第3話
「ウェインに、前に言ったことがあるわよね。公爵家のデジャファン家の、嫡男の」
「言ってたな」
ああ、とウェインはぶっきらぼうに頷いてそっぽを向く。
レイシーがデジャファン家と縁を結ぶことになったのは、五年ほど前からだろうか。類まれなる魔術の才があったレイシーは、すでに頭角を現していて、魔王討伐の旅に出ることになるのは、彼女になるだろう、と囁かれていた。
孤児である彼女は使い捨てるには丁度いい存在だ。レイシー自身もそれを目的として生きていたから、なんの文句もなかった。そして、もしレイシーが魔族討伐の旅に出ることがなくても、彼女自身が宿す価値はおそろしいほどだ。より高い魔力同士をかけ合わせるため、レイシー自身ではなく、その子供を必要として婚約は結ばれた。
結局、レイシーは魔族討伐の旅に出ることになったのだが、生きて帰ってきた彼女は、魔王を倒した魔法使いとして、さらに箔が付いたとデジャファン家当主は喜んでいることだろう。
「この杖……」
大事に立て掛けていた杖をレイシーは見つめる。無骨な杖だが、しっとりとした木で作られたそれは、いつもひどくレイシーの手に馴染んでいた。
「汚らしい、と言われてしまったわ。はっきりと言われたわけじゃないけどね」
作られた笑顔とともに、オブラートに言葉は包まれていたが伝わるものはある。
けれど、自分自身も悪いのだ、とレイシーは考えている。初めて婚約者と出会ったとき、どういった装いをして、どういった顔をすればいいのか、まったくもってわからなかった。魔法使いとして出迎えられるのだからと、彼女なりの正装をしていったつもりが、貴族からすれば粗末なローブに身を包んだ子供がやってきたと思われたのだろう。
それから少しは彼女なりにも気をつけるようにしていたが、貴族と同じような服をそろえることはできないし、変化魔法で風貌を変えることはできるが、一応将来の結婚相手だ。いっとき変えてしまったところで、なんの意味もないとすぐに気づいた。
そして、つい先日、魔王を倒し王都へ戻ってきてから、婚約者と久しぶりの顔合わせを行ったのだが、常日頃から持ち歩いているものだから、レイシーはうっかり杖をそのまま持っていってしまった。そして、くだんの台詞である。そのとき、改めて理解した。レイシーは、魔法使いとして招かれたわけでは決して無い。価値があるものはレイシーの魔力のみで、子を残すためだけに形ばかりの妻となる。
旅を終え、目的を終えた彼女が行くべき最後の場所だ。
彼女の右手には文様が刻まれている。孤児として拾われて、国のために生きるように、逆らうことができないようにと刻みつけられたものだ。幼い頃から当たり前のように生きてきたから、そのことを苦痛には思わない。目的地が少しばかり変わっただけだ。だから、王に願うことなど何もないし、お金を持っていても仕方がない。使うあてもないのだから。
ウェインはただ、そうか、とだけ呟いた。姿絵を片方の脇に挟んだまま、そっぽを向いて膝を組み、頬杖までついている。心配しているのだろう。ウェインは旅の途中でもいつだってそうだった。面倒見がよくて、いつだってレイシーを睨んでいた。別に怒っているわけではなく、たとえば、ちゃんと飯を食べたか、服を変えたか、風呂に入ったか――口うるさいほどにこちらを気にかけてくれた。
貴族の次男坊だというのに、と最初は随分困惑したが、彼がそうせざるを得ないほどにレイシーがあまりにも自身に無頓着だったとも言える。性別も、年も違うのに、もし母親がいるのならこんな人なんだろうな、と心の底でこっそりと思っていた。
「実は、私もウェインに会わなきゃと思っていたの。デジャファン家の人間になるんだったら、この杖をどうにかしなきゃいけない。でも、魔力がこもっているから捨てるわけにもいかないし、魔術でなければ燃やして処分することもできない。私じゃ、どうしても……覚悟が足りないから、ウェインに燃やしてもらいたくて」
