第4話


 レイシーはウェインと別れ、宿屋のベッドに入り込みながら様々なことを思い返した。


 デジャファン家に嫁入りしたところで形ばかりの妻になると自分自身でもわかっていたから、ラモンドと見知らぬ女性が歩いていた姿を見ても、それほどの驚きも、感情もなかった。ただあるのは真っ暗な闇の中に体が沈み込んでいくような感覚だ。


 それから一週間が過ぎた。別に何をしていたわけでもない。生まれ育ったはずの場所であるはずなのに、今までほとんど見て回ることもなかったから、ゆっくりと街を探索した。王都は想像よりも広くて、見たと思ったはずの場所も、よくよく見れば見知らぬ発見に気づき、そしてその場所を探索する。いつまで経っても終わることなく、レイシーの小さな体では大変な作業だった。その度に杖を握りしめて終わりまでの日々を数えた。


 姿絵は宿屋の壁に立て掛けていた。月明かりの下で姿絵の前に座り込みながら仲間達の姿を見る。その場に描かれた女は、どこをどう見てもレイシーとは程遠かったけれど、レイシーと同じ杖を持ち、堂々としていて立派な姿をしていた。

 静かに、手を伸ばした。そのときだ、ひゅう、と風が吹いた。かたかたと音が鳴ったかと思うと、両開きの窓が勢いよく開いた。杖を握り、叩き返してやろうと瞳を細めたとき、馴染みのある魔力であることに気づいた。


 やってきたのは、小さな鳥だ。


 上に、下にとふわふわと頼りなく飛びながら、レイシーの指にとまる。手紙を鳥のように折りたたみ、羽をつくり、レイシーのもとへ飛ばしたのだ。ウェインはときおり、レイシーでは想像もつかないような面白い魔術を使う。書かれた文字を確認し、レイシーもすぐに机に向かった。返事を書いて、少しだけ考える。


「……風の、魔術の……応用かな」


 本来なら敵を切り裂いたり、攻撃を弾き返すための魔術である。


「こんな感じかな?」


 杖を使うことなく、くるくると人差し指を踊らせる。ぱたぱたと紙が折りたたまれ、開かれ、精巧な形の鳥に変わる。ぱちりと指を鳴らすと、驚くべきスピードで鳥はウェインのもとへ飛び立った。

 返事はまた、明日だろうか? 夜の街に飛ぶ鳥の姿を見送り、ウェインからの手紙を読み返した。口うるさい言葉が並んでいるが、ようはレイシーを気遣うものばかりである。

 ウェインらしいな、と勝手に口元がほころんでいた。



 ***



「正直、魔族からの襲撃かと思った俺の気持ちがわかるか?」


 嫌な予感がしたんだよ、とウェインは続ける。


「夜中に窓をあけたらな、豪速球で何かが飛んできたんだ。それは俺の頬をかすめて、壁に突き刺さっていた。わかるか? 犯人はお前だよ! たしかに最初に魔術を使って伝達したのは俺だがね、お前と俺じゃ魔術の才能が段違いなんだから、同じものを使えば大変なことになるってわかるだろ!?」

「ご、ごめんなさい……」


 そもそも普通は初めて見たオリジナルの魔術をその場で使いこなす、なんてことはできやしないのだが。何もかも規格外の少女だった。


 あのときウェインから受け取った手紙の返事に、レイシーは再度“願い事”を書いた。次の日返ってきた返事は、随分しぶしぶといった様子だったけれど、呼ばれるままに王宮に向かった。他のパーティーメンバーとは異なり、まさか顔パスとなるわけもなく、手紙にはウェインの名前で発行された許可証も添えられていた。


 何度か足を踏み入れたことはあるものの、自分とはうってかわってのきらびやかさである。そのまま消えてしまいそうになっていたところをウェインに救出され、なんとか隣を歩いている。今の彼は以前会ったときのように隠蔽魔法を使用していない。レイシー以外にも、すっかり素顔を晒しているわけだから、集まる視線にそれはそれで緊張する。小さくなった。


