れいにゃんを幸せにできるのは私しかいないんですケド
久しぶりの実家で羽根を伸ばしているとき、スマホが鳴った。
着信履歴を見ると、知らないうちに不在通知が三件ほど溜まっていた。
嫌な予感をしながら通話に出た。かけてきたのはれいにゃんだった。
「もしもし、どうしたの?」
「菜々ちゃん、どうしよう」
電話の奥で、れいにゃんの声がか細く震えている。
「大丈夫? 落ち着いて」
少しの間があった後、絞り出す声でれいにゃんは告げた。
「ゆずが、ゆーちゃんがいなくなっちゃったの」
道央を襲った大雪で飛行機の便が取れず、弘前へ戻れたのは電話をもらった二日後だった。最悪の事態を考えてしまって、実家にいる間は気が気じゃなかった。
急いでれいにゃんの元に帰ると、彼女はボサボサの髪でダイニングの椅子に座っていた。
いつもとは違うれいにゃんに驚いたが、思っていたよりもまだマシだったので、少しホッとした。
「ただいま」
息を整えそう言うと、放心状態だったれいにゃんの身体がピクリと動いた。
「遅いよ、菜々ちゃん」
れいにゃんはチラッとこちらを向いた後、もう一度虚空を見つめ直した。
「ゆーちゃん、私から逃げてっちゃった。嫌われちゃったんだね。こんなおばさんのところにいるの嫌だよね」
声の震えで、れいにゃんの心が壊れかけているのが分かった。涙を出さず、だらんと伸ばした腕を、カタカタと小刻みに椅子に叩きつけている。
「違うよ! れいにゃん。それは違う。ゆず、猫被ってるよ。きっとれいにゃんを驚かそうってどこかに隠れているんだよ」
何とかれいにゃんの心をつなぎとめようと発した言葉がこれだった。
指先の震えが止まり、少しの沈黙の後、れいにゃんはまた指を動かし始めた。
「なにそれ」
私なりの冗談だったが、れいにゃんは力なく笑った。良かった。
「行こう、れいにゃん」
私はれいにゃんの隣まで歩いていって手を取ると、お互いの目があった。
「え?」
れいにゃんは光の消えた目でそう応えた。
「いるよ、れいにゃん。家の中にいないんだったら、ゆずは外にいるかもしれない」
私がそう言うと、れいにゃんはうなだれた。
「外にはいないよ」
「探したの?」
れいにゃんは黙って首を振る。
「探してないけど、外にはいないって分かるもん」
れいにゃんは私の手を離そうとしたけど、私はもう一度手を強く握り直した。
「探さなきゃ。車の鍵貸して? 私が運転する」
私は、れいにゃんの髪を簡単にゴムでまとめて、連れ出し、二人で車に乗り込んだ。
動揺で助手席で窓の外を力なくじっと見つめるれいにゃんを連れて、まずは家と大学の周囲を回った。
次にヒロロ前、
結局、夜中まで探したが、ゆずの姿は見当たらなかった。
「私たちが探さなくても、ゆーちゃん、ひょっこり帰ってきたりしてね」
明日に差し障るからと家に帰る頃になって、れいにゃんはそう自分に言い聞かせた。
「そうだね。ゆずのことだから、どこかで生きてるよ」
言葉とは裏腹に、私たちは、ゆずはもう帰ってこないんだと思っている。
「ありがとうね。菜々ちゃん」
「なんもだよ」
信号が赤になった。窓の外を見ると、私たちの家に続く狭い道を、帰宅途中の中学生が歩いていた。
家に帰って風呂に入り、ちょうど着替え終わった私のところへ、れいにゃんがやってきた。
「ごめん菜々ちゃん。申し訳ないんだけどもね」
れいにゃんはパジャマ姿で照れくさそうにしている。
「今日、一緒に寝てもらってもいい?」
れいにゃんの部屋に行くと、ダブルベッドの上に枕が二つ置いてあった。
「菜々ちゃんの席は、ここ、ここね!」
れいにゃんがポンポンと、空いたスペースを叩いて招いている。
「それではお邪魔します」
「どうぞどうぞ」
私が遠慮がちに入っていくと、れいにゃんが私を引き寄せて、布団をかぶせてきた。
私とれいにゃんはベッドに入って、照明をベッドサイドランプだけにした。
「いやー、誰かと一緒に寝るなんて、久しぶりだわー」
れいにゃんは嬉しそうにそう言った。
私たちは眠くなるまで、帰省したときのこととか、シェアハウスのこととか、次にどこに旅行に行こうってことだったりを話した。
一時間ほど話して、れいにゃんは疲れたのか大きなあくびをした。
「そろそろ寝る?」
「ねえ、菜々ちゃん」
私が照明を消そうとランプに手を伸ばすと、れいにゃんが私の服を掴んできた。
「どうしたの? れいにゃん」
私は、背中越しにれいにゃんに聞いた。
「あのさ、ゆーちゃんは私のところに来て、幸せだったのかなあ」
私は、少し考えて何か言おうとした。もしかしたら下手に嘘を言うと、れいにゃんをよけい傷つけてしまうかもしれない。だったら少し辛くても、本当のことを言うしかないと思った。
「実はさ、ゆずがいなくなる前にさ、私に話してくれたんだ。人間の言葉で」
れいにゃんの吐く息が荒くなり、明らかに
「ゆずは命を助けられて、すごく感謝してた。で、一生をかけてれいにゃんを幸せにするつもりでいたんだって。でも、猫の寿命は短いから、いつかはゆずが先にいなくなっちゃうことはごめんなさいって。だから、ゆずがいなくなった後も、れいにゃんに幸せになってほしいって言ってた」
話の途中、れいにゃんに遠慮して言いよどむと、小さな声で「最後まで話して」と聞こえた。
ゆずから預かったものを全部話したが、ちゃんと伝えられていたかは分からない。私も、ゆずのせいで上手く喋れなくなったみたいだ。
話し終えると、れいにゃんは「ありがとう」と言って、服を掴む力を緩めた。
「れいにゃん。大丈夫だよ。私がいるから」
私はれいにゃんの方に向き直って、頭を撫でた。
れいにゃんは鼻をすすりながら、私にひっついてきた。
頭を撫でるにつれて、れいにゃんの背中がどんどんと小さくなっていくように感じた。段々と、れいにゃんのすすり泣きが大きくなっていく。
れいにゃんの感情が小さな穴からこぼれ落ちていく。そして、ついに
「う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛?」
れいにゃんは、私の胸に顔を埋めて泣いた。胸の奥につかえた、とめどない黒い塊を全部吐き出そうとするように、
私の中のれいにゃんは、経験豊富で余裕があって、素敵なことを教えてくれて、いつも笑っている大人の女性だった。私がいなくても、きっと一人でも強く生きていける人なんだと思っていた。
そんな憧れの
ゆずの言葉で語られた“れいにゃんを幸せにする”っていうお願いが、少しずつ、私の言葉で語られる欲求に変わっていくのを感じた。
私、れいにゃんと一緒になってもいいなと思った。たった三週間しかたっていないけど、色んなものをなくして死のうとしてた私に、れいにゃんは沢山のものをくれた。今度は私の番だよ。私の心の余った一部で、れいにゃんの空いてしまった心の穴を塞いであげられるかもしれないと思った。
その日、夢を見た。ゆずは、どこかの白猫とつがいになって、私たちの知らない遠いところに消えていった。
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