隠し持つことならいくらでもできるだろうが、それはきっと意味のないことだ。
ウェイン以外にこの杖を燃やせるほどの魔術を使える人なんて知らないから、とレイシーが小さく続けた言葉はどうにも胸にくるものだった。ウェインはそっぽを向く。
「断るね。大切なものなんだろう。それなら意地でも大切にしておけ」
言うと思った、とレイシーは笑ってしまった。多分これは折れない。頃合いを見て、もう一度お願いした方がいいだろう、と意見は引っ込めることにした。
「で、どんな男だ」
「……なにが?」
「お前の結婚相手だよ。公爵家の嫡男。ラモンド・デジャファン。名前は知っているけれど、それだけだ。仲間の結婚相手なんだ。気になりもする」
母のチェックは厳しいらしい。レイシーは瞬いた。
「……どんな人、と言われても……どうかな。私も数えるくらいしか会ったことがなくて」
言葉の裏に棘を感じることは多いが、それでもラモンドは表面上はにこやかだ。国から決められた婚姻であるから、歓迎しているようなそぶりをしなければならない。
旅の途中も、幾度か手紙を交わしたが、互いにそっけないものだった。ウェインに尋ねられて、記憶の中を探っていく。まったくもって言葉が出ない。せめて外見の特徴を、と声に出して、告げていく。
「……ええっと、髪は、金色だけど、ウェインほど明るくはないと思う」
「うん」
「瞳の……色は、私と少し似ているかな。でもヘーゼルよりも、濃いオレンジ色というか。魔力の質が似ているのかも。だから、婚約者としてあてがわれたわけだし」
「なるほど」
問いかけながらも、ウェインもあまり興味がなかったのかもしれない。視線はすっかり見当違いで、ベンチの後ろをじっと見つめている。「それから、年は……え、ええっと、私より十くらい年上だったような」「つまり、二十歳も半ばってことか」「そう。そうなる!」 情報量がこれで一つ増えたと、思わず声が大きくなってしまった。
はあん、とやっぱりどうでもよさそうにウェインはそっぽを向いている。なんだったの、と杖を抱えなおして、口元を尖らせた。
「つまり、あんな感じか?」
別に興味がなかったわけではなく、通り過ぎる人の中に気になる人間を見つけていただけらしい。ベンチの反対側をレイシーも顔を覗かせて、ウェインが指差す先を見つめる。「そうそう、あんな感じ――」と、言ったところで言葉を失った。途端に口を閉ざしたレイシーを、ウェインは不思議そうに見つめる。
「レイシー?」
ただじっと、レイシーは男を見つめていた。ヘーゼル色の瞳をぱっちりとあけて、小さな口元はきゅっと閉ざす。男は笑いながら女に話しかけている様子だ。随分距離が近いし、話しかけられている女の服は、よく言えば開放的だ。悪く言ってしまえば、露出が多い。こちらを振り向いた。慌てて、レイシーはベンチの背に隠れた。
「おい、まさか」
ウェインの声が、にわかに硬くなる。とりあえず目と一緒に口を閉じた。これ以上は何もいうまい。と、思っていたのだが、やはり気になってしまう。レイシーはそろそろともう一度顔を上げた。
「公爵家のご嫡男が、こんなところにいらっしゃるだなんて……どうしたのかしら」
「……下町で、お忍びデートと、いったところじゃないか?」
ウェインの瞳はしらっとしている。「……お友達かもしれないし」と、いったとき、ラモンド――レイシーの婚約者は、女の腰を抱き寄せた。ウェインの目はさらにしらじらとしていく。「……随分、距離が近いお友達だな」
レイシーはラモンドと名前も知らない女の背中を見つめた。そのまま、彼らは消えてしまった。
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