第5話
長年の積もり積もった感情が弾け飛んでしまったのかもしれない。ラモンドはアリシアの腰を抱きとめ、はっきりと言い切った。
そのときだ、苛立ちを隠すことなく、耐えきれなくなったのだろう。木の陰からウェインが姿を現した。アリシアとラモンドはウェインの姿を目に留めた途端に瞳を白黒とさせた。その場にいるのはレイシーのみだと思っているらしい。気の弱い魔法使いの一人程度、どうにでもなると考えていたのか。
ウェインが翠の瞳を細め、ギロリと睨みを利かせると二人は泡を食ったように逃げ出した。レイシーはただその姿を呆然と見つめた。隣で怒りに拳を震わせているウェインの十分の一すらも、なんの感情も覚えていない自分にも驚いていた。
「まあ、何も間違ったことは言ってはなかったものね」
「何もかもが間違いだらけだったろうが!」
レイシーが同じ年頃の娘よりも背が低く、肉付きが悪いことは間違いのない事実だ。それにいくら魔力が高かろうとも、孤児と結婚するとなると彼の中のプライドが許さなかったのだろう。
それよりも、どうしたものかとレイシーは途方にくれた。彼女の右手には文様が刻まれている。これは生涯国に仕えるようにと刻まれた契約紋で、魔力の強い子供を残すことも、契約の一つであるからだ。つまりラモンドとの婚姻はいくらラモンドが嫌がろうとも、どうしようもないものでもある。
ため息をつくレイシーを見て、ウェインは自身の額に指をおいて、少しばかり何かを考えている様子だった。
「なあレイシー。ちょっとばかり、この話は俺に預けてくれないか?」
「え?」
「もちろん、いいよな」
押し切られるように頷くと、ウェインは、それはもう嬉しそうに笑っていた。まるでいたずらっ子のようだ。伯爵家の、間違いなく貴族である青年だが、一年の旅の中ですっかり毒されてしまったように思う。
楽しみだな! と笑っていたウェインは、レイシーが考えるよりもおそろしく早く舞台を整えていた。王座の前に立つなど、一ヶ月と少しぶりだ。レイシーの隣にはウェインが、さらにその隣には、ラモンドが所在なさ気な様子できょろきょろと周囲を見回していた。
眼前には玉座に座りながら、たっぷりとした白い髭を片手で触り、こちらを見下ろすクロイズ国王、その人である。背後にそっと立つアリシアも、口元には笑みをのせてはいるが、やはりどこか落ち着かない様子だ。
「それで、ウェイン。勇者たっての願いと聞き、わざわざ時間を作らせたが……そこにいるのはデジャファン家の嫡男ではないか。一体なんだというのだ」
ラモンドは、ぎくりと肩を震わせた。
「ええ。彼はここにいるレイシー、暁の魔女の婚約者でありますが、どうにも愛し合った女性がいるとのことで」
「何?」
王はふっさりとした眉毛をぴくりと動かす。王からの視線を受け、ラモンドはさらに体を小さくさせる。
「デジャファン家との婚約は、お前の父である公爵が願い、そして私が許可をした。それが、一体どういうことだ?」
「お取り違えのないようにしていただきたい。私は決して彼を非難するためにこの場を作ったわけではありません。ただ彼らは純粋に愛し合っているとのことで。事実を告げ、弁明の機会を与えてやってもいいのではないかと思いましてね」
ウェインの言葉に、ラモンドはハッと顔を上げた。そして声高に語った。
「クロイズ王! 私は、そこにいらっしゃるアリシア様を愛しています。そして、互いに愛し合っているのです! これは純粋たる想いです。レイシー様には大変申し訳ありませんが、どうか、私と彼女の婚約を破棄することをお許しいただきたく存じます!」
「ラモンド様……!」
口元を押さえ、目頭に涙をためながら震える娘の姿を見て、父王はラモンドの言葉に間違いがないことに気づいたのだろう。片眉を上げ、ううむ、と唸りながら玉座を掴む。クロイズ王のアリシアへの寵愛は、それこそ目に入れても痛くはない可愛がりだといわれるほどで、好き勝手に望むアリシアの願いを受け入れるばかりだった。
レイシーはウェインの思惑に気づき、なるほどと頷いた。アリシアとラモンドの関係がただの浮気相手なのだから問題なのだ。二人が正式な婚約者となれば、何の問題もないことだ。
アリシアは、「お父様、彼の言う通りよ、私とラモンド様は愛し合っているの。どうかお許しくださいな」と涙ながらに訴え、王はうめき声を繰り返すばかりだ。
王を後押しするように、「そうそう」とウェインは腕を組みながら頷いた。「彼も、先日はこう言っていましたから」
――私はアリシア様を愛している! 愛のない結婚に、一体何の意味があるというんだ!
ひゅるりと風が吹くと同時に、ラモンドの声が高らかに響き渡る。ウェインの魔術なのだろう。相変わらず変わった魔術を使う人だ、とレイシーは思った。風の魔術で音を覚えさせ、再現しているのだ。
「たしかに……そう、かもしれんな」
折れる、と感じた。
アリシアとラモンドは瞳を輝かせた。もしこの場に二人の距離がなければ、互いに手と手を取り合っていたに違いない。そして続く。
――レイシー、お前のように背も低く、可愛らしさもない肉の付きも悪い女など抱けるものか、ぞっとする!
「おっと」
ここまで流すつもりはなかったんだが、と言いたげな芝居がかった仕草だった。
室内では、長い沈黙が落ちた。
「……まさかこれは、この国でもっとも価値のある魔法使いに告げた言葉というわけではあるまいな?」
静かに呟かれた王の言葉に、ラモンドは壊れたおもちゃのように何度も首を上下にさせた。しかしもちろんこれで終わりであるわけもなく。
――耄碌した王が決めた婚約など必ず破棄してみせる!
王はゆっくりと息を吸い込み、言葉を吐き出した。引きずるように連れ去られたラモンドに、アリシアが悲鳴を上げる。混乱の場を極めていたそのとき、必死に声を押し殺し、腹を抱えて笑っている勇者の姿に気づいていた。
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