第9話
さて、とレイシーは自身の杖の先を見つめた。彼女の杖は一つの指標だ。
大きければ大きいほど魔術の規模が大きくなる。もちろんなくても使うことはできるけれど、ようは気分の問題だ。レイシーが魔術に集中すればするほど、杖のサイズもそれに比例してしまう。
だから逆に杖の大きさをある程度で留めるように意識すれば、望む具合の魔術を使用することができる。簡易的なものであれば、杖もいらない。
「だいたい……これくらい……、かな」
羽ペン程度の大きさに変えて、玄関の真ん中に立ったところで、足元の絨毯のぼろぼろ具合に気づき、そっと場所を移動した。堂々とするつもりが、なぜだか端に移動して、ちょこちょこ杖を左右に振る。
掃除というものは、必ず自分の手でするものだと思っていた。なぜなら、みんながそうしていたから。レイシーはただ魔術のみを極めることを望まれた。だから、身の回りのことの最低限は全て国から遣わされたハウスメイドが行っていた。旅をしてからは各自ができることは各自でするようになった。
しかし考えてみると、旅の仲間たちはそろって自堕落な人間ばかりだった。変わり者、といった方がいいのかもしれない。よくぞまあ、あの面々で最後まで終えることができた、と思わずため息がでてしまうほどだ。
なんにせよ、魔術は目の前の敵を打ち倒すもの、もしくはそれに関わるものであり、日々の生活を豊かにするためのものではない。例えば変化の魔法などでも、魔物に姿を変えることで敵を混乱させ戦いを有利に導いたりするもので、空間魔法も無機物を収納し、いくつも武器を持ち歩けるように、というのがもともとの発想だ。
先日、村で出会った子供がレイシーに助けを求めたのは、魔法使いが身近にいないからこそ、魔法に対する曖昧な知識故だろう。通常の魔法使いなら、おそらく鼻で笑っている。
昨日の昼間、レイシーはウェインの手元をつぶさに観察した。ウェインはレイシーよりも魔術展開が遅く、呪文を唱えつつであったが、手元にあるバケツの中に宙から生み出した水をそそぎこんでいた。なるほど、いちいち井戸に行くよりも、魔術を使った方がずっと楽なことに違いはない、とレイシーは簡単に考えているものの、そもそも魔術は決まりきった型しか存在しない。
ただ指先に灯す火と拳大の炎を作るのとでは同じ火の系統だとしても、術式が若干異なるのだ。それにその程度なら魔物の体の中心部分から産出される、“魔石”を使用することでわざわざ魔術に頼らずとも誰でも炎を生み出すことができる。それなら、手間のかかる術式を覚えてまで使用するのは、変わり者のすることだ。それこそ、魔力を持て余した、幼い頃はいたずら小僧だった、ウェインのような。
敵を突き刺し、切り裂き、焼き殺す。そのために、ただ決まった型を研鑽する。それが魔術だ。
少しでも詠唱の時間を短く、少しでも使用する魔力の量を少なく。ただの少しを幾万通りも繰り返し、完璧なものに近づける。もしくは使うことのできない型を、自身のものとするように、多くの魔法使いは努力している。レイシーが国一番の魔法使いと言われる所以は、誰よりも使用できる魔術の型が多いのだ。けれど、彼女の頭の中には家を綺麗にする魔術、といったものは存在しないし、おそらくどの魔術書を探しても見つからないだろう。
それなら、組み合わせて新しく作ればいいだけのこと。
なるほどと再度、レイシーは頷いた。頭の中で術式を展開する。自身の中にあるイメージで、よく似たものをピックアップし、書き換えていく。メインは前回作成した浮遊魔法だ。
なんてこともないように杖を回すレイシーだが、彼女は規格外のことをあっさりとやってのけている。文字を書き記すことなく、頭の中だけで魔術を一瞬で組み立て、その場で使用するなど本来ならありえないことだ。
視界に映る窓の一つに、くるりと杖を動かし差し向ける。ぱたり、とまるで当たり前のように窓が開いた。ぱたり、ぱたり、ぱたり。始めはゆっくり。そのうちに走り出すように一つひとつ窓が開き、ドアが開き、室内では涼やかな風が通り過ぎた。しゃんらしゃんら。頭の上でシャンデリアがゆっくりと不可思議に動いている。家中の家具が踊りだす。静かに、音を出さないように。ベッドのかけられていたシーツも、広がったままの絨毯も、丸くなったり、広がったり。
あら、こんなところに埃があったわ。こんなところに汚れがこびりついていたのね、と言いたげに踊って、はたき落として、集めた汚れは風に乗って運ばれていく。
日当たりも悪く、じめじめした雰囲気の屋敷のように感じていたはずが、すっかり明るく変わっている。
レイシーはくすりと小さな笑みを落とした。少しだけ、楽しい気持ちになってしまった。そのときわずかにおかしなことにも気がついたけれど、それよりも最後の仕上げとばかりに、まっすぐに眼前に杖を突き出す。ごう、と叩きつけるように進む風の中で、レイシーの長い黒髪が揺れるが、彼女はまるで鼻歌交じりだ。
そして勢いよく玄関扉が開かれたとき、じゃがいもがたっぷり入ったカゴを抱きしめていた一人の少年が一身にその風を受け、ぐしゃぐしゃになった髪の毛と余韻に服の裾を揺らしながら、驚きのあまりに静かにじゃがいもを足元に転がした。
ぼとぼととじゃがいもがこぼれていく。中途半端に口をあけて、顔を引きつらせている。そしてレイシーと二人、互いに固まり見つめ合った。
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