに向かい合って、カップを持ち上げて、こくりと飲んだ。多分、あんまり美味しくない。今朝、ウェインが淹れてくれた紅茶はもっと静かに染みていくような味がして美味しかった。でも、アレンは、「はあ」と温かい息を吐き出して、嬉しげに八重歯を見せて笑った。
なぜだか今、チャリンと心の中でコインが落ちて、貯まっていく音がする。胸のあたりをそっとなでた。しびれるような嬉しさがあった。
次はもっと美味しく淹れたいとレイシーが心の底で誓ったとき、カップを覗き込み、くんくんと鼻をひくつかせていたアレンは、「不思議な匂いがする」とウェインが持ってきた茶葉を称する。あとはカップを持ち上げ横に見て、「高そうな感じ」と至極正直な意見も述べる。そちらはもともと屋敷の中に置きっぱなしになっていたものだ。忘れ去られたように棚の中で埃をかぶっていた。
長い間人の手が離れた屋敷だ。よくぞ盗まれなかったものだな、と感じる。旅をしている中で、そういったことも目にしてきた。
「茶葉は人からもらったもので、カップは私のものではなくて、もともと屋敷にあったものなんだけど」
「ああ、ウェルバイアー家のものかあ。そりゃ高いや」
「ウェルバイアー家?」
首をかしげるレイシーを見て、アレンは驚いたように瞬いた。
「……まさか知らない?」
いくつか候補をもらった中で、一番住みやすそうな場所を選んだだけだ。なるほど、とアレンは口の先を尖らせつつ、どうしようかなと考えたあと、不思議に見つめるレイシーの瞳に根負けして、少しずつ教えてくれた。
実のところ、レイシーが住むこの屋敷はいわくつきのものであった。外ではぽつぽつと降り始めた雨が、静かに屋敷の屋根を叩き始めた。
きっとすぐに、大雨になってしまうんだろう。
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