「レイシー?」

「……はうい」

「何やってんだよ。そうじゃなくて、本当に燃やしてしまっていいのか?」


 それはレイシーの“願い事”に対してだ。ウェインにレイシーが願ったことは、杖を燃やしてしまうこと。この間は断られてしまったが、もう一度お願いをすれば、きっと重たいため息をつきながらになるだろうけれど、受け入れてくれると思った。結果はやはり想像通りで、わざわざ王宮までやってきた理由はさすがに街中で大規模な魔術を使うわけにはいかないという配慮だ。兵士達の演習場を今だけ使用の許可をもらっている。


 もちろん――と、返事をしようと思った。杖を掲げて、頷く、はずが、どうにも首が動かない。覚悟はしている。ただ、覚悟と言葉にするとなると、少し違う。立ち止まって、足元を見つめた。ウェインも忙しい中、時間を作ってくれていると思うと、申し訳ない気持ちばかりが広がる。だから、はっきりと言わなければいけない。


 お願い、と告げようとしたとき、「あら」と鈴を転がすような声が聞こえた。

 幾秒かの間の後、すぐさま反応したのはウェインだった。左胸に拳を当て、居住まいを正す。


「久しぶりですね、ウェイン。凱旋式ぶりになるのでしょうか?」

「ええ。王女様もお変わりなく」


 アリシア・キャスティール。

 クロイズ国の第一王女だ。ピンクブロンドの豊かな髪の毛に、愛らしい顔立ち。所作の一つでさえも美しくて、その場にいるだけでも華になる。もちろん、レイシーも彼女と顔を合わせるのは初めてのことではない。けれど、思わず距離をあけて、彼らを見つめてしまった。堂々たる風貌に溢れた、この国の勇者であるウェインと、王女であるアリシア。ひどく恥ずかしくて、いづらさを感じた。まるで別世界のようだ。


 そろそろ、と一歩いっぽ下がって逃げようとしていたところ、「こちらの方はどなたかしら?」とアリシアは可愛らしく首を傾げた。ウェインは静かに間をあけた。


「……レイシー。魔王を倒した仲間の一人です。暁の魔女といえばおわかりになりますか?」

「あら、あらあら、まあまあ!」


 もちろん、レイシーがアリシアと会うのはこれが初めてではない。「随分姿絵と違う姿でいらっしゃるのね!」 口元に手を当てて、ころころと笑うアリシアの意図がどういったものかレイシーにはわからない。ただレイシーは杖を握りしめて、小さくなるばかりだった。ウェインは瞳を細めしらじらとした瞳で王女を見つめた。


「……それよりも王女様、侍女の一人もつけず、なぜこんな場所に?」


 いくら王宮といえども、そうそう王族が出歩く場所ではない。ウェインの言葉に、アリシアは瞳を丸くした。そしてそっと白い手袋に包まれた人差し指を自身の口元にのせて、微笑んだ。



 ***



「一体何だったんだ?」


 それでは失礼するわね、とするりと消えてしまった王女を見送り、ウェインは眉をひそめた。「……綺麗な方だったわね」とレイシーが呟くと、「どこがだ」とウェインは吐き捨てた。


「それになんだあの仕草は。秘密です、とでも言いたいのか? 別にそこまで興味もないんだが」

「ウェイン、聞こえる、聞こえるから……」

「とっくに消えてるよ。見かけのわりに足の速い王女様だ」


 あれは逃亡しなれているな、と頷いている。どうなのだろうか。


「……でも、行ってしまったけどいいの?」

「俺の仕事ではないよ。それよりこっちだ。どうする」


 もともとの予定のことだ。杖を燃やしてもらうために、ここまでやってきたのだから。今度こそ、と言い切ろうとして、「お、おねがい、すりゅわ!」と舌を噛んだ。思いっきり、唇を噛み締めた。そして耳の端まで赤くなっているような気がする。両手で杖を握って、ウェインに突き出し、顔は必死に下を向ける。言葉にするのならば、ただ恥ずかしい、という気持ちばかりである。


 ため息をつかれた。謝ろうとしたとき、「まだ、時間はあるしな。ちょっと散歩でもするか」 ウェインはぽんとレイシーの頭に手を置いた。レイシーは少し迷って、ゆっくりと頷いた。




 王宮には隣接するように庭園が広がっており、あふれる緑の中を歩いていると、固くなってしまった気持ちが、少しずつほぐれていくのを感じた。会話はなかった。けれど、すっかり気持ちは落ち着いている。


「ありがとう、ウェイン。もう大丈夫」

「……いいんだな?」


 これ以上は確認しない。けれども、何度も深呼吸を繰り返し、うん、とはっきりと頷く。そのときだ。唐突にウェインに抱きしめられた。何があったのかと驚いて声を上げようとしたが、口元も彼の手で塞がれている。木の幹に押し付けられ、目を白黒させながら周囲を見回す。そして彼女も気がついた。ウェインと目を合わせ頷くと、そっと手のひらを放された。覚えがある男女が木々に隠れるように何かを話し合っている。


 ラモンドと、アリシアだ。レイシーの婚約者である彼と、王女がなぜ、と困惑した。二人は仲睦まじい様子で、どうにも距離が近い。間違いなく、口づけを繰り返していた。「……ふざけてんのか?」 怒りをあらわにしたウェインの服の裾を掴んだ。そうしなければ、今すぐに飛び出してしまうかと思ったからだ。


 レイシーはといえば、驚きはしたが、それ以上に冷静に事態を理解している自分自身に驚いた。先日の“見知らぬ女性とのデート“を目撃してしまったから、ということもある。こんなものだろう、と思ってはいた。けれど相手が王女となると話が違う。浮気相手としては、あまりにも立派すぎるお相手だ。


 杖をしっかりと両手で握りしめる。ウェインには、ここにいてとばかりに視線を向けた。彼はしぶしぶといった様子で頷く。ゆっくりと、足を踏み出す。


「……あの!」


 レイシーのか細い声は、想像よりもよく通った。彼女の声にラモンドとアリシアはハッと互いに距離を取った。必死に声の主を捜しているようだ。まず、気づいたのはラモンドだった。黒いローブを着て、所在なさげに小さくなる彼女の姿を眉をひそめて見つめ、レイシーと理解する。アリシアもレイシーがラモンドの婚約者であることを知っているのだろう。今考えてみると、先程の笑みはわかっているからこそ、だったのかもしれない。


「レイシーじゃないか。奇遇だね、どうしてこんなところに? 王女様とは偶然、先程出会ったばかりなんだよ」


 レイシーが彼らの様子を見ていない、もしくは見ないふりをすると踏んだのだろうか。ラモンドは以前と変わらず朗らかな笑みを顔に貼り付けた。見る度に寒々しい笑みだった。けれど、いくらレイシーだとしても、そんなものにごまかされるわけにはいかない。


「ラモンド様、全て拝見しておりました。……そちらにいらっしゃるのは、王女様とお見受け、します。私は、あなたの婚約者で、その、つまり、これは、浮気、と……」


 うまく言葉が出ない。相手は一国の王女だ。その場限りの、勢いでの話だったではすまされない。そのことがわかっているのか、と問い詰めたかったはずだ。「浮気、だと!!」 それよりも、レイシーの言葉を聞いた途端、豹変したように大声を出すラモンドに驚いた。


「今、浮気と、そう言ったか! 私と彼女は、たしかに愛し合っているというのに! 婚約者などとよくも言えたものだ! 貴族としての家名もなく、ただの孤児で、あるものは高い魔力だけ、お前と結婚しなければならぬと父から聞かされたときは絶望したものだよ!」


 この婚約にレイシーの意思はない。むしろ、ラモンドの父であるデジャファン公爵が望み、とりつけたものだと聞いている。レイシーは瞬きを繰り返した。ラモンドは拳を震わせ、顔を真っ赤にして唾を飛ばしていた。その様を、王女はうっとりと見つめている。


「私はアリシア様を愛している! 愛のない結婚に、一体何の意味があるというんだ! レイシー、お前のように背も低く、可愛らしさもない肉の付きも悪い女など抱けるものか、ぞっとする! 私はお前とは結婚しない、耄碌した王が決めた婚約など必ず破棄してみせる!」

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